晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大晦 12/31

2011-12-31 | 日記・エッセイ・コラム

2011.12.31(土)晴れ

 遂に大晦(おおつごもり)が来ました。今年は雪が早くもう三度も積雪があったのですが、今日は珍しく晴れ、明日も持ちそうな天気です。なにしろ上林に来て以来三度の年越しがいつも雪で、それも尋常な雪ではないのです。初詣も冬山に行くような格好で参ってたのですが、明日はその心配はないでしょう。
 年越し蕎麦でいっぱいやりながら、今年はどんなとしやったかなあと思いを巡らすに、一向に大事が思い浮かばないのです。昨年はかみさんの入院があったりしてじょんのび村は大変だったのですが、今年は少なくともわたしたちとじょんの間では何事もなかったのかもしれません。
 周囲では大変なこと、悲しいこと沢山ありました。そして良いことはどのくらいあったかというと、いくつもないのです。まあ、それで良いんかな。
 
 「寝て待てど 暮らせど更になにごとも 無きこそひとの果報なりけり」
 寝て待っていたわけではないけれど、何事もないのが良いことなのでしょう。
 写真ファイルじょんのび村2011には2,586枚の写真があります。今一つひとつ見ているところです。
 今年は大雪でした、最終3月17日まで降っています。Img_2516

3月17日でこれだもんね。


 30年ぶりの積雪とかで屋根からの雪は背を越えるほどになりました。 この時期の写真はやはりユキが来たことです。1月6日に警察署から連れてきた日はほんとに惨めな顔をしていましたが、一年間ずんずん明るくなっていく様子が解ります。
 春までの間はガーデンシェッドが出来上がる様子が写っています。実に6ヶ月の製作期間を要しました。Img_2566
 
3月28日、このあと樋を作製。


 じょんのび看板ができたのは夏の終わりでしたか、これこそ3年余りの期間がたっています。
 また今年は山行の写真が沢山あります。サンドラ岩、猪ノ鼻峠、胡麻峠、鳥垣渓谷、シデ、大栗峠、洞峠その他。Img_2851
 
遂に発見サンドラ岩、5月3日。


 春から初夏にかけて薪の切り出しが大仕事でしたし、木小屋も三つになり、やっと満足に薪が用意できました。あとは少しずつ補充していけば良いかと思います。Img_2784
貯まりに貯まった薪、いまだに割り終えていません。 


 秋には入村以来初めての旅行に出かけ、じょんがペットの部屋に泊まれなくて大変な旅行となりました。じょんは一年間大きな病気もなく助かりました。
 じょんのび村は平穏でしたが、東北での災害は大きなショックでした。特に原発事故はじょんのび村も原発30Km圏内にあり、他人事ではありません。
 そうこうしているうちに新年が近づいてきました。
 来年はどんな年になるでしょうか?目標としてはドッグラン土の完成、身体の鍛え直しです。

 それでは皆さん良いお年を。

今日のじょん:毎朝ジャンプの調教、来年もよろしくっと、、。P1000691
 

 

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自転車取締について(3) 12/30

2011-12-31 | 日記・エッセイ・コラム

2011.12.30(金)曇、雪

 歩道を歩いている人は誰でも我が物顔で走る自転車に嫌な思いをされています。後ろからチンチンとベルを鳴らされると頭に来ます。速度の違うものが同じところを通行するところに問題があります。そのうえそこを通行するルール、マナーなんて誰も知らないし、誰も教えられないのです。例えば自転車はどちらを通るか、どちらから歩行者を追い越すか誰か知っていますか。法的には決まっているのですが、誰も知らないので意味がないのです。親は子に自転車の乗り方は教えますが、通行ルールなんて教えませんよね、自分自身も知らないのだから教えようがない訳です。ましてやマナーなんて教えられるはずがない、日常社会生活のマナーも教えられないのだから。
 更に困ったことは自転車には自動車のように強制保険が無く、任意の保険もあることはあるのですが加入する人はほとんど無いと云うことです。自転車で事故を起こしたとき損害賠償は全額自己負担となるわけです。小さな物損ぐらいならともかく、死亡事故を起こしたらそれは大変なことです。このことは元々自転車で他人を殺傷するような事故はあり得ないという想定がなされているからです。ところが実際には起きています。自転車が衝突し、歩行者が転倒したとして、打ち所が悪ければ死亡することはあり得ます。過去には歩道を走る自転車が植木屋さんの乗った脚立を倒し、転落した植木屋さんが死亡された事故がありました。結末がどうなったか解らないのですが損害賠償とか気になるところです。
 交通違反の件もそうです、自転車での違反には行政処分というのはありません。いきなり赤切符を切られるわけです。罰金はともかく、違反して検挙されればいきなり前科者ということでしょうか。これも自転車が重大な事故を起こさないという想定の下になされている事態でしょう。Img_1809 Img_1815
 



自転車旅行中自転車にとって最悪の道は国道16号線でした。写真は自転車は渡れない交差点、「自転車車道通行禁止」なのにいきなり歩道が消えた八王子バイパス。(2006,11,21)とにかく自転車は考慮されていません。


 ところが通勤や通学に自転車を使う人が増えてきた、ところが自転車を取り巻く環境は従来のままということで様々な問題が出てきたというのが現状のようです。つづく(続自転車取締については2011.12.20)

【作業日誌 12/30】
年末大掃除

今日のじょん:今年最後の、というより新年を迎えるためのシャンプー日、心配なのは体重のこと。「19Kg超えたら限界集落やで」なんてわけの解らんこと言われながら体重計に乗ると、、、、、、。セーフ18,6Kg、「まあ草壁ぐらいやなあ」なーんてこれまたわけの解らんこと言われている。P1000690


測定後、スゴスゴとシャンプーに向かうところ。

 
 

 

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鳥垣のこと(3) 12/29

2011-12-31 | 上林地名考

2011.12.29(木)曇、雨

 「地名の詮索は引用の学問なのであろうか」というのは地名の研究者山口恵一郎氏の言葉です。確かに引用は地名詮索の骨子ではありますが、それだけでは地名を理解することはできません。現地を見ることが一番大切ですが、見られない場合でも画像、地形図、地図、文献などあらゆる手段を以てその地の様子をうかがい知ることが大切です。地名はその土地と人間との関わり合いで発生します。人間と関わり合いのないところには地名は必要ありません。
 地名は農耕や狩猟などの生産や居住、通行などといった人間の営みに必要であって、地図も文字も無い時代にその言葉を持ってどのような土地か解るようにつけられたのでしょう。従って古い地名のほとんどは地形、地質を表すものだと考えます。
 時代が下って土地の所有に関する地名などが必要となってくると、何々屋敷とか、以前に紹介した武吉、吉忠などという固有名詞的な地名が出てきて語源を探るなんてことが難しくなってきます。
 近代になってくると行政の都合や観光などの受け狙いの地名なども出てきて、こうなると地名の文化などと言っている場合ではなくなってきます。
 中、奥上林の町名は光野町を除いて、すべてそういった合成地名で、そこには歴史や文化を彷彿させる余地は微塵もありません。(老富、故屋岡、睦寄、五泉、五津合、八津合、睦合)
 余談が長くなりましたが、鳥垣の地名について典型的な地形地名としての候補を挙げ、検討の材料としていただきたいと思います。
 坂尾呂神社北側の鳥垣集落を地形図で眺めていますと、上林川と草壁川の合流地点にあり、水の浸食が強烈であったことが想像されます。もちろん現在では両河川とも堤防が整備されていますが、28水(13号台風)の災害概況図(奥上林村誌)を見ますと両河川とも完全に決潰し、鳥垣は坂尾呂の里の高地部分を除き殆どの耕地が流失、埋没しております。Img_3873
 
鳥垣から草壁川を渡る。


 地形図の両河川を見ると、草壁川は庄に入るあたりから直線となり鳥垣集落の北西300mあたりで上林川に合流しています。上林川は草壁川合流地点の手前で流れを南から南西に大きく変えています。しかし太古の流れはどうだったでしょうか。両河川の合流地点に至るまでの蛇行の様子を見ると、上林川は直接、草壁川は金剛寺下辺りから鳥垣集落に向かって流れているように思えませんか。やがて草壁川の押し出す土砂によって上林川が西方向に向きを変えられたなどと想像しています。
 上林川左岸には志古田、弓削、古城山と顕著な環流丘陵が発達しています。こういう地形を作り出す水流がかつて鳥垣を襲っていたのではないでしょうか。P1000553 Img_2742 Img_2744
 



志古田、弓削、古城山の環流丘陵地形、上林川の蛇行によって取り残された地形。

鳥は取る、獲る、垣は掻く、欠く、つまり水流が土砂を取り掻く地形と読むことが出来ます。
 「青森県地名の謎」(松田弘州著)には南郷村中野の鳥喰(とりばみ)六戸町折茂の鳥喰谷地などの地名について、水流か崖崩れで「土地が取られ食われる」の意としています。
 また、「とちぎの地名を探る」(塙静夫著)ではカキ(柿)地名は洪水などによる崩壊、浸食地形に由来すると書いています。岐阜県の大垣はかつては垣と柿が併用されていたそうで、大垣は元々大柿で洪水に由来する地名という説もあるようです。(日本地名ルーツ辞典)

【作業日誌 12/29】
窓ふき掃除

今日のじょん:新じょん語録(2)半井飛び
 人気のお天気キャスター半井小絵さんがTVから消えて久しいが、彼女の可愛いところは天気図の画面に変わるとき両手を後ろにしてぴょんと向きを変えるところだったのだが、週刊誌というのは罪なことをするもんだぜ。
 実はじょんが雪中ぽんぽこぽんをするとき、ボールがもぐった地点にはすぐに行かないで、「みっけ」という感じで両手を出して後ろ向けにぴょんとボールのところに飛びつくのだ。この動作がすこぶる可愛くて、半井飛びと呼んでいる。この写真の中間に半井飛びがある。P1000641 P1000642

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鳥垣のこと(2) 12/28

2011-12-29 | 上林地名考

2011.12.28(水)曇

 市志の太郎垣について、小平地が小山の上にある稲荷神社を表すとすれば垣は崖を表すと考えられます。この神社と鳥垣の坂尾呂神社の前にある坂尾呂の里と命名された小山はよく似ています。どちらも急な石段があって、鳥居があって、その先に神社があるのです。どちらにも麓に宮の腰という地名が在るようです。
 鳥居のある崖→鳥居崖→鳥垣というのも鳥垣地名の候補に上げなければなりません。坂尾呂神社は周囲の古墳の状況なども鑑み、地名発生時代に至る充分に古い神社だと思います。
トリイ→タリイ→タローの訛化は少し無理があるでしょうか。
 坂尾呂の里は馬場先(ばばさき)といわれています。「シデの思い出」には馬に関する地名考がいくつか上げられていますが、ババ、ハバは崖あるいは崖上の平坦地を表す言葉とされています。柳田国男「地名の研究」では語源は不明だが、その意味だけはほぼ判明していると書いています。塙静夫「とちぎの地名を探る」では語源は「岨(はば)」としています。馬場先の先はそのまま突端ととれば、馬場先とは崖上の平坦地となった尾根の突端となり、現状の坂尾呂の里にぴったりの地形で、ほぼ間違い無いかと思います。Img_4174
 
坂尾呂の里案内図(2010.4.2) 


鳥地名はタオ、タワ、タオリつまり峠からの転という説もありますが、鳥垣の場合直接峠とは関係がないとして除外していました。
 ところが今、いわゆる近道ということを考えていると鳥垣から小野田に行くのには馬場先と坂尾呂神社の鞍部が日常的に使われていたのでは、、と思えてきました。現在のように車社会の時代には考えもしないことですが、徒歩がすべての時代には小さな鞍部でも峠として充分機能していたと思われます。実はわたしはこの小道を越えたことはないのですが、鳥垣側はかなり急な崖ではないでしょうか。さすれば峠の崖→タオリガケ→タオリガキ→鳥垣の構図が考えられます。雪が解けてその道を歩いてみて、予想どおりだったらこの説も候補に上げなければなりません。Img_4173 Img_4172

 


左:鞍部から馬場先を望む 右:同じ場所から小野田方面、この鞍部は最短距離となる。(2010.4.2)

今日のじょん:今日ハナちゃんが初めてじょんのび村に来た。ユキちゃんと遊んでいたじょんはみんなで遊びたいみたいだけど、ハナちゃん慣れていないのでカワイソウ。いわゆる社会性をつけるためじょんも苦労したもんなあ。P1000674 P1000675 P1000676   
 

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鳥垣のこと(1) 12/27 

2011-12-28 | 上林地名考

2011.12.27(火)雪

 念道の今朝の積雪は約10cm、昨日かいてないところは30cmぐらい残っています。志古田の佐々木さんが「志古田はこの三倍だ」って言うので、持論の積雪七割説のとおり二倍ぐらいかなと思います。鳥垣に所用で行ったのですが、念道の約二倍の積雪でした。光野や老富はいかばかりかと思います。
 大栗峠考(16)(2011.12.1)に鳥垣の地名について、通り垣内、つまり多くの人が行き来する集落という風に解いたのですが、実はどこの地名の場合もそうなんですが「本当にそうかなあ」といつも不安に感じるのです。P1000554_2
 
鳥垣と志古田の間の尾根、この末端にも通り道が在ったそうです。いつか訪ねてみたいところです。また、尾根上には山城もあったとか。(2011.12.13写真)

 例え世間での説がそうであっても、確率的に非常に高い由来であっても本当の地名由来、語源は違っているかもしれないし、そのことは証明のしようがないのです。
 従ってある程度考えられる説を並記して検証していただくというのが最善の方法と思います。
 垣内(かいと)のことを果たして垣と呼ぶかという点が一番気になっています。そういう例は聞いたことは無いのです。
 中上林の清水に白垣(しれがき)というところがあります。綾バスの停留所はあるのですが、そういった小字はありません。「上林風土記」によると白屋垣(しれがき)という村名が天文2年にあったと記しています。この白垣についてかつて崩壊した崖という風に書いたことがありますが、現地も見ずに勝手な地名由来を書いてしまい反省しています。白垣という地名がそのように解されることはありますが、上林の白垣がそうであるとは断定できないことです。
 小字を調べていると長垣(よみはわかりません)というのがあります。いづれ白垣と共に調べてみたいと思います。
 五泉町市志(いちし)に太郎垣という小字があります。市志の橋を渡って八代峠(矢城峠かもしれない)に向かう道の周囲と思うが、これは気になる地名です。
 太郎(たろう)というのは「地名の語源」(鏡味完二)によると(1)小平地、(2)立派な意味とあります。そういえば薬師岳(2,926m)に登るルートに太郎平なる平地があったのを思いだします。市志の太郎垣が小平地といっていいものか判らないが、垣については「上林風土記」で垣内の意味ではないかと書いています。同じ考えを持つ人があるものだと少し安心する次第です。Img_3656_2

市志の橋を渡ったところが太郎垣のようです。


つづく

今日のじょん:今日も新雪が楽しめる。ラッセルラッセルじょんじょんじょん。でも怖~いものがあるのだ。屋根から落ちる雪、凄い音がするもんね。P1000665 P1000666 P1000670

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雪かきのこと 12/26

2011-12-26 | 日記・エッセイ・コラム

2011.12.26(月)雪

 世間では大雪の情報があふれているというのに意外と少ないなあと思っていたのは昨日までで、今朝はしっかり積雪の朝となりました。積雪30cm、本日の京都府各地の積雪量からみるとかなり降っているようです。P1000663 P1000655 P1000657




じょんのび村と念道の様子。

 とにかくこの冬初の本格的雪かきをしました。九時頃から初め午後の二時ぐらいに終わるのだから大変です。
「北越雪譜」に雪を掃ふ(はらう)として以下の記述があります。
 いくばくの力をつひやし、いくばくの銭を費し、終日ほりたる跡へその夜大雪降り夜明けて見れば元のごとし。かかる時は主人はさら也、下人も頭を低(たれ)て歎息(ためいき)をつくのみ也。
 雪を掘るというのは雪かきのことですが、当時の越後では木鋤(こすき)というブナの木でできたスコップのような櫂のような道具を使います。今はプラスチックやアルミの雪ハネや雪スコップを使うのですが、非常に単純ではあるが重労働の作業を果てしなく繰り返すのです。
 実はこの作業をわたしは嫌いではなく、ザッザという雪をすくう単調な音とフードを濡らす白い息がすこぶる心地よいのです。この時いつも脳裏に浮かぶのは小学校に通うわたしの前で何をしゃべるでなくハアハアと息をつきながら雪をかいてゆく亡き父の姿です。自動車を通すわけでなく、客人が来るわけでなく、ただ幼い息子が学校に通うためだけに雪をかき続けていた父の姿なのです。
 自転車旅行を終えて新しいすみかを探すとき、秘かに二つの条件をつけていました。冬には雪が降ることと夏には河鹿が鳴くことです。
 「北越雪譜」の著者鈴木牧之は実は雪が大好きだったのではと思うのです。

【作業日誌 12/26】
雪かき

今日のじょん:雪中ぽんぽこぽん
 雪中ぽんぽこぽんの神髄はボールの探索である。とにかくボールはすぽんと雪の中にもぐってしまうのだから、それを探し出す手だては臭いしか無さそうだ。ところがボールはすぐに雪まみれになってしまうのだから、はたしてどれだけ臭いがするのだろう。時間はかかるが見つけ出してくるじょんに拍手を送りたい。P1000650_2 P1000658 P1000659
 
 

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雨読 北越雪譜(2) 12/25

2011-12-25 | 雨読

2011.12.25(日)雪

 「北越雪譜」を語るには絶好の日となりましたが、雪というのは多分に地域的なものがあるようです。北陸や丹後の大雪のニュースをよそに上林では中上林の我が家で10cmの積雪と意外に少ない状況です。本格的な積雪は年明け以降なので余談は許せませんが、いずれにしても越後の豪雪地帯とは雲泥の差があります。
 北越雪譜の目的は、誰もが知らない越後の雪のことを知らしめすべく書かれたものですが、よくぞここまで雪に関しての話題があるものかと思うほどです。
 地気雪となる弁、雪の形状(かたち)、雪の深浅、雪意(もよい)、雪の用意、初雪、雪の推量(たかさ)、雪竿、雪を払ふ、、、、、目次は雪に関する項目で延々と続きます。そして中盤以降は熊刈り、鮭漁、機織りなど北越ならではの産業の話や雪頽(なだれ)、氷柱(つらら)など北国の風物や物語について書いています。それは千差万別で、文章の巧さもあって読む者を雪国の世界に引きずり込んでしまいます。
 牧之の雪について語るとき、常に雪に対する嘆き、悲しみ、苦しみ、そして雪の無い国への羨望がついて回ります。
 「今年も又此雪中(ゆきのなか)に在る事かと雪を悲(かなしむ)は辺卿(へんきょう)の寒国に生たる不幸といふべし。雪を観て楽む人の繁花(はんくわ)の暖地に生たる天幸を羨(うらやま)ざらんや。」という如しです。
 特にこの傾向は前半に多いのですが全編を読み終えると、氏は雪の苦しみに耐え忍ぶことが雪国に生きる者の定めであり、そのことがまっとうに生きるという証であり、暖国では決して味わえない楽しみや喜びもあることをうったえているように思えるのです。Img_2142
 
今年の初めは上林も30年振りの大雪ということでした。
(2011.1.13)


 牧之は極めて科学的な思考の持ち主であって、雪の結晶図は中谷博士が書かれたものと同様であり、凍傷の治療法なども理にかなったものであります。珍談奇談についても確かめることが出来るものは現地に赴き確かめていますし、怪しげな話は道筋を立てて否定しています。例えば「雪中の火」という項では越後の七不思議として紹介していますが、信じられないようなこの話も新潟県に産する石油や天然ガスのこととすれば納得のいくものです。
亀の化石、天麩羅の始まり、異獣、火浣布、両頭の蛇等々面白い記事が満載であっという間に読んでしまうお勧めの一冊です。

【作業日誌 12/25】
地域の餅つきがありました。つきたてのおろし餅は絶品です。P1000645





今日のじょん:今朝の積雪は10cm、それでもじょんは大喜び。P1000631 P1000637 P1000639

 

 

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雨読 北越雪譜(1) 12/24

2011-12-25 | 雨読

2011.12.24(土)曇

 クリスマス寒波が到来し、日本海側の各地で大雪のニュースが流れています。津南町では明日180cmを越すだろうと言われていました。津南町といっても知らない人が多いでしょうが、平成18年の豪雪で4mの積雪をみ、一気に知られることとなった町です。2006年8月25日、野沢温泉から小千谷に向かってこの町を通過しました。真夏のこととて雪の情景は微塵もなかったのですが、雪の季節になると津南町、十日町、小千谷のことを思いだすのです。Img_0353
 
夏の津南町は何の変哲もない町です。



 北越雪譜の著者鈴木牧之は信濃川沿いの現在の117号線からもう一本山手の上越線沿い、三国街道沿いの塩沢の商人です。いずれにしても日本有数の豪雪地帯で、この書は初編上中下三冊の発行とされ、天保六年、七年に刊行されています。越後の雪についての民俗学的な書という極めて希な書物であります。
 北越雪譜 岩波書店 1982年9月 第三刷 定価1,600円
P1000646  冬の登攀こそが神髄と考えていた30代のわたしにとって、雪崩は最大の敵でした。雪国と言うにはあまりに中途半端な丹波に生まれたわたしにとって、雪は親しみ深いものであっても戦う相手ではありませんでした。信州の山々では先輩達がその雪の犠牲になっています。同じ白い雪なのに何が違うのだろうと問い続けていました。
 そんな中で買ったのがこの本なのですが、文語体の煩わしさに読み進めることなく書架に眠っていたものです。
 雪降り積むこの時期に再度頁を開くこととなったのは、生活の中での雪を知りたい、感じてみたいと思ったからです。
 まず、あれほど煩わしかった文語文が実にすんなりと読めるのです。先日幸田露伴の五重塔に挫折してしまったのが不思議なくらいです。読みやすいように編集してあるのかも知れませんが、文語体には違いないのです。そして文語文とはいかに感情表現が簡潔にしかも佳麗に行われるかということを知りました。つづく

今日のじょん:新じょん語録(1)はさまりじょん
 雪の朝は嬉しいようだ、無垢の白さが新鮮に感じられるのだろうか、外に出ると走り回っている。ところが外に出るまでは大変だ。レインコート着せられるので固まってしまうのだ。しかもサークルと窓の間に挟まったまま固まるので、はさまりじょんと呼ばれている。P1000617 P1000621_2

今朝の雪はこんなもん。

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じょんのびだより ’11.12 12/23

2011-12-24 | 日記・エッセイ・コラム

じょんのび年末始の営業について

12月29日(木)~2012年1月3日(火)まで休みます。



2011.12.23(金・祝)雪、曇

 遂に二度目の積雪、といっても重たい雪で1cmも積もっていません。夕べの冷え込みようだともっと降るかなあと思ったのですが、助かりました。でも26日辺りまで寒波が居座りそうでホワイトクリスマスになりそうです。P1000618
 
今朝の雪はこんなもの、じょんは喜んでます。


年末は毎年降雪をみているのですが、ここ3年クリスマスは積雪がありません。逆に正月は暖かい予想が出ていますが、そのパターンの方がらしくていいかなあ。
 
 さて今年のじょんのびDIY大賞は、、、
パンパカパーン ガーデンシェッドです。   まあこりゃあ当然ですね。

  Img_2093
Img_2943屋根張ってるところと完成品。





さて続いて、今年のじょんのび流行語大賞は、、、、
「おしごと、おしごと、おしごとよん」です。
これはかみさんが毎朝、といっても営業日だけ、つぶやきながらじょんにスカーフかけているのです。
P1000429_2  スカーフはかみさんと合わせているみたいで三色あります。
 


P1000189_2 おしごとったって、スカーフしてお店覗いているだけです。
 


P1000109 お客さんの無いときは、こーなってます。

 


 年賀状の差し出し中止について
 昨年から年賀状出すのを止めました。経済的に難しいのと、年末の労力とプレッシャーに矛盾を感じるためです。毎年頂いている方々には誠に失礼なのですが、なにとぞご理解いただけますようお願いします。当ホームページでは新年のあいさつをいたしますので、是非ご覧下さい。

 今日のじょん:本文に登場のためおやすみ。

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大栗峠考(23) 12/22

2011-12-23 | 山・峠

2011.12.22(木)曇

 小字大栗の位置が判って展開が変わってきたが、大栗の峠名について話を進めます。大栗が大きな栗の木に由来している訳でないという件です。
 志古田の古老が若い時分に大栗方面から大きな栗の木を伐採、搬出したということを書きました。売却代金を村中で分配出来るぐらいだから相当大きな栗だったのでしょう、大きな栗の木があったから大栗峠というのは一見もっともらしい話ですが、少なくともその栗の木が峠名の由来とはならないと思います。P1000388
 
大栗峠附近には同じブナ科の木は沢山ありますが、栗は見当たらないようです。


  寛政十一年の丹波国大絵図には峠の上粟野側に「大国、、」とあります。地図が複写なもので読みづらいのだが多分「大国峠」と書いてあるのでしょう。
 そして文明二年の川北家文書に、「一 弓削村 大国より今年から 立せ申筈也」という一文があります。(綾部市史資料編)大国というのは上林側にも和知側にもそれらしい地名は見当たらず、大栗の訛化であろうと思われます。前者が1799年発行、後者の文書が1470年に書かれた文書です。古老の憶えにある大栗の木の伐採が仮に60年前として1951年となります。丹波大絵図から152年、川北文書からだと481年の年月がたっています。いくら栗の木の寿命が長いといっても大栗峠あるいは大栗地名が既に存在したしたときに、1951年に伐採された栗の木が大きな栗の木として存在していたとは考えられないのです。
 地名、特に古い地名の場合桜、杉、栃というような植物や獣や魚の名前は付けたがらないように思えます。それは動植物はその地にとって不変ではないからでしょう。逆に地形はある程度不変です、その地名をみればどのような所なのか理解できるわけです。
 例えば大きな杉の木があったから大杉と名付けたとしましょう。やがてその杉の木が枯れて無くなってしまったら、大杉と聞いてもその地名を特定できないこととなります。今日のように地図情報が完備していれば問題ありませんが、過去の人々にはそのようなものはありませんから、地名を聞くだけでその地を特定できなければなりません。そういう意味で変化のあるものは地名として付けにくいと言うことなのでしょう。それでも動植物、とりわけ身近な動植物の名前が地名に現れています。
 それはあて字が多くを占めています。特に地名には好字をあてるということもあり、身近な動植物を選ぶ例が多くあります。例えばサクラは狭いところを表し、スギは砂地を、トチは両方から狭まったところ等を表します。
 これは地名を研究しながら経験的に感じていることで、100%そうだと言うことではありません。また、アイヌ地名などは直接的に動植物を表しているものが多くあります。つづく

【作業日誌 12/22】
杉皮むき
オリーブ雪囲い

今日のじょん:昨日さりーちゃんがきたので朝は大変、そこいら中嗅ぎたおしておしっこかけまくり。これは自分のテリトリーを主張しているといわれるが、本当はそれ以外の理由があるんじゃないか。P1000605 P1000606
 
 


 

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大栗峠考(22) 12/21

2011-12-22 | 山・峠

2011.12.21(水)曇

 大栗峠が志古田小字大栗に由来する考え方は最も一般的と思います。従って小字大栗がどこにあるかによって京街道志古田道のルートがある程度確定されるものと思っています。志古田の人に聞いても大栗の位置は一向にはっきりしません。きっと小さな小字で村落の近くで、志古田谷の流域当たりにひっそりとあるのだろうと予想していました。つまり和知から志古田の大栗という所にぬける峠だから大栗峠という風に考えていました。
 大栗という小字が存在するのは角川日本地名大辞典で確認していましたが、その位置まではわかりません。矢も楯もたまらず市役所を訪ねました。「大栗の位置を知りたいのですが」と尋ねると、字(あざ)の載った地図を閲覧させてくれました。複写は出来ないので、鉛筆で写してきたのですが、大栗は大栗峠を含む志古田谷の源頭部の広大な地域でした。
 大栗峠の謂われは大栗というところに向かう峠だからでなくて、大栗そのものに存在する峠ということでしょう。志古田の大栗という字に向かう街道の峠が大栗峠だから、本来の京街道は志古田道だというわたしの説もなんとなくひとつの根拠を無くした感がするのですが、若狭に向かう街道はあくまで志古田道であって、交通の発展により弓削道が主流となってきたという考えは揺らぐものではありません。ただ志古田道が志古田の左右の尾根筋にあるのかもという考えは可能性が薄くなりました。
 字名の地図を見ると、現在の志古田道は大栗~土ヶ谷~保小杉~渡リ手~野口~姥ヶ谷~宮ノ下あるいは薬師という風に辿っているように思えます。この渡リ手という小さな小字こそ志古田道が志古田谷を渡った辺りなのではないでしょうか。大栗という小字は志古田道の1/3をも占める広い地域です。そしてその間、栗=崩壊地という語源説にふさわしい地形であります。
 志古田道を歩いて気付くことは崩壊地であるということはもちろんですが、あちこちに大岩があることです。隣の鳥垣渓谷からシデの辺りの山域にも岩は多くありますがそれは岩壁なのです。志古田谷周辺の場合は壁というより単独に転がる岩が多いのです。栗石というのは建材などに使われているように、こぶし大の石を言います。また、”ぐり”というのは海底の暗礁や海中の岩穴などを言います。おおい町大島半島の赤礁﨑(あかぐりざき)等の例があります。P1000398 P1000399 P1000401 P1000407
 



志古田谷周辺の大岩、小岩


 こぶし大の石が栗石なら、大きな岩なら大栗と呼べないでしょうか。実際その様な例は聞いたことがありませんが可能性としてなきにしもあらずと言えませんか。
 また山間部、内陸部に海に関係する地名がよくあります。﨑、鼻、沖、浜、島など山や平野などの地形を海に見立てた地名が付けられるのです。海洋民族が内陸部に移動して付けたものという風にいわれていますが、小栗峠の山稜から志古田谷の森の中に潜む大岩を礁(ぐり)という風に見たとしても不思議ではありません。
 志古田の谷を歩いて、周囲の大岩を見るとそのような想像もしてしまうのです。
つづく(大栗峠考(21)は2011.12.19)

今日のじょん:上林中ネットが張り巡らされ、念道周辺も完成に近づいてきた。アウシュビッツにでも放り込まれたようで憂鬱なことこのうえない。P1000607 P1000608

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続・自転車の取締について 12/20

2011-12-21 | 日記・エッセイ・コラム

2011.12.20(火)曇

 12月20日は自転車日本一周旅行前半戦の最終日です。天理から京都まで晴天の中を楽しいサイクリングでした。8月1日、怖ろしく暑い日に桂川沿いのサイクリングロードを伏見に向かい、京都以北の国々をめぐり、140日後同じロードを帰ってきました。長い人生の内感動することはいくつかありますが、これほど感動した日はありませんでした。前半戦6,098Kmを無事に走り抜いた満足感でもあります。この間徹底した安全運転を実践した賜であります。この期間中でしたか、自転車日本一周を目前にトンネル内事故で亡くなられた老人のニュースがありました。出発以前にも日本一周を目指している最中に事故で断念したケースをいくつか聞きました。自分がいくら気をつけていても相手があることですから、やはり運がなければやり遂げられないかなという部分もあります。自転車というのはやはり弱者なんです。Img_0108
 
湖北の間道303号線でこんな素敵なトンネル見つけました。その先の8号線賤ヶ岳トンネルは怖ろしくて走れませんでした。
(2006.8.3)


 例えばトンネル事故で亡くなられた老人について詳しい情報は知らないのですが、トンネルというのは自転車にとって最も怖い所なのです。私の場合はトンネルに入るとき、事前に停車して以下の準備をしていました。
 サングラスを外すこと、白い服を着ること、ライトを着けること、サイドバッグの右端に点滅ライトを着けること、バックミラー、ヘルメットは常時着用。
 はてさてここまでやってるサイクリストがいるでしょうか。日本中の数百のトンネルをこうやって通過してきたからこそ完走があったのだと思っています。
 前半戦完走記念日に際して話がそれましたが、問題は日常の自転車通行に関するものです。
 最大の問題は自転車の通行する区分帯が無いことです。あったとしてもそこは駐停車の車に専用されて使用できません。
 自転車は法的に軽車両という車両扱いで、車道を走るのが原則です。ところが車道を走るのは危険だと言うことなのだろうか、歩道を走ることが出来る所があります。というよりほとんどの歩道は自転車で走ることが出来ます。実は最近の自転車通行の問題はここで起こっているのです。つづく
(自転車の取締については2011.12.12)

【作業日誌 12/20】
薪割り
じゃがいも(キタアカリ)掘り

今日のじょん:先日おかーが帰ってきたところの写真載せたら、「所帯丸見えやんか」と怒っていた。というわけで今日は所帯じみたところが無いやつ、これは何をしているところでしょうか?P1000601



買い物に行くおかーを見送っているところ。笑うやろ。






 

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大栗峠考(21) 12/19

2011-12-21 | 山・峠

2011.12.19(月)曇

 上林も積雪の季節となりフィールドワークが困難になってきました。この時期は文献による基本的な知識を吸収し、新たな想像、新たな論説を作り上げる時期なのかも知れません。そして春になればその確認をしに野や山に出かけるという構図です。そんな中いくつかの情報が寄せられました。
 志古田の古老の話ですが、氏が若い頃(おそらく5,60年くらい前か)に大栗峠附近から大きな栗の木を伐採し切り出したそうです。弓削、志古田間の尾根を搬出したようで、村に降りる辺りにはワイヤケーブルを張っていたと言うことです。売却したお金は村中で分配したそうです。そういう大きな栗があったから大栗峠というのだと言うことです。P1000553
 
この尾根を大きな栗の木が降りてきたということです。


 わたしは大栗峠を巡る山塊に大きな栗の木があって、それを数十年前志古田の村で伐採搬出されたのは実際にあったことだろうと思います。栗の木は堅くて腐蝕しにくく建築材として重要な物でしたから、村中で分け合うほどの収益があったのでしょう。ただ大きな栗の木があったから大栗峠というのは疑問です。
 ひとつは、「大栗」という小字が存在し、その大栗を通る峠として付けられた峠名だと考えるからです。胡麻峠、坪坂、洞峠など峠名には麓の地名を持ってくるのは極一般的だからです。小字大栗も志古田側の峠道のどこかにあるのでしょうが、現在調査中で確認できていません。また、その位置が京街道としての峠道を指すものだと考えています。
 次に栗地名は「刳る」から浸食、崩壊地名あるいは「曲」から河川の屈曲点などをいうのが一般的です。「曲」を”くる”と読むのは曲輪(くるわ)などの例があります。
 綾部市の栗町について以前に(2011.7.27)水流によってえぐられた地形という風に書いたのですが、由良川の屈曲を表したという方が正しいかなと思っています。
 栗地名でよく知られているのは福島市から米沢市にぬける栗子峠(くりことうげ)で、これは崩壊地形から来ているようです。
 またわたしが自転車旅行で行った古河市の近くに二つの栗橋があります。埼玉県久喜市栗橋と茨城県猿島郡五霞町に元栗橋という字があります。これらも利根川の屈曲部分という気もするのですが、地元では栗の木の側に橋があったなどといわれているそうです。Img_1733
 
江戸川、利根川合流地点、この北西に栗橋があります。


 京都では上賀茂神社の西に加茂川を挟んで北区西賀茂大栗町があります。これら栗地名は河川の近くにあることが多く、屈曲点を表す場合が多いのでしょう。逆に山間部の場合は崩壊地形と考えれば如何でしょう。つづく
(大栗峠考(20)は2011.12.16)

今日のじょん:じょんの大好物はじゃがいも、今年からおとーが作るのでより美味しい。今回最大の474g、くいであるぜ。P1000600


 

 

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続・ところびんぼう 12/18

2011-12-18 | 日記・エッセイ・コラム

2011.12.18(日)曇

 この冬一番の冷え込みとなりました。朝の外気-2℃、室内14℃というところです。初氷というのを実際確認していないので、今日がじょんのび初氷ということです。
幸い雪は降り続くことは無かったので、雪かき等の心配はありません。
 さて、昨冬大活躍した雪かき道具ですが、製品名は「雪ハネ」とありました。雪をはねる道具ということでしょう。この安物のちゃちな道具が一番の大雪に活躍したことは賞賛に値します。活躍の理由は雪が軽かったことでしょう。それだけ気温が低くて乾燥していたとも言えます。降雪後数日経って硬くなった雪や除雪車が通った後の固まった雪には歯が立ちません。Img_2199
 
除雪車の除けた雪は石のように固まっています。
(2011.1.18)

 またプラスチック部分が弱いことで、昨冬のように連日使用となりますと、ワンシーズンで割れてしまいました。
 そこで耐久性のある石炭スコップなる商品を購入しました。これは近所の様子を見るに最も多く利用されているようです。受け皿の部分がアルミで出来ており、軽くて丈夫、固まった雪や氷にも威力を発揮しそうです。
 ところが昨日の雪かきに使用したところ、柄が短いためあっという間に腰が悲鳴を上げてしまいました。それと皿の先が鋭利なため、凹凸地やバラスの上に乗った雪の場合、ひっかかってかきにくい欠点があります。
 結局雪ハネに軍配が挙がり、再度購入しなければなりません。プラスチックの皿の先にアルミ板を張り付けたものが耐久性もあってよかろうかと思います。石炭スコップは硬い雪用に使おうかと思っています。Img_3761 Img_3760
 

(2010.1.16)

 貰い物ですがこういう電動の雪かき機もあります。上林の雪にはてこに合いません。 

 雪をかくという作業のために、かくも多くの道具を次々と買い求めなければならないというのは暖国の人には解らない苦労かと思います。こういうのを「ところびんぼう」というそうです。

 今日のじょん:雪の朝は獣の侵入経路がよくわかる。じょんも張り切って探索しているようだ。畑ののり面をいつも通っているのは小さな猪であることが解った。どうしてくれよう。P1000595

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ところびんぼう 12/17

2011-12-17 | 日記・エッセイ・コラム

2011.12.17(土)雪、曇

 えらい早い積雪で、驚きの朝が明けました。思った以上の雪景色で一面真っ白です。喜んだのはじょん君で、先日の初雪には無反応でしたが今回の積雪にはおおはしゃぎで飛び回っていました。P1000584
 P1000592

玄関前中央で積雪を測る、雪中ぽんぽこぽんもできるのだワン。


 今回の積雪は19cm、北部の山間部で30cmという予報もまんざらではないようです。雪の朝は植木のレスキューから始まります。昨日までに竹で支柱をしようかと考えていたのですが、白樫の剪定で一日が終わってしまいました。
 最もやばいのが二本のオリーブです。どういうわけか屋根の下に植えつけたもんだから屋根からの雪に埋もれて息も絶え絶え、緊急レスキューの必要有りというところです。
 次にやばいのがシマトネリコ、昨冬も雪に埋もれてすっかり枯れてしまったのですが、植木屋さんの言うとおりすっかり蘇ってそれなりに育ってきました。しかし所詮南の国の植物なので今年の雪にもやられそうです。7,8mの高木を夢見ているんだけど、毎冬振り出しに戻っている状態はつらいものがあります。
 さて庭木のレスキューが終わると雪かきです。今朝の雪などその必要もないようだけれど府道際とじょんのび坂だけは御来じょんのお客さまのために絶対必要です。今年の冬の準備はいつになく早く取りかかりました。スタッドレスタイヤは13日に取り替えたし、昨日には雪かき用の石炭ショベルを購入していました。P1000593

雪かき三種の神器、この他に竹箒、車脱出用雪スコップ、電動雪かき機もあります。


 さてここで特に新しく上林に越してこられた方々に雪かきの用具と方法について教授いたします。これから用具を揃えようとか、今までやってる方法に疑問を持ってる方は必見です。
 初年度、2008年の冬はそこそこの積雪があり、5,60cmの積雪が何度かあったようです。間隔が開いており根雪にはなりませんでした。その年はスチール製のスノウダンプで雪を谷に運んで除雪し、硬くなった雪や屋根からのしまった雪には平スコップを使いました。スノウダンプの長所は雪を運んで捨てる際には多くの雪を積めるので便利です。但しとっての部分が微妙に短く、やや中腰になってつらい労働となります。Img_1946
 
2009年1月11日


 次年度は暖冬というか寡雪だったと思います。形だけやっておけばすぐに溶ける程度でした。湿った重い雪で杉や檜が折れることが多くありました。Img_3766
 
2010年1月16日


 そして昨冬が数十年ぶりの大雪となりました。連日の積雪があり、根雪となるのでその都度かいてしまわないとどうしようもなくなります。ここで活躍したのは実はかみさんがこれでなら手伝えるだろうと買ってきたプラスチックの雪はねです(正式の名称は解りません)。結局手伝うことは一度もなく、すべてわたしがかいたのですが、これが実に使い勝手が良いのです。まず軽いこと、柄が長くて腰を伸ばした状態で作業が出来ること、結構大容量の雪をかけること、しかも値段が安い、大体600円程度かと思います。あの大雪を表から裏から駐車場からじょんのび坂から歩道までこれ一本でやっつけたので、これは優れものです。Img_2183_2
 大雪は降ったけれど、軽い雪だったのでこのタイプが活躍できたのだと思います。しかし、欠点もありました。つづく


2011.1.16遂に雪に埋もれてしまいました。

【作業日誌 12/17】
雪かき

今日のじょん:本文に登場のためお休み。

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