晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

ぐるっと綾部サイクリング 10/27

2019-10-27 | 自転車

2019.10.27(日)曇り

 昨年、今年と里山サイクリングが中止となり、原付に乗り出してからMTBも乗らなくなって自転車とは縁遠くなった。ガソリンが高騰して燃料費は月1万3千円となっている。自動車の走行距離を月千Km以下に、燃料費を1万円以下にするには移動手段を原付もしくは自転車にする以外に無い。そのきっかけにしようと来年本格的に再開されようとしている里山サイクリングのプレ走行に参加する。家から会場まで往復16Km、本番60Kmが果たして走れるだろうか。

二王公園から順次スタート。市茅野入り口で、愛車ファーストラブ7世と。

 主催者の福山さんは「ゆっくり走ってくださいよ」と呼びかけられていたが、山の家から府道に出るまでの1Kmの処で置いてけぼりになってしまった。それでもみんな休憩所でしっかり休むので追いつくことが出来、それなりについて行ける。ところがいつもの癖で、知った人に出会ったり、変わったところを見つければ、話し込んだり写真を撮ったりでまたみんなに追い抜かれる。
 於見の上の橋で散歩中のゴンに出逢う。いつもは小屋にいるところを遠くから見ているが、近くで見るのは初めてだ。予想に反して妙に人を怖がっている。猟犬が迷っただけならここまで怖がらないと思うが、虐待されていたとか悲しい過去があるのかも知れない。

ゴンは人怖がり
 旧奥上林小学校のそばを通ると中庭になにやら人影が、、、。彫刻家の松浦さんがアトリエを引き払うことになったと話しておられたので、引っ越しの作業でもしておられるのかと寄ってみる。
「やっぱり松浦さんだ、あれっこのオブジェ松浦さんの作品ですか?工業団地にあったのと違いますか?」
「よく御存じですねえ、交流プラザにあった僕の作品です。移転するのにばらしてるのですよ」
「交流プラザの建物にぴったりマッチしていたのに置いとけなかったのですか」
「あそこに置いとくのが一番なんですが、安藤忠雄さんが合わないからどけろって、、、」
「なんだ安藤忠雄がなんぼのもんじゃい。あの池と壁にぴったりの作品ですのにねえ」
どうやら安藤氏建物よりこのオブジェが目を惹くのが気に入らなかったのだろう。
 ばらす前に記念写真を撮っておきましょう。
Img_3070
右は交流プラザにあったときのもの(2009年9月)随分錆びたね。
 古和木、草壁ではだれにも合わなかったので土井さんちのムクを尋ねる。道路から「ム~ク」と呼ぶとワンって吠えていた。元気元気。

ムクも歳いったぞ。
 中上林はしょっちゅう行ってるところなので変わったことは無いが、清水の井関さんが帰ってこられていたので挨拶による。鋳物師の古文書を見せて頂きたいとお願いする。実現すれば清水鋳物師と大栗峠の謎が解決するかもしれない。
  今回の楽しみは市志の芋煮と老富の栃大福だ。どちらも大変美味しくて大満足、来年も食べられればよいですネ。
 自転車は車と違って道沿いのあらゆる物や変化に気付くことができる。そしてすぐに止まって確かめられる。これがサイクリングの魅力だと思う。良い一日だった。

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雨のグランフォンド’18 5/13 

2018-05-13 | 自転車

2018.5.13(日)雨

 140Kmを走るサイクルイベント、グランフォンド京都が上林を通過するようになって4年目だろうか、エイドステイションを引き受けて4回目と言うことだ。最初は様子もわからずに、参加者の方々にご迷惑をかけた。トイレが足りなくて大行列になってしまったのだ。不謹慎な話だけど、レースでしかエイドステイションを使ったことのない身ではエイドステイションで用を足すのは女性だけかなと思っていた。尾籠な話国際的なレースでは走りながら小便もしていたし、女性でも野糞してたこともあったのだ。もちろん優勝の絡んだ選手だけど、、、。まあグランフォンドはレースでもないし、マナーのよい方々だからトイレは絶対だよね。そんなわけで昨年から隣家のトイレも借り、何とか長時間並ぶなんてことは無くなったようである。
 ところが今年は朝からの雨で参加者が激減、トイレどころか食料も水もすっかり余ってしまった。今年は特に食料の中身を向上させ、果物の提供も試行していただけに残念である。
 それでも雨の中をひたすら走る方々には熱いエールを送りたい。いろいろ反省事項も有り、来年はもっと充実したじょんのびエイドを提供したい。雨に懲りずに参加してネ。


今年は給水、補給を庭に移し、バイクラックを新設した。

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’17里山サイクリング 9/23

2017-09-23 | 自転車

2017.9.23(土・祝)曇り

 唯一の参加となってしまったサイクルイベントの里山サイクリングin綾部が催された。愛車の初恋号7世も年に一度の乗車となり、シフトレバーの調子が悪いなあと思っていたら、使い方を間違っていた。それが一日乗った後に気づくのだからなんとも情けない限りだ。よしっ、これから頑張って乗るぞ!って思うのだがどうだか、、。

挨拶をされている山崎市長も走られた。いつも一番スタート、左にちらりと見えているのがマイバイク。
 
 さて、肝心の里山サイクリングだが、一週間前の台風の天気と打って変わり、秋晴れというわけではないがそれなりの天気となり25Kmのサイクリングを楽しませてもらった。コースは見慣れたところでさしたる変化もないのだが、なつかしい人に会ったりするのが楽しい。誰にも会わないときはこちらから押しかける手もある。今年は市野瀬の芝原さんに偶然出会った。初めてサイクリングに参加したときは、農家民宿もしておられ、駐車場で私設エイドを開いておられた。驚いたことはわたしのことにすぐ気づかれ、懐かしいと大変喜んでいただいたことである。わたしが畑口川流域の地名と文化を研究していることを話すと、芝原家の塚のことや別当の昔話など聞かせていただいた。

市野瀬のお年寄りは元気だぞ。
前々回は清水の鋳物師について興味ある資料を得ることができたし、里山サイクリングもこうした楽しみ方があるのだ。
【今日のじょん】昨日今期初の芝生広場に行ったのだワン。夏場は暑いのでお留守番だったのだが、やっと一緒に行ける季節になった。大興奮。

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ブログ再会 9/23

2016-09-23 | 自転車

2016.9.23(金)曇り

 長らくお待たせしました、本日よりブログ再開します。

パソコンは修理に出した結果54,000円の修理見積もりになり買い換えたのだが購入から3年しか持たなかった高価なパソコンはいったい何だったのだろう。「ディスクの交換が必要ですからこのくらいかかります」と簡単に言われても、こちらの言い分も聞いてくれ、NECは3年で壊れる不良品を作り、ジョーシン電気はそれを売りつけたってことじゃないのか?だれかすみませんでしたとひとこと言ってくれ。

 さて今日はお久しぶりの里山サイクリングである。台風や何やらで雨続きだったのだがようやく明かって初恋号7世のデビューとなった。FMいかるの井関さんが来ておられるので、さっそく取材してもらう。以前には日本一周の初恋号6世を取材してもらったのだが今回は幻のフレームビルダー萩原草さんのフレームだぞと言ってもどうもインパクトが無い。京都と言えばエルバだろうと息巻いても誰も知らない。往年の自転車オタクはどこへいったのだ。

 ゼッケン1は初めて、福山さんご苦労様。
 まあとにかくのんびりと市志まで走る。市志ではおなじみの面々が休憩所で迎えてくれる。さっそく前回見つけられなかった舞鶴要塞の石柱を取材に行く。石段に使われているとばかり思っていたのが、側の石材として使われていたのだ。稲荷神社と言っただろうか、盃状穴の有無も確認のため社殿まで登る。石材はすべて硬そうなものばかりで盃状穴は見つからない。民家から近いという条件は満たしているが、柔らかい石材が存在するという条件は無い。これは大唐内の聖神社と同様の結果だ。

舞鶴要塞の石柱がこんなところに使われている。本殿周辺に盃状穴は無い。

 午後に所用があったので早々に帰還する。老富のとち餅ぜんざいをいただいて、帰宅入浴したら大雨になってきた。ロングタイプの方は気の毒なことだが、大会本部はラッキーな天候だったかもしれない。何しろ開催の前後はすべて雨だったのだから。

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グランフォンド京都2016  5/8

2016-05-08 | 自転車

2016.5.8(日)快晴

 イベントは天気しだいというが、これほどうまく雨と雨の間に開催されたのも珍しい。今年もエイドステイションを担当したが、470人分の飲み物と食料を仕入れて供給するのは結構大変だ。

先頭集団は1時間40分で到着。
 不足するのも余らすのもいけないのでちょうどに合わすのが難しい。昨年のデータによって適当に仕入れたが実に見事にはけた。特にバナナは3本がのこり、飴は隠れていた一袋が残り、アクエリアスも1リッター分が残ったがこれは薄めたためである。

ヘンなのがいるぞ、常連なのだ。
 
予算も500円あまりが残り、実に見事に消化したのが驚きである。ただし人数は470人のところ、実質410人だったそうで参考にしなければならない。

この子も常連、最後の食料。
 精神的にも身体的にも疲れるが、参加者の方に喜ばれるのがうれしくて、次回はもっと改善しようと夢がわいてくる。

【今日のじょん】エイドステーション開催中は外に出られないのだが、鳥取から選手に随行してきたさくらちゃん、ジャックラッセル4才が来じょん。いやはや元気なこと、これが本当のドッグランだ。

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初恋号7世(3) 9/2

2016-03-02 | 自転車

2016.3.2(水)晴れ 初恋号7世(2)は2015.9.2

 先日日曜美術館で五姓田義松(ごせだよしまつ)の再放送をやっていた。昨年秋に放送されたものだが又しても見入ってしまった。と言っても五姓田の名を知る人は少ないだろうし、わたしも知らなかった。洋画を目指す学生さん達も高橋由一(鮭や花魁で有名)こそが明治期の洋画の創成者であろうと答えていた。それほど名の知られない人物なのだが、実際には五姓田以前に本格的な洋画を描いたものはおらず、第一回内国勧業博覧会で受賞するなど技術的にも天才とうたわれた人物である。野心を持ってパリに渡欧し、日本人として始めてサロンに入選するも、印象派の台頭により不遇の生活を送ることとなる。帰国後も印象派の影響を受けた黒田清輝(湖畔は有名)などの影に隠れて名を挙げることはなかった。
 なぜこんな美術の話を書くかと言えば、初恋号7世(旧4世)は丁度こんな感じの人生、いや自転車生をおくっているのだ。初恋号なんて軽い名ではなく義松号とでもしたいくらいだ。
 初恋号4世は過去につくった自転車の中でも最高のパフォーマンスを持ちながら(2015.9.2参照)ライダーのわたしがレースから手を引き始めた頃であって、活躍の場がなくて倉庫でほこりをかぶること15年という有様だった。他の自転車がレースや山行、ツーリングで労苦を共にしてまさに分身の感があるのに比し、他人が遠慮しながら居候しているような感じがして心苦しい思いだった。ロードレーサーのままでは永久に乗ることはないだろうと思いきった改造をすることとした。かなり困難な部分はあっただろうけど、意を受けていただき4世のビルダー辻本さんに改造してもらうこととなった。忙しい中をいろいろと注文も付けたので半年の時間がかかったけれどようやく完成し、本日持参していただくこととなった。
 辻本さんに会うのは2007年2月14日日本一周自転車旅行後半戦に旅立つ雨の日以来である。あのときに「雨の日はこれがよいで」といただいた多分奥さんの使っておられた水玉模様のシャワーキャップは旅行中大活躍し、今も捨てられないで使っている。積もる話もあるんだが、営業中とて早々に引き上げられたが、もっともっと話したいことがあった。
 7世に期待することは、輪行袋を使ったツーリングだ。6世では近隣しか行けなかったのだが、これで遠くのツーリングも可能になるぞ。

フロントバッグもついてるのだ。

 
 

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初恋号7世(2) 9/2

2015-09-02 | 自転車

2015.9.2(水)

 走ることに夢中になっているときは、エンジンをパワーアップすること、自転車を軽量化することばかり考えて、バッグや泥よけの付いた自転車などを無視していたし、リフレクターやベルなどもとんでもない不要物と考えていた。日本一周の旅に出て、車だらけの公道やトンネルの通過でどれほどの恐怖を感じたことか。確実なブレーキ、破損の無いフレーム、故障の無いパーツ、明るい前照灯、相手に確実に認識できるバックライト、よく見えるバックミラーなどが重要になってくるのである。つまり同じ自転車でも目的によって装備は随分かわってくるということだし、乗り手の考え方もまるで別物となるのである。
 もう一つ、初恋号6世で困ったことは、輪行ができないことである。輪行とは自転車をバラして輪行袋に収納し列車やバスで移動することである。北海道を早々に退散したのは、雪が降っても走るか歩くしか先に進めないことである。沖縄だって飛行機で輪行する方が廉くて早いのだけど、船で行くしか無かった。駅前で輪行袋から自転車を出して組み立てている姿を見たとき、ああいう旅行したいなあとしみじみ思ったものである。
 そんなこんなで、初恋号4世の第2の人生、いや車世をこういったタイプの自転車にチェンジしてかけてみようかと言う気になったのである。ところがまるで違うタイプの自転車にチェンジするのは相当困難な問題があると思う。ましてわたしの思いを取り入れて製作してくれるビルダーは一人しかいない。それは4世、6世を作ってもらった辻本さんである。ところがここで大きな問題が起きた、日本一周が終わってから連絡することもなく過ごしていたのだけどさて連絡しようとしたらHPは閉鎖されているわ、電話は通じないわでなにやら怪しげな雰囲気。歳といえば歳もあり、なにごとかあったのかと気にして1年ぐらいたった。悩んだあげくに携帯電話に電話してみる。これも繋がらなかったら自転車改造のことは諦めよう、繋がったら実行しようと決めてかかった。
「こんにちわ~小原さん久しぶりやね~」「
辻本さん雲隠れしてるって噂なんですが、仕事はどうしてるんですか?」「色々ありましてHPと電話を廃止してました、体調を崩して仕事も休んでいたこともあります。でも今はもう大丈夫ですよ。」
 てなことで初恋号4世は7世として甦ることとなった。

15年前のパーツとしてはかなりマニアックなものを使っていた。ブレーキアーチ、チエンホイルはスギノテクノ75でディレーラーはシェパーブプロで今では幻の逸品と言うところか。フレームはコロンバスSLXで京都の名工萩原さんの手になるものである。
 ホイール、ハンドル、ペダルをはずし、指定のボックスに収まって旅立っていった。新しく自転車をつくるとき、パーツをセレクトしてサイズを合わせて、でき上がるまでのあの感覚は、初恋の人に思いを告げるまでの切なくも心躍る時間のようなものである。経過はその都度お知らせするとして、ひとまずおわり。

 

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初恋号7世 9/1

2015-09-01 | 自転車

2015.9.1(火)曇り       6世の旅立ち(2006.7) 
 First Love Ⅰ、Ⅱ~というおしゃれな名前の付いたわたしの自転車は現在1世から6世まであって、手元に存在しているのは4世、5世、6世である。詳しくは「初恋号六世」(2006.7.8)に書いているのだが、この中で数奇な運命をたどってきた一台がある。
1世 (ロード、スチール)初トライアスロン(第一回天橋立大会)、宮古島、琵琶湖大会、その他ロードレースなど
2世 (MTB、アルミ)ようやく開催され始めたMTBの大会参加、京都MTBクラブをつくり北山など走破
3世 (ロード、アルミ)ハワイアイアンマン、琵琶湖大会、皆生大会などトライアスロン全盛期
5世 (サス付MTB、アルミ)主にトレーニング用に使用、10数年間通勤に使ったので走行距離はNo.1、現役
6世 (MTB、スチール)日本一周、現役

 さて、問題の4世だがスチールのロードレーサーでフレーム、パーツともに最高のセレクトで、値段的にも最高だったと思う。スタイルもカラーも大のお気に入りだったのだが、トライアスロンの組織再編やルール策定、各地大会の運営や審判団の育成など裏方仕事が忙しく大会参加などとても出来なくなり、この4世は倉庫に眠ったままの状態となった。2度ばかし新旭のトライアスロン駅伝で準優勝したことがあるが、他人の力で勝ったようなもので4世の活躍の場は少なかった。その後も倉庫の天井にぶら下がったままで15年が過ぎてしまった。埃をかぶって哀れな姿を見る度に心を痛めていた。
 競技を止めたわたしにとってロードレーサーは不要であるし、自転車に対する考え方、楽しみ方もかわってきた。走ること自体より、目的を持って走ること、その楽しみを日本一周でおぼえた。6世などはその最たるもので、頑丈で荷物が多く積め安全に快適に乗れるよう設計した。それを駈って目的地に向かうというのはなにか自転車本来の姿のような気がして楽しくなるのだ。MTBが出てきたとき、野や山にどこでも行けるのだというあの感動も思い出してきた。

何年かぶりかで取り出してきた4世、埃だらけ。
 オンでもオフでもMTBで走っているときまた違ったバイクを見かけた。レクリエーション協会の単位を取るために参加したサイクリングイベントで、ロードでもない、MTBでもない、ツーリング車でもない丁度ロードとツーリング車を合わせたような自転車で、フロントバッグがあり、泥よけもあったかな、それでいてスポーティで軽そうなのだ。おじさんと違って女の子がそれなりの服装で乗ってるととってもおしゃれで、ああこういう世界もあるんだなんて感じがした。わたしがロードレーサーに乗り始めた頃(もう30年以上前なんだが、、)女性は少なくて、「お母さんに、競輪選手みたいなまねせんといて、近所にみっともないと言われるんですよ」なんてこと言っていた。最近のサイクリングイベントでは自転車も服装も随分おしゃれになって、とても楽しそうだ。

おじさん撮った訳じゃ無いのよ、女性二人かっこいいでしょ。(じょんのびエイドで)

 ちょっと話がそれてしまったが、この4世をなんとか世に出してあげたい、もう一花咲かせてあげたいとおもっていたのである。つづく

 

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