晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

訃報 江上泰山氏 11/25

2021-11-25 | 日記・エッセイ・コラム

2021.11.25(木)曇り

 22日の讀賣新聞で江上泰山氏の訃報を知る。どっかで聞いた様な気がするが、、、「中学2年で金閣寺(鹿苑寺)に入り、翌年~」という記事を見てやっぱりという感がした。そう昭和25年7月の金閣寺放火事件の目撃者である。水上勉氏の「金閣炎上」でその名を憶えていたのに違いない。早速埃にまみれた「金閣炎上」を取り出してみる。放火の前日いわゆる放火犯の林養賢はその前日三番の碁を打っている。その相手が江上大量といい、泰山氏の父親にあたる。大量氏は大飯郡和田村車持(現高浜町)の正法寺の住職で、その子、順雄(よりお)が養賢の弟弟子である泰山氏である。「金閣炎上」ではほとんどが実名で書かれているので、順雄というのは本名なのだろうが、泰山というはいわゆる僧名なのだろう。
 「金閣炎上」の中では順雄が常に使われているのだが、炎上するその夜、養賢が大量氏と碁を打った夜の様子は「金閣寺は夜をむかえた。雨音だけがしていた。隠寮には住職の慈海氏、庫裏の小僧部屋に山崎承腴、三明承悦、、、、江上泰山、、、」とあるのだ。これは一体どういうことだろう。
 ともかく大量と順雄は炎上する金閣寺の直接の目撃者となるのだが、その後泰山氏は金閣の再建に向けて大変な苦労をされることとなる。
 京都新聞には地元だけに泰山氏の記事がいくつか見られ、その柔和なお姿の写真もある。放火犯としてもちろん僧籍も追われ、医療刑務所で26歳で孤独に息絶えた養賢も、あの事件を起こさず僧として全うしていれば、泰山氏の様な立派な僧になっていたのかもしれないと思うと、切ない気持ちになるのである。

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あけおめ2021 1/1

2021-01-01 | 日記・エッセイ・コラム

2021.1.1(金)雪、曇り
 明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
てなわけで新年が明けたが、一年前にはそのうち治まるだろうと思っていた新型コロナがますます勢いを増し、なんとも不安な幕開けでもある。しかも昨年末からの降雪で周囲は静まりかえって、正月気分はみじんもない。それでも初詣だけは済まそうと降雪の中を河牟奈備神社まで歩く。明治神宮や川崎大師と違ってコロナの心配はなさそうだ。昨年買ったトレッキングシューズがいきなり役に立つこととなった。それどころかロングスパッツ、毛の手袋など冬山用具が大活躍である。かみさんも一緒に買った長靴にスノウストック、わたしが40数年以上前に買ったヤッケでまるで冬山に行くようだ。最もこのヤッケ、厳冬期の屏風岩中央壁ダイレクトで岩棚でのビバークに耐えた剛の者である。

じょんのびもこのとおり
 神社で昨年のお礼をして、また新たなお願いをする。参詣者もこれだけなら神様も聞いてくれるだろう。出会った参詣者は3人、昨年も3人だった。
 帰ってお雑煮をいただくが、運転の都合があるので楽しみのお酒は明日にお預け。今までは「小鼓」を楽しんでいたのだが、今年は「奥丹波」をいただくことにした。
 まあそんなことはどうでもいいのだが、コロナが治まってよい年になるよう祈るばかりである。

のびのこともたのんまっせ。

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続々・三島由紀夫はなぜ死んだか 12/11

2020-12-11 | 日記・エッセイ・コラム

2020.12.11(土)晴れ
 三島が国の現状を憂い、元の天皇を中心とした美しい日本を再現すべく自衛隊員に決起を促したが、誰一人決起するものはなく、逆に罵声をあびる結果となった。はたして三島は檄文の内容を自衛隊員が受け入れると思っていたのだろうか。演説を終えて総監室に戻った三島は盾の会の森田とともに割腹自殺するわけだが、それはもちろん突発的なことではなく前もって計画されたことであろう。つまり日本の現状にも未来にも、政治にも自衛隊にも絶望していたのではないかとわたしは思う。演説を聴いた自衛隊員の誰かが決起に同意したとしても三島は自決しただろう。それは三島の唯一の道であり、割腹は三島美学の集大成であったのだろう。肉体改造をし、盾の会を結成し、自衛隊青年幹部と会ったり、東大全共闘との討論会などまるで小説を書いているようで、市ヶ谷駐屯地での割腹自殺はそのエピローグなのだろう。それ以外にこの小説は終えることができなかったのだろう。
 三島事件の3ヶ月後、劇団浪漫劇場によってサロメが公演された。演出は三島自身がしていたという。そこまで準備していたのかと、生首の映像を見るたびに驚いてしまう。三島の美学については、六年前に「金閣寺の燃やし方」(2014.12.13参照
)で書いたことが参考になるが、泥まみれになっても生きようとする水上勉と対照的である。ただ三島の虚弱体質と水上の貧困と形は違ってもコンプレックスから派生していることは見逃せない。「金閣寺」の中で、主人公溝口が金閣寺を燃やした後自殺しようとするが、思いとどまって生きようとするのは見逃せない。三島美学には反するのだが、事実犯人の林養賢は生きて逮捕されているからだろうか。
 多くの論評に、三島は政治というものが解っていなくて、人一人が命を賭して訴えたところで変わるものではないという論が出てくる。三島はそんなことは重々解っていて、自分の美学の完成のためにことに及んだのではないかと思う。また彼が絶対性を求める天皇だって、この世に存在したことはなく、彼自身の中に存在している理想の天皇像なのではないだろうか。古代からの権力を持った天皇がいかに無慈悲で残虐であったか、権力闘争に明け暮れて、とても神とあがめるようなものではない。明治以降の立憲君主制の天皇も、まして今日の象徴天皇も彼の求める天皇ではなかったはずだ。だからこそ日本男児として、武士として美しく散る以外に方法がなかったのではないだろうか。
 美しいと思っていた金閣寺がなんとも汚く醜かった、それは存在してはならないと火をつけると、見事に美しい金閣がよみがえった。「金閣寺」の主人公溝口の思いは、三島由紀夫と実に一致することに気づいた。終い方が違うだけである。
 嘘か誠か解らないが、事件当日市ヶ谷の陸自の本体は富士の演習場へ訓練に出かけており、広場に集まって演説を聴いていたのは後方部隊であるという情報があった。わたしが宝永火口のそばで夜な夜な聞いていた砲声はその本体の発するものであったのだろうか。おわり


 

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続・三島由紀夫はなぜ死んだか 12/10

2020-12-10 | 日記・エッセイ・コラム

2020.12.10(木)曇り
 今日まで記事が書けなかったのは、三島由紀夫の死について考えていたからである。当初はその時富士山に居た事だけを書こうと思っていたのだが、その死について考え始めたら段々深みにはまって描くことが出来なくなってしまった。結論を出そうとしたからかもしれない、でも結論なんて出るはずも無いと言うことが解ってやっと書き始めることができた。
 1970年、確かに学生運動は激しかったが、その頃はセクト対立の内ゲバ状態が主になっていて、大衆の支持もなく、三島が自衛隊を使ってまで鎮圧しようとすべきものではなかったようだ。また、盾の会はいったい何だったのだろう。自衛隊の体験入隊で心身を鍛える様子や洒落た制服で統一された姿は週刊誌を賑わせたが彼らが国家の秩序を乱すデモ隊と衝突したというニュースは聞いたことはない。三島の肉体改造などと同様のナルシズムの一環なのだろうか。
 三島事件の数年前に三島は自衛隊の青年幹部と会っている。その際には拡大する学生運動を鎮圧できるよう憲法改正のための決起、クーデターを打診したというが、それは見事に断られた。その時の幹部は、国民に銃を向けることはできないと語っていたが、実際には鎮圧の訓練は行われていたそうである。その当時は学生運動の鎮圧が三島の喫緊の問題だったのだろうが、三島事件の1970年には学生運動の鎮圧は彼にとって重要な問題とはなっていなかったと思われる。死を賭してまで訴えたかったことはいったい何だったのだろう、少なくともわたしがかみさんに答えた”学生運動の鎮圧”なんてのは的が外れているのだろう。
 11月25日に前後して新聞紙上などで三島事件についての論評が多く書かれ、読者の投稿欄でもいくつかの投稿を見ることがあった。実に様々な見解があり、これだという真相は見つからない。テレビなどで事件前後の動きは詳しく報道されており、真相に近づくヒントは与えられているのだが、一番大切な檄文については、その内容が報道されることはなかった。そして自分自身も檄文を読んでないことに気づく。もちろん内容の一部は聞き及んでいたが、全文を読んだことはなかった。改めて全文を読むと新聞紙上を賑わした思想家の論評がよく理解できてくる。その中で11月23日に讀賣新聞に掲載された先崎彰容日大教授らの論評が的を得ているように思える。
 「平凡な生活に満足し、どっぷり漬かっている戦後の雰囲気に耐えられなかった」と平易な言葉で語っておられるが、1960年代は新安保条約、東京オリンピック、学生紛争など三島にとっては耐えられない時勢だったのだろう。
檄文の中に、「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。」とある部分を見てもそのことがうかがえる。
 しかしそういう考えを持ったとしても自決しなければならないというのは理解できない。つづく 
 
2020.11.23讀賣新聞

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三島由紀夫はなぜ死んだか 11/25

2020-11-25 | 日記・エッセイ・コラム

2020.11.25(水)
 50年前の今日、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で自決して果てた。わたしは19歳、富士山の宝永火口サイドのテント場で露営中であった。冬山訓練としての冬富士合宿の最中だった。テントの中で、先輩の河野さんが「大変だ、三島由紀夫が死んだぞ!」と声を上げた。一体何が起きたのか、何があったのか何も解らなくて、電波が悪くて途切れ途切れのラジオニュースに耳を傾ける。なんで市ヶ谷駐屯地で自決しなければならないのか、下山するまで詳しいことは解らなかった。おもちゃの兵隊と揶揄された盾の会については聴いていたが、どうしてあの行動になるのか、どうして自決騒ぎになるのか理解が出来なかった。下山後は連日報道が続き、バルコニーでの演説の様子は脳裏に刻まれてしまうほどであった。事件と自決の理由は解らずじまいで時は流れたが、当日極寒の富士山に居たことだけは憶えており、この日が来ると思い出す様になった。
 今日まで三島自決の理由は解らないのだが、かみさんに「なんで三島由紀夫はあんなことしたん?」と尋ねられた時、「当時は学生運動が猛烈で、右翼の彼としては自衛隊の力でねじ伏せようとしたんだろう」と答えてしまった。盾の会といい、駐屯地の占拠といい、さらには自決といい単なる右翼のパフォーマンス程度に考えていたのである。ところが50年を迎える今日の新聞やテレビでの論評を見ると、もっともっと奥深いものがあるようだ。つづく


 

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観光鉱山に思う 11/22

2020-11-22 | 日記・エッセイ・コラム

2020.11.22(日)曇り
 山本作兵衛さんの絵を見、上野英信さんの文を読むたびに、炭鉱や鉱山労働者の悲惨さを思う。2006年日本一周の自転車旅行に出たとき、佐渡金山、石見銀山、吹屋の笹畝鉱山などの歴史的な鉱山や尾去沢鉱山、玉川鉱山など東北の公開されている鉱山の多くを巡ってきた。
 
尾去沢鉱山(秋田県鹿角市 2006.9.20)
 しかしそれらの見学できる鉱山、いわゆる観光鉱山は華々しい鉱山の歴史を語るばかりで、そこにあっただろう鉱山労働者の悲惨な労働や生活は表していない。観光とする限りはそうせざるを得ないのだろうが、負は負の遺産として歴史的に検証できる施設が欲しいものだ。そんな時京北町(現京都市右京区)の丹波マンガン記念館のことを思い出す。もう30年以上前だろうか、京都ゼミナールハウスで京都トライアスロン大会が行われており、コース造りや大会運営で毎月のように京北を訪れていた。周山街道(R162)上弓削あたりに鉢巻きをした外国人の男性がハンマーを振り上げている奇妙な看板があったのをご存じだろうか。今なら十分に珍百景に選ばれそうなその看板こそ丹波マンガン記念館の案内だった。金属にも鉱山にも興味の無かったわたしは気にもしていなかったのだが、地元の人に「あれっていったいなんですか?」と聞いてみた。いやな顔をされて「朝鮮の人がやってるマンガン鉱山の展示やがな、町とは関係ないんやで」と言われた。へえっと思ったが行ってみることもなく、数ヶ月が過ぎたが、ある日時間が空いたのでふらっと行ってみた。

2006年自転車旅行の時、例のマネキン案内板はあっただろうか。
廃坑となった新大谷鉱山の川端大切坑の内部が見学でき、薄暗い坑道で胸が高鳴った。実は子供時分から洞穴探検は大好きだったのだ。質志の鍾乳洞や川合(現福知山市三和町)の珪石鉱山跡をよく探検した。今は観光地化している鍾乳洞だけれど当時は自然のままで、真っ暗な中を懐中電灯で進むのはスリルがあった。珪石鉱山跡はもっと迫力があり、そこら中で落盤が起きており、坑木も腐って折れており「ここで落盤が起きて閉じ込められたらどうなるんだろう」などと不安になった。つづく

【今日の”のびちゃん”】NO. 46
のびはいつもおとーのソファーで寝ている。どういうわけかじょんもそうだったのだが、どうもおとーが好きなわけではなさそーだ。朝起きたて。


 


 

 

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あけおめ2020 1/1

2020-01-01 | 日記・エッセイ・コラム

2020.1.1(水)曇り

 新年明けましておめでとうございます

じょんが亡くなって忌中なんだが、のびが奇跡的に救出されたのでとりあえずめでたい正月ということになった。特に氏神の河牟奈備神社はのびが逃げ込んだところでもあり、また願いを聞いて助けていただいた神さまでもあるのでお参りに行かないわけにはいかない。
 お参りに来られた方々からも「助かって良かったねえ」と声をかけられ、のびもすっかり有名犬になってしまった。
 もしものびが見つからなかったり、獣に襲われたりしていたら最悪の正月になるが、無事に救出されたら最高の正月になると思っていたから、めでたしめでたしで一年が始まる。


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じょんのび10大ニュース 12/31

2019-12-31 | 日記・エッセイ・コラム

2019.12.31(火)曇り
 年内にのび逃走始末記を終えようと思っていたが正確に記録しておこうとするととても終えられそうにないので越年することにし、恒例の年末記事を投稿することとした。

 例年ならば10大ニュースとなるのだが、じょんとのびのことがあり、12大ニュースとなってしまった。
1.じょんの死(7月28日)最も悲しくショッキングな事だった。

2.じょんの散骨のため、生まれた信太山を訪れる(9月17日)

3.童話「おきつねやまのじょん」完成、来年発行予定
4.保護犬のびがじょんのびに来る(9月20日)

5.のび山に逃げる(12月11日~15日)5日目に無事保護

6.おとうが蕎麦打ちを始める(2月~)月一回の研究会を続ける

7.おかあが指故障で3年続けたピアノ断念、ポップス始める
8.おとうおかあ月一のボイトレに通う(6月~)
9.おとうおかあ風邪を引く(5月)咳、喉の風邪で寝込む。上林では風邪は珍しいわけ
10.庭で熊と遭遇(10月13日)車庫前の庭に現れる、これで2回目

ここを右から左に通過したのだから驚く。「こらっ」と大声を出して
木小屋の方向へ追いかける。慌てて逃げて行きやがった。
11.鹿の害ひどく、ガーデン荒れる(通年)庭木、花などすべてやられる
12.スマホデビューおかあ3月、おとう11月

吉例じょんのびDIY大賞2019
 今年は従来品の修理などが主で新しいものは少なかった。

靴置き台、のび用フェンス、灯油缶入れがエントリー。
やはり手間と用途で灯油缶入れが大賞受賞!
クリスマス前に造ったリースも喜んでもらえた。

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5月の感冒 5/20

2019-05-20 | 日記・エッセイ・コラム

2019.5.20(月)曇り

 5月の感冒にかかってしまった。12日夕に喉に違和感を憶え、13日から喉スプレーと市販の感冒薬服用、熱はないが喉の痛みが増すので15日に市立病院耳鼻咽喉科でのどの炎症止めを貰い服用。一向に良くならず、熱も出てきたので安村診療所で感冒薬、抗生剤、咳止めをもらい服用。17日、18日と寝込んでしまう。熱は37.4度が最高でそう高くないが体がだるくて寝汗が凄い。咳、痰、熱と風邪の症状総なめで、19日朝ようやく熱が下がり、のどの痛みも軽くなったので日常生活に戻る。この間家事も店もかみさんに任せきりで、その疲れかかみさんが倒れてしまった。
 さてこの症状は若い頃によく起こしたので、ああまた来たなって感じで捉えていたんだが、妙に気になることがある。この症状前回は2007年5月16日日本一周自転車旅行中鳥取市で出たものだ。(本ブログ参照)発熱でフラフラになり、ビジネスホテルに連泊する。旅先の発病は心細いものだが、売薬の解熱剤とドリンクを飲んで爆睡、寝汗でびっしょりになったが翌朝には幾分回復した。そういえばそれまでも5月と言えばよく寝込んでいた、誕生月は調子が悪いものだと思っていたが、どうもわたしだけでは無いようだ。先日お風呂で会ったTさんも一週間も熱っぽくて苦しかったと話されていた。なんでも50年ぶりの症状だと言うことだった。近所の方にそのことを話すと「そやで、わたしも5月になると寝込むことがよくあるんや。5月病言うてこの辺の人はよく病気にならはるんやで」ということ。5月病と言えば会社や学校に行きたくなくなる病気かと思っていたがどうもそればかりではなさそうだ。
 旅先の病気と言えば、23歳の時の4月末、出張先の福岡で同様の病気になったことがある。その時は耳下腺炎まで併発したが、このときは診療所で薬をもらい宿で汗かいて寝て治した。
 数少ないわたしの経験だが、一応その病気の傾向を考えてみよう。
1.5月に最も多く、夏の終わり8,9月にも起こる。冬には経験が無い。
2.のどの痛み、発熱が共通しており、咳、痰の症状あり。
3.就寝時発汗して数日で治まる。
4.発病場所 京都、福岡、鳥取。関東にいた4年間で2回ばかり発熱があったがのどの症状は無かった。
5.発病しても周囲に伝染した記憶は無い。今回のかみさんが始めて。
6.丹波地方に5月病と言われる症状がある。
 これらを考えているとき、50年近く前の植物病理学の講義を思い出した。麦の赤星病といったか春になると発病する病気があるのだが、その病原菌は日本の冬を越すことが出来ない菌で、一体どうして毎年春になると発病するのか解らなかった。記憶は定かで無いがそのような講義だった。それが解明されたのが黄砂の影響だったというものだ。越冬できない菌が毎春黄砂によって運ばれてきていたというものだ。
 植物を害する病原菌が黄砂で運ばれるのなら人間を害する病原菌だってくるはずだ。5月に多く、西日本で、野外の活動後に発病しているわたしの経験だけでいうとこの病気、黄砂で運ばれてくる病原菌が原因ではないか。のど、痰、咳いづれも大気中の病原菌による症状ではないか。一般的には温度差が激しく暑さに慣れていない時季であること、体が疲れているときに感染するのではと言われるが、その元となる病原菌はこの時期に多いのだろう。冬季にもっともっと疲れているときもあるがこの症状は経験が無い。
 そして感染性の弱さからウィルスではなく真菌、細菌では無かろうかと思う。そうだとすると抗生物質の使用も考えられるし、予防方法も考えつく。島の先生いかがですか?

この時期じょんのびは白花の季節となる。今年はやや花が少ないみたい。白花卯木、オオデマリ、ヤマボウシシロツメグサ。
  

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イエティ? 1/27

2019-01-27 | 日記・エッセイ・コラム

2019.1.27(日)曇り

 西日本は暖冬とさけばれている今年、初めての積雪となった。26日から近畿地方の多い所で60cmと言われていてビビっていたのだが、幸い少なくて済み今朝の様子で5cm程度か。

じょんの様子を見れば5cmぐらい。
 雪が積もると獣たちの動向がよくわかるのだが、昨日妙な足跡を発見した。朝の9時半ごろである。薪小屋の横からドッグランあたりまで続いているのだが、鹿イノシシではない。歩幅はじょんぐらいだが足跡は犬のものでは無い。よく見ると指が長くて5本あるようだ。まるでイエティ(雪男)の足跡を思わせる。

 用事を済ませてからじっくり観察する。実は何年も前から一種類だけ得体の知れない動物が居ることは気づいているのだ。大きさはじょんぐらい、キツネでも無くアナグマでも無い、ハクビシンでもなければタヌキでも無い。形状は犬とそっくりで尻尾は細くて、色は薄い茶色。先日もかみさんが「キツネをみたで」と言っていたが、聞くと尻尾が細いという。御存じのとおりキツネの尻尾は見事なくらいふさふさとしている。
 この動物、わたしは二度ばかり目撃している。一度は夜中に庭のセンサライトが点いて、窓から覗いてみると複数の犬状の動物がうろうろしている。もう一度は里に極近い山中で1匹のこの動物に出会った。ドキリとしたが、おとなしくすごすごと逃げてしまった。このときははっきりと目撃したのだが、やはり犬に近く、尻尾は細く、薄い茶色。だから怪しげな足跡を見るとこいつかなと思うのだが、今回の足跡は確実に別物だろう。定規をあてて写真を撮り、足跡を追ってみる。

 薪小屋の横をとおりとなりの家の裏山に続いている。しかしその途中で決定的な証拠を見つけた。熟した柚子がこの前まではそのまま地面に落ちていたが、どうやらそれを食べているようだ。

山から出てきて、柚子を食べて我が家に来たらしい。
 以前に柚子が熟したのを待って猿の一団が木に群がっていることがあった。若い実は酸っぱくて食べられないが熟したらどうやら食べられるようだ。つまりあの足跡はニホンザルのものではぐれ猿が早朝にやってきたものらしい。納得。
 
 

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正月してます 1/2

2019-01-02 | 日記・エッセイ・コラム

2019.1.2(水)曇り
 いつになく正月らしい正月を過ごしておりヤス。
 12月31日・泳ぎ納め2,000m。第九を聞く。
 1月
1日・初詣をする、歩き始め、ウィーンフィルのニュイヤーコンサートを聴く。
 1月2日・朝風呂を浴びる、お雑煮おせちをいただく。ラグビー明早戦を見る
 1月3日・初泳ぎ予定
  
 それにしても明早戦は明治が昨年末のお返しをして良かったのだが、31-27というスコアが昨年の対抗戦優勝を逃した時と同じというのは因縁を感じざるを得ない。またあの帝京を破った天理は凄いぜよ。早稲田とともに帝京(対抗戦は早稲田と帝京が優勝)にも選手権でお返ししようかというところが伏兵天理が現れた。決勝は12日だそうだが、40年近く前負けるはずはないと思っていた同志社大に敗れたことを思い出す。気を引き締めて頑張ってくれい。

本来は昨年末にすべきことを紹介しておこう。
 2018年じょんのびDIY大賞
 玄関前室
 
 片流れの高い屋根から何百キロという雪塊が落ちてくる、時には数10cmの尖ったつららが落ちてくる。そうでなくてもドアを開けるとベショベショツルツル、我が家の玄関は都会風にデザインされていて雪国では明らかに欠陥品。そこで前室をと永年構想をめぐらせていたのだが、素人で作るのは困難と諦める。てなわけで大工さんにこしらえてもらったわけ。写真は昨年の29日のもの。落雪の恐怖も無く、出入りも楽々、灯油や長靴置き場も確保できる優れもの、チョイスした電灯がまたお気に入りで夜に灯りが点くのが楽しみ。DIY大賞ならダントツの1位なんだが、プロの作品でDIY選考外である。
 てなわけで2018年の大賞はゴミ選別収拾箱に決定!というよりこれしか作っていないのいうのが実情。でもこれって結構役に立っているわけで、収集日前に袋に選別していたのが、カゴ毎車に積んで捨てに行かれるので省力化が著しい。

【今日のじょん】朝の4時頃か、キャンキャンキャンと犬のような鳴き声、続けてじょんもワンワンと大騒ぎ。起きてから雪の中に足跡を探す、するとだ犬科の動物らしき足跡があるんだけど、なにやら奇妙なものが見つかる。

 
畑の中に続いているのだが、轍の跡になると指が5本の足跡となる。

こういったのが数個あるんだけど、やっぱり指は五本。調べてみると動物は基本的に5本指だそうだ。ただ退化したり隠れていたりしているだけなんだって。でもこの足跡はどうやら2本の足で一箇所に着地したみたいだ。なーんだそんなことか。 

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あけおめ2019 1/1

2019-01-01 | 日記・エッセイ・コラム

2019.1.1(火)晴れ
  年末から雪模様のぐずついた天気が一転、正月にふさわしい好天となった。河牟奈備神社にお参りして昨年一年のお礼と今年の願いをお祈りする。


寝坊の我が家では初日の出はとっくに上がっている。じょんも元気にお参り。

 さて、午後は初歩きでいつもの行者コースを歩く。昨年の12月25日以来歩いていないので今日は気合い充分。なにしろ雪の野山を素足、地下足袋で歩くのだから気合いが要る。実は雪上の行者歩きを試してみたかったのだが、こんなに早く機会が来るとは思ってもみなかった。ものの数分で足下はぐしゃぐしゃになり、そりゃあもう冷たいこと。ところが雪が無いところを歩くと足の感覚は戻ってくるし、温かくなってくる。ずっと雪の中を歩くのは大変だろうけど、途切れ途切れでも土が出ていれば平気である。全面雪の場合をどうするかが今後の課題だ。歩きながら昨年出来なかったことややり遂げたことを思い返していたのだが、あれも出来なかったこれも出来なかったと思い悩む必要はなさそうだ。つまりやり遂げたことも結構沢山有るのだから、、、。まっ今年もよろしくっと言うところか。

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じょんのび芋煮会 11/2

2018-11-02 | 日記・エッセイ・コラム

2018.11.2(金)曇り

 天気予報では秋晴れの好天のはずなんだが昨夜から時雨れている。朝起きてみると本降りの雨で、どうしたものかと悩む。10時に決定することにして、結局河原で行うのを止め、じょんのびの庭で行うことにする。

 東北を巡ったとき、おかずとしての芋煮は食べたが河原で頂く本格的な芋煮は経験が無い。小沼さんにいただいたレシピを参考に肉や野菜を買い付けて、適当に味付けする。ぶっつけ本番で大変不安だったのだが実においしく仕上がって大満足。参加の皆さんにも好評だった。小沼さんの小芋は軟らかくてきめが細かい、普段のとちょっと違うなと思っていたら、大野芋とかいったか特別な品種だそうだ。


こんな感じで盛り上がりやした。来年もやるのでこうご期待。

【今日のじょん】
 だんだん寒さが応える歳になってきて、出かけるときは服を忘れずに、、、
 

 

 

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ハングルを始める 7/1

2018-07-01 | 日記・エッセイ・コラム

2018.7.1(日)晴れ

 ブログの記事が進まないので困っている。今まで記事を書いていた時間がハングル講座の復習に当てられていたことと、歳のせいか夜になると眠くて集中力がまるで無くなってしまったことである。
 さてそのハングル講座だが、ラジオの講座で、毎日15分ある。4月から始めたのだが、3ヶ月ともなると中身が濃くて記憶力が衰えているこの年齢ではとても大変。15分の短時間だが、基本表現、単語、読み書きと内容が多くて、本来ならとっくにケツヲワッテいるわけだが、単語を憶えることと書くことは諦めて、読めることと理解だけしようとして続けている。過去何度も語学学習の挫折を味わっているが、それは何でも完璧にこなさなければという強迫観念が原因である。その反省を活かしてズボラ学習を決め込んでいる。それでも15分の講座内容を理解するのに1時間はかかり、現在6課遅れて学習しているところだ。これではブログの記事を書いている暇は無い。そこで妙案を思いつき、朝早く起きてブログを書くこととした。夜はつらいが朝なら集中力も高まる、それにラジオ講座は8時に始まるのでその日の学習と録音が続きに出来るという利点もある。

ハングル学習、三種の神器
 何でハングル講座を始めたのか、「韓国旅行でもいくのかい?」と良く聞かれるが、そういう予定はなくて別のところに目的がある。偉そうに言えば「日本語の起源を調べるため」である。日本語の起源については別項で述べるとして、日本語ができあがる過程で朝鮮語が影響していることは定説となっている。そのためには古代朝鮮語を学ばないといけないのだが、その本もハングルで説明されている部分が多い。外国人が日本の古文を学習する場合だってまず現代文を学習するんじゃないだろうか。

この本を理解するためにはハングルが必要、肩のこらない本もハングルを知ってればよりわかりやすい。
まあそのようなことなんだが、ハングルを学んで毎日のように気づくことがある。2007.3.27の記事を見てもらいたい、「おめく、ちんぐ」なんて妙な島原方言を紹介しているが、おめくはなんだかわからないのだが「ちんぐ」は明らかに朝鮮語で友達のことである。前述のケツヲワルだってケッチョワルという朝鮮語だと何かで読んだが、これはまだ確認できていない。

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ナベツネ忖度か? 6/4

2018-06-04 | 日記・エッセイ・コラム

2018.6.4(月)晴れ

 野球に連敗は付きものだがあまりにも内容が悪いのでテレビ見るのやめていたら快勝していたのは2日のことである。しかも巨人も広島もDeNAも負けている。3日の朝刊は久々にスポーツ欄から開いてみる。するとだ、なななんと!巨人が3位になって阪神が4位となっている。確か1日の時点では阪神が3位で巨人が4位だったのに、なんで負けたチームが勝ったチームより上に行くんだよ?。

2日と3日の読売新聞
 不安になり2日の新聞を見ると阪神23勝24敗で3位、巨人23勝25敗で4位なのだ。以前にもこのようなことがあり、なぜ読売新聞はこんな間違いを犯すのかと不思議に思っていた。間違いならば多くの問い合わせがあり、翌日にはお詫び記事が出るはずなんだがそのような記事は一向に出ない。ひいきチームが負けた時はスポーツ欄を見る気もしないが、この変な順位表で巨人ファンが喜ぶはずもないのに、、、と訝しがっていた。「それはきっとナベツネに対する忖度やで、、」とかみさんが言う。なるほど彼なら喜びそうだ。
 ところがこの記事を書くために順位表と試合結果をつぶさに調べてみると、両者にタイムラグがあることに気づく。2日の新聞には1日の試合結果と31日の順位表が掲載されており、3日の新聞には2日の試合結果と1日の順位表が載っている。これは地方の新聞に限ったことで輸送に時間のかかる地方には早く印刷をする必要があるためだと聞いたことがある。
 まあそういうわけで、地方の読売新聞ではこのような現象が年に一二度起こるわけで、ナベツネ忖度ではなさそうだ。天下の読売新聞が間抜け政府みたいなまねしねえわなあ。
 でも試合結果が印刷できるんなら順位表も最新情報を載せろよなあ。同じ3日の京都新聞では糸井の満塁弾逆転の見出しの下に2日の順位表がきちっと掲載されているのである。

日の京都新聞、これでいいのだ。

コメント (1)
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