晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

あなしら上林-13 11/29

2015-11-29 | あなしら上林

2015.11.29(日)曇り  あなしら上林-12は2015.9.21

三、上林の盃状穴 その二
 次に訪問したときには石灯籠のあるNさん宅のご主人がいらしたので子細について聞くことができた。
「この灯籠は昔からあるものですか?」
「ええ、ずっと我が家でお守りしていまして、祭礼の時には灯を灯してました。今では電気に変えましたけど」
「この台座のところに盃状穴(はいじょうけつ)という穴があるのですがご存じでしたか?」
「今初めて気がつきました、雨だれの跡でしょう」
「傘の部分から雨だれがするとして、穴のところには水は垂れませんが」
「そうですねえ、雨だれではないですねえ」
「お祈りかなんかの目的で人為的に彫られたものと思いますが、言い伝えや彫られた人の話を聞かれたことはありませんか?」
「何も聞いていません。こんなものがあったことも知らなかったぐらいですから」
 本殿周辺、長い参道にも石造物に盃状穴は見当たらなかった。もう少し村落内の石造物について観察したいと思ってたところだが、すぐ近所のお地蔵さまだけ調べてあとは調査できていない。歯の治療が終わったためである。
 あの灯籠が昔から存在していたとして、村の誰かが穿ったとしたら、村内他所にも見つかるはずである。

(写真1 京都帝釈天参道の石灯籠)

 京都帝釈天の参道石灯籠に盃状穴を見つけたことに気をよくして、亀岡市、南丹市(八木、園部)の神社仏閣を探し回る。といっても日置と穴虫の研究に関連するところと通りすがりの神社等だけである。次に発見したのは八木町鳥羽の八幡神社である。本殿周辺には見当たらず、鳥居下の段の両側に一対盃状穴らしきものを発見、何となく燈明を点けたのではないかという感じである。

(写真2 これは盃状穴とはいえない)

(写真3 石段のものは完全な盃状穴)
 このくらいかなと諦めかけていたとき、中段の石段と石垣の間でひっそりとしている手水鉢を見てびっくり、その周囲に強烈な盃状穴が穿たれているのである。手水鉢の周囲に盃状穴が存在することは情報としては知っていたが現物を見るのは初めてで、その異様さに誰も居ない境内でひとり興奮していた。

(写真4 手水鉢に穿たれた強烈な盃状穴)
 次に見つけたのは、園部町内林町の八幡宮で、ここは小山別所の調査でおとずれたもので、故森浩一先生の手になる発掘で有名な垣内古墳の跡でもある。古墳の原形はとどめていないが、多くの出土品は園部の歴史博物館に収蔵されており、一部は常設展示も行われている。鉄滓も出土しており見せて頂くようお願いもしたのだがまだ実現していない。鉄の加工が行われていたのは近隣にある牧と関連するのではと想像している。
つづく

【今日のじょん】死体無き殺鹿???
 25日の朝の散歩時のことである、府道上にガラスやプラスチック片が飛び散り、歩道の中迄散っている。鹿の通り道となっているところで、運転者には気の毒だが思わず「やった、鹿の野郎ザマみやがれ」と思ったのだが、どうも現場が特定できない。普通鹿が衝突した場合、死骸が転がっており、即死でなくどこかに逃げた場合でも血や体液、獣毛などが現場に残っているものである。
 破片は30mほどの範囲で飛び散っており、奥の方に行くほど細かいものとなっているので小浜方面に向かっていた車が当たったものと推測される。よく見ると向かい側にも飛び散っており、溝の中には20cm四方の黒い鉄板も落ちている。車の底部の鉄板のようで、これがはがれるとなると背の低い動物か鹿の足などを轢き込んだと考えられるが、それならば路上に痕が残りそうである。第一これだけの事故が夜に起こっていれば大きな音がするはずである。衝突音も遺体も事故痕跡も残らない妙な事故があったのだ。
 
 

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穴虫考(154) 亀岡文化資料館 

2015-11-27 | 地名・山名考

2015.11.27(金)晴  穴虫考(153)は2015.2.9

 亀岡市文化資料館で「亀岡の古代寺院と丹波国府」という特別展を行っている。29日(日)が最終なので慌てて行くことにした。丹波国府は桑田郡にあったとされるが、未だ確定はしていない。元々千代川にあって、屋賀(八木町)に移ったというのが従来の定説だったのだが、最近の発掘で池尻遺跡が有力になってきたという情報もあり、気になるところである。国分寺は亀岡市千歳町国分にあってこれは遺構も残っており間違いないところである。

 穴虫地名は千代川町北ノ庄と河原林町河原尻に存在し、国府推定地付近と国分尼寺の地点となっている。丹後の国府は宮津市にあるのだが、ここにも尾根ひとつ隔てたところに穴虫が存在する。古代の官衙と国分寺等に穴虫が関係しているのではと思わせる部分があるのだが、果たしてどうだろうか。今年は体調が悪くて穴虫の調査がひとつも進まなかったのだが、ここに来てこの特別展でなにかヒントが得られるかもと思いやってきたのである。
 新たな丹波国府の説はどうやら池尻遺跡のようだ。南から国分寺、三日市古墳群、三日市窯、千歳車塚古墳、池尻廃寺、坊主塚古墳、天神塚古墳、池尻古墳群といったふうに重要な地帯であることには間違いない。古代の重要な建物跡からは瓦、土器、武具などの鉄器等が発見されるのだが、梵鐘などを鋳造する設備や坩堝(るつぼ)、鉄滓なども発見され、建物や備品などの金属製品を作り出す施設が付属されているようだ。
 穴虫が金属の精製や加工に関わる渡来人、穴師の居住地とする一般的な説を裏付けるひとつの例となるのかも知れない。
 しかし丹波丹後の国分寺がそうであっても、他の地域の国分寺や国府の近隣に必ず穴虫が存在するというものではなく、亀岡だけをみて断定出来るものではない。
 「情報の発信・受信 それは道」「川東・たんぼの下から郷土のお宝発見!」という冊子を購入する。前者には河原尻村の明治初期の絵地図が載っている。国分寺の建物は載っているが、国分尼寺つまり穴虫周辺は林になっており民家も無い。井尻のあたりに4軒の民家が載せられているばかりである。この地図は明治初めのものだが、近世の状況を示しているのではないだろうか。河原尻村に隠墓集落があり、葬送を取り仕切っていたことはすでに述べたところであるが(近世三昧聖と葬送文化・2015.1.20)火葬を扱っていたこと、火葬の場所がどこかは定かで無い。民家から隔離された穴虫の地に火葬の場所があれば、わたしの穴虫火葬場説の有力な証拠となるのだが、なかなかそうはうまくいかない。
 資料館を出ると石棺の蓋や灯籠など歴史的石造物が幾つか展示されている。昔はなんの興味も無くちらりと眺めて帰っていたのだが、今はそうはいかない。盃状穴らしきものは無いかと必死で眺め、触りまくる。しかしこれとてそう易々と発見できるものでは無い。

 

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楽しい腰痛(5) 11/24

2015-11-24 | 健康

2015.11.24(火) 雨

 過去の例によると大体このあたり、発症から2週間で痛みは解消というものであった。その日を過ぎても一向に変化は無い、これには落ち込んだ。
まず痛みを取ってから根治にいたるトレーニングをしようともくろんでいたからだ。落ち込んでいても仕方が無い、実際に痛みはあるし、前向きな気持ちを持たないと治りも遅くなる。もうひとつ気になることがある、今回の腰痛が始まって以来腸の調子が悪いことだ。もっとも以前から腰痛の際には腸の調子が悪く、その間下痢気味であった。腰痛が原因で腸の調子が悪いものとばかり思っていたが、腸に原病があって腰痛が起こっているとしたらこれは捨て置けない。いくら鍼灸に通っても、ストレッチや灸をしても良くならないからだ。夜中に目が覚めてお腹がグルグル鳴っていると妙に不安になってくる。意を決して病院に行くことにする。
 初診の問診票に「長引く腰痛の原因が腸にあるものか、無いものか調べて欲しい」とはっきり書いた。腸と腰のどちらも看られる総合病院のR病院に行く、17日のことである。T鍼灸をキャンセルすると、結果を聞かせて下さいねと言うお言葉、先生も気になるらしい。
 田舎の病院は老人客でいっぱい、特に内科は順番待ちが激しく外科でCT撮ることになる。CTとレントゲン撮って診察室へ、、、、
「椎間板ヘルニアですね、ここが飛び出してるでしょ」
「これは何番にあたるのですか?」「4番と5番の間ですね。これは元に戻ることはありません。牽引をすると腰椎の間が開いて楽になるので、週2,3回通って下さい。足がしびれたりすることはありますか?」
「いいえしびれたことはありません。完治する治療はあるのですか?」
「完治することはありません。完治は手術して切除することですが、あなたの場合その必要は無いでしょう」
「僕もヘルニア持ってるのですが牽引すると楽になりますよ」
「先生、腸の不調についてはどうなんでしょう?」
「腰と腸は関係ありません」

 次に内科の検診を受ける。先生例のCTの写真を見ながら、「腸の不調原因はヘルニアですね、腰から腸にも神経が行ってますからね」
「腰が治れば腸も治るでしょう。でもこの場合便秘が多いのですがねえ」
「常にお腹がグルグル鳴っているのですが、、、」
「それも便秘の症状ですがねえ、便秘なら薬もありますが、下痢や軟便には薬もありません、下痢の時は水分をとるようにして下さい」

 高額の治療費、いや医者代を払って貴重な時間を費やした結果がこのざまである。
 このやりとりの矛盾はわかる人は医療通といえましょう。

【今日のじょん】
2015年のボジョレヌーボが来た。もちろん船便である。

「今年のボジョレはおいしいわよ」という中尾さんの言なのだが、はて、昨年どんな味だったか????じょんはと言えばカンケーねえとばかりカイカイしている。

岩手の鴨肉は美味いのだワン、それにしても小さくなったネー。


 

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楽しい腰痛(4) 11/22

2015-11-22 | 健康

2015.11.22(日)曇り 楽しい腰痛(3)は2015.11.12

 今回の腰痛は30余年つきあってきた腰痛と様子が違う。期間が異常に長い、お尻や大腿部の後ろにまで痛みが出る、腸の調子が悪いの三拍子である。医学的に言えば、慢性化、座骨神経痛、原病の疑いと言うところか。これは恐怖である、これからの人生を常に腰痛と共に過ごさねばならないとすると絶望的である。常に腰ベルトをし、辛そうに仕事をしている人を何人も見てきた。たまにしか起きないから30余年間平気でつきあってきた、しかしこれが四六時中起こるとなるととても耐えられない。
 実は今年は腰痛以外にも多くの身体の不調が起きた。9月に発症した花粉アレルギーもそのひとつである。これは一種の厄年ではあるまいか。男の厄年は数えで25,42,60と言われるが、現在なら30,50,65ぐらいに当たるのかもしれない。50代には男の更年期障害というのがおきた。壮年期の終焉という時期なのだろう。65才ぐらいが完全に老年期を迎える年令なのかもしれない。寿命が延びて老人はますます増えるのだが、傍目で観ている老人の多くが病気や腰膝などの痛みで苦しんでいる。苦労を重ねてこられた方々ばかりなので大変気の毒に思うのだが、もう少し自分の身体をいたわり、鍛える機会はなかったのだろうか。ニュースでは百才を超えても陸上や水泳の選手として活躍しておられる方もいる。そういう人は生まれ持った丈夫な身体ということもあるだろうが、やはり日頃トレーニングをし、自分の身体を見つめていたわるとろはいたわり、鍛えるところは鍛えるということをされてきたことと思う。
 これから老年期を迎える人には、従来よりうんと情報も機会も増えていることだから自分の意志次第で健康で丈夫な身体をつくることができると思うのだ。こういう考えを思い立たせてくれたのが今回の腰痛騒ぎである。持病の腰痛を根治して丈夫で健康な身体作りをしようと決意したとき、本来苦しい腰痛が楽しい腰痛に変わるわけだ。

教材はいくらでもある。
 まず計画を立てるのだが、腰痛は発症から(今回再発の10月23日)2週間程度で収まるとし、11月8日を痛みの治まる日とした。鍼灸のT先生にそのことを告げると、そういう信念を持つのは大変いいことと言われたのだが、期待の8日を過ぎても一向に痛みは治まらなかった。つづく

【今日のじょん】かみさんがまたしても優れものペットグッズを探してきた。ドイツ製のスーパーブラシというそのまんまの名の毛取ブラシである。直接愛犬の毛をすくのにはイマイチのようだが、布団やカーペットについた毛を掃除するにはなかなかの効果のようである。従来ゴムのブラシやいわゆるコロコロを使っていたがいずれも不満残りだったので、今回のは期待していいようだ。

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久田山時間旅行駅  11/19

2015-11-19 | 歴史・民俗

2015.11.19(木)曇り

 綾部市資料館第23回特別展のタイトルである。前回の縄文奇妙奇天烈云々同様、きっと近澤先生のアイデアに違いない。
 「久田山時間旅行駅 遺失物保管所」とは何ともしゃれたタイトルだ。久田山とはきゅうたやまと読んで資料館のあるところなのである。遺跡から出土した品々は実は法的には遺失物なのだそうだ。その遺失物を保管しているのが資料館で、縄文時代や弥生時代から物をなくした落とし主が時間を越えて訪れるという何ともユニークな想定だ。是非とも行ってみたいと思っている間に時間は過ぎ、遂に残り数日となった。腰痛の治療の帰りに立ち寄ってみる。
 縄文草創期の石製槍先、弥生後期の翡翠製勾玉、弥生中期の水挿し形壷など古いもの、上林城跡からでた猿水滴、明治期の七輪など新しいものもある。すべて市内の遺跡や田畑などから出土したもので、ひょっとすればわたしたちでも落とし物を見つけられるかもしれないという夢がわいてくる。

いただいた冊子と問題の水差し
 青野西遺跡から出た弥生中期の水差形壷の底に穴が開いているのを見つける。この種の土器の多くに穴が開いていることはよく知られている。先生に尋ねると、「お墓でお祭りごとをした後に穴をあけたものでしょう」という答であった。もう二度と使わないようなおまじないということだ。青野西遺跡は確か方形周溝墓が発掘されていた、穴の開いた土器が出土しているのはやはり墓地が多いのだろう。また、墓地に置かれた土器だから出土される可能性が高いとも言える。話は同じく穴の開いた「はそう」という土器におよぶ。先生の答は「中国から入ってきたときには水を注ぐ注ぎ口が着いていたんじゃないか、それが葬送や祭祀にのみ使われるようになってあの妙な形のものになってきたのでは」というなんとも納得のいく話になってきた。初期のものは厚さもあり、実用的価値があったのだろうが、やがて祭祀にのみ使われるようになったとすればあの穴のせいかもしれない。

四条畷市立民俗資料館で見つけた木栓付きのはそう
 やがて土師器に話が移り、私の発見した甑の底らしき土器の内側が黒く変色していることについて先生は、「野焼きで焼くと温度の上がらない部分が黒く変色するんですよ」とおっしゃっていた。わたしはいつか水漏れを防ぐために樹脂を塗ったのだと説明したが、どうやら先生の方が説得力がある。それが樹脂であるか焼き加減の結果であるかは調べればすぐに解ることだろう。もっともっと聞きたいことはあったのだが、かみさんの帰って来いの指令でそこまでとなった。(内側が黒く変色した土師器は2012.10.4参照)

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映画「阪急電車」を観る 11/15

2015-11-16 | 日記・エッセイ・コラム

2015.11.15(月)晴

 京都新聞のテレビガイドで「阪急電車 片道15分の奇跡」をやってるってので早速観てしまった。カンテレで14日午後3時から2時間余りである。この映画は2011年の製作なので、4年前ということだが何で知ったのかわからないのだが、とにかく観てみたいと思っていたところである。宝塚から西宮北口までを走る阪急今津線の中で起こる様々な人々の悲喜こもごもの物語なのだが、不特定多数の大勢の人々がそれぞれに哀しみや悩みをもってやりきれない思いでいるところから始まる。わたしはこの時点ですっかりはまってしまった。悲しい思いや悔しい思い、思いだしても戦慄する過去のことがなぜか電車や汽車の中の風景にからんでいるのだ。これは私だけのことかと思っていたのだが、どうやら多くの人々に共通することらしい。

観たい映画をDVDで借りてきて観ようとはなぜか思わないのだ。
 青春時代は小田急線、働くようになって近鉄線、京阪線、一時はJR線を使ったが、最も長かったのは阪急線で、京都線ではあるが15分程度の乗車時間だった。その車窓からの風景は実によく憶えている。2006年に小田急線に30数年ぶりに乗ったときには、その周囲のかわりように驚いた。脳裏に残っている風景とはうって変わっていた。しかしこの小田急線には哀しい思いでは無い、なにせ青春時代のまっただ中で哀しいなんて思っている暇も無かったのだろう。哀しくやるせない思いが残っているのは近鉄奈良線、JR山陰線、阪急京都線である。このまま胸に納めて棺桶までもって行こうと思っているので内容を明かすことは出来ないが、電車に絡んでいるというのは不思議なことだ。
 さて映画の方だが、様々な悩みを持った人々がオムニバス形式で紹介され、失恋、破局、暴力、いじめなどいろんな悩み苦しみが出てくるのだがいずれも本人が勇気を出すことで良い方向、ハッピーな方向に向かうので、さわやかな感がする。それぞれの悩みについては痛いほどわかるのでついつい涙ぐんでしまった。人前で泣くことはないのだが、一人でテレビを観ているときは自由に涙を流すことにしている。
 しかしよく考えてみると、わたしならあんな勇気は無いし、ぐじゅぐじゅと悩みを抱えたまま、やるせない思いや悔しい思いが沼に沈んだ化石のようになって永遠に残ってしまう。何年たっても消え去ることなく、時々メタンガスのように表面に出てきて戦慄する。誰だってそうじゃないだろうか。
 ここでやっとサブタイトルの意味が読めてきた。悩みや苦しみ哀しみが解決するのはやっぱり「奇跡」なんだ。

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楽しい腰痛(3) 11/12

2015-11-12 | 健康

2015.11.12(木)晴

鍼灸医にかかる。
 10月23日の再発はかなりのショックだった。2週間で治るのはこれまでの常であったが、再発したのは初めてである。再発を別の腰痛と考えると実に今年4回目となる。1回につき2週間作業が出来ないとすると実に2ヶ月作業が停滞する勘定になる。これが今後続くとしたらこれは人生の大きな損失だ。これまでは一定の期間が過ぎれば治って、次の腰痛までは期間が空いていたからとりあえず痛みを取れば良いと考えてきた。鍼灸や整形に何件も通ったが、痛みがなくなればもう行かないし先生もその時の痛みを取るだけで、根本治療をしようという先生はなかった。根本的に治療しなくても次にまた痛みが出れば来てもらえるからだろうか。それとも根本的に治したら二度と来てもらえないと言うことだろうか。いや、わたし自身が「根本的に治してください」と言わなかったからだろう。
 今回縁があって通い始めた先生は症状について詳しく説明してくれるし、治療方針もはっきり伝えてくれる。そしてなにより「治癒後は根本治療したい」というわたしの要望に応えてくれた。「腰痛の出ない身体を作るにはストレッチとトレーニングで可能だと思うのですが、、」というわたしの思いに、「そのとおりです」と答えてくれた。
 「現在の腰痛はやがて治るでしょう、それからトレーニングを始めましょう、宿題を出しますから必ずやってくださいね」落ち込んでいた気持がやる気になってきた、お金と時間と労力をかけても自分の身体への投資なら値打ちがあるのじゃないか。ようやく腰痛を楽しめの気分になってきた。
 鍼灸医の名はTとしておこう。本当に根本治療が出来たとき紹介したいと思う。
10月26日(月) 1回目 点検 
10月28日(水) 2回目 マッサージ、箱灸
11月2日 (月)  3回目 トリガーポイントマッサージ(TPM)
              テニスボールのマッサージ宿題
11月5日 (木) 4回目 TPM、背中腰大腿のストレッチ宿題てなところである。

箱灸が気持ちよかったので自作した。

【今日のじょん】

 
お客様に自作ビールをいただいた。じょんもおしょーばんに・・・・するわけネーだろう。

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楽しい腰痛(2) 11/8

2015-11-08 | 健康

2015.11.8(日)雨

 30代の頃から腰痛に悩まされてきたので自分自身の腰痛は誰よりも知っている。それでも岩登りやトライアスロンを続けてこられたのは常に痛いわけでなく、年に数回起こるというものだからだろう。数十回やっていれば、さまざまなタイプがあり、どのように対処すべきか、どのくらいで治るかなど解ってくるものである。
A ぎっくり腰
 「魔女の一撃」と言われるように、突然強烈な痛みが来て立つこともままならない。這って寝床に向かうのみである。こればっかりはどうしようもない、じっと寝ているしかないので諦めもつく。寝返りもままならない強烈な痛みは一晩、長くても3日間で治まるがそれで治ったというわけではない。普通に生活はできるが姿勢や運動によっては痛みが走り、安静にしなければならない日が一週間程度続く。その後は違和感が残るのが約1ヶ月ほどでそれで完治ということになる。これはそう起こるものではなくわたしの経験も4、5回だろう。

B 腰痛
 一般的な腰痛で、必ず妙な違和感で始まる。この違和感があると運動や作業を止め静養する。すると一晩で元に戻る場合がある。これをB’の腰痛としておこう。こうやって治ってしまう腰痛は1/2ぐらいである。
 翌朝目覚めてやっぱり痛みがきつくなっているのが、腰痛Bである。床に伏すというわけでは無いけれどかなり不自由な生活となる。運動作業は中止、大体1週間は続く。その後も違和感は残るが2週間も経てば腰痛のことも忘れてしまう。このタイプが最も多く年に数回起こる。ただ定期的に起こるというものではなく、起きない年もある。

 C タイプの違う腰痛
 今回の腰痛はいつもと違った。Bのタイプで始まって3日もすると痛みも治まったのだが、お尻、大腿部の痛みが残り、座っているとき、立ち上がるとき、運転時、降車時の痛みが2週間以上続いた。これはどうも座骨神経痛の症状のようである。もちろん腰痛と座骨神経痛は別物ではなく深く関係しているものである。

 今回新たにCタイプの腰痛を発症したことで、根本治療の発想がわいてきた。というのは腰痛は辛いけれどいづれ元のように治ってしまうという観念があるから、その時の痛みを和らげ、そして治る時期の来るのを待つという感じで今日まで来た。ところが今回の座骨神経痛の症状となると常に痛みや冷えに悩まされなくてはならない、つまり慢性化するということである。この症状については昨年の秋ぐらいから気付いていた。寝ていて妙にお尻が冷えるのである。当初はなんだかわからないので、布団が開いていて冷気が入ってるのかとも思ったが、どうもその様子は無い。そうしているうちに歩いていてお尻から大腿部の後ろ辺りに痛みを感じることが起き始め、歩くのが苦痛になる事さえもあった。これは痛みを取るだけの対処療法では駄目と思い、明治国際医療大学の整形で漢方や鍼灸などで根本治療の指導を受けたいと思い受診する。MRIを撮って、「腫瘍などの心配はありません、特段骨に異常があるようにはみえません」ということでロキソニンゲルを頂いて帰る。座骨神経痛の症状を盛んにうったえたのだが先生にはMRIの画像でしか診断されなかったようだ。こうなると自分で治療するしかない。
明治国際医療大学付属病院(3.26)
 まず漢方薬を検討したが、有名な痛散湯をはじめ神経痛に効くと言ったものはどうやら痛みを和らげるもののようだ。もちろん腰痛も同じだが、痛み→凝り→血行不良→痛みの悪循環を断つには痛みを取ることが重要だが、これは痛みが出てからのことで、痛みが出てこないようにすることではないようだ。
 ネットで色々探してみると、痛みが出てこないためにはストレッチ体操が有効なようだ。「私はこの体操で座骨神経痛を治しました、痛みが出てこなくなりました」というのがいくつかあり、よくはわからないが痛みの悪循環の凝り、血行不良の辺りに効いているのではないかと思われる。
 痛いときは湿布、温泉、塗り薬、灸などで対処するのが有効だが、普段はストレッチ体操で痛みが出ないようにすることが肝心だろう。数ある座骨神経痛用のストレッチの中で効果的なものを実験中である。いつか「これで治しました」という報告を出したいものだ。つづく

【今日のじょん】じょんの神経痛(五十肩のようなものらしい)もずいぶん楽になっているようだ。時々痛そーなしぐさをするときがあるが概ね元気に暮らしている。季候も良くなってきたのでおとーのリハビリスイムにも連れて行ってもらってる。芝生で遊ぶのはいいのだけど車の乗り降りが大変でチト困っている。

10月9日、30日、11月6日天気いいですネ~

 

 

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楽しい腰痛(1) 11/6

2015-11-06 | 健康

2015.11.6(金)晴

 いやはやこの境地にいたるまで随分かかった。そして逆にこの境地に立たない限り腰痛の呪縛からは逃げ出せないという気もする。「楽しい腰痛」というなんともふざけたわたしの記事で何人かでも救えたらと言う思いでいっぱいである。
 実は今9月28日からの腰痛で困っている。40日近くを作業が出来ずに参っている。草刈り、芝生の整備、ベランダなどペンキ塗り、薪割り、看板塗り替え、庭木の剪定、洗車、窓掃除、水回り掃除、焼却炉作製、谷の掃除、山の伐採、鹿ネットの張り替え、じてんちゃカフェ基礎工事etc何もかもが滞ってノイローゼ、うつ状態になっていた。とりあえず今回の腰痛の経過から書いていこう。
 今年3回目の腰痛だろうか、もう3週間近く病んでいる。今後の治療、改善に役立てるため記録しておくことにする。
9月28日(月)腰痛なりはじめの違和感を感じる。運動、作業中止
9月29日(火)治る場合もあるが残念ながら腰痛始まる。
 ぎっくり腰のように動けない状況ではなくて、日常の生活は可能だが重いものを持ったり、うつむいての作業などは困難。体位振る舞いにも気をつける。
10月2日(金)大体3日で本格的な痛みなどはとれるが、治ったわけではない。車の運転はつらいが自転車は問題ない。うつむいたり重い荷物などは無理。 
10月9日(金)軽作業も可能だが、座ったり立ったりが苦痛、特に運転した後降車の際が辛くて腰が伸びない。水泳は可能。
10月13日(火)いつものように恐る恐る車を降りたら痛みがなく、スッと歩ける。実に爽快な気分。完治ではなく腰に違和感あり、充分気をつけるが、セメント練りなどの重労働も姿勢に気をつければ可能。
10月16日(金)バス旅行で座り詰めだがややだるい程度で済む。
10月17日(土)降車時少し痛みあり、注意。
10月23日(金)完全にぶり返す
10月25日(日)座っていると尻から太ももの裏側に痛みあり、立つときが最も困難で、腰が伸びない。数歩歩くまでは苦痛だが、その後は腰を伸ばしている限り痛みはない。うつむくと腰に痛みがあり、洗顔等は座って行う。
11月6日(金)座っていると腰から尻、左太ももうしろに痛みあり、立ち上がるときが大変で痛みと、腰が伸びない状況つづく。
 と言ったところだ。今回の場合今までとやや違った傾向があるので、この際分析分類をしておこう。

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上林の盃状穴(50) 11/3

2015-11-04 | 盃状穴

2015.11.3(火・祝)

御机神社、国中神社を訪ねる(3)

 龍尾寺下の三叉路を右に行くと忍ヶ丘駅に向かう散策路となる。土道ではないが山沿いの静かな道で、地蔵様や石造物を眺めながら歩くのは楽しい。国道163号線のガードをくぐると真言宗福城寺というお堂がある。

 庭に石造物や灯籠があるが盃状穴は見当たらない。さらに北に歩いて行くと国中神社の鳥居が見えてくる。清滝川沿いに少し登ると左手に石段が見えてくる。石段、鳥居、灯籠、手水鉢、本殿周辺の石材も新しく造られたもので、周辺に残っている古い石材を中心に観察する。

 ここでも盃状穴は見つからなかった。だがめずらしいものを発見した、石棺の蓋である。石棺が石仏や手水鉢、橋などに転用されているのはよく聞くが、実際に目にするのは初めてである。そういえばこの辺りは古墳や遺跡が並んでいることを思い出した。清滝峠が大阪と奈良を結ぶ重要な街道であることも知っていたが、この神社に来てそれがこの街道なんだと気付いた。

 この石棺もつぶさに観察する。盃状穴があったら、それが後世のものでも大発見だ。しかしそんな奇跡は起こらなかった。今回二つの神社、二つの寺院を訪ねたが盃状穴は見当たらなかった。ある所にはいくらでもある、無いところには皆目無いという原則が成り立つようだ。
 昨年四條畷神社、小楠公墓所を訪ねたが皆目見当たらず淋しい感はするのだが、無いなら無いで民俗学的調査となるものと考えている。なぜここにあってあそこに無いのかというのが課題になってくるからだ。
 清滝川に沿って下っていくと振出地点に戻ってきた。おわり 

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