2015.11.29(日)曇り あなしら上林-12は2015.9.21
三、上林の盃状穴 その二
次に訪問したときには石灯籠のあるNさん宅のご主人がいらしたので子細について聞くことができた。
「この灯籠は昔からあるものですか?」
「ええ、ずっと我が家でお守りしていまして、祭礼の時には灯を灯してました。今では電気に変えましたけど」
「この台座のところに盃状穴(はいじょうけつ)という穴があるのですがご存じでしたか?」
「今初めて気がつきました、雨だれの跡でしょう」
「傘の部分から雨だれがするとして、穴のところには水は垂れませんが」
「そうですねえ、雨だれではないですねえ」
「お祈りかなんかの目的で人為的に彫られたものと思いますが、言い伝えや彫られた人の話を聞かれたことはありませんか?」
「何も聞いていません。こんなものがあったことも知らなかったぐらいですから」
本殿周辺、長い参道にも石造物に盃状穴は見当たらなかった。もう少し村落内の石造物について観察したいと思ってたところだが、すぐ近所のお地蔵さまだけ調べてあとは調査できていない。歯の治療が終わったためである。
あの灯籠が昔から存在していたとして、村の誰かが穿ったとしたら、村内他所にも見つかるはずである。
(写真1 京都帝釈天参道の石灯籠)
京都帝釈天の参道石灯籠に盃状穴を見つけたことに気をよくして、亀岡市、南丹市(八木、園部)の神社仏閣を探し回る。といっても日置と穴虫の研究に関連するところと通りすがりの神社等だけである。次に発見したのは八木町鳥羽の八幡神社である。本殿周辺には見当たらず、鳥居下の段の両側に一対盃状穴らしきものを発見、何となく燈明を点けたのではないかという感じである。
(写真2 これは盃状穴とはいえない)
(写真3 石段のものは完全な盃状穴)
このくらいかなと諦めかけていたとき、中段の石段と石垣の間でひっそりとしている手水鉢を見てびっくり、その周囲に強烈な盃状穴が穿たれているのである。手水鉢の周囲に盃状穴が存在することは情報としては知っていたが現物を見るのは初めてで、その異様さに誰も居ない境内でひとり興奮していた。
(写真4 手水鉢に穿たれた強烈な盃状穴)
次に見つけたのは、園部町内林町の八幡宮で、ここは小山別所の調査でおとずれたもので、故森浩一先生の手になる発掘で有名な垣内古墳の跡でもある。古墳の原形はとどめていないが、多くの出土品は園部の歴史博物館に収蔵されており、一部は常設展示も行われている。鉄滓も出土しており見せて頂くようお願いもしたのだがまだ実現していない。鉄の加工が行われていたのは近隣にある牧と関連するのではと想像している。
つづく
【今日のじょん】死体無き殺鹿???
25日の朝の散歩時のことである、府道上にガラスやプラスチック片が飛び散り、歩道の中迄散っている。鹿の通り道となっているところで、運転者には気の毒だが思わず「やった、鹿の野郎ザマみやがれ」と思ったのだが、どうも現場が特定できない。普通鹿が衝突した場合、死骸が転がっており、即死でなくどこかに逃げた場合でも血や体液、獣毛などが現場に残っているものである。
破片は30mほどの範囲で飛び散っており、奥の方に行くほど細かいものとなっているので小浜方面に向かっていた車が当たったものと推測される。よく見ると向かい側にも飛び散っており、溝の中には20cm四方の黒い鉄板も落ちている。車の底部の鉄板のようで、これがはがれるとなると背の低い動物か鹿の足などを轢き込んだと考えられるが、それならば路上に痕が残りそうである。第一これだけの事故が夜に起こっていれば大きな音がするはずである。衝突音も遺体も事故痕跡も残らない妙な事故があったのだ。