晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

何なんだ 盃状穴(54) 12/12

2016-12-12 | 盃状穴

2016.12.12(月)曇り 

 盃状穴の研究はわたし自身の中で硬直していた。どこどこの神社にあるなんてことを連ねても何もわからないのではないかという不安がわいてくる。こんなこと調べて一体何になるんだという気持になってやる気が無くなってくる。「それを言っちゃ学問なんて成り立たないのですよ」とおっしゃっていた小滝先生もそんな時期があったのかもしれない。
 しかし何気なく立ち寄った久美浜の海隣寺の盃状穴は勇気を与えてくれた。穴の形状は同じだが、その位置が今までと違うのだ。堂々と石段の中央に穿たれているのではなくて、脇の石垣の最下段に大きいものがあって、石段には最下段の右端にこっそりと穿たれているのだ。これ等は子供の悪戯に違いない。掘っても叱られない石垣には堂々と掘り、見つかれば叱られる石段には遠慮がちに極端の部分にこそこそと掘っている姿が目に浮かぶ。(久美浜訪問は2016.11.18参照)

海隣寺山門、石垣に穿たれた盃状穴、石段には最下段右端にひっそりと穿たれている。

 従来から考えていた世間に認められた祈りの所作としたら、こういう穴にはならないだろう。そんな思いが湧いてきたところへ、西山さんの証言である。少なくとも子供が悪戯で掘った盃状穴が存在することは間違いない。そして謎であった「雨だれ説」の真相に近づいた感がある。「雨だれ説」は自らが確認したことではなく、誰かに教えられた結果であると考えられる。いったい誰に教えられたのだろう。そのことも聞き取らなければいけなかった。とにかく盃状穴の謎、面白くなってきたぞ。

【作業日誌】ぼちぼち年末の掃除始めてるんだけど、今年のテーマは壁の汚れ。消しゴムがベストと聞いていたのだが、先日ホームセンターで専用の消しゴムを見つけた。800円もするので効果を期待したのだが、100円の消しゴムと同様の効果、バカにすんなよなあ。

壁に3つの汚れ、左から100円の消しゴム、中800円の専用消しゴム、右汚れそのまま。

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何なんだ 盃状穴(53) 12/10

2016-12-10 | 盃状穴

2016.12.10(土)雨

 西山氏の発言は衝撃的であった。悪戯で掘ったという話が出てくることは予想していたのだが、既に盃状穴が存在していて、その真似をして掘ったというのなら分かる。彼が言うのは新しく取り替えられた石材に掘ったということだ。そして見つかったら叱られるので、大人がいない間に慌てて掘り、人が来たら素知らぬ顔をしていると言うことである。取り替えられた旧の石材に盃状穴が穿たれていたか否かはうかがい知れないが、もしそこに盃状穴があって、それが世間的に認められているものであったら、彼らは大人の目を怖がる必要はない。そう考えると、旧の石材には盃状穴は無く、新しい石材に彼らが新たに掘ったものと考えることもできる。
西山氏の話の信憑性は、雨だれ説の普及からもうかがえる。実際にその日に聞き取りをした二人の男性も、盃状穴の存在は知っており、雨だれの跡だろうと証言されている。西山氏が他の子供たちには「雨だれの跡と言うんだぞ」と申し合わせたことがぴったりと符合する。
 雨だれ説普及の原因がこの辺にあることは納得できる、何かがなければあれを雨だれの跡とは思わないだろう。京都帝釈天参道の西村さんだって、私が「雨だれの跡ではおかしいですよね」と指摘して初めておかしいと納得されたのだ。それまでは雨だれの跡だと思いきっておられたのだ。それは誰かに雨だれの跡だと聞かされていたに違いない。
 岼の西山さんが子供時分(尋常小学校の3,4年頃)に近所のガキ大将に誘われて盃状穴を掘られたことは間違いないと思う。新しい石材に穿たれたこと、大人の目を怖れていたこと、ガキ大将に誘われてやったこと、他の子供たちには雨だれの跡というように仕向けたことなどは事実だろう。疑問を抱くのはその方法である、釘を使って、水を足しながら掘ったというのである。

西山さんたちが掘ったのはほんの数個で、今のように増えたのはなぜか分からないとおっしゃっている。
 今までに見てきた何百という盃状穴のすべてが同心円状で内面は実に滑らかなのである。これは棒状の石を回転させながら穿ったと想像している。入れるとしたら水よりも砂であろう。「あの石材に大きな穴を開けるのは大変ですよね」と地学の小滝先生に質問したことがある。「金剛砂を入れたらすぐに開きますよ」と即答された。金剛砂でなくても砂を入れることで、簡単に滑らかな穴を開けられるだろうと思う。
 小学生によっておそらく釘で掘られただろう穴が善福寺にある。悪戯文字と連結線と穴が穿たれているのだが、明らかに盃状穴とは異質のものである。

明らかに釘で掘られたと思われる穴、盃状穴とは異質である。

西山さんが釘と水とで掘ったという穴は如何なるものか、これは本人に実際に掘ってもらうしかない。まさか神社の石段に掘るわけにはいかないから、なんとか同様の石材を見つけてきて実験してもらうしかないなあと思案しているところである。つづく

【今日のじょん】昨日久々にプールに行ったのだ。といってもじょんは車で待ってるだけ。犬も泳げるプール作ってくれ。

俺かておよぎたいよ~、ホンマカイナ

 

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何なんだ 盃状穴(52) 12/7

2016-12-07 | 盃状穴

2016.12.7(水)晴れ 何なんだ盃状穴(51)は2016.12.1

 最初に訪ねたのは岼(福知山市三和町)の小原M(83歳男性)さん、訪ねたというより見かけたので声を掛けたという方が正しい。
「渋谷神社にある石段の穴をご存じですか?」
「知ってるよ、雨だれの跡じゃろ、昔あそこに大きなケヤキがあってのう、それの雨だれの跡と聞いとるが、、、」
「その穴を掘ったり、遊んだりしたことはありませんか?」
「ないねえ」
どうやら雨だれの跡と思い込んでおられるようだが、誰に聴いたかなどはわからなかった。


左が渋谷神社右手と神社の向こうに家が並んでいる。
 次に近所の西山A(93歳男性)に聞いてみた。
「お宮さんの石段の穴をご存じですか?」
「知ってるで、あれはわし等が掘ったんやで、近所にガキ大将がおってのう、掘るぞって何人かで掘ったんや」
「どうやって掘ったんですか?」
「釘でぐるぐる掘ったんやけど、いったい何のために掘ったんかは分からん、とにかく見つからんように慌てて掘った、人が来たら知らん顔してるんや」
「そこには以前から掘った穴がありましたか?」
「いや、新しい石に変わったときやった」

渋谷神社鳥居下の石段、大きな盃状穴がいくつもある。右は中間部の石段、小さな盃状穴がいくつかある。
「Mさんが雨だれの跡とおっしゃってますが、、、」
「それは見つかったときに叱られるから、雨だれの跡だと言い振らしたからや、あの人は若いからそう思い込んでるやろ」
「大原にも下川合にもあります、稲葉にもかすかにあるようなんですが、それらも同じように広まったのでしょうか」
「それは分からんが、ガキ大将に言われるままに掘ったわけだ。でも今ある穴は後から誰かが掘ったので、わしらはそんなにたくさん掘ったわけではない。いったい誰が掘ったんやろ」
 大体こんな感じのやりとりであり、実に衝撃的であった。つづく

【今日のじょん】今朝の気温は2℃、いよいよ本格的な冬到来、見てくれこの完全装備。

 

 

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何なんだ、盃状穴(51) 12/1

2016-12-01 | 盃状穴

2016.12.1(木)曇り 上林の盃状穴(50)は2015.11.3
「なぜ、雨だれ説が多いのか?」(1)

  盃状穴に関する記事は「あなしら上林」で照会中なのでそちらをご覧いただくとして、最新の情報はこちらで掲載することにする。また「上林の盃状穴」のタイトルは上林に特定するという意味で本記事の趣旨にそぐわないので51回目をもって、「何なんだ、盃状穴」と変えることとする。号数は継続する。
 一番最初の聞き取りは、八木町船枝の京都帝釈天参道の灯籠台石だと思う。持ち主の西村さん(70代の男性)は即座に「雨だれの跡やろ」と言われた。「よく見てください、雨水が落ちる位置とは違いますよ」と言うと納得していただいた。じゃあ何なんだということになるのだが、各論、いろいろの説を言うしかない。そして盃状穴に関する聞き取りをしていくと一定の方向が見えてきた。
60代以下(男性)  そんなもん、知らんで。
70~80代(男性) 雨だれの跡と聴いている。
女性は未だ、知らない人ばかりである。こんな感じなのだが、なぜ一目瞭然雨だれとは考えられないのに、雨だれ説が多いのだろうか。今回も3人の方に聞き取りをして、83歳男性、70歳代と思われる男性が雨だれ説であった。もちろん雨だれが石を穿っているのを目撃したわけでなく、そう聞いている、そう認識していると言うものであった。違う神社なのに、「かつて大きなケヤキの木があって、その葉のしずくらしい」という話は同一である。どちらの神社にも大きなケヤキがあって、換金すべく売ったというのは事実のようである。無くなったケヤキの葉から落ちるしずくがどのように垂れていたかを知るよしもないが、少なくともあの盃状穴を穿ったと言うことはない。両方の神社とも、ケヤキがあっただろう位置では無いところにも盃状穴が存在しているのだ。そして現実の雨だれの穴を見ている私にとって、盃状穴のあの形状は雨だれが原因のものでないことは一目瞭然である。


渋谷神社と宇麻谷神社の盃状穴(福知山市三和町)

河牟奈備神社の雨だれ穴は正真正銘(綾部市睦合町)

【今日のじょん】大槻さん家のうめちゃん、喜んでずっと立ち上がってしまった。
「いつも立ち上がるんですか?」
「いえ、こんなの初めてです、きっと嬉しいんですねえ」






 

 

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上林の盃状穴(50) 11/3

2015-11-04 | 盃状穴

2015.11.3(火・祝)

御机神社、国中神社を訪ねる(3)

 龍尾寺下の三叉路を右に行くと忍ヶ丘駅に向かう散策路となる。土道ではないが山沿いの静かな道で、地蔵様や石造物を眺めながら歩くのは楽しい。国道163号線のガードをくぐると真言宗福城寺というお堂がある。

 庭に石造物や灯籠があるが盃状穴は見当たらない。さらに北に歩いて行くと国中神社の鳥居が見えてくる。清滝川沿いに少し登ると左手に石段が見えてくる。石段、鳥居、灯籠、手水鉢、本殿周辺の石材も新しく造られたもので、周辺に残っている古い石材を中心に観察する。

 ここでも盃状穴は見つからなかった。だがめずらしいものを発見した、石棺の蓋である。石棺が石仏や手水鉢、橋などに転用されているのはよく聞くが、実際に目にするのは初めてである。そういえばこの辺りは古墳や遺跡が並んでいることを思い出した。清滝峠が大阪と奈良を結ぶ重要な街道であることも知っていたが、この神社に来てそれがこの街道なんだと気付いた。

 この石棺もつぶさに観察する。盃状穴があったら、それが後世のものでも大発見だ。しかしそんな奇跡は起こらなかった。今回二つの神社、二つの寺院を訪ねたが盃状穴は見当たらなかった。ある所にはいくらでもある、無いところには皆目無いという原則が成り立つようだ。
 昨年四條畷神社、小楠公墓所を訪ねたが皆目見当たらず淋しい感はするのだが、無いなら無いで民俗学的調査となるものと考えている。なぜここにあってあそこに無いのかというのが課題になってくるからだ。
 清滝川に沿って下っていくと振出地点に戻ってきた。おわり 

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上林の盃状穴(49) 10/31

2015-10-31 | 盃状穴

2015.10.31(土)晴 

 御机神社、国中神社を訪ねる(2)

 石段の登り口に「龍尾寺(りゅうびじ)」とあり、「龍尾というものがあり、寺宝とされています」などと書かれている。1m余りの渦状のもので末尾に剣のようなものがあるという、これはおもしろそうだ。急な石段が続き、盃状穴が無いものか目を皿のようにして歩く。石材は御机神社と同様の花崗岩質の黒っぽいものがほとんどで、盃状穴らしきものは見当たらない。お寺の建物が見え始めた頃、横長の石段の中央に泥の詰まった穴を発見、指で泥を払ってみるが、底は浅く凸凹としている。人工的に穿たれた穴のようだが盃状穴ではない。盃状にはなっていなくて、内側が滑らかでない。少し行くと同様の穴を発見、これも先ほどと同じで盃状穴ではない。ただ、どちらも横長の石材のほぼ中央に穿たれている。

 人工のものだとすると一体何の目的で掘られたものか?この石段の幾つかに矢穴跡の残っているものがいくつか見られる。矢穴とは石の切り出しや加工の際にくさびを打ち込むための細長い穴のことである。丸い穴も加工する際に必要となる穴なのかなと昔の加工技術を調べてみるが、どうも丸い浅い穴は見つからない。丸くて浅くて底面の凸凹した穴は他のところでもちょくちょく見かけることがあるので、その正体がわかるまで記録だけは残しておこう。ひょっとしたら自然のものかもしれないのだ。
 少し行くと四角い石に直径が12,3cmもあろうかという穴が見つかった。

これは明らかに人工のものだが、何かの転用と思われる。礎石であって柱を受ける穴ではないだろうか。このように盃状穴ではないがやたら大きな穴がひとつの石に一個あいているものもたまに見かける。西屋の八幡社で見つけた石垣の穴などもその例で、これも礎石の柱穴と考えればいいのだろうか。

西屋八幡社石垣。
 本堂周辺には鐘楼や庭園があるがそのどこにも盃状穴は見つからなかった。かなり古い石仏や道祖神のようなものもあり、お寺の古さを感じる。
 龍尾寺にも盃状穴は見当たらなかった。この付近に盃状穴を穿つ習慣は無かったようである。下りがけに右手林の中に朽ちた石垣を発見、お寺の遺構なのか、それとも飯盛城の出先なのか、城にしてはきれいに残りすぎだななどと勝手な想像をしながら降りてくる。

石材はいずれも同じものでこの付近に産するものだろう。
そして龍尾を見てくるのを忘れたことに気付く。後で調べたらちょっくらちょいと見せてもらえるものでもなかったそうだ。石造物を探しながら忍ヶ丘に向かうハイキング道を行く。つづく

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上林の盃状穴(48) 10/27

2015-10-27 | 盃状穴

2015.10.27(火)晴 上林の盃状穴(47)は2015.8.25

 まずお断りしておかないといけないのは、「上林の盃状穴」とタイトルを付けながらも上林以外の盃状穴についての記事が多いことである。最終的には上林の盃状穴を網羅したいと考えているのだが、盃状穴とは何か?なぜ、何のために、どのようにして穿たれたのかという本題を解決するためには上林だけの盃状穴を観察してもわからないという理由からである。
 また、前回の記事は書きかけなのだが今回の記事は訪問日にタイムリーに書いた方が良かろうかと割り込ませていただいた。
 
 御机神社、国中神社を訪ねる(1)
 四條畷市は古い町で、街中のあちこちに地蔵さまがあり、古い建物も残っておりとても好きな街だ。交通量は多く、道は狭くて歩きにくいが、中には静かな通りもあって、散策にはうってつけだ。かつて四條畷神社や飯盛山を訪れたとき、御机神社方面にハイキング道があることに気付いた。また
歴史民俗資料館の前を南北に走る道は東高野街道といって東寺から高野山に続くという。また、遊々館、雁屋遺跡から歴史民俗資料館の南を東西に走る道も古い街道ではないかと思い歩くことにする。

 今回御机(みつくえ)神社、龍尾(りゅうび)寺、国中神社、福成寺、周辺の地蔵様など観察したのだが盃状穴は存在しなかった。それでもなぜ記録するかと言えば、盃状穴の存在しないところも調べなければならないという思いがあるからだ。つまり盃状穴の謎を探るには盃状穴の分布を調べる必要があるが、それには盃状穴のある所、無い所の分布が必要だということだ。なぜここにあって、あそこにないかということが重要になってくると思うのだ。
 御机神社とは不思議な名前だなと思っていたが、机に関係のある神社ではなく、末社に水神社があることを考えると「水」に関係するのではないかと思う。大山咋神(おおやまくいしん)が山に打つ杭を意味するように水に打つ杭、つまり治水の神様、水咋(みずくい)が御机(みつくえ)となったのではと勝手な想像をしている。由緒書によると古くは現在地の東方宮地というところにあったようだが、変遷を重ね元禄13年(1700年)に当地に移転したということである。時代的には二義的盃状穴があってもおかしくはないが、現在でこそ周囲に家並みが迫っているが、新しい家が目立って、かつては人里離れた神社であったかもしれない。

左:花崗岩質の石材は生駒山系のものだろう、近隣の石垣や庭石も同じものが使われている。
中:末社の水神社はコンクリート造りで盃状穴はあり得ない。
右:本殿のうしろに水神が祀ってあった、これが元々の御机の神様かと想像している。
 鳥居、石段、灯籠など見ていくが盃状穴は見られない。すべてが花崗岩質の硬い石で、しかも新しく更改した石材が多い。直近のものは昭和55年のもので、この年代に盃状穴が穿たれるはずがない。そういうときは廃棄されたり、再利用された石材が無いか調べる。あるいは末社などで昔のままで残っていないかを調べる。しかしそれでも盃状穴は見つからなかった。御机神社には盃状穴は無いと断定する。
帰り道を下っていくと権現川の対岸になにやら石段が登っている。由緒のあるものらしく、訪問してみようという気になる。つづく

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上林の盃状穴(47) 8/25

2015-08-25 | 盃状穴

2015.8.25(火)晴れ 上林の盃状穴(46)は2015.8.20  「盃状穴考」を再読する(3)

 記事の投稿が遅れているのは、幾つかの記事を取り消したからである。「盃状穴考」を再読して、盃状穴研究の問題点、弱点を本書の中から指摘しようということで書き始めたのだが、言わんとしていることをうまく表現できなかったり、記事を書きながら何度も読み返していると本書の内容が当を得ているように思えるという事態になったりして先に進まないのだ。細かいことを省いてわかりやすい事例を挙げて問題を提起したいと思う。
 それは盃状穴の作り方、穿穴法に関する記述である。本の内容に沿って記述のあるものを提示してみよう。
(国分直一氏)「穴の底には丁寧な調整磨痕が留められている場合が多い。」P18

(三浦孝一氏)「穿穴(せんけつ)の方法は、その形状から推考する以外に無く、石棒状の把握に手頃な石、または先端を丸く調整した鉄棒等の廻転による加工であろうことを窺うことができる。」(穿穴法について、P68)「例えば、加工の行い易さから金属のノミの如きものを廻転させた場合を考慮してみても、摺鉢・盃状の穴の形成は不可能であろう。穿穴加工に際して、水があるから穴があけ易かったという聴取例もあるが、手洗石への加工の場合のみで常夜灯の基壇石や石段等の場合は水との関連は無さそうである。」P69
「大門周辺の敷石に穿たれており、観光ガイドの説明によると「雨だれの跡」とのことであるが、納得し兼ねる思いを禁じ得ない。勿論水の持つ力の偉大さや、永年の特異な流水作用による甌穴(おうけつ)なるものの存在も承知しているが、如何に屋根庇が高く何百年間の水滴といえども毎日休みなく雨がふっていた訳ででもないし、第一同じ場所を選んで雨だれなるものが落点したためしはない。」P83

(松岡睦彦氏)(神田山石棺の事例報告に際して)「盃状穴は、どのような工具で刻まれたかはわからないが、穴の状態から見て、一端が紡錘状に尖った形の硬い岩質の石棒を用いたのではないかと考えられる。」P129
「最後に、盃状穴を刻む方法についてであるが、現時点ではその方法は明白でない。しかし、現在までのところ、二一例の盃状穴板石について調査し、盃状穴の形状を観察したかぎりでは、板石の石質がすべて結晶片岩であり、緑色片岩もしくは黒色片岩と呼ばれる石材に盃状穴が刻まれていることから、たとえば石英質の硬い岩石の一方の端部が紡錘状に尖った石棒により、突きもしくは回転によって刻まれたものと考えられる。」P132

(黄龍渾ホアンヨンオン教授)(韓半島先史時代の「性穴」考)「この形式の性穴は、その製作方法において、とくに区別できるちがった方式がしようされているのではなく、石または円棒などを使ってこすりながら、穴を彫っているだけである。深さが浅い性穴は、大部分が小石でこすって作ったものがほとんどであるが、深い性穴の場合は、ふつう円棒などの円筒形の道具を使って、砂などを使い、円くこすりながら円形の竪穴をつくっている。このような事実は、性穴の内部自体をこまかく調べてみると、性穴の中心から直角に連結できる内径の表面が、同一の深さで回転錬磨されていることからもわかる。」P161


 盃状穴の民俗調査では盃状穴の無い神社等をも分布を調べるべきである。写真は左から三和町岼常楽寺跡、綾部市下原町齋神社、東山町若宮荒神宮(2015.8.4)   つづく
 
【今日のじょん】そろそろシーズンかなと思い先日ドッグランどを清掃したらいきなりモモ姉さんが来た。17才に近い高齢なのにじょんより元気だ。(8月23日)

 

 

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上林の盃状穴(45) 8/14

2015-08-14 | 盃状穴

2015.8.14(金)曇り  上林の盃状穴(44)は2013.9.20

 「盃状穴考」を再読する。(1)
 盃状穴に関する専門的な書籍はわたしの知る限りではこれ一冊ではないかと思っている。府立図書館にあって取り寄せられるのだが、館内閲覧図書なので借りることが出来ない。毎日綾部図書館に通って読んだのだが、実に新鮮であった。古書の販売で調べるとやたら高価で手が出ないのだが、少し安い値で出ていたので清水舞台で購入、それでも5,400円の高値だが、裏表紙に前回取引の200円のメモ書きが残っており淋しくなる。それでもじっくり読めるのでありがたいのだが、前回とは違った目線で読んでいけるのでその感想も随分違ったものになる。つまりこの間多くの盃状穴を見てきたし、盃状穴に関する考察も芽生えてきたので、本の内容を無条件に受け入れるのではなく、客観的、批判的に考えられるようになったということである。そこで盃状穴の研究を進めるに当たって改めて本書の内容について思いを述べておきたい。(なお、「盃状穴考」を始めて読んだのは2013年1月のことで、雨読では2013年1月22日から紹介している)

「盃状穴考」その呪術的造形の追跡 国分直一監修 国領駿・小早川成博編集 慶文社 1990年5月30日第1刷 古書
 本書の発行から4半世紀が経っている。それ以降新たな出版は無さそうだし、考古学者や民俗学者による研究発表やシンポジウムの開催なども見当たらない。それは本書で熱く語っている方々が一線を退かれたためか、あるいは亡くなられたためなのだろうか。つまり後継者が育っていないのではないだろうか。そして盃状穴そのものが考古学者にも民俗学者にも見すてられた、あるいは相手にされなかったという気がしてならない。再読をして特にそういった傾向の萌芽が本書の中の論説中にあるのではないかという思いがするのである。
 本書は多くの研究者によって書かれたものを編集されているのであって、総てがそうではないのだが、中には盃状穴を科学的に解明しようという姿勢が窺われないものが散見する。わたしのような若輩者がこのようなことを言うのはおこがましい限りなのだが、盃状穴という歴史的民俗学的に素晴らしく、それでいていくらでも存在する資料についてなんとか少しでも真相に近づきたいという思いがそうさせるものとご容赦願いたい。つづく

 【今日のじょん】この春ぐらいからだろうか、じょんは散歩コースに自分の意志を表示し始めた。行きたい所へ行こうとするし行きたくないところへは頑として動かない。行けるとこへは行ってやることにしている。

高橋さんの小屋の通路には行きたがるので通ってるが、畑の方にも行きたがるので困る。探検したいのかな? 

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上林の盃状穴(44) 善福寺(6) 9/20

2013-09-20 | 盃状穴

2013.9.20(金)快晴

  盃状穴存在の特徴
いくつかの寺社をめぐり盃状穴を探してきたが、存在するところにはいくつでもあり、無いところはもちろん皆無であるという傾向がある。これは盃状穴を穿つ習慣があるところと無いところがはっきりしていると言うことではないだろうか。ほぼ全国的に存在するわけだが、どの地域にもその習慣があったとは思われない。
 また、多数存在するか皆無かと言うことなので、坂尾呂神社の盃状穴(2013.3.30)について悩ましい感を持っている。境内の中に石段のこの一角だけに4個、それも不完全な形であるのだ。何度も写真を眺めているのだが、再度訪れて結論を出したい。
P1040147

坂尾呂神社石段の盃状穴 



 今までに発見した盃状穴はそのすべてが、集落の中心地にある。江戸時代には門前町であったり、宿場町であるケースが多い。村はずれや辺鄙なところには見つかっていない。また盃状穴のある所は人目につく、賑やかなところが多い。例えば神社や社務所の裏手といった人目につかないところには見つかったケースはない。
P1030654P1040247



盃状穴を発見した壱鞍神社(左)八幡神社(右)そして善福寺ともに集落の中にある。

 このことは盃状穴を穿つことが公認された行為であること、集落の中で日常的な風景として行われていたのではないだろうか。
 善福寺の百段を超える石段について、盃状穴の存在は下部の20段に集中しており、特に最下段の4,5段に大きいものなどが集中していることはどう考えたらいいのだろう。
  盃状穴を穿つことが祈りの一形態だとしたら、人々は一体何を祈ったのだろう。手水鉢の縁に穿たれたものは雨乞い、水乞いではないかと想像した。(南丹市八木町鳥羽八幡神社、園部町内林町八幡神社)
P1040762P1040880



鳥羽の八幡神社(左)、内林町の八幡神社(右)手水鉢の盃状穴は強烈である。

 一般的な石段や灯籠などに穿たれたものは、安産あるいは男児出産の祈りではないと想像している。祈りの主体が妊婦であるとしたら、善福寺の急な石段の上部に盃状穴が少ないのが理解できる。また、昔なら例え妊婦であっても昼間は忙しく働いていただろうから、夜に盃状穴を穿ったということも考えられる。そうすれば民家があって灯りのもれる最下段の部分は絶好の場所となるだろう。 善福寺終わり
P1010117



善福寺の石段は急で、手前には両側に民家がある。

【作業日誌 9/20】
山内薪集め終了
草刈り(6-4)
P1010260

軽トラ8往復お疲れ様。


【今日のじょん】プー助死す。
P1010256P1010257



ありゃあ、道の真ん中になんだい?
近寄ってみると、イタチのプー助じゃねいかい、ナムアミダブツ。

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上林の盃状穴(43) 善福寺-5 9/19

2013-09-19 | 盃状穴


2013.9.19(木)快晴  考察の続き

 水抜き線と表示したが、そういう言葉が盃状穴研究者の間にあるわけではない。あくまでわたしの造語であるので悪しからず。
 古代の遺跡である盃状穴いわゆる一義的盃状穴に穴と穴を結ぶ線のあるものが報告されていたのを思い出す。ちょうど飛鳥の酒船石の線のような感じである。
  インターネットで集めた各地の盃状穴の画像にもまれではあるがそういう線が見られる。この線も今まで見てきた盃状穴には存在せず、今回が初見である。
 下段石段の最上段のものは盃状穴もいびつで穴の面が滑らかでなく、水抜き線も他のものとは線刻の方法が違っている。
No1l1

 



一段目左の穴と線、穴はいびつで線ははっきりしている。

後で述べる中段最上段の「小田」の落書きと同一の方法、おそらく釘などの金属を使用して穿たれたものではないだろうか。釘だと回転による穿孔ができないので、いびつでごつごつした穴になるだろう。また線は深くはっきりしたものとなる。従ってこの穴は子供のいたずらと思われるが、それにしても他の盃状穴と水抜き線を意識したものであるには違いない。
 他の水抜き線はすべてが浅く漠然とした溝で、判断しにくいものも多い。踏石の外部に水を抜くがごとく穿たれているが、線というより溝といった方が適切かも知れない。外部に向かわず、穴と穴を連結しているものが2本見つかったが、判断しにくい状態である。
P1010135

47段目右 左の溝ははっきりしている。右の溝はわかりにくいが、中の二つもつながっているようにも見える。


P1010142P1010143

82,83段目、割合はっきり見える。

P1010146

85段目 左のものは真っ直ぐの溝と左に出ている溝が見える。


P1010150
89段目 最も大きい穴から真下へ、そして左の穴へ、左の穴から斜め右に溝がある。

P1010151
 
90段目 こういうのが一般的。



  これらの溝が人工のものか、水流による自然のものかという事については、人工のものと判断して良いだろう。水流でほれるものならすべての盃状穴にあってもいいし、他の地域の盃状穴にも存在するだろうから。
 ただその溝が盃状穴と同時に作られたものか、あるいは後日草搗き遊びなどの際にほられたものかは判断できない。わたしは後者の可能性が高い気がする。

 
 「小田」の落書きについて
P1010124

 



 子供のいたずらであることには違いないが、見つからないように短時間で仕上げるにはやはり釘などの金属片を使用したと思われる。
 逆に釘などを使えば、柔らかい石材には簡単に彫れることを証明している。ちなみに小田の姓は上林の電話帳にはない。古文書に小田某の名前を見たことがあるのでかつては小田家があったのかも知れない。はたまた、隣の地域の小田の誰かが彫ったのかも知れない。つづく

【作業日誌 9/19】
じょんのび谷水道整備
P1010250



取水箱のあった位置、完全に崩壊。

【今日のじょん】読売新聞のあやべうおっ知の取材に来られた。じょんも載るかもよ。(10月1日、折り込み)
P1010253
涼しくなったぞ、遊びに来てくれい!



【お知らせ】9月22日開催予定の2013里山サイクリングが、18号台風によるコースの不良のため中止となりました。残念ですが致し方の無いことです。
 

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上林の盃状穴(42) 善福寺-4  9/18

2013-09-18 | 盃状穴

2013.9.18(水)快晴 上林の盃状穴(41)は2013.9.15

 善福寺石段の盃状穴を一覧で公表したが、いつも悩むのはどこから盃状穴とするのかということである。盃状穴の定義というものがはっきりしていない今、それなりに基準を設けて記録しているわけだが、真円であること、穴が盃状であること、穿面が滑らかで明らかに人工のものであることがわかるものということにしている。
 ところが現実にはこれらの条件を満たしていても、非常に浅くどうも制作途中のようなもの、人工のようであるが盃状でなく円筒状のものなど悩ましいものがいくつかある。今回のように圧倒的に数が多い場合、これら怪しげなものはすべて省いたので実際の数はもっと多いものと思われる。ほとんどを写真に収めているがすべてを公開しても意味が無いので、特徴的なものをご紹介しよう。
 下の石段を上から数えたもので、方向も上から見た右左と表示している。
No1l1

最上段左、形状に問題があるが、水抜き線がはっきりしている。

P1010142
82段目 左 径4cm、水抜き線がよく写っている。


P1010141
83段目 右 径8cm深5cm、完璧な盃状穴


P1010148
88段目 中1個 左7個、この辺り最も多いところ。


P1010150
89段目 中 径8cm、深8cm以上、深さは最高、そこまで泥を除けない、かすかに水抜き線らしきものも。右の2個は段違いになっている。
P1010151
90段目 右 大きさとしては最大9cm、深5cm、水切り線有り。



 考察
 寺院で発見したのは初めてである。神社主体に調査しているので当然のことだが、少なくとも上林、南丹などで訪れた寺院では皆無であった。
 

 数、大きさ深さなどで過去最高である。
 大きいもの、深いものを穿つことができる要因はやはり石の材質だろうと思う。石段の部分は凝灰岩質のかなり柔らかいものなので、大きく、深く穿つことが可能なのだろう。
灯籠基礎や石柱のものは上林では初見だが、自然石で材質が硬いためか大きく深いものは見当たらない。つづく

【作業日誌 9/18】
崩壊した谷水道の修復
ドッグランど、清掃

【今日のじょん】よみがえったサチ
 事故で入院手術したサチが何ヶ月ぶりかに来じょんした。もう歩けないようになるかもと思っていただけに、その回復力に驚く。ちょっとぎこちない感じもするが、普通に散歩もできるそうで、走ることもできるそうだ。ドッグランの完成を心待ちしていた矢先の事故だから、今日こんなして楽しんでもらえるのがとても嬉しい。
P1010233
P1010234
P1010235



じょんは相手にしてもらえなくてイジケていたようだ。


 


 

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上林の盃状穴(41) 善福寺-3 9/15

2013-09-15 | 盃状穴

2013.9.15(日)雨

 善福寺の階段は108段と聞く、下段が94段、上段が12段、本殿前が2段というところだろうか。上段の12段は石の段は下から二段と最上段で、あとは木で仕切られた階段で、粗末なものである。そしてここに盃状穴らしきものは見当たらない。ただ最上段に落書きを発見、「小田」と彫られている。石原町の三柱神社に盃状穴とともに「大」という字が彫られているというので是非見てみたいと思っていた矢先である。
 「大」なら何かまじないの意味でもあろうかと思うのだが、「小田」ではいたずらとしか思えない。P1010124

 


 このいたずら書きについて、上林風土記資料集(平成16年12月)石造物の欄に記述がある。
 
石段 所在地 善福寺の参道石段 最上段の踏石 中央(上)「小田」
〔夏休みに寺で小学校の児童が勉強していたときの悪さ書きとのこと〕


 と書かれている。内容的はさもありなんというものだが、二条河原の落書でもあるまいに、歴史的にも民俗学的にも意味の無い落書きを立派な郷土史に載せる必要はないと思う。逆に盃状穴については何の記載も無い。筆者編者が盃状穴についての見識が無いことは理解できるが、「小田」の落書きを見つける人に無数とも言える盃状穴は目に映らなかったのだろうか。それが如何なるものかわからなくても、記録に残す価値はあったと思うのだが。
P1010123

 


上段の部分は石段が少なく、従って盃状穴もあり得ない。

 さていよいよメインの下段部分だが、詳細については後ほど述べることにして、盃状穴の一覧を記録しておこう。この部分は上から観察して降りたので、最上段から一段目、二段目と数え、一段三枚ある踏石を上から見て右、中、左とした。
P1010122



90数段の石段をどう調査するか途方に暮れる。

1段目  左
1個 水抜き線付き 
36段目 中1個 3cm
46段目 左2個 やや不完全
47段目 右1個 水抜き付き5cm、周囲に不完全5個
70段目 右1個 3cm
73段目 左1個 5cm
76段目 中4個
80段目 中1個
82段目 左1個 水抜き付き
83段目 右2個 右 2個8cm、深さ5cm有り
      中2個 1個は水抜き付き
      左3個
84段目 中6個
85段目 右2個 水抜き2本有り、深さ5cm
               中2個
      左2個
86,87段目 やや不完全
88段目 中1個 
      左7個
89段目 右2個
      中9個 最大のものは8cm、深さ8cm?水抜き有り
      左3個
90段目 右3個 最大9cm、深さ5cm、水切り有り
      中6個 コンクリート補修有り
      左2個
91段目 中2個、左1個、いずれも不完全
92段目 不完全多数
以下はコンクリートとなっている。つづく
P1010121



休憩すると城山から山田の方面の景色がいい。


【作業日誌 9/15】
マガジンラック補修

【今日のじょん】マーブル追悼写真集
じょんならともかくマーブルがご飯食べないというのは異常である。遂に入院するから見てやってくれといってやってきた。歩いたりしていたので安心したが、病名を聞いてもう見納めかなという気もした。マーブルの写真はこれが最後である。次に会ったときには既に亡くなっていたのだが、シャッターを押そうという気にはならなかった。
P1050038
P1050039
P1050041

   


 

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上林の盃状穴(40) 善福寺-2 9/14

2013-09-14 | 盃状穴

2013.9.14(土)晴れ

 善福寺の石段を観察して驚いた。あるはあるは、完全な盃状穴が、大きくてしかも深い盃状穴がいたるところにあるのだ。しかもその石段は、天空にとどけとばかり続いているのだ。ここで、一体どのように記録に残せばいいのか考えてしまう。下部の数段だけでも数十個の盃状穴があるのに、百段以上ある石段に同じように穿たれていればその数は数百個となる。それをいちいち記録していれば数日かかるし、それがどれだけの意味があるのかと言うこともある。
P1010117P1010118



一体何段あるのだろう。取り付きの数段だけでも2,30個は見受けられる。

 しかしまあ、観察しながら石段を登ってみることにする。石段は下段部が93段、上段部が13段、本殿前が2段あるようだ。幸いというか残念というか、途中の盃状穴はまばらで、数を拾い撮影するぐらいなら可能なようだ。いずれにしても今までに出会った盃状穴の中で、数の上でも形状の完全性という意味でも最高の盃状穴存在地であることは間違いない。
  観察は本堂から下りながら行うことにする。盃状穴の所在地と数を記録していくが、上からの段数であり、方向も上から見た方向である。
  本尊は十一面観音菩薩ということだが、綾部の神社仏閣を訪ねるとき、必ず一人であるということが嬉しい。今夏は南丹市、亀岡市方面を巡ったが、ウイークデイにもかかわらず、来訪者に出会う事が多かった。特に妙なものを探してうろうろしているだけに後ろめたさを感じてしまう。追いかけられるようにその場を離れ、後でもっとしっかり見ておけばと後悔することしばしである。綾部では人に出会うことはないが、結構不気味に感じることもある。特に昨今熊や獣の出没が騒がれているので、音がするとドキリとする。少なくとも地面には獣の足跡が縦横についている。
 もう一つめげるものがヤブ蚊である。特に季節が最悪なのだが、自転車で訪問する場合は裸同然のスタイルである。本堂の西側にいくつかの、お堂があるのだが、勘弁してもらった。五輪塔、板碑、カラトなどが見え、相当古いものかと思われるが、ヤブ蚊の襲来には勝てない。本堂や庫裡の裏手もいつもなら観察するが今回は省略とした。
P1010128



本堂西側のお堂群、手前の石が伝説の泣き石か。

P1010127P1010131P1010125



本堂と庫裡、本堂向かって右手の手洗石。
P1010126



 

本堂周辺にはこの一個だけ発見。

 それというのも本堂周辺で見つかったのは、本堂前石段の上段右手(本堂に向かって)の一個だけなのである。その部分の石材を除いて、後の石材はチャートを含む自然石で相当硬いものと思われる。文化五年(1808年)の銘がある手洗石にも盃状穴は見当たらない。つづく

【作業日誌 9/14】
薪搬出
P1010181



あと2日ぐらいかかりそう。

【今日のじょん】マーブル追悼写真集
その後来じょんしても道で会ったりしても写真まで撮ることは無かった。五月に来じょんしたときは元気で遊んでいたが、ドッグランどが未完成の時で、ついに使うことなく逝ってしまったのが残念だ。P1040438
P1040436


2013.5.12
 

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上林の盃状穴(39) 善福寺-1 9/13

2013-09-13 | 盃状穴

2013.9.13(金)快晴 上林の盃状穴(38)は2013.8.1

 川端先生から引地の善福寺に盃状穴があることは伺っていた。なんでも光明寺の住職の紹介ということだ。考えてみれば今まで発見の盃状穴は神社ばかりでお寺というのは初めてだ。
 睦合町引地にある悲喜滋山善福寺は高野山派真言宗のお寺である。開基は聖徳太子と言われているそうだが、光明寺ともどもこれはどうかと思う。現在無住職で光明寺の住職が兼任されているようだ。
 府道に面して善福寺の案内看板が立っているのですぐにわかるが、自動車の駐車場は見当たらない。やはりこういうときは自転車に限る。
P1010111



 参道入り口右手には愛宕山の石灯籠がある。その前に「国廿九番」と刻んだ石碑がある。丹波西国三十三ヶ所観音霊場二九番の意だろう。どちらも自然石で作られたもので年代はわからない。盃状穴は見当たらない、石材が硬いのだろうか。
 左の石塔は秋葉山のものである。裏面に「文政九年戌年六月日」と書かれているそうだ。(上林風土記)
 
P1010112P1010115P1010113



秋葉山の石灯籠の基礎部分、札所を表す石塔の頭と隣の石造物に顕著な盃状穴発見。

 問題はその基礎の部分である。周囲に完全なもの5個、不完全なもの5個、計10個の盃状穴が見られる。なお、裏面の部分は一部コンクリートで補修されており、その中にもいくつかの盃状穴があると予想される。
 そしてその灯籠の前に石塔とその左に用途不明の石造物があるのだが、石塔の頭部に7個、石造物に4個と不完全なもの2個が発見される。
 なお石塔には「郡 〇十三番」と書いてあるように思えるのだが、何鹿郡三十三ヶ所札所が室町以降にあったそうで、郡(こおり)〇〇番と書いてあるようだ。こういった石塔の頭に穿たれたものは初めてお目にかかる。
 さて、参道を進み直線的に登る石段を見上げ、期待感にわくわくする。つづく

【作業日誌  9/13】
山内の薪収集二回目
大根播種

【今日のじょん】プロ野球阪神戦観戦の罵声にもすっかり慣れっこになってきた。テレビの前のこたつの穴に頭突っ込んで眠っているのでかみさんが、「頭に血がのぼるで」なんて言っている。P1010179

頭に血がのぼるのはコチトラだ。「ばーろー久保、何しとんじゃい

 
 

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