晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

市志から養老山 10/25

2016-10-25 | 山・峠

2016.10.25(火)曇り

2016.10.25(火)養老山(665m)曇り
 メンバー 小原英明、工忠照幸
 タイム
 市志駐車場出発  9:10
 林道一つ目の橋  9:30    森林組合の人に会う
 林道分岐点    9:45 左の堰堤へ
 与保呂峠着   10:05 
 与保呂峠発   10:15
 養老山着    11:00
   養老山発         11:15  養老山南西の尾根を下る
 林道出合    12:10
 林道出合発   12:15
 スイセン広場着 12:35  昼食
 スイセン広場発   13:00
 市志駐車場着     13:15
 参考 13、970歩
 養老山から胡麻峠を巡り大唐内に下りる予定をしていたのだが、夕刻に用事ができたので急遽養老山往復とする。相変わらずの工忠天気でアプローチの段階でパラパラ来る。今日は雨の覚悟をしていたのだが、幸いなんとか持ったのだった。
 市志の駐車場に車を置き、歩き始める。秋原さんのログハウスの横の林道を行くがずいぶん歩きやすい。橋を渡ったところで上から作業服の人がやってきた。養老山に行く旨伝えると、親切に詳しいルートを教えてくれた。森林組合の方だそうで道理で詳しい、実際最初の分岐など聞かないとわからなかっただろう。
こういう感じの林道を二つ目の橋のところに分岐がある。

 その分岐は白杭があり、左の堰堤に向かって行く。道は尾根をどんどん登っていく。植林の道だが整備がよくされていて歩きやすく、迷うことはない。分岐から20分、ふうふういいながら登ると、ぽこっと与保呂峠に出る。
 
与保呂峠、与保呂側、菅坂峠方面
 市志から1時間ほどで登れるよい峠である。胡麻峠、菅坂峠と並んで上林と東舞鶴を結ぶ、重要な峠道だったのだ。菅坂峠に車道が開通してすっかり使われなくなったのだが、今でもこれらの峠を歩いて越えた方は大勢おられてようだ。峠に地蔵様がないのは寂しいが、肩荷を掛けて峠を越えた古の人々の息吹が感じられる感じのいい峠である。ガイドブック(京都府の山)には与保呂側が荒れているように書かれているが、確かに峠から覗くと人の歩いていないような雰囲気だ。稜線は胡麻峠方面、菅坂峠方面ともきれいな感じで心強い。
つづく
【今日のじょん】夜中にえらいじょんが吠えた。尋常じゃないのはわかっているが照らしてみても何もいない。あの不気味な鳴き声と物音はしっかりわかるのだが、、、、。朝になってじょんの嗅ぎ回るところを見ると、アナグマがベランダに来たことがわかる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風呂地名の謎(3) 10/24

2016-10-24 | 地名・山名考

2016.10.24(月)曇り 

 柳田國男氏の論文は「風呂の起源」で以下のように述べている。
「『美作誌』に美作方言で森をフロという。『雲陽志』には出雲仁田郡石原村に御崎森(ミサキフロ)があり、又石見邑智郡沢谷村の御崎風呂、備中中川郡平川村の疫神風呂、同郡油野村の風神風呂などの小字名がある。林と書いてフロとよませるものに美作真庭郡勝山町大字日田の桑林(クワブロ)、社をフロとよませるものに三河宝飯郡八幡村の中社(ナカブロ)もある。神の森のフロと浴場のフロは無関係ではなかろう・・・・。荒神の独占に任せて常人の侵入を厳禁していた点からこれをフロと名付けたので唯の樹林地ではなかった。西国の茂(シゲ)といい、東国の上げ山、入らず山など呼んだのも同じであろう」
  後半の文面はなんとも不可解なものだが、神社などの森、社がフロと呼ばれていることは事実のようである。このことは従前から知っていたのだが、一部地域の方言だと思い無視してきた。ところが今回の調査で神社と風呂地名が100%隣接、あるいは一致していることを考えると、ごく一般的な用語となるはずなのだが、国語辞典、古語辞典、地名辞典、方言辞典、民俗学辞典などあらゆる辞典には沐浴の風呂しか出てこない。
 「森の神の民俗誌」という森に関する書物に全国各地の森(信仰としての)が掲載されている。その中に前述の森以外に多くのフロと呼ばれる森が出てくる。どうやら神社などの神聖な森がフロと呼ばれるらしい。


 神社というのは元々は、現在のように社があり鳥居がありと言ったものでなく、神聖なる一本の樹木や何もない空間を樹木が取り囲んでいるような状態だった。久高島のフボー御嶽(ウタキ)を見たとき(男子は禁制となっている)原始信仰の様相を垣間見た気分になった。

Img_2831

フボー御嶽の入り口(ここから男子禁制)
それが森、杜、モイ、茂(シゲ)などである。元はそれをフロと呼んだのだろうが、やがて社ができ鳥居が立ち、それらを含めた神聖な神社の域そのものをもフロとよぶようになったのではないだろうか。ではなぜ風呂と呼ぶのだろうか、沐浴の風呂とはずいぶん違ったものなのだが。つづく

【今日のじょん】ニューモモが遊びに来た。誰もいないところで走り回れるのがいいみたい。じょんも出してくれいと言うのだが、出してやるとモモの運動量にはついて行けないみたい。


右の写真はブンナ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風呂地名の謎(2) 10/21

2016-10-21 | 地名・山名考

2016.10.21(金)曇り

 府道1号線から風呂谷の写真を撮って気づいた。それは左手に神社が写っていることだ。壹鞍神社は十倉四町を氏子圏とする神社である。

左手に壹鞍神社の一部が見える。

 気づいたことは風呂が神社と関係することだ。山家の三神神社といい、この壹鞍神社といい神社のそばに風呂地名があることだ。安栖里の風呂ノ元の近くにあるのは寺院だったけど、神社がないものか調べてみる。元(もと)というのは元々そこにあったか、その上手に神社があるはずだ。上手というのは山側か上流側と言うことになるのだろうが、そういう意味では下流側400m付近に安栖里天王社という神社がある。この神社、十倉氏の氏神でもあるようで、そのそばの十倉は十倉氏の居住地であった可能性が高い。そうすれば風呂ノ元は十倉から見れば下手という見方もできるのではないだろうか。
 次に老富町栃の風呂ノ奥を見に行く。栃の渡辺さんに堂ノ下の上が風呂ノ奥と聞いていたので。ミノ田橋のたもとに車を置き、たまたま渡辺さんの奥さんが歩いてこられたので堂ノ下の位置を聞く。それは目の前の住宅のあるあたりだった。風呂ノ奥についても聞くと、「あの谷のあたり」と言う返事。「確かそのあたりには神社がありましたねえ」「そう八幡さん」やはりここの風呂も神社と関係があった。

堂ノ下、八幡神社、左が堂ノ下で谷があり右手民家奥に神社あり

 ここで睦合町の葛禮本神社(くずれもとじんじゃ)のことを思い出す。葛禮本神社の所在地は睦合町中風呂1だったのだ。もうここまで来れば神社と風呂が関係していることは間違いない。



浅原(あずら)の葛禮本神社、睦合町中風呂1にある。
では風呂はいったい何を表しているのだろう。今で言うところの風呂の元祖、石風呂や竃風呂でないことは確かだ。もし仮にそうだったとしたら、何らかの痕跡が残っているだろうし、神社にお風呂が付随しているなんて話は聞いたこともない。
 実は神社のご神木や森、神聖なる場所を風呂(ふろ)とよぶと言う説を読んだことがある。それはほかでもない柳田国男氏の論文だった。つづく

【今日のじょん】於身のゴンちゃんはどーしてるかな?てんでかみさんが訪ねたら、いたいた広い田んぼで元気しとるぞ。じょんはというと、広い芝生で嗅ぎ回ってばっかし、もっとど~んと遊べよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風呂地名の謎(1) 10/20

2016-10-20 | 地名・山名考

2016.10.20(木)曇り 
 風呂地名について綾部市周辺を調べてみた。
風呂屋(鷹栖町)、風呂ノ谷(下原町)、風呂ノ本(上原町)、風呂谷(十倉志茂町)、中風呂(睦合町)、高風呂(五泉町)、風呂ノ奥(老富町)、本風呂(市茅野)そして井倉新町と味方町の石風呂である。グーグルの地図で掲載されているところを調べてみるが、山中あり川辺あり宅地ありで地形的にも山あり谷あり平地ありで千差万別である。ということは一つのある地形から来たものではなさそうだ。気になるのは風呂ノ本、風呂ノ奥などと位置関係を示す地名が多いことだ。「風呂と日本人」の中には風呂ノ下、風呂ノ前、風呂ノ西など位置関係を示す地名が登場する。ということは風呂という何かが存在して、その前であったり奥であったりするわけだ。その風呂とはいったい何なのだろう。
 筒井氏が言うような石風呂の遺跡や痕跡があれば問題ない、しかしその可能性は薄いだろう。だからといって無視するわけにもいかないし、とりあえず一つ一つ現地を当たってみることにする。 
 安栖里駅の南に風呂ノ元という地名がある(京丹波町安栖里)。由良川沿いに広がった河岸段丘で永正年間(1504~1520)頃には十倉氏が居住したと言われるので、小字十倉はその地なのだろうか。風呂ノ元は駅の南側ののどかな住宅地で緩やかな斜面となりやがて山林となっている。風呂ノ元の上手、山側には竜心寺という寺院があり、堂ノ成という地名はそれに由来するものだろう。もしこの地に風呂があったとしたらこのお寺か十倉氏の居城に由来するものなのかと想像するが、それには何の根拠もない。地形的には上原町の風呂ノ本と一応は共通している。

安栖里駅から南西方面、家の向こうの森の中に龍心寺がある。

 さて次に 鷹栖町の風呂屋を目指す。国道27号線沿いの山家郵便局の裏に三神神社という立派な神社がある。その神社の裏手西側に登り坂がありそのあたりが風呂屋のようだ。小さな谷があって、石風呂などがあっても不思議ではないが、その証拠はまずないだろう。付近に山城があったかどうかはわからない。

三神神社、神社の裏手から斜面を登っていくと風呂屋方面。

 つぎに十倉志茂町の風呂谷を見に行く。府道1号線沿い喫茶轍さんの左手の谷に小字風呂谷はある。おそらくこの谷が風呂谷なのだろう。写真に収めようとファインダーをのぞいたとき、風呂地名のいわれが解明した。やはり現地を訪ねると言うことは大切なことだし、必ず何かのヒントが得られるものだ。つづく

【今日のじょん】丹波の連れしょんという言葉がある。丹波は寒くて一人がおしっこに行くと誰かが続いてしたくなるということと思っているのだが定かではない。朝早くトイレに立ったら、じょんまでついてきた。「おしっこか?」というと盛んにしっぽを振る。面倒だがつれて出るとうれしそうにおしっこしていた。これも丹波の連れしょんか。

夕刻になって、舞鶴から茶々くん来じょん、4歳だって。とっても賢くてカワイイのです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笑・外・歩く 寿命延ウォーキング(1) 10/18

2016-10-18 | 健康

2016.10.18(火)晴れ

腰痛の治療としてウォーキングを始めて10ヶ月余り、あれほど悩んだ腰痛もすっかり治り体調も体型もよくなってきた。歩くことも毎日の日課となり、時間距離も徐々に延びている。さりとて苦痛では無く、むしろ歩きたくなる欲求が出てくる。歩き終わった後の爽快感はなんともいえないものがあり、イライラくよくよしている時などそんな思いが吹き飛んでしまう。始めた頃は筋ポンプ作用、筋肉を緩める、鍛えるということだけをウォーキングの効果としていたのだが、いろんな本を読んだり実践していく中でウォーキングには様々な効果があることを知った。長尾クリニック長尾先生の「病気の9割は歩くだけで治る」という本で「医者に払う金があるなら、靴に使え」「歩行は、脳を変えて、人生を変える!」と書いておられる。つまり体に影響すると思っていたウォーキングが脳にも影響し、精神的にもよい効果を及ぼすことがわかってきた。正しい歩き方を継続すれば、健康で楽しく生きていけるということがわかってきたのだ。これは自分で実践するだけでなく多くの人に歩いてもらって、楽しく、元気で長生きしてもらいたいと思うようになった。そういうわけで「笑・外・歩く 寿命延(じょんのび)ウォーキング」と名付けてさらに研究を続け、理論的にも体系づけてマニュアルを作り、寿命延ウォーキング教室を来春にでも開催しょうかと考えている。
従って、「楽しい腰痛」シリーズは今日から「笑・外・歩く 寿命延ウォーキング」として掲載していきたい。

【今日のじょん】強烈なアレルギー症状が3週間のステロイド投与ですっかりよくなった。たぶん今日の診察で薬も終了かとキャドックの美人先生にかかる。予想通り薬は終了で、一応の全快ということなんだけど、副作用のせいか体重が1Kgも増えていた。昼はマウイちゃんの様子を見にいく。シニアには違いないが元気な様子で安心。帰りは新装なったマウンテンさんでチーズケーキなど買ってくる。まあそれなりに陽気な一日。

待合室で不安な様子
浮世小路も昼間は静か
まういちゃん寝てばっかりやないけ
マウンテンさんすごく立派になって、、、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「風呂と日本人」(4) 10/17

2016-10-17 | 雨読

2016.10.17(月)曇り 

  綾部市には石風呂地名が二カ所ある、味方町と井倉新町である。綾部市街からみれば郊外の住宅地といったところだが、地名が付いた時分には由良川沿いの荒れ地だろうと予想する。仮に風呂ノ本、風呂ノ谷などが室を語源とする地形地名であったしても、石風呂という直接的な地名の場合、やはり石風呂があったのかなあと思ってしまう。味方の場合は東側が斜面になっており、そこに石風呂が存在していたとしたらロマンである。しかし井倉新町は平地であり、あったとしたら石と土でこしらえた窯のようなものと想像する。一応現地調査はしてみようと思っているが、真偽の程を確認することは不可能と思われる。
 本書に「石風呂所在地と地名」というタイトルで実際に石風呂が確認できる場所の地名が15カ所載っている。風呂ノ谷が6カ所、風呂ノ元が2カ所、あとは小風呂、風呂ノ久保などの地名が1カ所ずつ7カ所あるのだが、石風呂という地名は無いのである。このことは石風呂は単に風呂と呼ばれていて、石風呂とは呼ばれていなかったのではないかと考えられる。本書でも「また、各地に見られる伝統的蒸し風呂には、その土地独自の呼び方がある場合も少なくないが、その総称として本書では「石風呂」の語を用いている。」(P18)と書いている。 
 となると、綾部市の石風呂は一体何なのだろう。各地に石風呂いう風呂の元祖が実際に存在したことは確かだが、それと地名との関係を完璧に解明したということではない。ただ究明のきっかけを提示されたことは大きな意義があると思う。おわり

【今日のじょん】蟹食い旅行にそなえてバリケンに入る訓練をしたが嫌がって入らない。やむなく上部を取り去って、かつて愛用の布団を入れてやったらようやく入ったが、これじゃ座席で寝かしてるのと変わらないので意味が無い。


嫌々入ったが、見てくれこの情けない顔

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「風呂と日本人」(3) 10/15

2016-10-15 | 雨読

2016.10.15(土)快晴 
 ならば平安京以後の御料地として木材を調達した、北桑田郡あたりには風呂地名はないかと調べてみる。石風呂地名はないものの風呂ノ本、風呂ノ上、風呂谷、風呂ノ向などの他に湯のつく地名も随所に出てくるのである。綾部市はどうだろうと調べると、風呂ノ木、風呂ノ谷、高風呂、中風呂などがおそらく山間部だろうところに見受けられる。これ等はかつて風呂があったところなのだろうか。わたし自身はやはりなにかの地形を表す地名ではないかと思っている。「風呂と日本人」のなかでも筒井氏は次のように書いている。
 例えば、風呂地名が付いているからといって、そこにかつて風呂があったはずだなどと簡単に考えてしまうことは、不用意な短絡でしかない。中略 現に石風呂のある場所に風呂ノ谷(風呂ヶ谷)の地名が付いている例を一つ、二つ確かめたとしても、そういう地名のところには必ず風呂があったと断定することも危険である。同様の事例を、もっとたくさん集めなければならない。わたしの取材では風呂ノ谷の地名は、たしかに石風呂の所在地を指していることが少なくなかった。しかも、その「谷」の形状には、後述のように、ある明確な共通点が認められる。そうしてそれには相応な理由があった。だが、それでもなお、風呂ノ谷の地名が常に石風呂と結びついていたかどうかに確信がもてないでいる。「室ノ谷」がなまったではないかと想像される場合があったからである。
  これはいったいどういうことなのだろう、わたしには痛いほどわかるのだが、地名の研究になど興味の無い人には何のことかわからないかもしれない。地名の探求をしているとその語源や意味についてこれだっという事象が見つかることがある。見つけた本人は世紀の大発見でもしたような気分になるのだが、その事象はすべての場合に合致するわけではない。地名の意味が時代や場所で変わることはわかっているのだが、研究者にとってはやはりジレンマである。このことを筒井氏は先の文章で語っておられるに違いない。

【今日のじょん】やっと涼しくなってきたのでじょんもワンコインリゾートに連れてってもらえるようになった。わたしらは芝生広場でお弁当を食べピクニック気分なんだが、じょんはとにかくワンコの匂いが気になるらしい。なんてったって、近所にお友達がすっかりいなくなってしまったから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「風呂と日本人」(2) 10/12

2016-10-12 | 雨読

2016.10.12(水)晴れ

本書は地名としての風呂について書かれたものではない。日本に於ける沐浴の歴史を明らかにしようというものである。しかし筒井氏が風呂に関心を持たれたきっかけは「風呂」の付いた地名が各地にあったことである。従って地名としての風呂が随所に登場する。そしてそこには紛れもない風呂が存在するのである。風呂地名があるところに実際に存在する石風呂をはじめとする各種の風呂やその跡地などの写真が満載なので、これは実に意外であり衝撃であった。谷川健太郎氏の本に石風呂の語句を見つけてから数多くの地名に関する本や研究誌を見てきたが風呂に関するものは登場することはなかった。誰も研究することもなく、現実の石風呂を探すこともなかったのだろうか。それはわたしが陥ったように風呂地名は現実の風呂とは無関係じゃないかという思いが原因なのかも知れない。
 衝撃的なのは各地の石風呂の写真である。風呂という地名はそこに風呂があったからということはにわかに信じられなかったのだが、実際に見せつけられてはこれほどはっきりしたことはない。
 ここであらためて風呂について調べてみる。すると風呂は室(むろ)からの転訛であって石や土で作った室に入って蒸気で蒸すと言うのが起源であると言うことはどこにでも書いてある。(語源大辞典、民俗地名語彙辞典、民俗学事典など)風呂というのは元々現在のように湯を張ったものではなく、八瀬の釜風呂のような蒸し風呂であったことは知っていたが、岩壁を穿った石風呂が山奥で杣人のために造られたというのはどうも納得がいかなかった。ところが石風呂が唐(中国)の起源で僧によって伝えられ、東大寺再建のため僧重源が周防国佐波川流域に良材を求めて入り、杣人のため石風呂を造ったという伝説が気にかかってくる。それが史実で無かったとしても風呂の効用を知っている僧が禁裏御料の山中で杣人のために石風呂を造ると言うことがあったとしたら、山奥に石風呂が点在する要因として考えられることである。つづく

【今日のじょん】日ハムが頑張っている。じょんの日ハム色のウェア、実はパジャマなんだが、これが実にダサイ感じなんだがそれなりに似合っているようで情けない感じがする。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 雨読 「風呂と日本人」 10/11

2016-10-11 | 雨読

2016.10.11(火)晴れ
 「風呂と日本人」筒井 功著 文春新書 2008年4月第1刷
 
 「日本の地名」(雨読2016.9.28 )で筒井氏の研究姿勢がすっかり気に入った。定着した従来説に疑問を感じたり、特異地名、難解地名などに偏りがちな地名研究ばかりでなく、極一般的な地名だけど意味不明な地名に目を向けておられるところである。「風呂」地名も極一般的な地名なのだが、実はその意味はよく解らない。わたしが「風呂」地名に出合ったのは地名研究を始めて間もなく、谷川健太郎著「日本の地名」の中の石風呂に関する次の文である。
このあたりでは石を組んで、火を焚き、その熱気で冬場に体をあたためる風習があった。エキの行きどまりの谷の奥をフロと称した。そうした地形のところに、石風呂がもうけられた。そこが「石風呂の浴(エキ)」である。中略、その際重源は杣出し人夫のために石風呂を作ったという言い伝えがある。
 わたしはこの内容に大変疑問を感じた。杣人が暖を取るために石を組んだ風呂をわざわざ作るだろうかという思いである。地名の研究を始めて全国の地図を眺め、大字小字の地名を見ていると「石風呂」の地名はちょくちょく見受けられる。もちろん風呂本、中風呂、風呂屋、風呂窪などの風呂地名が続々と出てくる。こうなるとこれは地形地名に違いないと思うようになった。それにしてもどんな地形なのだろう。地名関係の本だったろうか「三方を山に囲まれた地形」というのがあった。谷の源頭など、洞(ほら)とか保土(ほど)とか呼ばれる地形なのだろうか。それにしてもなんで風呂(ふろ)なのだろう。それにまるで違った地形のところにも風呂地名はあるのだ。釈然としない思いを何年も持ち続けていた。つづく

【今日のじょん】10日にニューモモちゃんが遊びに来た。さかんに遊んでいるようなのだが、あまりに元気なのでじょんは疲れ気味。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「アウシュヴィッツの図書係」 付録 10/9

2016-10-09 | 雨読

2016.10.9(日)曇り

付録
 ディタことディタ・ポラホヴァ(旧姓)は1929年プラハの生まれで地獄のアウシュヴィッツ収容所を生き抜き、本書の発行、2012年には健在であった。
 もし彼女に会えるとしたら、聞いてみたいのは「神様はいらっしゃいますか?」である。
 「ディタは祈らないの?」
「誰に?」
「誰って、神様に決まってるじゃない。ディタも祈らなくちゃ」
「こんなにたくさんのユダヤ人がずっと祈っているのに、神様は聞いてくれなかったのよ」
「祈りが足りないのよ、それか、声が小さすぎて神様に聞こえていないのかもね」
「やめてよマルギット。そんなはずないわ。そんなこと本気で思ってるの?」
「ディタ、神様がなさることを疑ってるの?」
「じゃ、私は罪人ね」
「そんな言い方しないで!ほんとに罰が下るわよ!」 
「地獄に落ちるわ」
「何言ってるのよ、マルギット。私たちもう地獄にいるじゃない」
 ディタは答えるだろう、「もちろんいらっしゃいますとも、おかげさまで幸せに暮らすことができますもの」
 そう神様は居たり居なかったりするのだ。悪魔もそうである。ヒトラーの中にいつも悪魔が住んでいたということは無いだろう。居たり居なかったりしていたのだろう。それだからこそ世の中は平和になったり戦争になったりするわけだ。
 こんな空想をしているとき、これまた偶然にぴったりの本が見つかった。本日の読売新聞の書評である。「ヒトはどこまで進化するのか」善でもない悪でもない動物というタイトルである。一般の動物なら生きんがための本能だけで、そこには善も悪もない。ヒトは大脳が進化したがために、神にも悪魔にもなる。著者の願いは「人間が存在する意味は何か」という深遠な問題に対し、自然科学(遺伝学、脳科学、進化生物学など)と人文科学(哲学や芸術など)がタッグを組んで挑んでいくこと、とある。難しくて挫折するかもしれないが、秋の夜長を挑戦してみるのもいいのかもしれない。おわり
 
【今日のじょん】とにかく元気になってよかった。なんてったって動作が機敏になってきた。オシッコもうんPもさっさとするし、終わったらすぐに帰ってくる。当たり前のことだけどこれができなかったのだから、いったい何だったのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「アウシュヴィッツの図書係」 その4 10/8

2016-10-08 | 雨読

2016.10.8(土)曇り 
 もうひとつ偶然が重なった。先に書いた文中に障害者殺害の件があったが、実は一体何のことか分からなかった。その事件の真相を知らせるドキュメントがEテレであったのだ。
 ETV特集 それはホロコーストの“リハーサル”だった
明らかになる障害者の虐殺の真相 ナチスが利用した「衛生思想」現代への警鐘とは
という衝撃的な特集だった。
 ナチスが台頭するより以前に、ドイツの精神病院や障害者施設で秘密裏に障害者(ママ)が殺されていたのである。それは一種の優生思想が元になっていたようだが、ナチスの時代になるとより拡大され、20万人の障害者などが殺害された。そこには非生産者とされたてんかんやノイローゼ、うつ病の患者も含まれたというから凄まじい。結局は宗教者等の反対運動に押されて中止を余儀なくされるのだが、ヒトラーはその矛先をユダヤ人に向けることとなる。恐ろしいことはこの障害者虐殺の際に収容所、ガス室、屍体焼却場の設備が確立されており、そのままユダヤ人虐殺に使用されたということだ。この番組が「ヒトラーの娘たち」を意識していたか否かは解らないが、虐殺に直接手を下した看護婦にインタビューした文書が残っている。「わたしは悪いことはしたことがない、誠実に職務を遂行した」という旨の答をしていた。罪の意識とか反省の姿勢は微塵もない。これは徹底的なプロパガンダによるものと結論づけているが、「ヒトラーの娘たち」では彼女たちに強烈な批判を向けているようだ。戦争という巨大な狂気の下で末端の女性たちがどのような心理や思想で生き抜いたのか、とにかく「ヒトラーの娘たち」を読んでみなければという気持である。

【今日のじょん】6日にニューももが来じょん、もうすぐ4ヶ月だって、来るたびに少しずつ成長してるのがわかるのよね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「アウシュヴィッツの図書係」 その3 10/5

2016-10-05 | 雨読
2016.10.5(水)雨
 前回までは一般的な表向きの書評といえる。わたしは本書を読んで文中に書かれていること、行間に書かれていること以外に行間にも書かれていないようなことをいろいろと考えてしまった。その一つが「ヒトラーは狂気だったのか」ということである。確かに狂気の沙汰には違いないが彼は正気だったと思う。人間の心(脳)は神にも悪魔にもなり得るのだ、日本的に言えば鬼にも仏にもなるというものだ。それでは親衛隊はともかく末端にいる収容所の職員などはどうなのだろう。本書の中では随分ひどいことをしている様だが、ヒトラー同様に心は悪魔になっているのだろうか。そんな思いをめぐらせているときこれまた偶然に凄い本を新聞の書評で見つけた。「ヒトラーの娘たち」ウェンディ・ロワー著(2016.9.12京都新聞)である。福知山市の図書館にあるのだが、貸し出し中でまだ読んではいない。ヒトラーの娘たちとは大戦中に政府機関に就職したり、ナチスの妻となった女性達をいう。「アウシュヴィッツの図書係」に出てくる収容所の女性看守長も登場する。彼女は戦後の裁判で女性で唯一有罪になった人物である。
 この本では女性たちと虐殺との関わりを中心に書いている。「たとえば、ユダヤ人大量殺りくに先立ち、約20万人の障害者が殺されたが、彼らに致死薬を注射したのは看護師たちだった。ホロコーストの最初の下手人は女性だったのだ。」もちろん彼女たちが断罪されることはなかった。「被告たちは、よく知らなかった、自分たちに決定権がなかったなかったと弁明し、周囲に影響されやすい「無垢な」女性という、古くさい仮面で身を守った。」と強烈な批判を浴びせ、「彼女たちもさまざまな度合いと意味合いで権力を行使し、虐殺に関与した」と結論づけている。「職務やキャリアアップには熱心だが、他者への共感には乏しいのが彼女たちの一般的な傾向だ。」と辛辣である。
 とにかく書評しか読んでないので本物を読んでみたい気持だ。つづく

【今日のじょん】ステロイドには食欲が増す、水をたくさん飲むなどの副作用があり、昨年はとても投薬を続けることができなかった。ところが今年は薬の含有率が低いのだろうか、さほど困難無く飲み続けている。そのおかげでアレルギー症状もすっかり治まり、ほぼ全快の様子だ。ただ、食欲だけは旺盛でいつも腹すかしてるみたいだ。写真はおかーが帰ってきたときのお迎えの儀式、しっぽのふりがものすごい。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「アウシュヴィッツの図書係」 その2 10/2 

2016-10-02 | 雨読

2016.10.2(日)晴れ 

 本書には挿絵も画像も何も無い。表紙に古ぼけた本を読んでいる少女の胸から下の写真が載っている、そして背表紙には8冊の茶色く焼けた古ぼけた本が載っている。それだけなのである。もちろんこれ等は本のために撮られた画像なのだが、裏表紙に本書の帯が張り付けてあり、本書のモデルとなったディタ・クラウスさんの少女時代の写真が載っている。ユダヤの星のワッペンが見えているので収容所時代のものなのだろうが、そんなものがあるはずもないので、解放されたときのものかもしれない。本書の中でも言ってるのだが、アンネフランクによく似た可愛いお嬢さんである。

 わたしが言いたいのは、本というものは元々活字ばかりでそのことをわたしたちが忘れてしまっているということだ。メディアそのものが画像、影像主体になってきて、活字ばかりの本が敬遠されている。影像画像は真実を映し出す(必ずしもそうではないが、、)が、それ以上の物語に入り込むことはできない。ところが活字ばかりの本だと、浮遊物体のようにストーリーの中に潜り込み、そこに書かれてあること以外のものを見、行動することができるのだ。これこそが読書の醍醐味であって、ディタは過酷な収容所に囚われの身であっても、世界中はおろか宇宙まで、過去にも未来にも行くことが出来たのである。

 ディタの言動に注意していると実にユーモアにあふれている。時には大人びたブラックユーモアもあり、下品な言葉遣いでお母さんたちにたしなめられる場面も多い。「ちぇっ」「ちくしょう」「くそっ」なんてまるで少女らしくない言葉がなぜか可愛いのである。
「そう、あの糞〈司祭・親衛隊曹長〉が来たのよ」 
「そんな下品な言い方しちゃだめ」
「だって本当ヘドが出る。事実なんだから仕方ないでしょう」
 アウシュヴィッツでは笑いがパンよりも不足していたので、ほんのちょっとしたユーモアでも大歓迎された。
  狭い場所に動物のように詰め込まれ、烙印を押されると、人は自分が人間であることを忘れてしまう。が、笑ったり、泣いたりすると、自分たちはまだ人間であると思いだす。
 この小説を読む前後に偶然の体験をした。この前に読んだ本は斎藤茂太先生の「なぜ笑うといいか」という本なのだが、その中にドイツ軍からロンドンが空爆を受けて防空壕に避難しているときやロンメルの戦車部隊に連戦連敗しているイギリス軍の作戦会議などでチャーチルがやたらとジョークをとばすのである。日本軍やドイツ軍では考えられないことなのだが、そういう宰相がいたからこそ連合軍は勝利したのだろう書かれている。そして読み終えてページを閉じた途端にふとテレビを点けると、TDA381便の航空機事故の様子が流れていた。もう3,40年前の事なのだろうが記憶に残っている事故である。飛び立ったYS11機の片方の車輪が出なくなり、羽田空港に戻って緊急着陸し、全員無事に収束するのだが、その道中のことである。車輪を出すために急降下と急上昇をする際に機長が乗客に向けてアナウンスした内容が今も伝説として残っているそうだ。「これから皆さまにジェットコースターの体験サービスを提供します。しかも無料で、、、」というような内容だったのだが、これで恐怖と不安に満ちていた乗客が落ち着きを取り戻したというのだ。ウィットにとんだ西洋人ならともかく、よく日本人がそのジョークを受け入れて落ち着くことが出来たなあと感心した。怒り出す者は一人もいなかったそうである。
 人間、窮地に陥ったとき、どうしようも無い問題にぶつかったとき一番必要なのはユーモアや笑いであって、ディタの知恵と勇気と希望の源泉はこのユーモアだったのだと確信する。そしてそれらを得たのは彼女が読んできた多くの本であっただろうし、収容所には8冊の本しかなかったが彼女は何百冊にも値する価値を得ていたのではないだろうか。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「アウシュヴィッツの図書係」 その1 10/1 

2016-10-01 | 雨読

2016.10.1(土)雨

 衝撃的な本は衝撃的な出合いをする。新聞の書評欄にこの本を見つけたときすぐに読んでみたいという気になったのだが、この本を買っても読了する自信は無かった。ユダヤ人強制収容所の悲惨な実態が終始書かれているというのである。わたしはこういった罪も無い人々が悲惨な境遇に合うのは大の苦手で、ましてや小さな女の子が体験するその描写にたえられるか自信が無かった。

 「アウシュヴィッツの図書係」アントニオ・G・イトゥルベ
集英社クリエイテブ 2016年7月初版 綾部市図書館借本
 タイトルルにあるようにディタという14才の少女は地獄のアウシュヴィッツの中で禁止されている本を毎日隠し場所から自分の服の内側に作った秘密のポケットに隠して、読みたい人のところへ配るという重大な仕事をこなしていたのである。つまり収容所の中に秘密の図書館があったわけだが、蔵書はたった8冊である。もちろん見つかればそこで生命が絶たれるという大変な任務である。
 この図書係はディタ・アドレロヴァというユダヤ人の実在の人物で、収容所での事実をもとに書かれた小説である。
アウシュビッツの中の悲惨な出来事というのはこの本の大部分を占めているのだが、書評ではそのことで読むことに二の足を踏む方がいるかもしれないと言っている。わたしも自信が無かったから図書館へ行ったのだ。綾部市の図書館で「この本を買って下さい」と館長に頼んだ、タイトルからしても図書館に置いておくのが最善だと思ったからだ。「それならありますよ、素晴らしい本なので購入したのですが誰も借り手が無くて先に読ませて頂きました。とても感動しました、読んでくれる方がいらして嬉しいです」とのこと、驚いたことだ。この7月に発行されたばかりで、さして有名になった本でも無いのに購入されていたのは館長の先見性だろうか。わたしは綾部市図書館がこの本を買っておられたことがとても嬉しい。
 館長は感動したと言われたが、わたしには感動というより考えさせられる本であった。
 アウシュヴィッツならずとも軍事政権下では出版物は厳しく取り締まられた。日本でも多くの本が発禁となったし、例え発行されても黒塗りで意味をなさない文章の本となっていた。「ペンは銃よりも強し」といわれるとおり、戦争の愚かさを説き反戦の思想を伝搬させるからだろうが、それだけではないようだ。彼らにとっては平和な生活がしたい、普通の生活がしたいという希望を持たせることが最も嫌われることなのだろう。本書では次のように述べている。
 人類の歴史において、貴族の特権や神の戒律や軍隊規則をふりかざす独裁者、暴君、抑圧者たちには、アーリア人であれ、黒人や東洋人、アラブ人やスラブ人、あるいはどんな肌の色の、どんなイデオロギーの者であれ、みな共通点がある。誰もが本を徹底して迫害するのだ。本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ。
 なるほど民衆大衆に物事を考えられては困るわけだ。 
 やせっぽちで小枝のような足の少女が地獄のアウシュヴィッツ収容所を生き抜けたのはどうしてだろう。もちろんプロパガンダとして設置された家族収容所に入れられたことなど多くの奇跡的な選択もあるが、彼女の知恵と勇気と希望が最大の理由だと思う。連日ガス室に送られる人々を見、伝染病が蔓延する極悪の衛生状態と恐ろしくひどい栄養状態の中で人間性を保ちながら生きていくことには希望が要る、希望があればこそ知恵も勇気も湧こうというものだ。死んだ方がましだと諦めてしまったら忽ち死んでしまうだろう。ガス室に送られることだけが死ではないのだ。
 ディタはその多くを収容される前に読んだ本と収容所での秘密の図書から得た。もちろんそれらの本に収容所で生き抜くノウハウが書いてあるわけではない。過去の本を思いだしたり、秘密の図書を読んだり、生きた図書と称して先生(大人の収容者)から聞く口述の本を聞くことによって、囚われの身から自由に本の世界に飛び込めるのだ。これが本の最も素晴らしいことであって、その当たり前のことが本書を読みながら認識できた。つづく

【今日のじょん】広い庭でじょんが小さく見える。ところがよーく見ると芝生もドッグランども草茫々、柱や薪も腐りかけ寸前。長雨がいかんのよ、外仕事がなーんもできないのだから。一方薪小屋に目をやるともっと悲惨、この写真の左には1年間ほったらかしの焼却炉があるのよ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする