晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

敗退 蓮ヶ峰-2 3/30

2019-03-30 | 山・峠

2019.3.30(土)雨

 念道の取り付きはじょんの散歩道でもあるので目星は付けていたのだが、近所で聞いても誰も解らないようだ。歩いて隣村へ行くことがなくなってから何十年という月日が流れている。というより現在の住民はこの峠道を使ったことがないのかもしれない。波多野さんと福井さんの間の谷に堰堤がありその手前に左の尾根にジグザグに登っていく道がある。急斜面を登っていくと、やがて尾根道となる。

左:取り付き部分、下に堰堤が見える。
中、右:広くてしっかりした道だが、倒木が激しい。 
  尾根だけに道はしっかり残っているが倒木が多い。道幅は広くて、かつて荷車が使われていたことが考えられる。峠の通行というより、肥刈りや炭焼きの荷車だろう、例の並行道も一カ所ありその感が強い。傾斜が緩くなってきて313mのピークが近づいてくる。このピークの西で地理院地図の破線は切れている。ここまでの道が割合はっきりしていたので余り気にせずにどんどん歩いて行くと、どんどん西方に降っていく。どうやら河牟奈備神社方面の尾根に入ったようだ。元来た道を戻ればいいのだが、どこを下っても井根には出られるだろうと、そのまま植林の右の谷を下っていく。獣道が続いているのだが、なにしろ倒木が多くて歩きにくいことこのうえない。谷も曲がっていて先が見えないので心細い。その上大切な冬用登山ズボンを木の枝に引っかけ破いてしまった。

左:木々の間から念道と忠をむすぶ折山峠が見える。
中:降り始めた井根側の谷、ものすごい倒木。
右:見事に破けた登山用ズボン、高かったのだ。
 やがて獣道は右の支尾根に上っていく。尾根上に上がって少し行くと、井根の峰地さんの家が見えた。予定より二尾根西の谷を歩いていたようだ。峰地さんが畑仕事をしておられたので挨拶をする。山の中から獣ならず人間が下りてきたので驚いておられた。
 村の中を日圓寺に急ぐ。日照山日圓寺は真言宗高野山派の寺院で、丹波西国三十三ヵ所三十番の札所である。引地の善福寺が二十九番なので、江戸時代の巡礼は念道からの峠道を利用したと思われる。
 
左中:本来はここへ下りてくる、峰地さんの家の横。峰地さんは元気で頑張っておられる。
右:日照山日圓寺

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敗退 蓮ヶ峰 3/26

2019-03-26 | 山・峠

2019.3.26(火)晴れ

 目的 念道~井根~日圓寺~蓮ヶ峰~念道

 建田のこんぴらさまの話を読んでいると、直訴する三人の金銭的バックアップを於与岐の素封家が行ったとある。建田(武吉、佃、忠)三町と於与岐の交流があったとは、現在の地理的状況からは想像も付かないが国土地理院地図を見ていると、念道から蓮ヶ峰の東を越えて於与岐の中心部に出る峠道が破線で示されている。丹波大絵図にも載ってなく綾部市史などにも載ってなくて何という峠道なのか解らないのだが、かつて於与岐と建田が交流があったとしたらこの峠が主要な交通路だったと思われる。いきなりこの峠道を訪ねるのもいいが、念道と井根をむすぶ古道を歩き、日圓寺日圓寺から行者道であっただろう蓮ヶ峰への道を辿ってみたいと思った。
 メンバー:小原英明、工忠照幸
 タイム :2019.3.26
      カフェじょんのび発 10:15
      313mピーク付近 10:50 5分休憩
      井根、峰地さん宅  11:50
      日圓寺       11:55 20分昼食
      観音堂       12:45 
      黒石峠に向かう林道を引き返し、睦合町三ツ口の谷 13:35 10分休憩
      観音堂に戻り日圓寺に下る 14:30
      念道に至る峠道探すも断念 15:30 
      

 


    

    

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原始人健康学ー4 3/24

2019-03-24 | 雨読

2019.3.24(日)曇り

 最終章は「医食同源・時代はナチュラル」で健康と食事の記事である。最近はTVなどでこの件に対しては盛んにやってるのでそちらの方が詳しいかと思う。というわけで「食と心」ーその関係性を解き明かすーの中の藤田先生の一文を紹介しよう。

 「腸は第二の脳であるー食
と腸とこころ」という一文なのだが最近話題となっている腸、腸内細菌について詳しく書かれている。腸の働きと言えば消化吸収がまず浮かぶが免疫、解毒など自然治癒力と大きく関わっていることも忘れてはならない。腸内細菌については善玉悪玉なんて騒がれているが、一体自分の腸内はどうなっているんだろう。こんな疑問は誰もが持っているのだが、これを解き明かす手段はそう簡単にはいかない。有名な辨野博士の腸内細菌検査を受けたのだが、その結果は一体どうなのかちっとも解らない。細菌のパーセンテージは書かれているが、それがどうなのか解らないのだ。結局腸内細菌を良好な状態にするには、穀類、野菜類、豆類、果物をとること。次に発酵食品、食物繊維やオリゴ糖を摂ることだそうだ。そして加工食品や食品添加物の入った食品をなるべく避けるということである。この最後の部分が難しそうだと思う。
 腸とこころの問題で、セロトニンのことが詳しく書いてある。セロトニンは幸せ物質ともいわれ、歓喜や快楽を伝える脳内物質なのだが、この生成に腸内細菌が大きく関与していると書いておられる。セロトニンは脳内で生成される以外に腸で生成され、実はこの方が圧倒的に多いわけだ。腸内では脳とは全然別の働きをしているので、脳内のセロトニンとは無関係と思っていたのだが、先生は腸で生成されるセロトニンが脳に影響していると書かれている。腸で生成されるセロトニンが脳で活躍するとなれば、うつ病を始め慢性痛などあらゆる病気の治療が望める。例えばアメリカなどでは薬局でセロトニンを売っているのだ。ハワイに行く友人に買ってきてもらったことがある。一瓶3,000円だった。気持ち悪くて服用しなかったが、今から思えば効能はどのように書いてあったか調べておけば良かった。おそらく便秘解消とか腸に関する効能ではないかと思う。つまり腸で生成されるものと脳で生成されるものは違うという事である。ところが先生はここのところを微妙な言い回しで書いておられる。
 セロトニン生成は、腸の大きな役割のひとつである。正し食生活をし、腸が適切に機能していれば、セロトニンが不足になることはないと考えられる。腸内環境の改善こそ、副作用のない、”こころの病”の治療であると著者は確信している。
 これでは誰でも腸内で生成されるセロトニンが脳内で活躍すると思うだろう。でもよく見るとそうは書いてないのだ。腸とこころに関係があることは解るが、セロトニンを使ってらしきことを語るのはいただけない気もするのだが、、、。
 さて藤田先生の回虫を飼った顛末を知りたいと思っていたところ「脳はバカ、腸はかしこい」に書いてあるらしい、機会があったら読んでみよう。おわり

【今日のじょん】驚いたぜ春の雪、朝起きたら真っ白、どおりで昨晩から寒いと思ったよ。

 でも寝坊のじょんが起きる頃にはこのとおり

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原始人健康学ー3 3/18

2019-03-18 | 雨読

2019.3.18(月)晴れ

 そしていよいよ「自然治癒力を高める健康法」の章となる。わたしたちが最も知りたいところなのだが、キーワードは四百四病、生老病死、自然治癒力だろうか。四百四病とは人間は四百四の病気を生まれ持つという仏教思想なのだが、人間は本来完璧なもので外部から病原菌などが侵入し病気になるという西洋思想とは相反するものである。若い時分には考えられない思想だが、老齢になってきて周囲を見渡し、自分自身の健康状態を見るとき、四百四病の思想はなるほどなあと思えるようになってくる。実際遺伝子などの様子が明らかになってくると、元々病気の発症する遺伝子の存在が分かり始め、益々四百四病思想が納得されるものとなってくる。私たちはいかに病気が表に現れないよう気をつけるかということが課題になるが、それだけでなく否応なしに現れる病気に対して如何に向き合うかが重要になってくる。治る病気については最大限の努力を払うが、未だ治らない病気のいかに多いことか。その時こそ生き方が問題になってくる、夢を持って前向きに生きるか、落ち込んでふさぎ込んでしまうか、同じ期間の人生であってもその差は歴然である。先生は、私たちはまず、自分たちが持っている「健康」という幻想を捨て、「病気と闘う」のではなく、病気と「共存する」という考え方に立つことが大切である、と説いておられる。
 免疫や老化のメカニズム、ストレスについての考察などなど興味深い記事が続き、先生の健康法が紹介される。回虫を自身の中に飼おうという先生だからさぞかし愉快な健康法が飛び出るのかと思いきや、なんとも月並みな健康法ばかりで少々がっかり。気功法、森林浴、ウォーキング、水泳、飲料水などが登場し、参考になるところも多くあるが、タイトルの自然治癒力との関係がはっきりしないのが残念。この時期に回虫実験をされていたかどうかは不明だが、そのことに関して一切記述が無いのもやや肩すかしを食らった感がある。ただ飲料水については目から鱗の部分があり、お勧めの「ミネラルウォーターガイドブック」を購入し、各種のミネラルウォーターを比較検討している事態である。つづく
【今日のじょん】雪が降るかと思えばぽかぽかの陽気もあり、人間も犬も大変。うみんぴあ芝生広場は草がむくむく生えてきた。


 
 

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原始人健康学ー2 3/14

2019-03-14 | 雨読

2019.3.14(木)雪

 サブタイトルはー家畜化した日本人への提言-となっている。最近読む本に多く家畜化の言葉が出てきて、人類が日本人が家畜化されていると言われる。厳密には遺伝学的に言う家畜化ではなくて、現代人が苦労なく豊富な食料を得られ、快適な環境で弱体化していく現象を揶揄した言い方なのだろう。最初に俎上に上がるのは日本人の異常なまでの清潔感である。TVを見ていると実にまあいろんな抗菌剤、除菌剤の宣伝花盛りである。薬剤ばかりでなく、抗菌処理された建築材、家具、衣類、電化製品など身の回りはすべて抗菌、除菌で家の中はまるで無菌室状態である。それをまた我々は安全・安心状態と勘違いして大満足している訳である。こうなると戦う相手の居なくなった免疫力はどんどん低下し、逆に菌は生き延びるため変化し強靱になっていく。O-157だってもともとは害もなく腸内で共生していた大腸菌の一種なのだ。
 確かに過剰なまでの清潔志向は問題ありと思うのだが、さて自分の身の回りを見てみると、ありますぞ。除菌剤、殺菌剤、消臭剤そのたぐいのものが20本はあるだろう。飲食店を経営しているということもあるが、意識としてかなり過剰になっているという気はする。それが日々免疫力の低下につながっているとしたら、、、これは考え物ですぞ。
 【今日のじょん】もう春が来るかと思っていたら、突然の雪、スノウタイヤ履いてて良かった。
 
 コレだもんね、前日の写真と比べてよ。

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原始人健康学-1 3/13

2019-03-13 | 雨読

2019.3.13(水)晴れ、曇り、雨

 「原始人健康学」-家畜化した日本人への提言- 藤田紘一郎著 新潮選書 1997発行 古書


  「食と心」中井吉英・本庄 巌共著にも藤田先生の一文があるので併せて紹介しよう。
「回虫を駆除したので花粉症が始まった」というセンセーショナルな話題が賑わったのはいつ頃だったろうか。自分自身で回虫やサナダムシを体内で飼育し、よくテレビに登場していたのがこの先生である。花粉症には縁が無かったのでさほど気にもしなかったのだが、とにかく変な先生だなあという思いだった。そのうち花粉症の洗礼も受け(現在は治癒しているが、、、)健康や病気のことを研究し始めると、俄然先生の説が浮上してきた。そんな理由で読み始めた本である。

 アレルギー病と回虫などの寄生虫の話から始まる。インドネシアバンダ海のブル島という島に仕事で渡り、その住民を見て、寄生虫とアレルギー病の関係を発見するのである。もしこの赴任が無かったら藤田先生もただのドクターだったかもしれない。島に赴任し、寄生虫と免疫の関係を発見する過程や科学的な内容は最初の章に詳しく書かれている。第一章のタイトルは「『健康』は共同性が作った幻想」というなんとも理解し難いものであるが、「はたして現代の日本人が追求している『健康』は本当の意味での『健康』であろうか。ひょっとすると、これも日本という特殊な近代国家に住む私たちの共同性が生み出したひとつの幻想でではなかろうか。」というところで少し理解できるような気がする。そして第二章の「日本人の家畜化現象」で健康という幻想がはっきりしてくる。つづく

【今日のじょん】おとーとおかーがボイストレーニング始めたので、昨日連れてってもらった。ちょっとの間だけ天気が良くて近所を散歩、「おもろいもんがあるやんけ」

 

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二人のアイスマン-5 3/7

2019-03-07 | 雨読

2019.3.7(木)雨

 過酷な環境にわが身をさらし、ついに「凍えぬ体」を獲得したジャーナリストが、エビデンスを示しながら「潜在的な身体能力を引き出す方法」の一部始終を明かす、、、、帯紙に書かれたキャッチフレーズのとおり著者のスコット・カーニーはジャーナリストで、ホフの怪しげな理論と行動に疑問を持ち、ペテン師の化けの皮を剥がしてやろうという意気込みでホフのプログラムを実行するのである。ところが意気込みとはうらはらに彼のメソッドにのめり込み、自分自身を変革することとなるのである。人類が快適さと引き替えに失った免疫力や潜在能力を取り戻そうという試みには同感するところが大いにあるのだが、そのプロセスは私たち一般とは随分違う。その主なトレーニング法は呼吸法、瞑想、寒冷刺激とされているが、その内容たるや強烈なものである。例えば呼吸法といえば私たちの考えでは腹式呼吸とか丹田呼吸法とか穏やかなものだが、ホフの呼吸法は最終的には5分間も息を止めているとか、息を止めて腕立て伏せを数十回するとかプールの底を鉄アレイを下げて歩き回るとか異常なものである。寒冷刺激ったって写真のとおり氷の湖を泳ぎ回るとか、氷水に浸かるとかまあ大変なものである。とにかく本書の最初に警告(WARNING)があり、「、、、、読者はこれらの行為が本来危険なものであり、深刻な害や死につながる危険性があることを自覚していなければならない」と書かれている。
 この異常とも言えるトレーニングの結果、記録的なタイムでキリマンジェロの登頂を果たす、しかも短パン一丁で。またパーキンソン病やクローン病などの改善も報告されている。それぞれエビデンスも紹介してあるのだが、残念ながら理解できるものではなかった。結局ホフのメソッドの発想と趣旨は理解できるが、その内容たるやあまりにも常人離れしており、参考にもしようがないという感じを受けたのだが、最後の頁で著者は「寒い時期にこれまでより一枚だけ薄着することを提唱している、、、」と書いてある。
 テクノロジーに頼ったり、氾濫する情報に安易に飛びついたりするのではなく、たまにはいつもの「快適ゾーン」の外に出て祖先たちのように周囲の環境の変化を肌身で感じ取り、寒さに安らぎを見いだす方法を探ってみる。本書がて本書がそのきっかけになれば幸いである。
 この一文で分厚い本を読んだ労が報われた感がする。

 

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二人のアイスマン-4 3/6

2019-03-07 | 雨読

2019.3.6(水)曇り

 

 二人目のアイスマンはミイラではなく現に生きている人物である。帯紙に氷の湖を裸で泳いでいる人物がアイスマンことヴイム・ホフである。
「サバイバルボディ -人類の失われた身体能力を取り戻す-」白水社 2018年9月初版
 スコット・カーニー著

 珍しく2,200円もする新刊本なので意外な感がするかもしれないが、実は京都新聞の懸賞で当たったものである。新刊本プレゼントで数冊の本があり、本命は六法全書だったのだが、この本も気になってかみさんの名前で出したら当選したという経緯なのだ。大体このたぐいの本は眉唾物が多いのだが、白水社の発行ということで出してみた。白水社は信頼できる出版社で、山の本を始めいくつかの本を所有している。装丁がしっかりしており、内容が真面目である。それでも懐疑の目を持って頁を開いてみたんだが、序章のところで、常々わたしが考えていることがそのまま書かれていて驚いた。
 「一見、人類が自然界に対して勝利を収めたように思えるが、私たちの体が強くなったわけではない。実際は正反対だ。努力
しないで快適に過ごせる結果、私たちは太り、怠惰になり、どんどん不健康になっている」

 「今世紀に入って肥満、糖尿病、慢性疼痛、高血圧が爆発的に増加し、おまけに痛風までふたたび増加傾向にある。無数の人びとが自己免疫疾患に苦しんでいる。関節炎、アレルギー、狼瘡からクローン病やパーキンソン病まで体が文字どおり自分で自分を攻撃する病気である。まるで、体の外部には脅威がほとんどないので、持てる力がすべて体の内部に向かって暴走しているかのようだ。」

 「少なくとも半世紀、体を健康に保つ二本の柱は柱は食事と運動だというのが世間一般の常識となってきた。どちらも不可欠には違いないが、同じように重要なのに完全に見落とされている第三の柱がある。何より、環境的なトレーニングを日課に組み込めば、ほんのわずかな時間で成果を挙げられるのだ。」
 部分的な表現で理解しにくいと思うが、分厚い本を俄然読み進める意欲がわいてきた。つづく

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進化する寿命延ウォーキングー8 3/4

2019-03-04 | 寿命延ウォーキング

2019.3.4(月)雨

 進化する寿命延ウォーキングには補助体操として相撲の腰割と四股を取り入れているが(寿命延体操)どちらも膝を曲げるのが特徴である。相撲だけでなく空手や柔道などの武道では膝を曲げて腰を落としている。このスタイルが最も安定しているのだろう。相撲など見ていると腰の低い方がほとんど勝っている。例えば今行っている四股も考えるところがあって10回を閉眼で行っている。開眼ではようやくバランスが取れるようになったのだが、閉眼となると実に心許ない。ところがしっかりと膝を曲げて腰を落としてやると安定した四股が出来るのだ。またここ数年気に入って観ている狂言もそうである。狂言では最初から最後まで膝を曲げて演じておられる。茂山一門が来られたときに、「舞台を広く見せるために膝を曲げています」と言われていたが、それだけでは無い様な気がする。狂言の動作をよく見ると実に激しい運動である。その激しい運動と変化に対応するためには低い安定した姿勢が必要なのではあるまいか。
 さて実際のゴーロ歩きをしているとき、目線は遠くを見ていて足下には無いから、尖った石を踏んだり浮き石に乗ったりする。始めた当初は土踏まずで石を踏んだら数日傷めること傷めることもあったし、浮き石に乗ると転んでしまうこともあった。今では石を踏んでも体重が乗っていないから傷めることはない。体重をかける前に石を探知して体重をかけることなく石を避けているのである。これは明らかに条件反射であり、経験によって身についた動作であろう。浮石の場合も同様で石の揺れにいち早く気づき自動的にバランスをとっているので転ぶことはない。この二つのアクシデントの時、膝は必ず少し曲がっている。つまり突っ立っていないのだ。ゴーロでなくても泥や草、木の根などの悪路を歩く場合も膝は必ず曲がっているし、登り下りの歩きの場合は必ず膝が曲がっている。登りの場合は膝を伸ばしたままでは登れないし、下りは膝を曲げてショックを吸収しながら歩かないと足を痛めてしまう。
 このように膝を曲げるのが当然だと思うのにウオーキングの解説書や諸先生方はなぜ「膝を伸ばして、、」というのだろう。異説、珍説で有名な藤田紘一郎先生でさえ、「膝は伸ばすことが大切。日本人の大半は膝が緩み、膝痛の原因にもなっている。」と書かれている。(原始人健康学・新潮選書)
 この疑問の回答ははっきりしている。「膝を伸ばして着地」という歩行の原則は「ショックを十分に吸収する靴を履き、平らな道を歩く」時の原則で、野山を裸足で歩くときには通用しないということである。人類はその歴史のほとんどを裸足で野山を歩いてきた。そしてその行動、動作から直立二足歩行の短所部分をを克服すべく進化してきたに違いない。つづく

【今日のじょん】じょんはお出かけが大好き。かといっていろんな所に連れても行けないので、プレート田村とうみんぴあと縁さんのシャンプーぐらいだが、これが結構嬉しいみたいだ。
縁さんのかえり
うみんぴあ芝生広場


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