2017.3.2(木)曇り
坑跡の洞穴についてはHさんからおおよそのところは聞いていたが実際見つけてはいなかった。清水さんについて薬師堂の前の広場から細い道を下っていく。この坂道は金堀坂(かねほりざか)と呼ばれる旧街道だ。清水さんも「あれっどこやったかなあ」と洞穴が見つからない様子、何年も訪れていないとやむを得ないところだ。
前回(12月3日)来たときの写真、左は薬師堂から金堀坂、右は府道から上部に金堀坂をのぞむ。
尾根状のところを回り込んだ右手に八分目が土と草に埋もれた坑道入り口が現れた。これは誰かに教えてもらわなければ見つからない。それにしても古代の金属を研究して10年近く、身近なところで昭和より古いだろう坑跡を見たのは初めてである。
この草むらの中に人がかがんで入れるほどの坑道が有る、ただし埋まっている。右はその遠望、坂を下りきったところに道しるべがある。
見つけてしまうと、いつ頃に何を掘っていたのか知りたくなる。どのくらい埋まっているのだろうか、この穴の地権者は誰なのだろうか?などと気になってくる。坑道の上の畑の持ち主さんにお目にかかる。「どうなんやろかなあ」ということだったが、まあ掘るとなってからでいいことだ。それよりも掘り起こして果たしてその年代や何を掘っていたかわかるかどうかだ。実はこの坑道のことは数年前から小滝先生に話している。素人のわたしでは判断付けかねないので相談してみよう。
清水さんに薬師堂の盃状穴をご覧に入れる。当初誰もがおっしゃるように雨だれの跡と言っておられたが、現物を見て、「これは人工のものやなあ」とおっしゃっていた。お礼を言ってお別れして、ひとりで元の坑道跡に行く。その街道筋にあった道標やお地蔵さん、坑道の下のズリや周囲の景色も気になったからだ。
お借りした冊子や新聞を大切に持ち帰る、こんなにワクワクした一日は久々であった
【今日のじょん】寒がりのじょんは夜な夜な毛布を掛けてもらっている。それが又カメムシ追って出てくるときもそのまんまだから笑えてしまう。