2012.10.29(月)雨、曇
別所探訪シリーズ菟原中がこれほど続くとは思わなかった。むしろまだまだ謎が拡がり永遠に解明できそうに無い。歴史なんてのはそういうものだろう、これで解明できたろうと思ったら新たな謎が湧いてきたり、とんでもない勘違いだったりするものだ。
幸い学者でもなく、専門の研究者でもないので紆余曲折しながら取り消したり、訂正したりしながら、少しずつ真実に近づいていると思っている。
それにしても謎解きというのは心躍るものである。本を読むだけでは謎は解けないし、現地に通うだけでも謎は解けない。それプラス発想力とか想像力とかが必要である。一番大切なのは、謎を謎だと思うこと、謎を解明したいと思うことだろう。
先に四つ留や間歩の事を書いたときにはたと気づいたことがある。石見銀山を訪れたときに唯一坑道が公開されている間歩を訪れた、それが龍源寺間歩である。
龍源寺間歩、四つ留。
龍源寺間歩は代官直属の間歩の一つで、規模も大きく産出量も多かったのだろう。
菟原中の龍源寺を訪れていながら、この間歩の事については思いに至らなかった。
龍源寺間歩内部、壁は角礫凝灰岩ということだから、案外軟らかいのだろうか。
龍源寺というお寺と石見銀山の間歩とどう関係があるのだろう。他の著名な間歩については概ねその名前の由来がわかるのだが、龍源寺間歩だけは解らない。近隣に龍源寺という寺院も見当たらない。
石見銀山資料館に電話して聴いてみる。
「龍源寺間歩と龍源寺というお寺はいかなる関係ですか」
「江戸時代からそのように呼ばれているだけで理由は解りません。龍源寺が資金を出したという風にも考えられますが、根拠になるものはなにもありません」
「龍源寺というお寺が近隣にあるのですか」
「近隣にはありませんが、川本町にあります。そのお寺と銀山に係わる資料はありません」
という事だった。つまり関係は何も解らないということだが、あまりに即座に回答があったのでこのことについての質問が結構あるのではないかと勘ぐっている。
川本町というのは島根県邑智郡川本町で、銀山の南15Kmあまりの川下というところに龍源寺はある。現在臨済宗東福寺派の寺院である。江の川沿いの町で石見銀山街道のすぐそばにあり、出雲の産鉄地帯である。しかしわかるのはこれだけで、銀山との関係は不明である。
全国各地の龍源寺を探ってみるが、共通項は禅宗と言うぐらいで、鉱山と関わりがあるというようなことは読み取れない。
「別所地名事典」に「竜源寺(ママ)が金昌山という山号をもっていることも、故無しとはしないのである。」と記しているが山号というものが実質的な意味を持つものなのかも解らない。とにかく石見銀山の龍源寺間歩と龍源寺が如何なる関わりかは謎のままである。 つづく
菟原中、龍源寺。鉱山との関連はあるのだろうか?。
【晴徨雨読】90日目(2006.10.29)二本松~郡山
幹線道路4号線のつまらなさに飽きて、阿武隈川沿いの県道を走る。車は少ない、景色も良いそのうえ遺跡や石仏なども揃っていて楽しい。難点は時々道に迷うことだ。
高木遺跡敷石住居跡(縄文時代)、馬繋ぎ石、水神など人知れない遺跡が目白押し。
【今日のじょん】:鍋の季節がやってきた。じょんが鍋好きなのはお知らせ済みだが、実は鍋に入れるうどんが好きなのである。どんなに長いのでも上手に食べるので、画像にアップしておけばうどん県のCMに使ってくれんかなあ。
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YouTube: うどん犬