晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

穴虫考(50) 奥武は葬地か-11 4/27 

2014-04-29 | 地名・山名考

2014.4.27(日)晴れ 「青」と「オウ(オー)」の地名学を読む③

 そしてさらに外間氏が「大島」をオウに対比させていることを批判し、「全国一多いと思われる「大島」地名を「奥武」とするのは疑問であり、オー考の展開を混乱させると思われる。」という風に書いている。
 もちろん全ての「大島」を「奥武」に対比させるのは無理があるとしても、地形的、民俗的に似かよった「大島」はあり、わたしのオー、オウに対する関心の発端は、大きくもないのに大島、広くもないのに大野、大原などという地名が沢山存在することに気づいたからである。地図を眺めていると大島、小島が列んでいて、小島のほうが大きいものがある。大島の大は決して大小の大でないことがわかる。「大島」を「奥武島」に対比して考えてみるのは当然ではあるまいか。
 本書では、伊勢志摩地方で「奥武」に類似した地名を探ると、「相(お、おう)」が多いとして、相島(おじま)、相差(おうさつ)、相賀(おうか)、相可(おうか)について考察している。
 相島は鳥羽市の真珠島のことで、おしまと呼ばれる。現在は架橋されており、観光地なので訪れた方も多いと思う。御木本幸吉が世界で始めて真珠養殖に成功した島で、博物館やショップなど賑やかな島となっている。しかし元々は樹木の鬱蒼とした無人島で地形的にもオウの島と言える。
Img_2098
 

常滑から鳥羽港に向かうフェリー船上から、渥美半島方面。船はやがて坂手島と相島(真珠島)の間を通って港に入る。(2006.12.8)
 本書では大正9年と昭和24年の地形図を示し、相島の仮名が前者では「アフ」、後者では「オウ」となっていることに注目している。これは沖縄の奥武島についても同様の変化がみられ、共通の意味を持つ島であろうと考えられる。相島には古墳もあり、墓地もあると書かれているが、その詳細については書かれていない。つづく

【今日のじょん】ミニ同窓会に行ったおかーを迎えに行く。最終のあやバスで帰ってきたのだが、こういうのって嬉しいみたい。
P1020814 P1020816 P1020818 おっきたきた、あっおかーや、おかえりん

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穴虫考(49) 奥武は葬地か-10

2014-04-28 | 地名・山名考

2014.4.26(土)晴れ

 「青」と「オウ(オー)」の地名学を読む②
 はじめにという序文は非常に格調高い文章で、仲松弥秀氏に始まり、谷川健一氏、水谷慶一氏などこの分野における論説を系統的に述べている。そして前に示した問題提起となるのだが、この問題提起は実にわたしが知りたかった事柄が多く含まれており、「青、オウ」地名に関する疑問はすっかり解決し、本項を終結することができると期待したのである。
 しかしながら、本論を読み進めても残念ながら一向に疑問は解消しないのである。読解力が無いものかと何度も読み返すのだがやはり同じである。目崎氏の書いておられることにどうしても納得が得られないのである。
 具体的に「2 伊勢志摩でのオウ考」から紹介してみよう。
 この項でも前文的に各研究者の動向を系列的に記している。誰がどこの地名について研究したかについて書かれているのだが、目崎氏は内陸部の青山、青川、青木、青谷、青地などの地名、沿岸部にある岩礁状の「青の島」について「奥武」に対応できるものではないとして除外している。これでは問題提起にある本土の青と沖縄の奥武についての関連が見えてくるはずがない。
Img_2111
 

何気なく撮った写真だが、度会郡南伊勢町内瀬の村島と思われる。オウの島とはまさにこのような島である。鳥居が見えるように思うのだが、、。(2006.12.10)
 また、外間守善の研究による波切の大王島(大王崎)、相差の東海上にある大島を岩礁であるなどの理由で奥武には対応できないとしている。
 沖縄には奥武島以外にオージ岩、アフ岩というような小島や岩礁がある。そして奥武島と同様のアブシバレーの儀式などが行われ、祓島として存在している。したがって岩礁だからといって奥武島との対応が出来ないとはいえないのではないだろうか。つづく

【今日のじょん】史嬢がお土産にシゲクニ(長岡京市)の焼き豚を持ってきてくれた。
4月15日紹介の中島本店(福知山市)の焼き豚と比べてみようという企画だ。シゲクニのはたれに漬けて食べるものだし、漬け込んで焼いてある中島本店のものとは比べようがないのだが、中島本店のほうが上品な味がする。もちろんじょんも味比べに参加したのだが、どちらも旨そーに食っていた。
P1020805  

シゲクニの焼き豚 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穴虫考(48) 奥武は葬地か-9  4/25

2014-04-26 | 地名・山名考

2014.4.25(金)快晴 穴虫考(47)は2014.4.22

 「青」と「オウ」の地名学を読む①
 仲松弥秀氏のカジマヤー(数え年97才申年の成年祝)記念として「南島の地名」第6集(南島地名センター発行 2005年8月発行)が発行されている。
 仲松氏は同センターの初代所長で、2006年2月に他界されている、満97才である。「南島の地名」第6集のなかに、目崎茂和氏の「青」と「オウ」の地名学という論文が掲載されており、仲松氏の「奥武考」を引き継いで、最新の説が展開されるものと期待し、本書を求めた。

P1020809


 その中で非常に重要な問題提起がなされている。
(1)青「アフ・アオ」がなぜ沖縄では奥武「オウ」となったのか。日本本土での「オウ」地名は、青に由来しているか。
(2)日本海沿岸に多い「青海」を「オウミ」と発音するように、「青(アオ)」が「オウ」のように、「奥武」は漢字表記の違いだけなのか。(ママ)
(3)日本本土では青を「アオ」と「オウ」の地名が並立するが、沖縄では「奥武」の地名だけで、「青」地名がない。日本沿岸のの地先島に多い「相島(おしま)」「雄島(おしま)」「大島(おおしま)」と「オウ」地名の関連性があるのか。
(4)琉球の海神であるアラ神、「アラ」(荒・新)地名と「青」「赤」「淡(アワ)」など「ア」を接頭語に持つ地名群は、「奥武」と関連しているのか。
(5)日本各地の「青山」「青島」「青墓」などの青地名は、五行説「青」、四神獣「青龍」などとの関連はあるのか。つづく

【今日のじょん】最近年齢のせいか体重のせいか動作がのろい。以前行っていたジャンプやおいで~の競技をやらせてみる。
ジャンプはしっかり憶えていて合格。
P10208021


 おいで~もやるべきことは憶えているのだが、ダーっと走っていたのがのそのそ歩いているので、失格。 
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山菜三昧 4/24

2014-04-24 | 食・レシピ

2014.4.24(木)快晴

 村上さんにワラビをいただいた。お湯をかけて処理済みの緑色の素晴らしいものである。夕食に卵とじとそのまんまワサビ醤油につけていただいた。
 どちらも以前に食べたような気がするのだが、定かでない。
 メインのおかずになっていないので憶えていないのか、食材に関して如何に無関心であったかと反省している。
 料理屋で食べたり、完成品を買ってきて食べたりする際に、「これは一体何だろう」と思うことがしばしばあるが、特に追求すること無く済ませてしまう。よくよく考えればこれほど食を軽んじていることはない。
 何を食しているか解らないまま食事を終えるということは、家畜が餌を食べているようなものだ。
 ワサビ醤油につけて食べたのは美味い。これもお酒がススム君だ。感謝感謝。P1020797
 


 ところでこれがワラビだとすると、ゼンマイってどんナンやったっけ。
どうもくるりときれいに巻いてるのがゼンマイで、ぐちゃぐちゃと巻いてるのがワラビのようだ。味は?というと違いが分からない。う~む情けない。
 よく水煮で売ってる茶色いのは何だ、あれはゼンマイかなあ・・・
 土喰庵あるじとしては随分お寒い話である。
 でもこごみは分かるぞ、やっぱり自分で採ってきて自分で調理しなきゃああかんということだ。反省。
 
【作業日誌 4/24】
薪割り

【今日のじょん】先日の車酔いの疲れもとれて元気な様子だったが、散歩時にやたら草を食べている。やっぱ調子悪いのかなあ。国松さんがひさびさに見て、「えらい肥満犬になったなあ」とのこと、毎日見てるとわからんのだがねえ。昨年同期とは1Kgの増加。P1020790

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

にがごり 4/23

2014-04-24 | 食・レシピ

2014.4.23(水)快晴

 四條畷の薩摩路さんで見つけた「にがごり」のしながき、「これってゴーヤの焼いたやつですか?」って聞いたら「そうです」と返ってきた。
 ゴーヤのことを薩摩ではにがごりっていうそうだから、必ずしも焼いたやつとは限らないようだが、薩摩料理でにがごりっていえば焼いたやつなんだろうか。
 とにかく「あれは苦くて美味いで」と言っていたら、先日の食膳にあがってきた。もう沖縄ではゴーヤが収穫されているようだ。
 焼いて、切って、鰹節かけて、いやはやお酒がススムくん。でも指宿の居酒屋で食ったにがごりは、まるのまま鰹節かけて出てきたように記憶しているのだが、、。
P1020786
 

「焼くのが一番苦みがきいてるな~」
 「たいしたことないやん」
 せいのないやっちゃで

【今日のじょん】最高にいい天気となった。桜は終わったけど、山桜はまだ残っているようで、山んなかにこんなにあるんやと驚いてしまう。じょんは写ってないので、先日村上さんにいただいた筍をご飯にしたときの写真をどうぞ。狙っているのは筍でなくて焼き鳥やけど、、、。P1020787 P1020774

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穴虫考(47) 奥武は葬地かー8 4/22

2014-04-23 | 地名・山名考

2014.4.22(火)曇り
 「奥武島」考を読むー⑧

 奥武は葬地か?というタイトルに答えるとしたら、葬地である場合が多いがそうとも限らないというのが答えである。奥武島についてはっきり言えることは、陸地からそう離れていない無人島で、霊力の高い崇高な島だということである。
 奥武の語源について、仲松氏の青、宮城氏の扇に集約されるのだが、それを判断できるだけの資料を持たない。ただ、扇については畦払についてのみの理解となるが青とすると霊力の高い島という広義の理解が出来るのではないだろうか。
 「南島の風土と歴史」にアブシバレーについて、とった虫は浜におりて海に流す。ニライカナイは豊饒をもたらす源でもあるが、害や不浄を追いやる彼方でもあると信じられたのである。と書かれている。神となるべき死骸と害虫とは相容れないようで、実は同一の思想のもとに、奥武島に流されたのではないだろうか。
 本土にある青島、蒼島、粟島、大島などが同一の状況にある事はどうやら確かなようである。地図を手繰っていけば地理的には驚くほど一致していることがわかる。葬地として存在したことも充分考えられる。ただ虫送りの島として存在しているかは確かめていない。
 若狭湾に浮かぶ青島(伊根町)蒼島(小浜市)も陸地からすぐのところにある無人島で、どちらも神社が祀られているのはやはり聖地とみられている証と思われるし、青島はかつて共同墓地があったと言われている。P1020781
 


本郷から津崎鼻と双児崎の間に見えるのはやはり蒼島ではなかろうか。
 本土の青島と沖縄の奥武島が同一のものであると考えたいがその語源が青であるか扇であるか、はたまた別のものかどうかは解らない。
「南島の地名6 仲松弥秀先生カジマヤー記念号」に仲松氏の後輩の書かれた「奥武島考」が載っているようで、早速購入した。読了語すぐに報告したい。おわり
【今日のじょん】恒例のうみんピアに行く。車の中で待ってられるのはこの時期が限界だろうけど、涼しい日なら大丈夫。帰りの黒石峠で酔ってしまった。ゲロゲロ。P1020784
P1020785


海を見ていたじょん兄、アップにすると白鳩が一羽みえるのだ。 
 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穴虫考(46) 奥武は葬地か-7 4/21

2014-04-21 | 地名・山名考

2014.4.21(月)雨
 「奥武島」考を読む④
 
 「島々清しゃ」には奄美沖縄の63の島についてコラムが掲載されている。わたしはこのうち12島を訪れているが奥武島は南城市の奥武島のみである。というのは沖縄諸島には11の「奥武」の名のついた島があるということだし、本書の中にも4ヶ所の奥武島が掲載されている。南城市、名護市、久米島の奥武島と奥武端島(オーハジマ)である。「奥武島」考は南城市の奥武島について仲松氏が書かれているのだが、それ以外は別の人が別の立場で奥武島を語っているので、奥武を知るひとつの手がかりになるかも知れない。
 名護市奥武島 
 名護市の真喜屋から奥武島、屋我地島、古宇利島へは立派な橋が架かり、観光名所となっている。
Img_2572


古宇利大橋(2007.2.20)
 一番手前の奥武島を通過する人は県道脇につづくお墓に驚くだろう。航空写真で見ても軒並みのように見えているのが全て墓地である。県道脇のものは比較的新しい墓だが、森の中や海岸端には古い墓が沢山存在しているそうだ。比較的大きな島なのに無人島の奥武島は実に墓だらけの後生(ぐそー)島なのだ。コラム筆者の橘薫氏は「知らぬが仏」というタイトルで、後生の島で大騒ぎする最近のキャンプ客などを「一晩中ご先祖様たちと語らうのだろうか。無事にこの世に帰ってこれるといいが。」と皮肉っている。
 そのことより気になる記事は、仲尾次(真喜屋の西の集落)では畦払(アブシバレー 虫送りのこと)の日、害虫を送る場所が奥武島だったことだ。このことは「沖縄地名考」宮城真治氏の説を裏付けるものでもあるからだ。

 島尻郡久米島町西奥武、東奥武(奥武島、奥武端島)
 久米島の東に列ぶ二つの島だが、奥武島には現在橋が架かっている。東奥武には橋どころか定期船も無く、船をチャーターするか干潮時に歩いて行くしかないそうだ。どちらの島も明治までは無人島であった。糸満漁夫などが定住し始めて、有人島となった。奥武端島は渡名喜島からの移住者がほとんどということだ。
 奥武島には天然記念物の畳石が有名である。
 さてこの奥武島は、セジ(霊力)高い、崇高な島とされ、人が住むようになってからも墓地は島内には造らず、必ず対岸に行って造ったという。これは現在でもそうだということだ。
 畦払(アブシバレー)については記述がないので何とも言えないが、葬地、墓地に関しては前述の奥武とはまるで逆の現象で、面食らっている。
つづく
 【今日のじょん】昨日はワンズゲームが降られずに済んで良かったと思っているのだが、今日は待望の雨が降った。おニューのレインコートがデビューするわけ。P1020778
 
おしゃれで着せるのも簡単、でもその分だけおしりや足が濡れるけれど、あれもこれもグッドというわけにはいかないよーだ。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穴虫考(45) 奥武は葬地かー7 4/20

2014-04-21 | 地名・山名考

2014.4.20(日)曇り
 「奥武島」考を読む③

 仲松説を端的に表すと、奥武島(おうじま)のオウは青、青は神の世界の色ということである。
 現代では神の世界と葬地、墓地は異質のものと考えられるようだが、かつては同一のものであった。例えば古墳などは確実に墓地なのであるが、神域でもあるわけだ。ましてや沖縄ではニライカナイの信仰と相まって、死者は神という観念が息づいているのだろう。特に洗骨(シーコツ)をして白骨になった場合、人間から神になったと考えるのではないだろうか。
 という風に考えると、奥武は葬地、墓地、後生(グソー)である場合が多いが必ずしもそうであるとは限らない。
 「奥武島」考を精読すると、南城市の奥武島が対岸の陸地から死者を運んだ葬地だとは書いてなくて、以下のように表現されている。
 
これらの例に基づきもちろん玉城奥武も古代には人の住む島では無く、ただ対岸の陸地から死人が運び込まれて葬された「青ノ島」であったと言うことができるはずである。
 ここでいう”これらの例”とは与論島では古代風葬の場を「青山(あうやま)後生」ということ、羽地の奥武島(名護市)は確実に古代からの葬地であり、安部オールー島にも古代墓があり、古代の葬地島であったということである。
 
ところがアフ(奥武)は、必ずしも死人の往っている場処だけに限ってはいない。として大宜味村喜如嘉にはニライカナイの神を送る神歌に「アウの神送りやびら・・・」とあること、久米島や慶良間の奥武島はニライカナイの神の滞留されている聖地であろうと考えておられる。つづく
Img_2979


 
那覇港の南、国道331号線付近にガンジャビラ(蚊坂)という旧跡がある。この坂を下って行くと奥武山(オウノヤマ)に至るが、ここは元々島であった。明治の地図では半島状になっているが、現在では完全に陸地化している。(蚊坂から那覇港方面、奥武山は右手下方となる。2007.3.4)

【作業日誌 4/20】
 薪割り
P1020773

少し片付いたかと思えばまたドンと来た

【今日のじょん】昨日は久々のゲンタが来じょんして思い切り遊んだので、ぐっすり寝たようだ。P1020769 P1020772

 ゲンタは若くて元気だねえ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穴虫考(44) 奥武は葬地か-6 4/19

2014-04-21 | 地名・山名考

2014.4.19(土)曇り
「奥武島」考を読む②

 「奥武島」考は玉城村(現在南城市)の奥武島について書かれたものである。半分は島の地形や住民に関すること、産業や交通について書かれている。その中に最西にワラベ墓地があったと書かれている。ワラベというのが単に地名なのか、子供を表すものか定かではないが、ウチナーグチではこどもはワラバーと言うそうで子供の墓であるように思う。最西端には半島状に突き出た干瀬のようなところがあり、ここのことを言っているのだろうか。
 そして奥武の語源については次のように述べている。
 
ところで、そもそも奥武なる地名や御嶽(うたき)は、「琉球国由来」(1713年)にはアホ、アフ、アウと表記され、「琉球国旧記」(1731年)には、そのほとんどが「青」とされている。かの安部奥武島は安部オールー島とも言われている。「オールー」とはシルー(白)、クルー(黒)のごとく、色彩の青を指す言葉である。これらのことからして現在奥武と表記されている島や聖地は、その根源を探せば青であったことが考えられる。
 しからば青とは一体何を表現色彩(ママ)かというと、赤(明)るい現世でもなく、といって暗黒や無の世界でもない、その中間的なウスボンヤリした世界、青空、青海、青葉や青い山脈といった世界で、その青の世界こそが「神の世界」と観じていた。それが我々の祖先の世界観であったということになる。我々の祖先は信じてきた。「人は死んだら神と成る」と。したがって死人を葬した処は神の国、すなわち「青の世」に成った。

 多分に観念的な論とも思えるが、仲松氏の奥武に対する説の核心である。つづく
Img_2912


この海の色に「神の世界」を観じたという。斎場御嶽(セイファーウタキ 2007.3.1)


【作業日誌 4/19】
草刈り、薪割り
薪運び(武吉町)

【今日のじょん】夜中に唸ってるなと思っていたら、朝起きてびっくり。ゴミ箱のゴミを出している。どーもストレスのあるとき、例えば留守番とか、、に出しているみたいだが、夕べはナンだろう?思い当たる節があるとすれば最近で始めたゲジゲジなんだが、さて。P1020766 P1020764

なんじゃこりゃ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穴虫考(43) 奥武は葬地か-5 4/18

2014-04-20 | 地名・山名考

2014.4.18(金)曇り 穴虫考(42)は2014.4.12
 「奥武島」考を読む①
   谷川健一著「日本の地名」にある沖縄の青の島の根拠となっている仲松弥秀氏の「奥武島考」を見つけた。「島々清(かい)しゃ」という奄美、沖縄、宮古、八重山の島々を紹介した本である。
P1020775
 

「島々清しゃ」と「日本の地名」
 沖縄の本というのは実に不思議な魅力がある。例えば京都ならば、京都本と言って京都に関するあらゆるジャンルの本が本屋さんの一画を占めている。ところが那覇の国際通りの本屋さんに入って驚いた、いわゆる沖縄本というのは京都本の比ではないのだ。もの凄い数の沖縄に関する本が書架を埋めている。しかも沖縄以外では見ることも聞くこともない本ばかりなのだ。数十年前の沖縄に通い始めた頃の話だから現在はどうか解らないのだが、沖縄には沖縄の独立した文化があると痛感した。今でこそインターネットなどで知りうることができ、普遍的な文化と言えようがその当時は沖縄の文化はその地に住む人々と訪れる人々だけのものだったような気がする。

 さてその沖縄本の一種で、沖縄に対する思いの深いこの本の中に「奥武島」考はあった。しかしこの本は奄美、沖縄、宮古、八重山の島々について、様々な分野の人がコラムを書いている本なのである。従って「奥武島」考は確かに仲松弥秀の書かれたものだが、期待していた論文としての内容が希薄なように思える。つまり、「奥武島」考は別に論文として存在して、本書ではコラム的に書かれたものだろうかという疑念が湧いてくるのである。
 ただ「日本の地名」にはほぼ同じ内容のことが書かれているので、谷川氏が参考にされた「奥武島」考は本書に記載されているものである可能性は高い。つづく

【作業日誌 4/18】
薪収集(水嶋さんの栗の木)
草刈り、薪割り

【今日のじょん】
予報では雨となっていたのだが、夜中に降ったみたいで朝にはあがっていた。早くレインコート着てみたいのだが、、、、。
P1020762


そうそう、綾部温泉リニューアル記念の割引券があるので(入浴半額、4名まで、7月いっぱい)必要な方はじょんのびに寄ってください。
おとーとおかーは早速?だワン。P1020763
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春を食す 4/17

2014-04-19 | 日記・エッセイ・コラム

2014.4.17(木)曇り

  かみさんが京都に出かけて、とある店で昼食をとったという。玉丼を所望し、飯がまずくて残してしまったという。多分わたしも何度か行った店だと思うが、特段まずいわけではなく、かといって美味い店でもなくごく普通の店だ。上林で6年、地元の美味しい米を食したら他所のお米が食べられなくなったということらしい。
 そんな感じで決して裕福な生活じゃないけれど、食生活だけは贅沢させてもらっている。新鮮な食材を作ったり、もらったり、採ってきたりで都会では絶対に味わえない味を賞味させてもらっている。
 この間の春の食をご披露しよう。
3月15日
 ふきのとう、ふき味噌、イカナゴくぎ煮
 ふきのとうは村上さんのオリジナル、ふき味噌の味噌の無い感じで、ふき味噌よりもふきの風味がきつい。

 ふき味噌は引原さんにいただいたもの。地元の食品らしく塩味があってご飯がススム君。

 イカナゴくぎ煮は中尾さんの恒例の品、絶品である。すぐに無くなってしまったのでスーパーで買ってきたがまるで味が違う。中尾さんのはこくがあって、後味すっきり。

4月6日 ほたるいか
 斎藤さんにいただいたもの。「新鮮だから生でもOK」と言われて生のほたるいかは初もの。湯がいても、沖漬けも最高。P1020657



4月11日 こごみ
 昨年の大雨で上林川も砂が出て、こごみの出が悪い。それでも頑張って生えているとことを採ってきて、サッと湯がいてゴマで和えてもらった。無料の食材で季節の味。P1020714


土手の下に生えてるのがこごみ。

4月16日 タラの芽、タケノコ、シイタケの天ぷら
 シイタケは自家栽培、その他は自然のものでしかも調理前までは生きていたもの、裏庭からちょいと採ってくるのは贅沢であり、田舎暮らしの真骨頂である。

P1020759



【作業日誌 4/17】
草刈り、草引き
薪割り
P1020761


随分頑張ったけど、まだまだ続きそう、そうこうしているうちに三ヶ所から薪あげるでというニュース。う~むなんか一年中薪と格闘してるみたい。

【今日のじょん】今年の桜は寿命が長い。特に上林は30Km近く谷が続き、順次高度が上がっているだけに、川下から順々に咲いていくようだ。奥上林ではまだ満開のところあるとか、、。
 ちなみに隣のしだれ桜は、有名な夜久野のそれよりも立派だという噂もあり、今年はとみに美しく、長く咲いた。それでもさすがに終盤となり、今日辺りから散り始めるかなと、記念写真をパチリ。じょんはおまけ。

P1020713 P1020760


4月11日と本日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 幽界と流人の島々を行く(下) 4/16

2014-04-17 | 雨読

2014.4.16(水)曇り

  同書上巻が期待外れだったので(2014.3.19参照)下巻は読まないでおこうと思っていたのだが、付記として姥捨て山に関する記述があるので図書館から取り寄せて読むことにした。
 「幽界と流人の島々を行く(下)」沢潔著 文理閣2001.9第一刷 借本
P1020734

 

 期待外れと言っても内容が稚拙であるとか浅薄であるとかということではなく、こちらの期待する事柄が書かれていないというだけのことなのでお間違いなく。
 そういう情況なので、本書を読破しているわけではない。盛りだくさんの目次の中から、興味がありそうな事柄のみを拾い読みしたということだ。
 拾い読みの
幾つかを紹介しよう。
 
愛宕の語源はアダコで、アダは嵯峨野の仇野(あだしの)のアダのようにはかないところ、即ち墓地を表す。
 これは「京都北山を歩く」にも書かれていて、そのように思っていたのだが、最近他の意味があるのではないかと考えているところである。
 
 
鳥辺山の「トリ」は峠のことをあらわし、いまの渋谷峠からずっと西方、平家の六波羅屋敷や六波羅蜜寺から鴨川東岸までを含む。これまた広大な墓地で、そこにいま六波羅珍皇寺があり、その南にロクロ(轆轤)町がある。ロクロ町は髑髏(ドクロ)町の意で、されこうべの意である。
 これも様々な本に書いておられることなのだが、髑髏町などという地名が考えられるだろうか。素直に轆轤師の町と解してはいけないのだろうか。
 
 
「やぐら」という珍しい墓
 
鎌倉・室町時代に作られた、崖面を四角形に掘り込んだ、サンマイ山とよばれまた、名もない貧者の共同墓地と呼ばれている。
 
やぐらという中世の墓は初耳で、興味が湧くのだが短文で今一つ詳細が分からない。
 さて肝心の姨捨山であるが、オハッセ(小初瀬)が転訛してウバステになったという吉田東伍の説を紹介しているほか、楢山節考や口太山(くちぶとやま・福島県阿武隈山系の山)山行について記しているばかりで、姥捨てということへの深い探求があるものではない。

Img_1280


遠野市のデンデラ野は蓮台野の転と言われている。60才以上の老人が共同生活をしたという。これも棄老の一種だろうか。(2006.10)

 この部分がやや不満なのだが、私自身は姥捨てというのは棄老の事実ではなくて、遺棄葬が伝説として広まったものではないかと考えている。

【作業日誌 4/16】
薪割り
下仁田ネギ(30本)植え付け

【今日のじょん】昨日イルマンさんで買ったドギーシェイクのレインコートがぶら下がっている。永年あやバスコートを愛用していたのだが、今回のは実にデザインがいい。早く雨が降らないかと思ってるのだが、こんな時はなかなか降らない。
P1020756
 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

休日と言えども 4/15

2014-04-16 | 日記・エッセイ・コラム

2014.4.15(火)快晴

 休日は基本的には休養をすべき日なんだが、田舎暮らしではそうはいかない。とにかく営業日には出かけるわけにもいかず月に一度ぐらいの買い物、用事外出が行われる。
 用事をため込んでいるので、あらゆるところへ出かけることになり、メモしておかないと訳が分からなくなる。今日の訪問先を見てみよう。
 郵便局:お金払い出し
 上新電機:ポイント付与、コピー用紙購入
 土手商店:ナンバース購入
 税務署:eータックス関連
 イルマンショップ:じょんのレインコート、おやつ、チャリティTシャツ
 プレートTAMURA:昼食
 中島本店:焼き豚購入
 マウンテン:レアチーズケーキ購入
 グリーンホームセンター:ネギ苗、プラグ、花苗購入
 高等技術専門校:講座申し込み
 京都銀行:入金
 綾部図書館:本の返還、予約
 ブール:食パン購入
 アスパ:食料品購入
 とまあこれで一日がつぶれてしまうのだけれど、まあいいかという感じ。
 P1020735 P1020736 P1020738
 



イルマンさんの光秀とハナコ。ハナコは雨の日は出てこないので久々、なかなかのべっぴんさんなのだ。盲導犬チャリティTシャツは結局赤いのになりやした。服に対して以前ほど嫌がらないのが予想外であった。
P1020742P1020743 


マックとマウイは駐車場からお出迎え、プレートTAMURAにはTシャツのままコンニチワン。
P1020744P1020748 
 


石原軍団御用達とかの中島本店の焼き豚、マウンテンのレアチーズケーキを所望する。
P1020754P1020755


少量でも竹の皮に包んでくれるのが嬉しい、レアチーズとチーズのケーキを食べ比べ、夜中には胸が焼けた。

【作業日誌 4/15】
薪割り
 【今日のじょん】本文に登場のためお休み
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 金属・鬼・人柱その他-2 4/14

2014-04-16 | 雨読

2014.4.14(月)快晴

 若尾氏の民俗学における最大の功績は、鍛冶師など金属に関連従事する人々が天目一箇(あまのまひとつ)神を初めとする片眼の神を信仰、祭祀する理由を、たたらのホド穴を見続ける職人が片目をつぶしてしまうことと結びつけたことであろう。今から思えば極当たり前のことなのだが、以前は著名な民俗学者もその理由が分からずに随分無理な説を掲げていたようである。
 このように若尾氏は本人も言われるように鉱山民俗学者、金属にかかる民俗学者だと考えていたのだが、本書の蟹地名に関する考察、人柱伝説に関する考察などから見て、広範囲で科学的な指向の学者であることが解った。
 蟹地名については、金属地名に詳しい地名研究者は、「蟹はカネで鉄のこと」などと簡単におっしゃるので、すっかりそのつもりでいた。実際に金属に関連するところに蟹地名が多いのである。
 ところが本書では、岸和田市の海岸地方の蟹守郷、木津川市山城町綺田(かばた)の蟹満寺に関する考察から、蟹は土砂の堆積した土地と解いている。沖縄、奄美で二番目に多い地名、兼久、金久(カニク、カネク)はまさに河口などの砂の堆積地のことなのである。
 また、発展して珠洲や金沢の地名についても考察しておられるが、実に見事な考察である。
 今一つは全国各地にある人柱伝説の意味を検討されたものだが、この伝説はかつての堤防や橋梁など水に関する工事の工法を伝えるものと解いている。
 これも実に見事な解釈で、例えば人柱で有名な「松浦佐用媛」は石塊を枠に入れて沈める非常に有効な工法なのである。
Img_4629
 

松江市の大橋南詰めにも源助柱という人柱伝説がある。この大庭の音のする石というのは築堤に使う勢子石(せこいし)といわれるものではないだろうか。(2007.4)

 氏も書いておられるが、如何に科学の発達していない時代であっても、人間を生きたまま埋めることで洪水が防げるとか、壊れない橋が出来るとかは考えないだろう。伝説といえども科学的に追求すれば、その本質が見えてくる。若尾氏は文献の中だけで考察されるのでなく、実に丹念に現場を見、また関係者、この場合なら工事技術者に工法や資材について聞いていることがわかる。こういう人こそ真の研究者だと思うのだが、、。おわり

【作業日誌 4/14】
草引き、草刈り
薪割り

【今日のじょん】体重が増えたせいか、歳いったせいか動作に機敏性が無くなった。「おいで~」競技させても昨年は飛ぶように駆けていたのに、いまではのそのそほいほい歩いて、終いにへたり込んでカイカイ始めた。あかんわこりゃ。P1020732

  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 金属・鬼・人柱その他-1 4/13

2014-04-13 | 雨読

2014.4.13(日)曇り

 「金属・鬼・人柱その他 ー物質と技術のフォークロアー」若尾五雄著
堺屋図書1985年7月第一版発行 古書
 なんとも不思議なタイトルの本なのだが、若尾氏の著書は内容も摩訶不思議なものである。若尾五雄氏にかかる本は「黄金と百足」「真言密教と古代金属文化」と本書を所蔵し、「鬼伝説の研究」を借本で読み、既に雨読で紹介したところである。当初氏の説には驚くべき突飛なものが有り、文章も不可解で理屈に合わないものが多々あり、雨読の中でも随分批判めいた論評をした。ただ、ことある毎に再読している間に氏の説が如何に科学的であるか、納得のいくものであるかが解ってきた。ただ、表現の仕方がすこぶる個性的なために、常人には理解しがたいことが多いのだろう。P1020725

 

若尾氏の著書は絶版で高価、今回は掘り出し物。
 氏が学問の世界、つまり民俗学の世界でどのような地位にあるのか計り知れないものがあるが、おそらくあまり認められていないのだろうと思う。しかしながら地名や伝説に関する研究は現地、現場重視、常に科学的に推論を重ねておられ、学界の大先生のへりくつ論文よりもわたしたちアマチュアにとっては興味もひくしなにより魅力的なのである。
 若尾氏が産婦人科医というのも嬉しい。この分野では専門の学者以外では学校教師、博物館等の職員、公務員などが多いのだが、産科の先生というのは他に例を見ない。
 金属、鬼に関する記述は既に紹介済みの部分があるので、人柱その他の部分を紹介してみよう。つづく

【作業日誌 4/13】
草引き、薪割り

【今日のじょん】今日は舞鶴のナナちゃんがドッグランどにやってきた。リピートのお客様がお越しになるということは大変嬉しく、励みになる。また、当初慣れなくておとなしくしていたワンが次に来て走り回る様子は大変嬉しい。イネ科の雑草にうんざりしていたのがまたやる気が湧いてくる。
P1020723 P1020724



パピオンのナナちゃんかわいいですネ、ピコも久しぶりに来じょん。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする