晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

究極のAAウオーキング-6 1/29

2018-01-29 | 寿命延ウォーキング

2018.1.29(月)曇り、雪
 豪雪で開店できなかったじょんのびを今日は開店しなくてはいけないので、福校合唱部OBの出場する合唱祭には行けなかった。西澤さんの夢に応えられなかったのは残念だが、偶然としてはあまりにも出来すぎの来客があった。合唱部で同じテナーパートだった米本君の奥さんが娘婿さんと孫さんとで来じょんされたのだ。米さんが亡くなって5年余り、奥さんと顔を合わすのはおそらく30数年ぶりだと思う。奥さんが元気そうなので安心したが、かわいい孫さん二人を見ていると米さん生きていたら良いおじいちゃんになってるだろうなあと思ってしまう。わたしがこのブログに書いたせいか笠置のボルダリングエリアの話題が出た。(2013.3.11参照)映画になったり、町のテコ入れもあって超人気のエリアとなっているようだ。二人で誰もいない河原に毎週毎週通っていたころが懐かしい。「町長さんに頼んで、米さんの名前の残る記念ルートでも作ってもらいましょうか」できるかどうかわからないのだけど、ずっと前から考えていたことではあるのだ。
 
 米さんの孫さん、じょんはたじたじ。

 究極のAAウオーキング-6

 ゴーロ歩きが骨に衝撃を与え、アンチエイジングに有効であることは解ったが、あくまで正しい歩行の応用編であって、正しく歩けることが必要となる。また日常の習慣としてゴーロ歩きだけをするのも問題である。一般のウオーキングにプラスして行うべきである。
 寿命延ウォーキングでは応用編のもう一つにインターバル速歩を設けている。ウオーキングを始めて正しく歩けるようになったら、インターバル速歩を取り入れなさいと指導してきたが、果たして何人の方が実践しておられるだろう。おそらく皆無だろうと思う。
 わたし自身もたまにやっていたが、習慣付いているとはいえない。その必要性が解っているのにやれないのはいったい何なんだろう。それははっきりしている、面白くないのだ。
 ここに大変興味深い本がある。「自転車で健康になる」(中村博司、髙石鉄雄著)タイトルのとおり自転車に乗って健康になろうという本だが、自転車たって運動としてスポーツとしての自転車であるが、健康づくりにはある程度の運動強度が必要という内容で、自転車と歩行とを比較して、歩行よりも自転車がいいぞというものである。運動強度や心拍数、消費エネルギーなど科学的に分析し、歩行と自転車を比較されている。寿命延ウォーキングではウオーキングの効用をメンタルな面などあらゆる方面から追求してきたが、運動という視点でのみとらえると、この本の言っていることも一理ある。

 自転車とウオーキングを対比されているのだが、どちらもやってるわたしとしてはどちらがいいかという問題ではないのだが、、、
 腰痛対策でウオーキングを推奨されてきた先生方も当初は歩行、次には速歩、そして最近ではインターバル速歩を推奨されている。これは明らかに運動という意味でのウオーキングの弱点を補うものだと思われる。
 それならいっそジョギングすればいいじゃないかということになるが、ウオーキングも習慣付かない人がジョギング出来るはずもないし、ジョギングが出来るような人ならウオーキングで健康づくりなどと考える必要も無いと言うことだ。

折山峠忠側入り口、左へ行くとゴーロ道
 そこで原点に返って、人類が最も多くの時間歩いてきた形態は何かと考えてみる。それは舗装道路でも、ダートの道でも無い、山や野原をめぐる自然の中だろう。そこで狩りをしたり、木の実を採取したりする期間が何万年と続いたはずである。人類の進化の過程で、その行為にこそ健康と長寿の要素が与えられたのではないだろうか。そんな歩きを現代で身近に再現しようとすれば、それは里山歩きである。身近にそんなコースはないだろうか、と考えるとなんとゴーロコースのすぐとなりに折山峠(おりやまとうげ)の道がある。つづく

折山峠念道側入り口
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

究極のAAウオーキング-5 1/28

2018-01-28 | 寿命延ウォーキング

2018.1.28(日)曇り ー2℃

 降雪が始まって以来初めて出かけた。夕方に綾部温泉に行ったわけだけど、試しの意味でチエンを装着していく、なんと40年ぶりだ。。装着の時間はどのくらいかと計ってみると10分であった。慣れればもっと早くなるだろうが、慣れることは無いだろう。
これ着けるのに5分、両輪で10分。

 家の前の府道はすっかり地が見えているが、奥に行くほど雪が残っており、大正解。ところがプラチエンといえどもこの振動はどうよ。雪面ならばいいが、路面が出ているところは堪らない。もちろんチエン着けてる車は我車だけだったが、それ以外のスタッドレス車の運転の下手なこと。明らかにスタッドレス過信症である。普段と同じスピードでがんがん走ってくる、40キロで走ってるとあおられるのである。我々スタッドレスもABSも無い時代のドライバーは雪道の怖さ、走り方を心得ている。リスクを考えない上林のドライバーの下手な運転にはあきれかえる。

綾部温泉はこのとおり、夜にはキャンドルも点いてオシャレ。

 究極のAAウオーキング-5

 ゴーロ歩きに大きな効果があることは解るが、まずい点もある。一つはどうしても下を向いて歩くことだ。寿命延ウォーキングでは15mほど先に視点を置き歩くと指導している。下を向いて歩くと姿勢も悪くなるし、筋肉に不要な疲労を生むことになる。ここで人類のかつての歩きを考えてみる。もちろん舗装道路はないし、平坦な道も無い。あっても獣道ぐらいで傾斜や障害物の多い野山を歩き回っていたわけである。その時に彼らは下を向いて歩いていただろうか。狩猟採取の生活で、獲物を追うとき或いは外敵に追われたときに下を向いて歩いたり走ったりしていては間に合わない。山歩きをしている際だって、ミスコースするときは足下にとらわれているときだ。きっと現代人だって先を見て障害物の多い所を歩く能力は残っているはずだ。
 そう考えて、先を見ることにして連日ゴーロを歩いてみる。そうするとつまずくは、浮石に乗るは、足をねじるはで危険極まりない。何日かたつとある程度スムーズに歩けるようになってきた。その際の視線をよく考えてみると、姿勢は変えず遠くを見ているが時折近くに視線を送っている。車のドライバーが姿勢は変えずにあちこちに視線を送ってるのと同様である。これでいいのだ、獲物を追う縄文人だってそうやって走っていたのだろう。そしてもっと慣れれば、遠くに視線をおいていても足下の画像は網膜に映っているはずだから、それを察知して行動できるようになるのではないだろうか。ウオーキングにある種の目標が持てることは大変好ましいことである。

こんなゴーロを平地と同じように歩ける様になれば最高。
 もう一つは初心者には足を痛める危険性が高いことだ。わたし自身は何十年も山歩きを続けているので、ゴーロを歩く為のバランス感覚、転びそうになったときの対処法、足周辺の骨や筋肉の強さもあろうかと思う。ところが一般の人、例えウオーキングをされている方でも平坦な舗装道路ばかり歩いておられる方には相当な無理があろうかと思われるし、そこで故障でもされたらいったい何のためのウオーキングかと言うことになる。そこで登山で使っているストックなどを導入してみようかと考えている。
 もう一つは靴である。当初はウオーキングシューズで歩いていたのだが、これは結構足底が痛い。またサイドや甲が軟らかいので足を痛めやすい。トレッキングシューズに変えてみたのだがこれはなかなかの優れものだ。問題は基本的な歩きは舗装道やダート道を歩くのでウオーキングシューズがいいのに決まっている。最近トレッキングシューズタイプのウオーキングシューズが出ているという、これも研究の余地がありそうだ。

トレッキングシューズとウオーキングシューズでは靴底、サイドにかなりの差がある。
つづく
【今日のじょん】じょんはこれが怖いのよね。

しばらく我慢してネ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

究極のAAウオーキング-4 1/27

2018-01-27 | 寿命延ウォーキング

2018.1.27(土)雪 夕べからの降雪23cm、11時現在の積雪64cm

 3日目の今日も降り続いた。今日は福高合唱部の総会で明日は合唱祭である。50余年歌っていないので声も出ないのだが、幹事の西澤さんの夢の実現に応えようと参加を申し出た。個人で練習もしていたのだが、合同の練習会は2回とも雪のため行けず、本番も予想外の豪雪で行けなくなった。とても残念だが致し方ない。

 究極のAAウオーキング-4

 NHKスペシャル人体③骨の話は以上のように沢山参考になることがあったのだが、山中教授の話に唯一納得のいかない事項があった。それは骨に衝撃を与える運動について、ジョギングやウオーキングがいいというのは解るのだが、「水中ウオーキングや水泳もいいですよ」と言われたことだ。コードウェルの話で自転車に乗ることが骨に衝撃を与えないとしているのに水泳や水中ウオーキングが骨に衝撃を与えるだろうか。
 とにかく骨に衝撃を与える運動が若返りに繋がるということは、寿命延ウォーキングも方向を考えねばならないと言うことだ。寿命延ウォーキングでは筋力、心肺機能の増強にインターバル速歩、認知症予防に引き算ウオーキングなどを応用として紹介してきた。しかし骨に衝撃を与えるウオーキングをすれば、これらは必要なくなるわけだ。そこで以前から考えていたウオーキングを改良して究極のAAウオーキングとして確立しようと取り組んでみた。
 それはいつも歩いている堤防が先の台風で決壊し、通れなくなったことに始まる。道は完全に使えなくなったので、ルートを変えたり、河原に下りて荒れた石の所を通過するかしていた。ところが他のルートは舗装道路ばかりになり面白くない。河原のルートは歩きにくいが、実はこれがなんとなく楽しいのだ。

台風の影響で堤防上の道が通れなくなった、下に降りて河原を歩く。
 いろんな方向に力がかかるので、あらゆる筋肉に作用していると考えられる。それに足裏全体に刺激が与えられるので、足裏のツボに効きそうだしバランス感覚を養うにはもってこいだ。そして何より基本的な考え方、人類がずっと歩いていた方法に近いということで、この河原歩きを取り入れられないかと思うようになった。するとその対岸に理想的な河原(ゴーロ)が見えるではないか。距離にして200m、往復400mほどのゴーロ歩きが出来る。

決壊箇所の向かいに絶好の河原が見える。実際はこの通り。
 実際に歩いてみると結構大変である、つまづいたり滑ったり、浮き石に乗ってバランスを崩したり、呼吸も乱れてくる。入浴時に点検すると足首周りが疲れていること、足裏に痛みのあることがわかる。歩いているときは足裏がすごく温かくなっていた。つづく

【今日のじょん】朝はまずじょんのうんP場所を雪かきするんだが、さっさとどっか行ってやってしまう。それから探すのが大変なのよね。雪解けとともにうんPが出てくるのはなんともやるせない。

せっかくかいてやってんのにどっか行っちゃうのよね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

究極のAAウオーキングー3 1/26

2018-01-26 | 寿命延ウォーキング

2018.1.26(金)雪 昨夜からの降雪量23cm、10時現在の積雪量51cm

 峠を越したと言われる雪が今日も降り続け昨日以上の降雪となっている。連日の雪かきとなったが、かいた後にもう積もっているのでやるせない。三途の河原の餓鬼が石を積んでは壊される姿はここから来たんじゃないかと思わせる。ウオーキングが出来ないのがつらいのだがそれ以上にこんな時に沢山の用事があるのがなおつらい。市長選だってそうだ、多くの人が投票できない状況に陥りそうだ。
 一票に 望み託して 雪をかき (うとく)

午前中は51cmだったが夕方には60cmを越えてしまった。
さてAAウオーキングの記事をどうぞ
 4 骨折等で歩けなくなった老人の老化が急に進むわけ
 大腿骨近位部の骨折等で歩けなくなった途端に老化が進み、寝たきりになったり認知症が進んだりということがよく言われる。「こけたら寝つくで、こけんようにしなよ」この地方ではこのように言って注意されている。「老いは足から」といわれるのも老いが足から現れるのではなく、足を使わなくなると老いがやってくるということだろう。でもそれって何でだろう?それこそ骨に衝撃を与えなくなった途端、体はもう使命は終わったよというサインを出すからだ。骨に対する衝撃って別に足でなくってもいいと思うのだが、どうなんだろう。薪割りは腕の骨にかなり強烈に衝撃を与えるが、これは一般的な動作では無い。木こりだってまさかりでやってるときは衝撃はきついが、これも今では無い。今はチエンソーになっているが、白蝋病などの障害が出るばかりで、若さを保つ衝撃ではなさそうだ。手腕に最もきつい衝撃を与えているのは鍛冶屋さんかな。わたしの生まれた町には3人の鍛冶屋さんがあったが、どなたも元気なお年寄りの印象があるのだが、やはりあの衝撃はきつそうだ。結局理想的な骨への衝撃は歩くことなのだろう。

 5 寿命延ウォーキングでは、人類の進化の過程で最も多く行ってきた動作が健康長寿に貢献すると考えてきた。人類が今日までに最も多くの時間を費やした動作は、寝ることと立って歩くことだと考えられる。座位は食事、休憩ぐらいで極少ない時間だろう。それが現在では歩く時間が極端に少なくなって座る時間がそれを越えるようになっている。そのことが腰痛などの不具合を起こしていると考えている。
 骨に衝撃があたるとそれを感知して、骨や筋肉が増え、記憶力がよくなり、免疫力が高まり、精力まで増すというのは実は進化の過程で必然的に生まれてきたわけで、寿命延ウォーキングの考え方が理にかなっていたと言うことだ。つづく

【今日のじょん】雪が積もるとおしっこウンピが大変になる。なんとか家の中でさせようと努力しているが、うまくいかない。外でやるにしても妙にややこしいとこに行ってやるので、後始末が大変。

 
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪かきくけこ’18 1/25

2018-01-25 | 日記・エッセイ・コラム

2018.1.25(木)雪
 今冬は降雪回数は多いのだが積雪は少なく、雪かきをすることもなかった。今冬8回目の降雪かと思うのだが、ついに30cm越えとなってしまった。

 まあ仕方の無いところか。上林念道午前11時で33cmで、その後断続的に降り続いた。終日雪かきで車が出入りできるようになったのだが、今夜も降るそうで明日も雪かきが予想される。じょんのびの雪かきで困るのは、機械が使えないことだ、なんてったって下がバラスだもんだから吹き飛ばすタイプのはフィンが壊れそうだ。押すタイプならいけるかもしれないのだがこれは自治会に無いようだ。自分で購入する勇気も無い、年に数回使うだけに大金を使うわけにもいかない。てなわけで雪ハネでこつこつやっているのだが、例によってトレーニングと意識してやってるので苦痛では無い。
 今日の雪はいつになくサラサラのパウダースノウで効率はすこぶるいい、それでも広すぎる庭なので5時間はたっぷり雪かきくけこ。ようやく車の出入りが可能になったのだが、問題は残る。実はほとんどの部分に傾斜があり、スノウタイヤを履いていても二輪駆動では取り回しが大変なのである。とにかくバックでは方向が定まらないし、前進だって登りのみ、それも止まったらだめなんだからどうしようも無い。
 そこでだ、10数、年前に買ったゴムタイヤチエンを使ってみることにした。ボルボに乗ってるときスノウタイヤは要らないしてんで買った物で、一度も使ったこともない。あの鈴鹿峠の大雪でさえノーマルでやり過ごしたものだ。(チエンは積んでいたけど、着ける機会がなかったのだ。)仮に取り付けたとしても途中で放り出してるだろう。ゴムチエン、いやプラチエンとでも言うか、本当のチエンより取り付けは簡単になっているが、習わないと着けられるもんでは無い。

取り外しも結構大変なのよね。
 それを着けてみたのだ、しかも雪の中で、、、、。悪戦苦闘の末着けたんだが、その効果たるや抜群、坂でも雪でもスイスイ。昨年の大雪に使っていればよかった。あの大雪の日にスノウタイヤ履いていても、ずるずるフラフラ、対抗車に向かっていてもどうしようも無いんだから。それでも止まらずにゆっくり進んでいればなんとかなるんだけど、山家で国道から府道に入ったあのカーブの坂道で除雪車が前方にいたもんだから最悪。一番坂とカーブのきつい所で止まったもんだから、、、、結果はわかるでしょ。
 そんな時もプラチエン着けてりゃ楽々、、、。みなさんスタッドレスに頼り切ったらえらい目に遭いますよ。あれさえ履けば無雪期と同様に走れると思っている御仁がいらっしゃるから驚きだ。チエン、もう一度見直してもいいかも。
【今日のじょん】

結構りりしく写っているけど、実はへろへろ、「昔はラッセルラッセルよー遊んだのになあ」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

究極のAAウオーキングー2 1/21

2018-01-22 | 寿命延ウォーキング

2018.1.21(月)雪
 2 貧乏ゆすりが軟骨を作るわけ
 一生寝たきりにならない体は「貧乏ゆすり」でつくる!と言う本を読んで(2016.2.28参照)以来貧乏ゆすりを続けている。そのおかげか膝の痛みは随分よくなった。本の中身は貧乏ゆすりを続けると軟骨が再生するというものである。確かに軟骨が再生するデータは示されているのだが、その根拠が解らない。本の中にも書かれていなくて、どうやら先生も解らないらしい。・老けない体をつくり・血行を促進し・ストレスを解消し・いつまでも健康になるというのが結論なのだが、その根拠が今回解った。骨だって軟骨だって同じような状況で増えるのだろう。骨に衝撃を与えると言うことがキーポイントだ。

 余談だが今日の週刊現代の広告に「もうED薬には頼らない、1日10分貧乏揺すりで自立した男になる」という記事を見つけた。骨の出すオステオカルシンが男性ホルモンを増やすと言うものではないだろうか。

貧乏揺すりというよりジグリングって言ってよ。
 3 相撲取りが四股をふむわけ
 元・一ノ矢氏の「すごい腰割体操」を読んでから腰割は毎日行っている。最近では脊椎と頸椎のS字カーブを作る上半身、腕の動作をミックスさせた寿命延腰割(自称)を日に30回~50回行っている。
 四股は西京都病院の中井先生に勧められて日に10回程度行っていたが、今回その効能を知り、30回に増やした。それまではなぜやるのか理解していなかったのだ。寿命延ウォーキング教室の生徒さんにも勧めていたのだが、「なんで?」と聞かれると、「う~ん、バランスをよくするためかな~」なんて答えていた。
 骨に対する衝撃と言うことを考えれば、これほど衝撃のある動作もあるまい。相撲取りは一日に何百回何千回と四股をふむそうだ。
逆に彼らがランニングをしている様子は見たことが無い。相撲取りは四股によって、骨を作り、筋肉を作り、柔軟性をつけ、バランスをよくして、倒れない強い体を作っているのではないだろうか。四股をふむとその後妙にスッキリと気分爽快になる。これは理由はわからないのだが、ストレス解消にも効果があるのでは無いだろうか。
 4 中学校での栄養調査
 中学時代(50数年前)に全校対象で某大学の栄養調査がなされた。僻地の生徒の栄養や体格、体力などを数日にわたってなされた。家での食事、弁当の中身、その他運動や生活の状態など徹底的に調査された。結果は予想通り栄養も体格も体力もよろしくなかったようだ。特にタンパク質、カルシウムなどが低く、体格もかなり低かったようだ。そしてその対策として始まったのが昼食時の牛乳と縄跳び体操である。田舎のこととて牛乳を飲んでいる家庭はほとんど無かっただろうし、地元の牧場の好意で安く提供してもらったようだ。縄跳び体操は飛び縄をつかっての徒手体操を含んだいわゆる縄跳びで、毎日朝礼の前に全校で行った。牛乳はともかくなぜ縄跳びだったのだろうか?骨にトントントンと衝撃を与えることが、骨と筋肉を作り体格体力の向上に繋がることが、その理由はともかく経験的にわかっていたのではないだろうか。

飛び縄、480円で骨、筋肉が鍛えられる。やるやらないはあなた次第。
【今日のじょん】モモちゃんだけが来じょんワンコになってきたのでカワイイ写真見したげる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅原を訪ねる-2 1/20

2018-01-20 | 上林たんけん隊

2018.1.20(土)曇り

 今回の目的の一つは、通谷から石橋(上林城城下)まで峠を歩いてみたいというものだった。特に石橋側の谷が足谷というらしいので、どのような谷か見てみたいという気持ちだった。だからミスコースは大きな痛手で、後から地図を開いてがっくりきた。それにしてもその峠道の取り付き付近で最初の休憩をしていたようだ。もちろん道標など有るはずも無いのだから解らなかったのだが、瀬名の三叉路の所にあった大石と同様の石が道ばたにあったのを思い出す。

周囲に見当たらない石が置いてある。
 ひょっとしたらそれが道標代わりだったのだろうか。角の取れた庭石にでも良さそうな石だったのだが、通谷の上流には結構転がっているようだ。通谷の途中にはもう一本馬場に向かう峠道が合流しているのだが、これも気にしていなかったためか見つからなかった。次回は石橋に抜けて馬場から帰ってこようかとも思うが、果たしてルートは見つかるだろうか。

例のきれいな石がごろごろしている。
 さて帰りは左岸に古い道を探すべく下っていく。明治24年陸地測量部の地図では左岸の道は現在の一区小山方面からの道と西河内(京丹波町)に向かう堀尾峠への道があるのみで、浅原の主要道はやはり右岸である。近世後半の道はこの通りと思われるので、それ以前の道を探すのは困難なようである。
 余談だがこの堀尾峠、浅原の小字堀尾に由来するものかと思っていたら、和知の西河内にも堀尾がある。峠の両端に同名の地名のあるのも珍しい、単なる偶然だろうか。
 すると田んぼの上になにやら道状の段が見える。あわててMTBを置き、斜面をよじ登る。この時期は草茫々の心配も蛇や虫の心配も無い。期待の道はやっぱり用水路だった、しかも水路はポリの筒で出来ており、最近のものと解る。

林の中に道発見、水管が通っていて残念。
 もっとももとは溝を水が流れていたのだろうが、そのもとが道と判断するには無理がある。妙に水平に走りすぎているのだ。やはりもともと右岸の道が主要道なのだろうか。平安京のように古地図が残っているところは何かと調べやすいが、地方の山奥となると昔のことは想像するしかないようだ。おわり

【今日のじょん】今年の雪はこの地方は幸い、回数は多いが積雪量が少なくすぐに解ける。

14日今冬最大の積雪、5cmが16日には皆無となる。でもゆめゆめ油断めさ
るな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅原を訪ねる-1 1/12

2018-01-12 | 上林たんけん隊

2018.1.12(金)快晴

 各地で大雪が伝えられているがどういうわけか中丹地方は好天続きだ。折角の休みなので午前中をMTBで浅原探訪にあてる。執筆中の浅原の地名考の取材や確認のためだ。
10:40 じょんのび出発

11:15 通谷出合い
11:52 堰堤先林道崩壊部分で折り返し
12:50 帰宅
 勢名(せな)から下りてきた三叉路先で小さな洞穴といくつかの地蔵さまを発見、何度も通っているところなのに気がつかなかった。洞穴は貯蔵庫としては小さく、どうやら水場らしい。

道の脇に大石と洞窟と地蔵様を発見。
 現在浅原の主要道は浅原川右岸である。近世の後半には此路があったと思われるが、それ以前はどうだっただろう。右岸は川と山腹が近く、しかも表土の下はすぐ岩盤で索道はかなり困難だと思われる。それに比べ左岸は、傾斜が緩く、表土も厚そうだ。当初の道が造られるとしたら左岸ではないかと考えている。なにか道の跡らしきものが左岸にないものかと常に考えている。今回発見の地蔵は右岸にある。この場所は忠(ただ)から峠を越えて降りてきたところだ、城下に向かうには、この地蔵さまのところを右折し、岩ノ元から通谷の峠を越えて行ったと思われる。 道標でもあればと思うのだがそこに有る大石には何も書いていない。公民館を過ぎて桜並木の辺りに来ると道の上部にユリ道が見える。ひょっとしたらこれが昔の街道かなと写真に納める。道はどんどん登っていき、ユリ道らしきものは段々近づいてくる。やがて合流してその正体がわかった。用水路である。

上部に古いユリ道らしきもの発見、でもそれは用水路だった。
やはり右岸に古い道はなかったのだと安心する。続いて左手に三宇の祠があるところに着く。その向かいにある二対の岩が陰陽を表しているように思えるのだが、考えすぎだろうか。葛禮本神社に陽物の石棒があるのだが、これが縄文時代から浅原に在ったかどうかは別として、石棒が縄文時代に遡る信仰あることは間違いない。この大岩が陰陽を表しているとすれば、古い信仰が残っているといえる。

 気になるのは、この新しい三宇の祠はあちこちに祀られているものを持ち寄って建てられたという事を聴いていることだ。新たなお祀りの場所だとすれば古い信仰なんて関係なくなる。とそのとき、見上げた先に朽ちかけた二宇の祠を囲んだ建物が眼に入った。この場所も何度も訪れているのだが、この祠には気がつかなかった。この二つの神様は古くからこの地に祀られていたようだ。

陰陽を表しているか?新しい祠の上部に古い祠を発見。

 岩ノ元まで来て周囲の山を見渡す。その地名の謂われとなりそうな岩がないか見るためだ。冬になって広葉樹の葉が落ち山肌が見やすくなっている、それでも岩は見つからなかった。顕著な大岩はなさそうだ。続いて通谷に入っていく。林道が続いており、MTBで充分行けるが、先の台風で道が荒れており、倒木もあって乗っていくのは厳しい。

岩ノ元の上部に大きな岩は見当たらない。 
 帰宅後に地図を開いて解ったことだが、実は大きな勘違いをしていたのだ。大栗峠方面に伸びている大きな谷が本谷で、上林城下の石橋に向かう峠道が通谷かと思っていたのだ。峠道に向かう林道かと思い、どんどん進むがきりが無い。とっくに峠に着いている距離なのに、未だに谷川のそばの林道を歩いている。

通谷の林道、通谷から本谷方面を望む。
 地図もコンパスも持っていたが、ついぞ開くことはなかった。見ればすぐに解ることだったのだが、思い込みとは怖ろしい。やがて道が大きく崩れ、雪も深くなってきた。午前中の予定だったので、ここで引き返す。

けども行けども林道は続く、ついに崩壊して引き返す。
つづく
【今日のじょん】冬にはドッグランどの訪問犬が無いのでさびしい。唯一ニューモモちゃんだけが来てくれるのだが、腹ぺこじょんがモモのご飯を食ってしまった。モモのあきれた顔。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

究極のAAウオーキング-1 1/10

2018-01-10 | 寿命延ウォーキング

2018.1.10(水)曇り

 7日のNHKスペシャルの放送を出先で見て驚いた。「人体③”骨”が出す最高の若返り物質」骨が出すオステオカルシン、オステオポンチンなどの物質が若さを司っているというものである。脳に行けば海馬を刺激して記憶力を増強する、筋肉に行けば筋力をアップさせる、精巣に行けば生殖能力をアップさせる、そして免疫力をアップさせるなど、いわゆるアンチエイジングに最も有効な作用を行っているというものである。
 また骨は常にスクラップアンドビルドされていて、3~5年で生まれ変わっているという。これもスクレロシチンという物質が関わっていて、そのバランスが崩れると異常に骨化が進んだり、骨量が極端に減ったりする。最も感動的なことは、これらの若返りの物質を分泌させたり、骨量を適度に増やす作用は「骨への衝撃」によってなされるというものである。実はこのことはうすうす気付いていたのだが、どうも根拠がわからなかったのだ。
 このことを分かり易くするために、世界的な自転車選手のコールドウエル選手の例を挙げていた。事故で一線を引いたように思っていたが、実は骨折をして再起できない、つまり20代の彼の骨は80歳代の骨だったそうだ。あれだけトレーニングを積んだ彼がなぜ、それは自転車の乗りすぎだって。彼は自転車のトップ選手目指して子供の時から自転車ばかり乗って、他の運動はしなかったそうだ。つまり彼の骨には衝撃が与えられなかったのだ。今はランニングなどのリハビリを続け、随分回復しているそうだが、いつか元のように活躍して欲しいとは思うのだがどうだろう。
 このことで今まで解らなかったことの多くが判明した。
1.わたしの骨量が多いわけ


 わたしの骨密度は20代の平均値よりもはるかに高い。喜ばしいことだがその理由は解らなかった。特別に乳製品や小魚の摂取が多いとは思わない、運動はそこそこしており日に当たることも多い、でも遺伝的要素があるのかなあと思っていた。今はっきりしたことは、骨に衝撃を与え続けてきたことである。子供時代は田舎のこととて歩き回ることは現代の子供以上かと思う、中学はバスケット部でこれは衝撃が大きい。高校時代は何も運動してないが、大学から登山を始め、働き始めてからは登山、マラソン、トライアスロンとまあ衝撃だらけである。最近は登山とウオーキング、水泳をやっている。水泳は衝撃はないが田舎生活そのものが骨には衝撃を与えている。骨への衝撃は足に限らないだろうから、薪割りなんぞは腕に衝撃がかなりあるはずだ。これじゃあ骨量が多いはずだ。

今年に入って左のスパンを割った、何回斧を振るっているだろう。
つづく

【今日のじょん】毎日ごろごろ寝てると、老化すんだよ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

血圧の真実 1/8

2018-01-08 | 健康

2018.1.8(月)雨

 直近の健康診断の血圧は134/77で、「高値なので3ヶ月以内に受診してください、塩分を控え野菜を多くとり適度な運動を心がけましょう」とある。これってどうよ、本当に受診したらどういうことになるだろうか。再度計って「これ飲んでください」って薬出されるのだろうか、それとも「こんなのどってことないですよ
、適当に運動でもしてください」っていわれるだろうか。興味のあるところだが、それほど閑人ではないので受診はやめておこう。大体血圧は家庭で計る値が正当で、病院や検診会場ではマイナス10するってのが常識じゃないの。じゃあ家庭で計ったらどうかというと、正直昼の時間帯は130台が多い。ではそれが高血圧なのか、高血圧学会の基準では正常高値というらしい。アメリカの治療基準は60歳以上で150ー90以上ということだ。日本の場合は厳しいということで、どうも製薬会社の圧力が感じられるのだが、、。
 血圧の測定は24時間続けるべきとか言われてきて、メーカーからも機器が売り出されてきている。まめに朝昼晩計る人でも就寝中は無理だろうからね。まあ朝晩毎日計ってそ、それなりの傾向をつかむのがよかろうと、計り始めるがこれが実に退屈で邪魔くさい。時々忘れたり、いったい何のためにやってんだろうと疑心暗鬼になる。そこでいつものように実験を始める。まず1回目は準備なしにいきなり計る、2回目は唾液を出す顔のマッサージをし、マインドフルネスをして笑顔を作って計る、3回目は嫌なことや腹立つこと、不安なことを考えて計る。そうすると実に面白い結果が出てきた。例えば今年元旦の例、「5:40 121-72-57、○113-73-58、×120-67-56」これが早朝の一般的な形で朝の仮面高血圧の心配は無いと言うことと、意識のある間は血圧は自分でコントロール出来ると言うことだ。マインドフルネスと笑顔で10は下げられる。日常の中で特に血圧が上がるのは運転時だと思う。先日遠くの会場へ高速道路を飛ばして健康診断に行った人が、とんでもない血圧の数値が出て、ちょっと休んで計り直したと言うことを聞いた。イライラしやすい、カッとなりやすいのが運転である。そんな時笑顔を作って深呼吸をする、これが血圧サージを防ぐ絶好の方法ではないだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四塚-6 1/6

2018-01-06 | 上林たんけん隊

2018.1.6(土)雨   四塚-5は2017.11.25
 四塚は四つの墓場、葬地があることを前提に考察してきたが、四つにこだわらない他の意味があるのではないかという思いが常につきまとっている。四塚と言われる地域は羅城門付近とされているが、その辺りにこれまで考察してきた塚は無い。経塚(唐橋経田町)、琵琶塚(唐橋琵琶町)は四ツ塚町に隣接しているが、狐塚や光明塚(唐橋井園町)はずいぶん離れている。勝田氏もこのことに関しては気にされており、「四塚という地名は中世都市における境界的な場、刑場、墓地を意味するのではないか」という丹生谷哲一氏の説も紹介されている。

羅城門跡は公園となっているが本来の位置は振り返った九条通の真ん中辺りだそうだ。
 勝田氏は結局四つの塚があることと考えるのが妥当とされているが、わたしはそれ以外の意味があるように思えてならない。数字+塚の地名は三塚とか千塚とかあるが、調べてみると四塚が圧倒的に多いことに気づく。近隣の四塚を訪ねてみようと長浜市の四ツ塚町を調べると、その中に南無地蔵があり驚く。南無地蔵といっても一般的な言葉なので驚くこともないのだが、六道の南無地蔵を訪ねた後だけに妙に気になるところである。四谷地名についてもそうである。東京の四谷はつとに有名だが、スキーで有名な長野県の白馬駅もかつては信濃四ツ谷駅だった。近隣では南丹市日吉町四ツ谷、南区上鳥羽塔ノ森四ツ谷町など見受けられる。いずれも四つの谷とか四つの家などという由来が語られているが、歴史的に矛盾する説もあり承服しがたい。それが何かは解らないのだが、四谷には何か意味がありそうである。ちなみに南区上鳥羽塔ノ森の四ツ谷町は前稿「最勝河原」で紹介した平安期の葬地であることが気に掛かるところである。(最勝河原-6 2017.7.22参照)

 四ツ塚、四ッ谷が数字の四ではなく、何か意味する様な気がするのだが、それが何かはわからない。そういったことをわたしだけでなく、幾人かの研究者も気づいておられることが心強い。
 さて帰りは東寺の周囲をめぐりながらおはぎ屋をめぐったり古い食堂でそばを食べたりしながら歩く。ここで京都新聞に載った「みやこ今昔 大路小路から」という記事を思い出す。

 平安京で作られた大路小路がやがて田畑や宅地として侵食される話である。例えば最大の朱雀大路だって、現在の千本通り(旧)と言われているが、あまりにも狭すぎる。大体大路は24m以上、小路は12mと規定されていたそうだ。平安京オーバーレイマップでみると九条の千本通りから東は中信九条支店辺りまであったようだからとてつもなく広い。不必要な広さが侵食
の原因となったようだが、新聞の記事は八条大宮の東西の道の侵食について書いている。勝手に私有地化した土地を巷所(こうしょ)と呼び八条大宮の東西に南北に巷所があったとされる。そういった経過で大宮通から西が急に細くなっているのだが、こういう状態は堀川通りや壬生通り東西でも顕著で、八条通は駅前と唐橋ではものすごい差となっている。

写真は八条堀川通り、西が急に狭くなり、クランク状になっている。
 これも平安京オーバーレイマップで調べると、駅から堀川通りまでは平安京当時より広く、それより西は当時よりうんと狭くなっている。これもすべて侵食のせいだろう。
 こんなことを考えながら歩いていると街歩きも随分楽しい。おわり

【今日のじょん】


おとーたちは初泳ぎ、じょんは初???。青葉山も大島もうっすらと雪化粧。(5日)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大栗峠考(41) 1/3

2018-01-03 | 山・峠

2018.1.3(水)雪
 「北山の峠」(中)金久昌業著に「舞鶴街道の峠」という興味深い文がある。田辺(西舞鶴)から京へ向かう街道についての一文である。京都ー周山街道ー高浜街道ー鶴ヶ岡ー洞ー古屋ー草壁ー大町ー遊里ー木住峠ー岸谷ー別所ー舞鶴、この道は間違いないが大栗峠をめぐる道が通らない(続かない)と書いておられる。大栗峠が京街道であることは、道中の石碑から見てもはっきりしているのだが、大栗峠ー上粟野から先がどう繋がるのか解らないという。寛政11年丹波國大絵図では大町ー弓削ー大栗峠ー上粟野ー下粟野ー下乙見ー篠原ー大迫ー長瀬-塩谷ー樫原ー岩江土(ママ)ー市場(静原)と繋がっている。上和知川を下って篠原で川を渡り由良川右岸を東進するものである。

明治28年陸地測量部地形図では、細谷の部分は左岸を通っている。
当時、右岸の道は開鑿困難だったのだろう。
明治になってからはもちろんこのルートが京へむかう道とされているが、金久氏はこのルートは古くからの街道と言うには納得がいかないとされている。これはわたしも同感で、古来の街道づくりの方法とすれば、上粟野から仏主、仏主峠を越えて三埜から大野に出るのが順当と思うのだ。

大野ダム周辺にあった道しるべ、塩谷と樫原の間の熊坂峠にあったものという。
当初の街道は由良川沿いではなく、おそらく山側の峠を越えたものであろう。
 丹波大絵図には上粟野から仏主までは街道が載っているのだが、仏主で行き止まりとなっている。ただこのことはかつてその先の仏主峠越えの街道があったことを示唆している。そうでなければ仏主は点で表されるだろうから。
 金久氏は由良川を渡って肱谷(ひじたに)を遡り、肱谷越え(仮称)から海老谷から四谷に出るという壮大なルートを想像しておられるが、これは少し無理があるように感じる。ただ海老坂峠は日本海側と太平洋側を分ける分水界の峠で、木材をはじめとした輸送の峠であり、四ツ谷側しか歩いていないが、弓削道のような状況ではないかと想像している。玉岩地蔵に若狭と縁のある八百比丘尼が祀られているのも興味あることである。
 仏主峠の道が廃れて、上和知川沿いの道が京街道になった理由は上和知川の水運があるのではないかと大胆に想像している。弓削道から大栗峠を越えた大量の物資は仏主峠を越えるのは無理で、上和知川の水運を利用した方が効率的だ。ただし上和知川の水運があったことが前提となるが、未だ確認は出来ていない。
 このように調査確認しなければならないことが山積みだが、大栗峠をめぐる道を時系列で考察することで、その謎が解明されるのではないだろうか。
【今日のじょん】小雪混じりの寒い日はダウンの上にレインウェアの重装備で散歩に出る。ステロイドの効いている間はそれなりに元気だ。わたしはステ犬じょんと呼んでいるが、かみさんはロイド犬じょんと呼んでいる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大栗峠考(40) 1/2

2018-01-02 | 山・峠

2018.1.2(火)曇り 大栗峠考(39)は2016.6.6参照
 大栗峠の謎 弓削道は産業道路(1)
 大栗峠の謎について細々と書いてきたが、本当の京街道はどちらなのかという大きな謎が常に脳裏につきまとっていた。今回木住峠遊里道よりも脇道である清水道が広くて立派だという情報を知って(自分の目ではまだ確かめていないのだが)清水道も大栗峠弓削道も近世の物流の道ではないかという仮説が浮かんだ。特に田辺(西舞鶴)ー上林清水ー胡麻新町ー園部ー八木ー馬路の鋳物師村を繋ぐ鉄(地金)の輸送路があったのではないかという考えである。もちろん運ばれるのは鉄だけではなく、米、炭、木材など流通が盛んになれば、人の背で運んでいては間尺に合わないものは水運が活躍したことは周知のことである。しかし日本海側から京に行くには必ず分水界を越えねばならない。田辺から京に向かう最も楽に越えられる分水界は胡麻である。そして田辺から胡麻に向かうには陸路上林を通過するのが最も近道かと思われるのである。ただし大量の荷を運ぶには牛馬に引かせる荷車が通れる広くて傾斜の緩い道が必要である。それが清水道であり弓削道なのである。
 木住峠については本来の街道である遊里道より清水道が広い。京に向かうには遠回りなのに清水に向かう道が広いのは清水鋳物師に地金を供給するためではないか。重くて大量に輸送するには牛馬による荷車が必要である。大栗峠弓削道については、他の大栗峠に至る道、志古田道、山田道が人の歩く程度の幅なのにここは広い、しかも急なところはつづれおりになっているのだ。この二つの道が物資輸送の必要性に応じて造られた新しい道であろうと考えるのだ。

山田道と弓削道を分ける「南無大師遍照金剛」の石碑、弓削道はこのように広い。

 従来本来の京街道である志古田道が弓削道にその座を奪われたのは、大栗の名のとおり崩壊が厳しく、安定した尾根道の弓削道が使われるようになったからというふうに考えていた。実はそうではなくて、志古田道では荷車用の安定した広い道を作るのが不可能だったからと考えている。
 ではなぜ弓削道だったのだろうか。それはその先、つまり和知の上粟野から水運が利用できたからだろう。由良川と桂川にはれっきとした水運の歴史があり、由良川から高屋川、畑川と胡麻までの水運も確認されている。上和知川と胡麻川の水運が確認できれば、上粟野から京までほとんどを船上輸送出来るわけだ。つづく

 【今日のじょん】昨日同様食っちゃ寝、食っちゃ寝の正月を過ごしている。えっ誰のこと、、、じょんのことやで


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あけおめ2018 1/1

2018-01-01 | 日記・エッセイ・コラム

2018.1.1(月・祝)曇り

 穏やかな元旦の朝、素直に喜べない。大体こういう年は大雪になったりするねん、なーんて心の中では雪が少ないようにって祈ってるわけ。こういう複雑な気持ちは雪の降る地方じゃないとわからないと思うが、とりあえず新年おめでとうございます。

今年はおいらの年なのだワン。
 元旦は恒例の朝風呂に行き、おせちを頂いて、初詣に参るという地味ではあるが贅沢な時を過ごしている。
空いてる温泉が近くにあることはなんともラッキーなことで、大きな湯船でゆったり過ごすのはこの上ない贅沢である。

綾部温泉、車で10分がらんがらん。
おせちもいいのだが、山田さんに頂いた黒豆と小沼さんに頂いた小芋がとりわけおいしいのはやはり地元の食材と言うことか。お酒も地酒の綾小町なのでよろしい。
 初詣たって氏神さんの河牟奈備神社で歩いて5分、酔い覚ましにはもってこいだ。その足でウオーキングがてらに小芋のお礼にお酒を持って小沼さんを訪ねる。そしたら黒豆入りのお餅が搗き上がったところで、こいつは春から縁起がいいわいわい。

かみさんよーけ頼みすぎ、じょんもシラー。
 帰って一休みしたら、昨年もらった堅木や栗を割る。薪割りは腹ごなしには最高、暗くなって手元が見えなくなったら、また夜ご飯、なんとも幸せな新年の始まりである。こんな些細な幸せを壊さないでくれよ、頼むで金さん、トラさん。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする