2007.5.21(月)快晴
9:00 起床
9:45 セイワホテル発~R9~府道59号~R173~府道444号~府道80号
~府道25号~府道402号~R9~老の坂峠~
18:20 日本一周完了
二日酔いの朝がきた、頭痛をこらえて荷作りをする。天候は絶好の自転車日和でフィナーレを飾るにふさわしい日和だ。ふらふらと喫茶キューピットに行く。やよいちゃんは昨日の甲子園の観戦で阪神がかろうじて勝利を納めたためご機嫌さんだ。モーニングをごちそうになって出発する。
昨夏7月19日に大雨の中を逃げるようにして福知山を発った時と同じコースを辿る。天気もさることながら、10ヶ月の経験で体力的にも精神的にもあの当時と全然違う。毎日毎日町や村を見続けてきた。見る目が養われていることは間違いない。今日はこの目で私の故郷を見つめてみよう。そしてもう一つ、無事に旅を続けられたお礼にお墓参りをしてこよう。
各地を廻っているとき、私の故郷には道ばたに地蔵さんや石碑など無いよなあ、川で河鹿など鳴いてないよなあ、各地のように名所や旧跡の案内などしてないよなあと思っていた。川だって山だって汚れていて汚いなあと思っていた。しかし走ってみて、改めて眺めてみると中々どうして美しい故郷である。地蔵さんなどあちこちに有るではないか。18年間、住んでいる間に一体何を見ていたのだろう。
三和町に入る手前の生野は京街道の宿場町で、この地を詠んだ歌も数々ある。中でも小式部内侍の「大江山 生野の道は遠ければ まだふみもせず 天橋立」は有名である。
京街道跡の草道の傍らに小さな地蔵様があり、歌の説明の看板が立っている。嬉しいことだ。三和町に入ると福知山東ゴルフ場がある。オーナーの山脇さんや出入りの人達が常に応援してくれていたので、挨拶に立ち寄る。お礼を言って、お墓参りの花を頂いてゆく。
京街道跡と生野の地蔵様、右は三和町唯一のゴルフ場
道ばたのお地蔵様にひとつひとつお礼を言いながら、府道を進む、私の母校川合小学校とその向かいの山を写真に撮る。かつて山城があったという山だ。それらしい地形の所があるが、よく解らない。いづれゆっくり調べてみたい。
小学校向かいの山城のあったあたり。
私の故郷上川合上地には山の神、笹の神の二神がある。笹の神はおそらく斉の神の事だと思う。その神様の付近に私の家の土地があるのだが、「サイノキ」という地名なのだ。11月の後半の連休の時村の子供達で行事を行っていたが、現在は行われていない。第一その主役の子供達が居ないのだ。いづれこれらの行事の内容をまとめておきたいと思う。ただ、私の地域だけでなく、他の地域でも同じような行事が有ったのかどうかよく解らない。今度の同窓会で確認してみよう。92才の母親の昔話もまとめておきたいと思っている。ツチノコの話などもあるので乞うご期待。
山の神とササの神
大原の産屋を過ぎ、今日初の峠瑞穂トンネルの榎木峠を越える。昨年チエン切れが起きた峠だ。今日は快適に越える。ただ、今日は絶対に事故っては行けないと思い、慎重に走っている。その後も国道を走ることは無く、上手に府道を繋いで亀岡の王子まで走る。この間地蔵さまの大群を見つける。道路の改修のためか、ほ場整備のため集められたのか、地蔵さまの集団があちこちにある。最も大きな集団が八木の南の辺に有る、100体ぐらいだろうか、カメラに収まらないお地蔵様に、さすが京都の田舎と、満足する。
八木の地蔵群と最後の峠、老いの坂
さて今回いくつの峠を越えただろう、いくつトンネルを越えただろうか。最後の峠、最後のトンネルが老の坂の峠である。丹波と京の都を結ぶ重要な峠であるが、坂そのものはどうって事のないものだ。しかし最後の峠として感激もひとしおである。ゴールの日、どのようにゴールしようか、どんな気持だろうか、いつも気に掛けていたゴールの日、ゴールの瞬間がやってきた。意外にも、あまり感激もしない。それよりも東北や北海道や沖縄の道を走ってきたことが、現実であったのか夢であったのか解らないような、不思議な気持に襲われる。
走行距離103Km 累計10,625Km 経費260円
★峠列伝(63)榎木峠 R173 福知山、京丹波町境 困難度3 景色3 水場無し
歩道有り トンネル有り(歩道無し) みずほトンネルのため本来の峠よりはかなり楽。
★峠列伝(64)老の坂峠 R9 亀岡市から京都市に向かう峠で歴史上も重要な峠
困難度2 景色2 水場無し 歩道無し トンネルあり(歩行者、自転車専用)