2012.12.31(月) 晴れ
「鉄の時代史」における佐々木稔氏の説にどうも納得がいかないが、金属の専門家の説について何が問題なのか言えるはずもなく、悶々としていた。なお、佐々木氏は著者紹介によると、金属工学専攻の工学博士で新日鉄の先端技術研究所に居られたそうである。
古代の日本の鉄生産は中国から銑鉄を輸入し、国内では脱炭して鋼を作製していたという説で、遺跡で発見される砂鉄は脱炭材として使用されたというものである。その根拠となるものは、鉄滓や鉄製品の化学分析をした結果、その原料が砂鉄ではなく、磁鉄鉱によるものであるということである。
専門的な分析結果を出してこうだと言われたら素人は黙るしかないが、納得いかないことは納得いかないので専門家で、同じように疑問を感じる人がいないかと思ったら、一冊の本が見つかった。
「理系の視点から見た「考古学」の論争点」新井宏著、大和書房 2007年8月第一刷、古書
そしてその前に、直接製鉄法、間接製鉄法を理解するために「鉄の文化史」新日本製鐵(株)広報企画室編、東洋経済新報社 昭和59年12月発行 古書を読む。
この本は時代毎に歴史や金属の研究者が執筆されているもので、東大名誉教授の「人と鉄との五千年」という項では製鉄や加工の際の化学的、物理的な変化をわかりやすく説明されており、とても役立った。こういうことが解っていないと、金属学者の論文など覗く気にもならない。とりあえず古代の箇所だけ読んで、「理系の視点から見た「考古学」の論争点」に移る。
本書はタイトルのとおり考古学の論争点を理系の視点で見直しているというものだが、三角縁神獣鏡、炭素十四法、古墳築造の尺度などに続いて、「金属考古学上の諸論争」というのがある。実はその部分だけを読んだところである。
その中身は、「弥生時代には本当に製鉄がおこなわれていなかったか」「古代日本に間接製鉄法はあったか」「東大寺大仏には硫化銅鉱石が使われたか」「古墳時代の鉄や銅の価格はいくらしたか」のタイトルがある。このうち少なくとも前二項は佐々木氏らの説に対する反論のような気がする。というのは一般的な本として出版されているので、個人的に誰々の説という言い方はされていないからだ。
内容についてはこれまた専門的なので充分に理解することができていないのだが、概ね支持できるものと思っている。詳しい内容は省略するが、わたしが困惑した事態について明確に書いておられるので紹介しよう。
「前から繰り返し述べているように、考古学分野における理系専門家の意見には、偏りが含まれていても、そのまま放置されている場合が多い。研究者が特殊な知識を持つ少数に限られ、一般考古学関係者からは批判し難い実状があるからである。例えば、遺物分析の専門家が金属の製造方法や金属物理を熟知しているとは限らないように、理系はむしろ専門が細分化されていて、考古学のような多様な要求に応えるには、とても少数の学者だけが代表できるほど簡単ではないのである。」
じょんのび鉄滓展(2013年1月5日~10日)すべて上林で発見されたもの。
【作業日誌 12/31】
ウッドデッキ、根太取り付け作業
薪割り
大掃除
【今日のじょん】:予報に反して朝は快晴、しかも3℃(9時現在)。嬉しくなって写真撮る、青空って久しぶりだから。ついでにシャンプーもしてもらいやした、体重は18,4合格でやンス。夕方のニュースで大阪の雪などやっている、変だなあ。