晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨で休養 9/27

2006-09-27 | 旅行記

 予報どおり一日中の雨、大雨、強風、洪水、波浪注意報とそろい踏み。ブログ書き込みも溜まっていることだし、休養と決め込む。頼んでいたザックとウィンドブレーカーが青森中郵に届いているので取りに行くだけ。途中に県立郷土館があるので立ち寄る。ところがこれが大変良くできた博物館で、展示物もさることながら、説明もしっかりしてあり、学芸員も各階に配置されている。結局3時間も見学することとなった。
 三内丸山遺跡での勉強が役立ち、縄文時代のコーナーはいつになくおもしろい。昨日の私の仮説がそのまま説明されているところもあった。予想することは誰も同じということか。樹上葬の仮説だけは無かったが、、、
 おなじみの遮光器土偶は興味深い。なにせ宇宙人説まで出てくる始末だから。雪めがねというのが主流の考えなんだろうが、私は単なる目の描き方の技法なのではないかと思う。
 青森県は縄文時代では最先端の地方だが、弥生から古墳時代となるとぱっとしないのだ。これはやはり気候の厳しさによる生産性の低さによるものなのだろうか。
 近世ではアイヌの影響は興味深いところだし、ロシアとの関係やマタギの生活も独特の文化だろう。太宰治、棟方志功、高橋竹山など個性の強い文化人を排出する地方風土というのは、やはりなにかがあるぞと言う気になる。
 ザックとウィンドブレーカーは予定どおり届いている。古いものを写真にとって記念とする。長い間ありがとう。Img_0886

走行 0  累計 2,572Km  費用 4,002円 

★ ホテルアラスカ 青森駅前 2006.9.26,27 シングル4,935円
             リーズナブル、交通便利、モデム有り

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縄文時代も悪くない 9/26

2006-09-27 | 旅行記

 2006.9.26(火)     曇り          
 6:00 起床
 8:05 蟹田キャンプ場発~R280~R7~三内丸山遺跡着11:40
14:00 三内丸山遺跡発線~県道44号線~
15:30  ホテルアラスカ着(青森駅前)

 天気予報が本日曇り、明日は雨ということで、下北に渡っても雨で動けないようなので下北行きは取りやめ青森に向かう。ビジネスホテルに泊まれば雨でもブログ書き込みとか出来るためだ。Img_0869
 
乗る予定だった下北行きのフェリー

 時間的には余裕があるのでのんびり南下する。津軽半島も陸奥湾側は民家も続き、田畑も豊かで、日本海側のような寂寥感は無い。最果て感を得たいなら西回りが良いということだ。ただし竜飛の峠は東回りの方が楽なそうである。東北三県を巡ったが、県民性があるみたいだ。青森人は屈託が無く、明るく感じる。山形、秋田では宿や店でもしっかり方言だが、青森はどこへ行っても標準語に近い言葉でしゃべってくれる。方言がしっかり生きている方がいいと思うのだが。
 三内丸山遺跡はあまり興味無かったのだが、同宿の人が皆行きましたかというので、向学のために行ってみるかなと言う軽い気持で寄ってみる。発掘が始まったとき大々的なニュースになったことを憶えているが、実際に見てみるとそれだけの価値のある遺跡であることがわかる。施設は立派でしかも無料である。シアターを見たり、ガイドの説明を受けたり2時間近くのめり込んでしまった。縄文時代の出土品はどこの博物館に行ってもただ陳列してあるだけで一体どういうものなのか説明がない。そのためにざっと見るだけでやり過ごしていたのだが、ここでは詳しく説明してくれるので納得が出来る。Img_0877_1 Img_0875
 
住居跡と村の道路(実物大)

 縄文時代は確かなことが解らないので私たちの想像力に依頼するところが有り、それが楽しさとなっている。私の想像は、1.栗だけでなく、他の作物もかなり大規模に栽培されていたのではないか。広い村の区域のごく一部に密集して家屋があるのは、他の用地は畑であったのではないか。2.村には掟のようなものがあり、それを統率する組織というか階級というかそういうものがあったのではないか。居住地、墓場、ゴミ捨て場などはっきり決まっており、また大きな建造物を造るためにはそういう組織が必要であろう。3.例の大型掘立柱建物は何のためのものだろう。私はまさにバビロンの塔ではないかと思う。
人類がより高い建造物を建てたがるのは本能なのかも知れない。神である太陽に寄り近づきたいというものかも知れない。法隆寺や東寺の五重塔だってあんなに高いもの作ってるんだから。いっそ考えを変えて樹上葬というのはどうだろう。
Img_0881Img_0882
実際はもっと高かったようである

柱は4.2m間隔で、内側に2度傾いている





 4.あまりに広い道路は何のためか。道路の両サイドは墳墓である。環状列石もある。そうすれば、それらを荒らさないであの建物用の木材を搬入するにはあの程度の広さは当然必要だろう。ただ大型堀立柱建物はかなり後期に建てられたそうで、最初からあの広い道路は必要ないのかも知れない。Img_0876 Img_0883

大型住居とその内部


 疑問も沢山出てきた。発掘物の中にイノシシの骨が見られるが、イノシシは現在この地方には存在はほとんど無い。学芸員さんに聞くと、「全然いないということではないのです」ということであった。私は縄文期には高温期があり、その時期には相当数がいたのではないかと思う。土偶はなぜ女性なのか。生命を作り出す女性がいわゆる生産の象徴としてあがめられているのは解るが、実は今で言うエロ本の類だったりして。なかなかエロチックな土偶もありますぜ。罰当たりな発言である。Img_0884

板状土偶、すべて女性である


  とにかく縄文時代の勉強をしっかりした、今後の博物館がちょっと楽しみである。
 レストランでは発掘丼とか縄文なんとかとかへんなメニューを用意している。残念ながら高くてまずかった。
  30年近く使ったザックが遂に壊れた。数々の登攀をともにしてきたザックだけに寂しい。ウィンドブレーカーも20年近く使っているがさすがにぼろぼろ、買い換えのため高額出費となる。

走行48Km 累計 2、572Km  費用33,195円

★蟹田キャンプ場 (外ヶ浜町蟹田) 2006年9月25日泊  無料 
  海水客用のキャンプ場で、設備も整いロケー旬もションも良い。本来は有料かも知れな い。

コメント (3)
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故郷の訛なつかし竜飛崎 9/25

2006-09-27 | 旅行記

 2006.9.25(月)     快晴      道中24度   
 6:00 起床
 8:05 小泊観光館発~R339~竜飛崎への峠着10:19発10:32~
10:50 竜飛崎着~発11:10~R339~R208~三厩(みんまや)食事
12:40 三厩発~県道14号線~県道12号線~
15:30  蟹田着(外ヶ浜町)

 本日も快晴、旅館を出てすぐ小さな峠を越える。といっても充分逢坂山ぐらいはあり、実は今日までこの程度の峠は無数にあったのだが峠列伝には書いていない。峠というのは峠の大きさではなく歴史的に重要であったか、村人の生活にどの程度関わっていたかで名前が付いているようだ。新しく作られた道路には相当大きくても名もない峠がある。次に越える峠も大変な峠だが道標もなく、地図にも峠名は無いので、竜飛崎への峠としておく。 さて、小泊からの峠を越えたところに道の駅があり、立派なオートキャンプ場がある。知っておればここまで来たのにと悔やむ。少し行くと地図には無い一軒の温泉宿がある。重ね重ね残念だ。昨日小泊でおばさんに道を尋ねたとき、温泉はあるけれど自転車では大変だと言われた宿だ。それほど大変ではないのだが、普通の人にとっては大変な距離なのかも知れない。Img_0846

キャンプ場のある折腰内海岸、嫌な名前だ

 休憩して背中のポケットに手をやると、なんと宿のキーが入っている。昨日から何事もうまくいかない、気がつけば国道339号線、散々苦労線だ。宿に電話して郵送する旨伝え、先を急ぐ。
 海は水がとてもきれいで、前方には北海道の山並み、後方には津軽の山並みが重なって見える。温泉宿を過ぎてからは家は一軒もなく、入り江に船宿がある程度だ。貴田君のいう「最果て感」とはこのことかな。
 昨日からヤマカガシだろうか、小さな蛇を見かけていたのだが、今日も一匹道を渡っている。轢かれてしまうぞなどと思っていると、道の脇にどでかいマムシがいるのだ。これには思わずびっくりした。こんな北の国にもマムシは生存できるのか。夜行性のはずのマムシが何でいるのか、少し疑問を抱く。
 やがて七つ滝という所に到着、立派な滝で、写真を撮ったりじっくり見物したりする。観光バスや自家用車が来ても一旦停止して眺めるだけで、降りてくることもない。そういうもんかなあ。おみやげ屋ならしっかり停車するのになあ。 Img_0849
Img_0851
七つ滝とそこからの海の眺め



 いよいよ本番の峠に取りかかる、さっきから前方に見えていた怖ろしい峠だ。いくら登ってもきりがない、遙か上部に展望台らしき建物が小さく見える。うんざりだ。車は全然来ないので、ジグザグ走行してみるがあまり効果はない。あまり前方を見ないでジリジリ登っていると、山は相当深くなってきた。毎日の新聞に熊の被害や目撃情報が載っている。今年は例年の13倍の目撃情報があるということだ。朝刊では本来山に入るこの時期に出没するのは、残暑のせいだと報じていた。一概に餌だけの問題でも無さそうである。急にここで熊が出てきたらどうなるかなどと不安になり、もう少し車来てよと思う。
 展望台が近くなってきたとき、道ばたに大きな糞発見、熊かなあ、熊なら雑食と言うから木の実や動物の毛が混じっているのと違うかなあなどと思いのぞき込むがよくわからない。写真を撮り、少し行くとまたしても同様の糞がある。大きさから大型の動物のようだから熊かカモシカか、そんなところだろう。
 やっと展望台に着き峠は終わり、2時間弱の登りで丁度八甲田山の傘松峠ぐらいの登りであった。観光バスが一台上がってきたがここも通過する、いい眺めなんだが。Img_0853 Img_0854

峠の登りとあやしい糞

 

         Img_0855 Img_0856
登ってきた峠、真ん中の一番低いところから登ってきた
展望台から竜飛崎

 ウィンドブレーカーを着て峠を下る。あっという間に竜飛崎に到着、自転車で灯台の展望台まで上がる。津軽海峡では沢山の船が縦横に走り、無線の声がここまで届いている。これぞテレビで見たマグロの一本釣りではないか。バスガイドさんに聞くと、「あれは下北ですから、ここではないですね」とすげない返事。「じゃあ何捕ってるんですか」「さあ」自分のお客でもない者に聞かれて機嫌悪そうだ。
 少し早いが昼食を摂ろうとレストランによると、まだ準備中とのこと。本当にうまくいかない339号線だ。日本唯一の階段国道を自転車で下るべく覗いていると、先ほどの観光バスの連中がいて、わいわいしゃべっている。どうも私のふるさと丹波の言葉のようだ。「どちらからおいでですか」「京都です」「丹波ですか」「わかりますか」「福知山でしょう」図星で驚いている。福知山市、綾部市の住宅何とかのツアーということだ。三和町の人も何名か来ておられ、元町長の田中さんにもお会いする。2,3年前福知山東ゴルフの三和町長杯でお会いして以来だ。写真を撮ったり、しばし質問攻め。Img_0858 Img_0862   

竜飛崎はこの賑わい、この人達が福知山の人
階段国道の入り口

 
Img_0865 Img_0866
前三和町長田中さん

階段国道最終段階、こんなとこ通れるか


 皆に励まされ、階段国道を降りにかかる。最初のうちは道幅も広くサイドバッグ付きの自転車でも快適だが段々狭くなり、身動きできなくなる。戻ることもならず最悪の状況、汗だくになって担いだり持ち上げたり、まるで詐欺みたいな国道だ。散々苦労の酷道ってところか。這々の体で階段を下りきったら道は両脇に家の続く狭い路地、家の人は迷惑だろうなあ。
 龍飛郵便局(龍の字がこれ)でキーを送り返すついでにマムシの件を尋ねる。「そうなんですよ、マムシは多いですよ。今は産卵時期だから危険ですよね。アスファルトは暖かいから出てきたんじゃないですか」くわばら、くわばら。
 三厩で昼となったので、漁師の店というところで昼食を摂る。一番安いのがイカ刺し定食1,000円、値段には不満があったが味は良好、ここで津軽湾の例の漁の件を聞く。
「あれはマグロ漁りですよ。回遊してるんだから大間だけがマグロ漁じゃないですよ」やっぱりそうだろう。なんだあのバスガイドは知った風なこと言いやがって。マグロ一本釣りのテレビ番組は欠かさず見てんだから。
 県道14号線に入ると小国峠となる。たいした峠ではないのだが先ほどの竜飛の峠が効いていて足腰がつらい。その上竜飛以降えらい向かい風なのだ。降りきったらくたくたになってしまった。津軽線の踏切につかまる。2両編成の列車がのんびり走っている。少し行くと立派な架線の線路がある。あれ、こんな所に新幹線あったかなと思ったがこれは北海道へ行く津軽海峡線だった。
 青森行くの止めて、下北に行こうと思い蟹田のフェリー乗り場に寄る。残念出航した後だ。隣にキャンプ場があり、明日の便に乗ることにする。シーズンの終わったキャンプ場は寂しい。設備は整っており、無料で使用できることが魅力だ。温泉はないが人工温泉ぽっぽ湯というのが町内にある。公の施設らしく立派な建物で、サウナ、泡風呂、ミルキィ風呂、打たせ湯、人工炭酸泉などがあり、下手な温泉より気持ちいい。コンビニで夕食を買いさっさとシュラーフにもぐる。風が強く、波の音がうるさくて寝付かれない。Img_0867


走行78Km 累計 2、524Km  費用9、267円
(風呂往復2Km含む)

★小泊観光荘(中泊町小泊) 2006年9月24日泊  一泊二食6,800円 
  設備古い、浴衣もタオルもない。夕食のメニューは盛りだくさんだったが、料金不満。

★峠列伝(17)竜飛崎への峠 青森県国道339号 2006.9.25
     困難度 4  風景 5  水場 無し  歩道 無し
     観光シーズンで交通量が増えると厳しくなる。
★峠列伝(18)小国峠 青森県県道14号線  2006.9.25
          困難度 2  風景 1    水場 有り  歩道 無し
     なんてこと無い峠だが大型トラック多かった

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最果感を求めて 9/24

2006-09-27 | 旅行記

 2006.9.24(日)     快晴          
 6:00 起床
 9:00 春霞荘発~県道3号線(鰺ヶ沢街道)~鯵ヶ沢~R101~広域農道~
13:40 十三湖着~市浦民俗資料館~R339~
15:30  小泊観光館着(中泊町)

 本日も快晴、嶽温泉があまりによい風呂だったので朝風呂に入る。都合四回の入浴だ。出発の際にゆで嶽キミを持たせてくれた。自分では買えなかったのでありがたい。
 鰺ヶ沢に下る道は寒くてスピードが出せない。晴天続きの休日の今日は絶好の稲刈り日のようだ。八月のスタートの頃はまだ青々していた稲が刈り取られる時期となったと思うと、時の移り変わりを感じる。稲は全てが刈り取り時期では無いようで田の周りを、時期を決めかねているように見回っている農夫が数人いる。稲は晴れが続いた後に刈り取るのが良いようで、天気と成長度合いのかねあいが難しいようだ。

 稲刈りの 日さだむるや えびす顔     うとく

 稲の乾燥の方法がこのあたり独特で、一本の木に束ねた稲を順繰りに積んでゆく。どこからも岩木山が見え、働く者を優しく見守っているようだ。信仰の山となるのも当然のように思える。
 
 岩木山 稲刈りの農夫 見守りぬ  うとくImg_0826 Img_0827

稲刈り済みの田、どこからでも岩木山が見える



 鰺ヶ沢にはトライアスロン大会があったが、もう終わったのだろうか、ポスターなども見あたらない。トライアスロンといえば、佐渡の大会は私が去った翌々日に開催されたのだが、水泳で死者が出たそうだ。亡くなられた方も関係者の方々も大変お気の毒である。村上笹川流れの大会は来週の日曜日である。通って来たところだけに気になるところである。
 津軽半島の西を十三湖まで広域農道が走っている。湿原池沼群の間を走っており、是非走ってみたい道であった。走ってみるとたまに沼が見えて、途中にベンセ湿原の景勝地もあるが、周りは畑で真っ直ぐで何の変化もない退屈な道である。上り下りが無く、車も少ないので四十数キロメートルをあっという間に過ぎてしまった。Img_0833 Img_0835 

ベンセ湿原はすすきだらけ、果てしなく続く道



 立秋の影 我が意のごとく 北をさせり   うとく

 十三湖はとさこと読み、決してじゅうそうこではないので念のため。弘前方面から来る岩木川が注いでおり、十三湊は中世にはたいそう繁栄した港であるが、底が浅くなり港としては衰退してしまった。民俗資料館には往事の繁栄の跡が展示してある。ここに立派なキャンプ場がありサイト料も五百円と安いので、久々にキャンプしようかと思ったが、時間的に早いのと温泉に入りたいので小泊まで足を伸ばすことにする。Img_0839

十三湖

 これが大失敗で、小泊の街には温泉は無いのだ。街に入る手前に雄の湯とか言う一件宿があり温泉はそれだけだそうだ。仕方なく荷物を置いて入りに行く。その間に小さな峠があるにもかかわらず。 
 お風呂は大きく、泡風呂などもあるが清掃が悪く、不潔そうで嫌であった。ただ帰り道
日本海に沈む夕日は大変美しいものであった。Img_0843
  
走行89Km 累計 2、446Km  費用7、919円
(温泉往復8Km含む)
★雄の湯(中泊町) 2006年9月24日 無色、無臭 循環 ナトリウム硫酸塩 塩 化物泉 390円     設備、清掃悪く嫌な感じであった。石鹸、シャンプーなどもないので持参のこと。 
 
★春霞荘(弘前市嶽温泉の民宿) 2006年9月23日泊  一泊二食6,500円 
  温泉、料理、サービス等最高。値段も安い。料理は山の幸がふんだんで、洗濯させてもらったり、嶽キミを持たせてくれたり、心遣いがうれしい。いちおしの宿。

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岩木山登頂 9/23

2006-09-27 | 旅行記

 2006.9.23(土祝)     快晴          
 6:00 起床
 7:25 弘前YH発~県道3号線(鰺ヶ沢街道)~嶽温泉9:10着
10:15 嶽温泉発~バス~八合目10:40~岩木山頂上11:32着
12:10  頂上発~八合目13:05着~13:45発バス~嶽温泉14:10着

  弘前はもう一日ゆっくりと見物したい街なんだが、晴天の間に岩木山に登りたいので出ることにする。実はどうやって岩木山に登るのかよくわからない。同宿の高橋さんは連泊し、弘前からバスで八合目に行くらしい。とりあえず嶽温泉にいってみよう。ってことで早めにスタートする。県道3号線は岩木山神社の参道となっており、松並木が残っている。かつての街道と言えば松並木が主流であったようだが、松食い虫その他の理由で最近では珍しい。是非後世に残していただきたい。Img_0806
Img_0807
松並木と岩木山、左手のガスが気になる



 緩い登りが延々と続き、両脇はリンゴ畑である。収穫の時期なんだろうか、ほとんどの畑にラジオやテープの演歌が流れ仕事をしている。明大山岳部の根深誠先輩も弘前のリンゴ農家である。白神山地の保護問題やヒマラヤ関係の素晴らしい文章の本を出しておられる。大学を8年かかって、しかも登校せずに卒業したという大物だが、あのように繊細な文章を書かれるとは実のところ驚いている。
「山はよう、じわじわ登るんよ」37年前の根深先輩の名言である。
 道が広くなって、左に白神山脈、右に岩木山の勇姿がたくましい。道路の両脇に出店が沢山出ている。嶽キミ、嶽キミと看板に書いてある。一体何だ。黄身のことで卵かなと思うが実はトウモロコシのことであった。北海道の友人がトウキビとよく言っていた。そのキビがキミになっているのだ。
 キミだけに 食わしてあげたい だけキミを       (川柳)
 
 今夜泊まる民宿を決め、山に登る用意をする。バスで八合目まで登り、その上リフトで
九合目まで行けるのだ。八幡平といい秋田駒といい頂上付近までバスやリフトで人を運ぶとは、人類はバビロンの塔の教訓を忘れているのではないか。そのうち天罰が下るぞ。もう下ってるか。
 さすがの私もリフトは遠慮しておく。じわじわ登っていると後ろに若造が付いてくる、
追い抜きたいのがみえみえでぴたっと付いてくる。抜きたけりゃ言えよばかりに知らん顔して登っていると、前を行く三人組に追いついてしまった。そこで若い衆が抜いていったのだがなんと腰に鉈を下げている。マタギの末裔か。この山道のどこで鉈を使うのだろう。
などと思っていたら、このコースは赤倉講の信者によって整備されているとか。ひょとしたらその人かも知れない。
 リフトからの道と合流すると、とんでもない登山者がいる。祇園のスナックからいきなり来たような濃い化粧の女性がグッチか何かの財布を握りしめて登っている。街履きの革靴でふうふういってるばさま、もう大変だ。私の後ろは若い親子連れの4人組で、子供はばたばた前に言ったり後ろになったり、そのうえ四六時中親父としゃべっているのだ。うるさくて仕方がない。「山はよう、じわじわ登るんよ、ばかたれ」
  途中で朝バスで出発した高橋さんに会う。大勢の登山客の中でよくわかったものだ。もっとも私はレーシングパンツに半袖のバイクウェアでよく目立つのだが。
 ようやく山頂に着く、一番嬉しかったのは岩木山神社の山でありながらお金を取られないことである。月山も立山も見習えよ。Img_0809Img_0813


登頂証拠写真、いつものスタイルで失礼

 初めて快晴の山頂では、白神山脈、日本海、津軽半島、その向こうは北海道か、しっかり望める。ただ東の方面、昨日越えてきた八甲田の方面はガスがかかっており見えない。行く末は見えるのだが来し方が見えないのだ。途中圏外だった携帯電話が突然鳴り出す。
頂上はなぜか電波が来ている。貴田君が荒島岳に登頂とメールを送ってきた。膝の調子はどうなんだろう。温泉で静養しろよ。ザックとウィンドブレーカーが壊れたので愛須君に
注文していたのもメールが入り、青森中央局に郵送するよう依頼する。私の旅もみんなの協力と励ましで続けることが出来る。ありがたいことだ。
 時間があるので下りはゆっくり写真を撮りながら降りる。途中高校生の遭難碑がある。一つは一月の遭難なんだがもう一つは九月の遭難である。一体どうゆう状況であったのだろう。Img_0816 Img_0817 Img_0818

頂上から白神方面、八甲田方面はガス

直下に見える鳥ノ海という池

Img_0819
Img_0822_1   Img_0823
左:どんどん登ってくる登山者
中:爆裂火口、岩木山は休火山だ
右:下山路から北海道方面


 嶽温泉に着くとまづ蕎麦とビール、もう稲庭うどんは無い。宿に帰ると温泉が待っている。安い民宿だから外湯に行かねば温泉に入れないと思っていたら、しっかり宿にある。「お湯は一緒ですよ」女将の言うとおり。入ってみるとこれまた濃い温泉で最高のお湯、毎日毎日良いお湯に出合うのでこの辺でまとめておかないとと言う気になる。てなわけで寝るまでに三回はいる。 
 
  走行10Km 累計 2、357Km  費用3、960円

★嶽温泉(岩木町春霞荘) 2006年9月23日 乳白色(お湯は透明だが湯ノ花有り) 酸味有り、無臭 源泉掛け流し 酸性カルシュウム塩化物泉 ph2.12
 お湯はぬるっとしており濃い温泉 湯ノ花が凄い 
 
★弘前YH(弘前市) 2006年9月22日泊  朝食付き3,050円 
  中心街にあり拠点としては最高、おやつ、コーヒー紅茶など自由、リンゴなどもいただ き人気も高い。

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酸ヶ湯 9/22

2006-09-27 | 旅行記

 2006.9.22(金)     晴 曇り         
 6:00 起床
 8:00 おいらせYH発~R103~傘松峠10:54着~酸ヶ湯11:20着
12:55 酸ヶ湯発~R103~R394~R102~
16:30  弘前YH着

 おいらせYHは到着時も不在だったがスタート時も起きてこない。勝手に出発する。なんて所だ。設備はしっかり整っているのだが、管理がこれじゃ先がない。昨日夕飯を食べた桂月食堂で朝定食を食べる。親父さんは気さくにしゃべる人だが奥さんはなんとも無愛想だ。ま、性格だから仕方ないか。ここから傘松峠まで20Kmの登りだ。ブナの林の中をうねうねとひたすら登り続ける。
 熊よけの鈴をつけた地元のじさま、ばさまが森の中をうろうろしている。じさまが出てきたところをつかまえて、「なに取ってるんですか」「キノコだ、こちらの方で○×◎○○つうだ」何かよくわからない。「道に落ちてる茶色の実はなんですか」「あらぁとつの実だ」やっぱり、胡桃ではなかった。なんだ栃の実だったのか。道理で簡単に割れると思ったよ。俳句変えなくちゃ。
 まづ蔦温泉がある。名のとおりブナに蔦が沢山絡んでいる。写真のは小さい木だが大木には太い蔦が絡んでおり、まるでアナコンダみたいで気味悪い。最後には寄生宿主のブナをも枯らしてしまい、蔦だけがゼンマイ状に残っているのがある。アマゾンのシメコロシノ木と同じだ。自分自身も栄養が摂れなくなりやがて枯れていくのだ。人間でも同様の奴がいる。Img_0791
 右には蔦川が流れており、滝の音など聞こえるが今日は覗いている余裕も無い。左の蔦沼も同様だ。R394の分岐の所に日本三秘湯谷地温泉がある。車でほいと行ける湯が秘湯なのだろうか。続いて猿倉温泉がある。これらの温泉を混ぜているのが十和田温泉なので全部入ったことになるのかな。ここで変な奴に会う。原付でツーリングしているのだ。良くこの坂を登ってきたなーと思う。熊の話や何かして分かれる。その内傘松峠に到着、2時間半のアルバイトだ。八甲田も望めるが、上部はガスがかかっている。登山は諦め、
酸ヶ湯に行くことにする。Img_0795 Img_0796 Img_0798_1
笠松峠、ガスの八甲田山
地獄沼はもうもうと湯気がたっている。
温度はお風呂ぐらい。

 途中饅頭ふかしの入り口の所に地獄沼というのがあり、灰色の湖面から湯気が立ってもの凄い光景である。降りて手を入れてみると、丁度いいお湯だ。しかし誰も入っていない。
酸ヶ湯はウィークディでも中々の人出で、混浴に女性の姿もちらほら。
バスタオル巻くぐらいなら入るなよな。男でも一人バスタオル巻いて入ってる馬鹿がいる。男女別の湯もあるのだから、そちらに入れよなあ。
  混浴と言っても湯船の左は男、右は女と決められている。湯船は千人風呂と熱湯があり、大勢入っている千人風呂に浸かっていると、知らない間に誰もいなくなる。熱湯に若い女性が入ってきたためだ。あきれた人たちだ。酸ヶ湯というだけあってやはり酸っぱい味がする。
 酸ヶ湯でもうひとり凄い女性に会う。ドイツの娘さんで自転車でアメリカを回り、北海道から青森に来ているという。片言の日本語でよくわからないのだが、キャンプでまわっているらしい。今日は十和田に降りるそうで十和田湖のキャンプ場を尋ねていた。参ったね、なんとたくましい女性だこと。壮絶な旅してるみたいで泥んこだ。何か親心が湧いて同じ方向なら温泉ぐらいおごってあげるのに。おじさんのちんたら旅が恥ずかしくなってきた。
 酸ヶ湯から下は快適な下りで、城ヶ倉大橋の上から岩木山が見える。独立峰だけあって
形がよい。これは登らなくてはと言う気になる。この後は弘前まで岩木山に向かってひた走る、ずっと岩木山が見えるのだがなかなか近づかない。Img_0801Img_0804


岩木山、富士山のようでいい形



 途中歩道を走っていると、急に階段になっている。「自転車に乗ったままこの階段を降りないでください」、、、、そんなやつおらへんやろ。Img_0802  

  走行67Km 累計 2、347Km  費用7、690円

★酸ヶ湯 2006年9月22日 600円 乳白色 源泉掛け流し 超有名なので略
 混浴ヒバの千人風呂に入る。打たせ湯、掛け湯、熱湯など有り 
 
★おいらせYH(十和田湖焼山) 2006年9月21日泊  素泊まり2,970円 
  老夫婦が何十年と続けられていたのが代替わりしたそうだ。食事も出来ず、到着時も出 発時も人がいない、最低。

★峠列伝(16)傘松峠 青森県国道103号線 2006.9.22
         困難度 5  風景 5  水場 有り  歩道 無し
         紅葉シーズンは観光バスで大変

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十和田湖、奥入瀬へ 9/21

2006-09-27 | 旅行記

 2006.9.21(木)     快晴         
 6:00 起床
 9:10 黒森YH発~R103~発荷峠11:07着~休屋12:05着
12:40 休屋発~R103~奥入瀬渓流~R102~
      おいらせYH(焼山)15:30着
15:40  おいらせYH発~十和田温泉~      
17:30 おいらせYH着

 大森YHの管理人は黒沢さんという。宿泊客は一人だったので、いろいろな話をしていたら、歴史に大変憧憬の深い方で、私の昨日の疑問に的確な答えをいただいた。ひとつは
尾去沢鉱山の公害の件であるが、やはり鉱毒、煙害は勿論のこと沈殿池(残渣を溜めるダムであり、大規模なものである)の決壊による街の被害とかあったそうである。小坂鉱山も同様の銅鉱山であるが20Kmも離れた大湯でさえ煙害の被害があったそうである。
 それは彼が諏訪家というかつての大湯の大地主の文書を調査している中に、各地からの被害の訴えの手紙があり事実が認められるところである。現物を何通か見せてもらったが
大正時代のもの、戦前のものなどなまなましい記録である。荒川の松田解子さんからの手紙もあるそうだ。こういった負の遺産を後世に残すべく努力されている方がおられて安心した次第である。日本人は禊ぎの文化と言おうか、こういう歴史上の影の部分を捨て去る傾向にあるようだ。大陸における大虐殺の事件や細菌部隊の問題など戦争における事件もそうであるが公害や人権侵害、強制労働など産業における分野での事件や事実をもっと歴史上の日の当たるところに出さないと、歴史なんて学問は一体何なんだと言うことになる。
 ストーンサークルのこともいろいろ教えていただき、大体私の予想と当たっていたので、
これも安心した。他の縄文遺跡でもあるように、元来は墓穴(ここの場合は甕棺)の表面に石を輪に並べたものだが、祭祀的な要素が加わり大規模なストーンサークルになったのではないかということである。
 秋田県の自殺率の高さについてもお話しし、秋田県民の一途さもひとつの理由ではないかということであった。自分が失敗したり、行き詰まったらもう他に逃げようのない性格、
これが自殺に追い込まれる原因ではないかと言うことである。やはり人生、あそびがないと苦しいと言うことだ。あそびばかりでもいかんのだが。
 今年の熊の出没についても言及があった。昨年山の実、果実のできが大変良く、繁殖が旺盛であった。今年は雪が遅くまであったせいか実が少ないそうである。それでこの時期
人家近くまで、あちこちで出没しているようだ。
 お話をしていると出発が遅くなってしまった。峠越えもあるのでお礼を言って早々に大湯を出る。秋晴れの国道を快調に走っていると、ガードレールがゴーンと音がする。熊でも激突したかなと振り返るがなにもいない。それが何度か繰り返す。どうも朝の日に当たり、ガードレールが膨張して音を出しているようだ。

 秋晴れに ガードレールも 背伸びかな     うとく

 R103沿いは滝の名所でいくつか看板もあるのだが、熊の話で脇道にはいるのが怖ろしくなり、道沿いの滝だけ鑑賞する。止めの滝、中の滝が有りその間も美しい滑(なめ)で楽しい街道である。Img_0769 Img_0772 Img_0773

左から止めの滝、中の滝、中間の滑







 ブナ林の街道も当初は感動したが、毎日走っているとどうってこと無くなってきた。美人の嫁さんのようなものか。クルミの実(本当にクルミか確かめていないのだが)はだんだん増えて、避けきれなくなってきた。やむなく踏んでみると、熟れているせいか割れてしまう。もう乗り上げてふらつくこともないのだ。

 胡桃割る 19インチの たくましさ      うとく

 発荷峠はブナ林の続く美しい峠である。初めてブナ林を走る人なら感動ものだろう。
峠自体はなんてことはないが、その先にある十和田湖の展望は素晴らしい。絶景とはこのことをいうのだろう。

 栗踏みて 十月遅れの はつにかな     うとく   Img_0775
Img_0777_2Img_0776
発荷峠と展望台からの十和田湖



 今日は秋の交通安全週間の初日らしくて、パトカーや関係者の車が十台ほど幟を立てて通り過ぎてゆく。これが工事中の道路と相まって渋滞となる。一体なんのこっちゃ。
休屋(やすみや)までの下りは一気である。ここに秋田県と青森県の境がある。十日に秋田県に入って以来十一日間、秋田は美しい景色が多くあった。Img_0778
Img_0779  休屋は十和田観光の拠点である。

秋田、青森県境の川と休屋からの十和田湖


 十和田科学博物館が特別展準備中で無料なので入ってみる。十和田湖の生成、カルデラ湖の説明が主である。
 お昼をとろうと思うが、各レストランとも客引き合戦で大変である。オフシーズンの哀しさか。私はこれが大嫌いで、客引きのいないレストランに行く。ところがやたら高い、しかもどこも同じような値段だ。ばかばかしいので止めにして、先を急ぐ。
 第二のカルデラの部分の半島は峠となっている。湖の周回は平らという先入観があるので、結構つらい。Img_0780

峠からの眺望

 降りきったところに、食堂があり寄ってみる。ラーメンとご飯、ひじきと山芋短冊、漬け物が付いて五百八十円、安い、正解。
 いよいよ奥入瀬渓流に入る。私はここは十和田湖に注いでいるものと思っていたので、登りになると覚悟していたのだが、逆であった。すこぶる気持ちの良い下りなのだが、明日またこの分を登り返すのかと思うと、嬉しさも半分である。さすがに天下の名勝、滝や淵の名所が限りなく続く。最初のうちは止まって写真を撮ったりしているが、きりがないので止めた。遊歩道にはウィークデイというのに意外と多くの観光客が来ている。紅葉の季節ともなればこの街道は観光バスが増え、自転車で走るのは困難になるのではないか。下ってゆくにつれ渓谷も広くなり、ただの川になってくる。 Img_0782 Img_0786 Img_0789 Img_0787
銚子の滝、双白髪の滝、
白糸の滝、渓流







 おいらせYHに着くと、鍵がかかっている。電話をすると買い出しに出ているので待ってるようにとのこと。これ幸いと十和田温泉にゆく。今日もいいお湯だ。
 口直しに十和田三部作川柳をどうぞ
 
 カルデラは BCGの 地球版(年代がわかりますな)  
 休屋で 関西弁を 思い出し
 奥入瀬も 下ってしまえば ただの川
 
  走行51Km無し 累計 2、280Km  費用10,892円

★十和田温泉(洗心館) 2006年9月21日 単純温泉 370円 猿倉集合引泉  無色透明 源泉掛け流し 加水、加温無し サウナもあり優しい湯 
 
★黒森YH(鹿角市大湯温泉) 2006年9月20日泊  一泊二食4,720円 
  源泉掛け流しのお風呂有り 歴史、政治、経済、文化管理人さんとお話しすると楽しい もう少ししっかり掃除して欲しい、立派な建物だから。
Img_0768

★峠列伝(15) 発荷峠 秋田県 国道103号線 2006.9.21
       困難度 3  風景 5  水場 有り 歩道 無し
       展望台からの眺望は一級品

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尾去沢鉱山から大湯温泉へ 9/20

2006-09-26 | 旅行記

 2006.9.20(水)    曇り 快晴         
 6:00 起床
10:05 ゆきの小舎発~R341~県道66号~マイランド尾去沢12:00着
14:00 マイランド尾去沢発~県道66号~大湯環状列石~
16:30  黒森YH(鹿角市大湯温泉)着      

 夜はびちびちと雨が降っていた。朝の空もどんよりとしている。大森YHは管理人さんが午後出かけるので遅い目に到着してくれということで、出発もゆっくりとする。写真を撮ってもらったり、ブログの更新をしたりして10時に出発する。Img_0747

ゆきの小舎前で

  熊沢川沿いの道は緩い下りでほとんど漕がずに進める。フラワーラインと名付けて、地元の女性会などが分担して花を育てている。サルビアや万寿菊などが満開で、何キロも続いているのは本当に美しい。数日前秋田の道をくさし、自殺率との関係まで言及したことを改めて撤回する。心優しい人たちが花を育て、道をきれいにしていてくれる。ここ鹿角は秋田の中でももっとも自殺率が高いのだって、道との相関関係は無さそうだ。

 サルビアに ペダルの足を はげまされ   うとくImg_0748

 R282に入り、花輪の町に入る。マイランド尾去沢は昭和35年廃坑となった尾去沢鉱山の跡地に坑道見学、資料館、その他娯楽施設を併設したテーマパークである。鉱山おたくとしては是非行かねばならない。時間的余裕があったのも幸いして、6Kmの道のりを尾去沢に向かう。これが結構な登りで苦労する。鉱山が山の上にあるのは当然である。
 やっとの思いで到着すると、予想どおりお客は少ない、料金は800円が値上がりして1,000円となっている。郵貯クラブで割り引いてもらって900円。佐渡金山と似たようなものか。石切沢という実際の坑道に入る。坑内はコンクリートで固めたりして無くて、露岩のままである。地盤はしっかりしているのだろう。尾去沢鉱山は和銅年間の開坑で、日本で一番歴史のある大鉱山であろう。当初は金山として開発されたが、近代においては銅が主の鉱山である。
 明かりはあるものの一人で坑道内を行くのは結構気味悪いものだ。カツーンカツーンというクリートの当たる音が響く。グランドマインキャニオンといって鉱脈の部分だけを掘ると縦に湾曲した、地底のキャニオンが上下に何十メートルと続く、圧巻である。Img_0755_1
Img_0754
グランドマインキャニオン、写真では迫力が表せない。 

 江戸時代の実際の坑道や、近代坑の作業の様子などが人形を使って展示されている。とにかく何キロも歩くので、普通の人なら参ってしまうのではないか。
 秋田は鉱山が多く、周辺にもかなりあるのだが、もちろん操業している鉱山は無く、展示しているところもここぐらいだろう。秋田魁新聞社から「秋田の鉱山」という本が出版されており、読んでみたいと思ったが重いので諦めた。
 資料館は無料なのでじっくり見学する。水替え(水の汲み上げ)に使用する汲み上げ器が佐渡のように回転式でなくて、単純な引き上げ式になっている。現物も絵図面もそうなのだ。同じ江戸幕府が管理していても違うのは、佐渡の職人の技術が優れていたのかなと想像する。そしてこの鉱山も過去の栄光のみ強調し、負の遺産である公害問題や朝鮮人徴用問題などには一切触れていなかった。銅の採掘を1200年もやっており、戦時中の採鉱量がピークを示していることからそれらの問題はあったに違いないのだが、残念である。 マインランドの下に採鉱場跡が残っており、発電所や研究所として使用されている。大きな煙突がそのまま残っておりもの悲しい。Img_0750
Img_0761
選鉱場跡、煙害を出した煙突はそのまま残っている。 

 昼食はいつもどおり稲庭うどんを食す。青森に入ったら無いかも知れないので焦って食べている。みそたんぽもおいしい。鹿角はきりたんぽ発祥の地と宣伝している。
 県道66号線を通って環状列石に向かう。先に現物を見て、いかなるものかをストーンサークル館で顕彰しようと館に入ると、団体の客と間違われて観覧券を手渡された。本来は観覧料を払わなければならないが、まあいいかと思い見学する。しかしなんか落ち着かなくて、結局環状列石って何なのかよくわからなかった。Img_0762 Img_0765

野中堂環状列石と万座環状列石

 YHに着くと、管理人さんが魚釣りの格好をしている。帰ってきたのかと思い、「釣れましたか」と聞くと、「これから行くのよ、お風呂入っといて」なんてまあのんびりしていること。
   
  走行49Km無し 累計 2、229Km  費用2,523円

★大湯温泉黒森の湯 2006年9月20日 黒森YH内  食塩泉 大湯温泉上ノ湯か ら引泉 無色透明 源泉掛け流し 加水、加温無し 外湯も何カ所かあるのだがYH内 の温泉も珍しいのでここだけににしておく。

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八幡平と後生掛温泉 9/19

2006-09-20 | 旅行記

 2006.9.19(火)    雨 曇り         
 7:00 起床
 8:10 ゆきの小舎発~志張温泉(バス)8:36~八幡平山頂駅9:16
 9:19 駅発~八幡平山頂9:36~山頂駅9:51
10:00  山頂駅(バス)~後生掛温泉10:24
13:09 後生掛温泉(バス)~志張温泉13:26
13:40 ゆきの小舎着      

 夕べも断続的に雨が降っていた。今朝もどんより曇っている。台風は日本海に、しかも秋田のそばにいるではないか。覚悟して出発、雨のせいにしてバスを利用する。大沼、後生掛、大深、蒸の湯と今日も多くの温泉を過ぎ、標高が1300mとなったときガスが出てきた。運転が危ないほど濃いガスで、おまけに風も強くなってきた。山頂駅に着いたときは視界が10m程になり同乗の登山客はみなレストハウスに消えてしまった。私は一人頂上に向かう。頂上まで往復40分、下りのバスに間に合わすなら30分で帰ってこなければならない。天気が良ければ山頂から登山道を後生掛温泉まで歩く予定だったのだが、この天気じゃ歩く気はしない。石畳の登山道を行くと霧は雨に変わり、風は一段ときつくなってきた。ガマ沼の湖面が波立ちぞっとする。カメラや合羽を取り出す時間も惜しい。
やっと山頂の木の柱が見えた。山頂は1613m、ここは岩手県である。17分かかっている。合羽を着、カメラを出して、撮影即出発する。めがね沼、鏡沼を巡り山頂駅へ着く、9:51充分の時間である。バスの連中はそのまま帰りのバスに乗り、全員後生掛温泉で降りる。Img_0724 Img_0727
山頂とめがね沼


 時間はたっぷりあるので、地獄巡りをする。雨風は相変わらずで地獄巡りにはぴったりだ。迫力は玉川に負けるが規模はこちらが大きい。沼だの火山だのいろいろの自然現象が楽しい。まずは写真でご覧あれ。
Img_0735Img_0741 Img_0739
右から伝説のオナメ、モトメ
中は大湯沼、右は泥火山

 後生掛という変わった名は伝説に由来するという。妻子ある牛飼い九兵衛が病に倒れたとき助けられた巡礼と三年間暮らすこととなる。帰ってこない夫を訪ねてきた妻はその事実を知る。次の朝巡礼は地獄谷に身を投げ、妻もまた「後生を掛けて」後を追ったそうである。オナメ(妾)モトメ(本妻)、要するに三角関係のもつれというところか。
 哀しい伝説はさておき温泉は最高である。神経痛に効く神恵痛の湯を中心に泥風呂、打たせ湯、サウナ、露天風呂、気泡の火山風呂、そしていちおしが温泉の蒸気を利用した木箱の蒸し風呂である。これは本当に暖まり、サウナのように頭まで熱くならないのが良い。たっぷり時間があると思っていろいろ入っていたらあっという間に一時間半が過ぎていた。おもむろにあがり鹿角うどんとビールで昼食、いやはや良いお風呂でした。Img_0744 Img_0746

後生掛温泉とゆきの小舎

 バスで志張温泉からゆきの小舎までの小道を歩いていても、なんだか楽しくて一人で笑ってしまう。天気は良くなかったけど素敵な一日であった。後は洗濯をして自転車の整備をして、ブログを書いて、ゆっくりやすむ。 

★ゆきの小舎 鹿角市八幡平(志張温泉) 9/18~19 一泊二食4,900円      
  夫婦とロコ(犬)で迎えてくれるユニークな宿、最初は由紀子さんが一人で開いたと  か、温泉も近く静かで落ち着く一件宿。ご飯とってもおいしい。

 こほろぎと 花でむかへる ゆきの小舎    うとく

★後生掛温泉 八幡平  日帰り400円 単純硫黄泉 超有名温泉につき説明略
  自然研究路(地獄巡り)は一見の価値有り
  馬で来て 足駄で帰る 後生掛  パンフより
    
  走行無し 累計 2、180Km  費用3,580円

コメント (1)
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台風13号 9/18

2006-09-20 | 旅行記

 2006.9.18(月・祝)    雨 曇り         
 6:00 起床
 8:10 風と石ころ発~R341~12:00 玉川温泉着
13:20 玉川温泉発~R341~
15:30 ゆきの小舎(鹿角市志張温泉)着      

 台風13号が九州に上陸、過去に例のない大型台風ということで各地で死者が出ている。こちら田沢湖も凄い風が吹いて、真っ黒な雲が漂っている。大事を取って昨日休むより、移動しておけば良かったと思うが後の祭り。今日は雨覚悟で出ることとするが、風がつらそうだ。なにしろ40Kmは登りだし、道だってどんなか解らない。マスターは早くから起きて食事と昼のおにぎりを作ってくれている。おにぎりは自転車の者だけのサービスだそうだ。自転車は一番大変だからということだ。ありがたいことである。ばたばたと準備をするが、あせって何度も入れ忘れたり、出し忘れたりいらいらする。自分自身で天気に対する不安があせりになっていることがわかる。「焦るな落ち着け」自分に言い聞かせて準備する。お礼をいって石ころを出る。風でまともに進まない。すこし行くと、茶立ての清水という水場が現れる。休日とあって何人かが汲みに来ている。休憩所などもあって、気持ちの良い水場だ。地域の俳句の会が句の投函箱を用意している。季節ごとに開函するようで、やはり秋の句かなと思い一句投函する。

 颱風の 心なごませる 清水かな     うとくImg_0705

 30分も行かないうちに雨が降り始めた。バッグにビニール掛けたり合羽を出したり大わらわである。やっとスタートしたら雨がやんで暑くなる。合羽を脱いだらまた降ってくる。月山の時もそうだったがどうも皮肉なこととなる。これをマーフィの法則というそうだ。

 脱いだら降り 着たらあかるる 九月雨   うとく

 鎧畑ダムのあたりで本降りになってきた。覚悟はしていたものの雨は情けない。風が収まってきたのがせめてものなぐさめか。休みのせいか車の少ないのも助かる。渇水期のためダムの上部は水が無く、草原がゴルフ場のようになって続いている。対岸に赤い屋根が見える。村がダムに沈んだあとも村人が世話をしているのか、鎮守の社が高台に残っているようだ。白い木だから白樺であろうかその周りに生えている木々が妙に風に吹かれて騒いでいる。なんとなくもの悲しい風景ではある。

 沈みたる 村の鎮守に 秋の風       うとく 

 宝仙湖という玉川ダムでできたダム湖を過ぎるとすばらしいブナ林の街道となる。月山以来団栗はよく落ちていたがこの辺ではクルミが沢山落ちている。自転車にとっては危険この上ない。途中新鳩ノ湯なんて一件宿の温泉があって、温泉好きならたまらないだろうなあと思いながら通過する。玉川温泉近づくと登りが急になってくる。雨の登りは合羽のせいで暑いこと、こうなるとゴアテックスも関係ないようだ。スノウシェッド(雪よけのひさし、これが正式な名前らしい)とスノウシェルター(雪よけでアーチ状になったもの)が続き、不思議と通過時に車が来るのだ。これもマーフィの法則なんだろうか。雨が緩くなって合羽脱ごうかなというとき山の上部にガレ場が見える。おお、玉川温泉か。不治の病も治してしまうというあの有名な玉川温泉が見えた。Img_0706

  感動して写真を撮るが、実は後で解ったことなのだが玉川温泉はそのガレ場(地獄というのかな)の下にあり、見えているのは焼山というものであった。峠は近いと思ったが、その後の坂のきついこと。やっとこさ新玉川温泉の入り口の駐車場に着く。そこには数台のワゴン車やキャンピングカーが駐車しており、いずれもテントを張り生活用品が山積みされている。どうも施設湯治宿のようである。藁をもすがる思いで来ておられるようで、神妙な気持になる。
 腹ぺこなので、おにぎりをいただく。マスターの優しい気持ちに涙が出そうになる。こんなおいしいおにぎりは初めてだ。
 雨も完全に上がったようなので、玉川温泉に行く。国道から急な下りを降りてゆくと、大勢の客、観光客も相当いるようだ。硫黄の臭いが鼻につき、噴気孔から噴出するガスのシューという音がもの凄い。箱根や別府の地獄も凄いがここの比ではない。川も黄色の熱湯が流れ、その上流に噴泉が湧き出ている。ここは岩盤浴が主流で、皆ゴザを持っていい場所を探しているが、どうも噴気孔の近くがいいようで、その周りに集まっている。しかしその場所は臭いが強く数分で頭痛がしてきそうだ。物見遊山で来ている人は熱くもない場所でピクニックのようにゴザを広げ、真剣に岩盤浴している人はやはりそれなりの病気の人なのかなあと思うと複雑な気持ちになる。Img_0708 Img_0709
Img_0712
噴泉とその付近


 せっかく来たので足浴だけして玉川温泉を後にする。登りはまだまだ続き、山の中にいくつも地獄が見える。登りが終わり峠かなと思うが、表示もなく下りでもない。だらだらと進み、大場谷地園という湿原に着く。そこからが下りとなった。赤川、トロコ、銭川、東トロコなど小さな温泉が続き、やっと志張温泉に着いた。ゆきの小舎に着くとさっそく志張温泉元湯に行く。弱アルカリのいいお湯である。ゆきの小舎ではおいしい夕飯をいただき、明日は八幡平と後生掛温泉に行くこととする。台風はどうなってるのかな。
  
  走行61Km 累計 2、180Km  費用31,152円

 ★風と石ころ 仙北市田沢湖町 9/15~17 一泊二食4,800円      
    夫婦と三人の子供さんが日常生活の中に迎えてくれる、暖かい宿。自転車のツーリン  グにはおにぎりを作ってくれる。本当にありがたい。料理も最高 五つ星

 ★峠列伝(14)2006年9月18日 玉川温泉の峠 R341秋田県
 困難度 3  景観 5  水場 有り  歩道 無し  峠名が解らない、周囲は温 泉だらけ

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田沢湖マラソン 9/17

2006-09-19 | 旅行記

 2006.9.17(日)    曇り         
 7:00 起床
 9:00 風と石ころ発~田沢湖一周~郷土資料館
15:30 風と石ころ着      

 夕べは雨が降ったようだが朝にあかってあかるい朝を迎えた、完全に雨の予報なので大事をとって延泊しているのになんてこったい。田沢湖もまだ行ってないし、温泉もゆっくり入りたいし、ブログも3日分溜まってるしまあいいか。
 鶴の湯に行くという同宿のI君を見送って田沢湖に向かう。今日は田沢湖マラソンなのだ。スタート地点はサロメチールのにおいがたちこめ、緊張した選手でごったがえしている。いつかこんな場面にいたなあとなつかしく思い出す。マラソン中に無くなったK先輩
の姿がそこにあるようで、妙に哀しい。 Img_0691
Img_0692

スタート前の緊張感、右は河童淵のランナー達

Img_0697 駒ヶ岳とランナー


 田沢湖一周道路は20Kmあり、今日は規制のため車は走っていない。またしても独り占めだ。両側に杉と広葉樹が交互に現れ、隙間から湖面が見える。さわやかな朝の空気の中を最高のサイクリングだ。河童淵といったろうか、自転車道の終わったところで10Km,20Kmのランナーの集団がやってきて、しばし見物する。マラソンはやるもので見るものではない。面白くも何ともない。みるとそこには県天然記念物の大松や蚕魚墳(さんぎょふん)という慰霊の墳がある。写真を撮って暇をつぶす。ランナーが少なくなった頃を見計らって出発。潟尻という所に辰子像というのがあり、いかなるものか見てみたいのだが、警官が居て道路を渡れない。しばしゆくとフルマラソンの先頭がやってきた、上位ランナーはえらい剣幕で走っている。一番苦しい距離なのだろう。
 御座石神社というのがある。名の通り大きな平らな石というより岩が湖岸に広がり、そこに大鳥居が立っている。この神社は開運厄除、勝利成功など月並みの御神得の他に美貌成就というのがあり、ご心配の方はお参りされたらと思う。

 秋と云えば 波打越しぬ 御座の石     露月 山人
 折からの風で波立っており、句の通りの景色である。Img_0701 Img_0702

 出発点に帰ってくると、10Km,20Kmの選手がゴールしており、皆完走証などを大事そうに持ち三々五々帰ってくる。走っているときの悲壮感は消え、満足そうだ。
 郷土資料館というのがありさっそく訪ねてみる。無料で助かったが、特段のものはなく残念である。天然記念物の玉川温泉(明日行く予定)の北投石が唯一興味をひいた。現在は持ち出し厳禁なので過去に持ち出されたものだろう。
 その後は一昨日行った水沢温泉につかり宿に帰る。
  
  走行40Km 累計 2、119Km  費用1,250円

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秋田駒と乳頭温泉 9/16

2006-09-19 | 旅行記

 2006.9.16(土)     曇り         
 6:30 起床
 7:30 風と石ころ発~8:17 高原温泉着
 8:19 高原温泉発(バス)~8:40八合目着
 8:44 八合目発~阿弥陀池~9:50 男女岳着
10:05 男女岳発~横岳~焼森~11:10 八合目着
11:40 高原温泉着~乳頭温泉郷黒湯温泉
16:30 風と石ころ着      

 風と石ころの私の部屋から駒ヶ岳が見える。朝一番見上げてみると、山頂に雲がかかりかけている。空は思い雲がかかり、庭の木々は風になびいている。昨日と正反対である。月山でもそうであったが、前日アプローチの段階では最高の日和なんだが、登山当日はどうもよろしくない。天気予報は今日以降だんだん悪くなるのでチャンスは今日しかない。 めげそうな気持を奮い起こしてスタートする。「このあたりは風が強いんですよ」マスターのいうとおり、宿を出ればすぐに風はなくなりときおり日も射してきた。田沢高原温泉に着くと二人の登山者が居る、「バスはここから出るんですか」「19分に来ますよ」
あと2分だ。ばたばたと自転車を電柱にくくりつけ、停車場に急ぐ、同時にバスが来た。
八合目までの道は土日祝日はマイカー規制でもちろん自転車も入れないのだ。やむを得ずバスを利用した訳であるが、実は大正解であった。うねうねとした急登は果てしなく続き、こんなとこ自転車で登れるか、マイカー規制のおかげさま。バスは定員の半分ぐらいの客で埋まり、すべてが駒の登山者である。死の山月山と違い秋田駒は若者の山と思うのだが
客はすべて中高年で、私など若手の方である。苦労せずに周りの景色だけが変わってゆく。白樺から岳樺そして低い灌木とクマザサとなり、八合目に着くとそこは森林限界である。 登り始めると眼下に箱庭のような景色が広がり、田沢湖も姿を見せ、頭上には昨日見たと同じ形の駒ヶ岳がでんと構えている。ガスが出ないうちに登ってしまおうと早足でゆくが、年配の登山者の足の速いこと、どんどん離され、ついにはひとりぼっちになってしまう。阿弥陀池は男女岳と男岳の鞍部にある大きな池だが何でこんな処にあるのと言う感じである。ガスと風邪が出てきた、とにかく寒い、自転車のウェアは通気性はよいが保温はまるで駄目、それでも合羽着ないで頑張る。歩きにくい階段状の登山道を登ること20分あまりで男女岳頂上(1637m)である。
Img_0672Img_0675 Img_0674
田沢湖を望む
ガスのかかり始めた阿弥陀池
男女岳頂上

  秋田駒ヶ岳は男らしい男岳、やさしい女岳、一番高い男女岳でなっている。さしずめおかま岳というところか。ガスの合間を見て写真をパチリ、とにかく寒いのでさっさと下りにかかる。同じ道を下るのも能がないので、横岳、焼森を経由して下る。横岳から見る男岳の南面は急峻な壁で尾根はやせ細っており、冬山ならなかなかのルートになるのであろう。焼森は名の通り木も草もない坊主山で、硫黄鉱山の上部にあり有毒ガスのせいなのだろうか。 Img_0682
Img_0683男岳南面と焼森山頂


 このルートは誰にも合わず、いつものようにふらふらおりてゆく。するといきなり八合目のバス停が視界に現れる。マスターにもらったバスの時刻表を思い出し、ザックから取り出す。ややっあと15分しかない。その次は35分待ちなのだ。バス停はかなり下の方に見える。ちんたら歩きを止め、しゃきっと走り出す。なんども転びそうになるのをこらえて、祈るような思いで下っていくと、灌木の中からいきなり八合目に飛び出した。バスが上がってきて登山客がぞろぞろ降りているところであった。
 なんともスピード登山を終え、楽しみの乳頭温泉に向かう。道標では乳頭温泉郷3Km
と書いてある。乳頭温泉郷は秘湯で有名であるが最近では道路も完備され、行きやすくなっている。時間的にも余裕があるので、奥の方の温泉と思い、黒湯温泉に行くこととする。
黒湯温泉は乳頭の中でも二番目に開かれた古い湯で、最初に開かれた鶴の湯に対して亀の湯と呼ばれていた時期もあったとか。湯治客も多く、露天風呂や賽の河原はよく雑誌などに掲載されている。
 温泉高原から乳頭への道はブナや樺の楽しい道で、自動車で走り去るにはもったいない、自転車向きの道である。何度か上り下りを繰り返し、休暇村に着く。そこからまだ急な坂道が見えている。ここまで来たら止める訳にはいかない。すぐに「熊出没注意」の看板があり、急に心細くなる。幸い熊も魔物にも出合うことなく、黒湯の駐車場に着く。なんと7Kmも走っている。

 前輪で ぷんと跳ねれば 団栗の実      うとく

 沢に下ってゆくと、藁葺きの事務所や湯治場の建物が並んでいる。上ノ湯は混浴の内湯と露天風呂、下の湯は男女別内湯と女子露天風呂となっている。その間に木造茅葺き、モルタルの湯治棟が立ち並ぶ。 Img_0685 Img_0686
Img_0687 左から中央の広場、賽の河原
湯治棟



 入浴前にすこし食事をと行動食を食べていると、運搬車に荷物を運んでもらい、年配の夫婦らしき二人と車の運転か若い女性の3人組が湯治を終えうちに帰る姿が見えた。あちらこちらの棟に挨拶をしているところをみるとそこそこの期間を過ごしていたに違いない。なにか晴れ晴れとした感じで帰って行った。すると入れ替わりに、大きな荷物を抱え二人の人がやってきたのである。こちらは慣れない風でそわそわしている。湯治場の日常の風景なのだろう。
 上ノ湯の内湯に入る、混浴といえども男ばかりだ。無理もない、こんなにこぢんまりした処じゃ入れないだろう。隣に打たせ湯がある、もちろん源泉の打たせ湯である。「白い湯なのになんで黒湯なんですかねえ」「木や金が黒くなるからでしょうかねえ」そういえばロッカーのキーや賽の河原あたりの木々は真っ黒になっている。露天風呂でも見ず知らずなのにたわいもない話が弾んでいる。皆真からゆっくりしているようだ。下の湯も入り
帰り際に気になるので黒湯の名の由来を聞いてみた。「ふたつの説がありましてね、お客が来るよ来るよがなまって黒湯になったのと、かつてこのあたりは黒湯沢という地名でしたので多分これが本当の由来でしょうな」とのこと。確かに上ノ湯、下の湯とも大きな沢の流域にあり、結構急峻な沢で上部にはガレ場も見られる。黒湯沢の黒は岩を表す「クラ」
から来ているのかも知れない。
 
 白き湯に 黒き身体の 湯浴みかな      うとく
 またくるよ 入れ替わりたる 湯治客     うとく

  帰り道、高原温泉の土産物屋兼食堂に寄りいつものように稲庭うどんとビールを注文。
付き出しにみずという山菜の醤油煮がでる。こぶの部分が最高にうまい。ひょっとしたら
小説月山でじさまが自慢していた山菜ではなかろうか。店の主は自転車で来たのがよほど
気に入ってか、秋田県の地図を持ってきて「いづぎたがや」とか「どこさいぐがや」とか
しまいには「おらならそげな自転車がうぐれいなら軽のぐるまがうだ」なんて訳のわからないことを言っている。「いぶりがっこもうめな」というと「おらのうじでづぐっただ」といって持ってくる。確かにこれもうまい。
   
  走行26Km 累計 2、079Km  費用3,620円

 ★ 黒湯温泉  9/16 日帰り 500円 
   硫化水素泉  酸性硫黄泉 源泉掛け流し 飲泉有り。超有名に付き略

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角館逍遙 9/15

2006-09-19 | 旅行記

 2006.9.15(金)     快晴         日中24度
 7:30 起床
 9:50 ファームイン緑の風発~R46~角館樺細工伝承館~青柳家~R46
      ~R341
17:10 風と石ころ(田沢湖)着      

 最高の朝が明けた。暑くも無し寒くも無し、快晴。今日の行程は楽勝なので朝もゆっくりする。宿は他に泊まり客も無く、二階建ての別棟を独り占めであった。主はもちろん農家なんだが冬は角館伝統の樺細工を行っているということだ。民宿は春夏が主で別棟の維持費程度が入ればということである。農家としてみれば理想的な感がするのだが、、、
 樺細工とは山桜の皮を使った工芸品で茶筒が全国的に有名である。私は三十数年前雑誌で見たこの樺細工が気に入り、当地へ出張する先輩に頼んで買ってきてもらった経緯がある。当時としても結構高かったような気がするが、現在も美しさは健在で、現役で頑張っている茶筒である。
Img_0653
緑の風

 

 咲かぬなら 燃やしてしまえ 樺細工   のぶなが
 パロってみたが、なにか焼き討ちにでも合いそうな感じがする。まじめに二句

 稲穂刈る 剛の手つかひ 樺細工   うとく

 咲かぬとも つねにみにをけ 樺細工   うとく

 角館は東北の小京都と呼ばれる。落ち着いた風情の町並みで、ウィークデイといえども多くの観光客で賑わっている。武家屋敷街の一角にある樺細工伝承館を訪ねる。樺細工の歴史や行程等の展示、作業の実際の様子も見られよく理解できる。歴代の名工の作品は家具調度から和室まで見事な作品が並んでいる。しかし私は佐々木さん(昨日の宿の主)のように農業の傍ら冬の手仕事として作られている作品の方が親しみが感じられるのだが。 次に斜め向かいにある青柳家を訪ねる。Img_0660 Img_0659

 武家屋敷と青柳家

 上級の武士の屋敷跡なのだが、明治以降のコレクションなどもあって、見るものがたくさんある。「赤水の日本地図」は日本で初めて緯度経度を記した地図で長久保赤水という学者が作製したものであるが、伊能忠敬よりも以前にこのような精巧な地図があるということは感動ものである。また青柳家にゆかりのある小野田直武という武士は画家でもあったのだが実は「解体新書」の挿絵を描いているのであって、現物が展示してあるのも驚きである。いまひとつ「謎の西郷写真」をご存じの方はあろうかと思うがこれまた青柳家のコレクションの中にあるのだ。私はテレビで見たと記憶しているのだが、上野の西郷さんとは似ても似つかない西郷隆盛の写真である。(本物の西郷さんかどうかは不明である) 
 屋敷内にある食堂で稲庭うどんをいただく、秋田に来てから昼食はいつもこれである。
少々高いが実にうまい。店によってだしの善し悪しはあるが、腰というかつるつる感というか、食感がすこぶるよい。値段は600円から950円の間である。
 角館を出、田沢湖に向かって秋晴れの中を走る。右手に特異な山容の山が現れる。秋田駒ヶ岳だ。山は眺めた瞬間にいい山とどうでもいい山に分かれる。もちろん山自体はいいも悪いも無く、人間の勝手な判断なのだが。秋田駒はいい山である。是非登ってみたい、一見してそう思ったのだ。Img_0664

  
  走行52Km 累計 2、053Km  費用2,930円

 ★ 水沢温泉  9/15 日帰り 500円 
   硫化水素泉  源泉掛け流し 内湯露天とも熱いめ、ぬるいめがあり打たせ湯も源   泉でうれしい。青みがかった白濁湯で硫化水素の独特のにおい有り。飲泉有り。

  ★ ファームイン緑の風  一泊朝食 5,250円  9/14泊
   ログハウス風の別棟、設備は完璧で田園、牧草地のの中にあり落ち着くこと請け合   い。

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角館へ 9/14

2006-09-19 | 旅行記

 2006.9.14(木)        晴れ         日中22度
 7:00 起床
 9:45 ユースパル発~R7~R13~R46~
15:30 ファームイン緑の風(角館) 着      

 公営のユースホステルユースパルは収容52人の大きな施設だが、どうも利用者は3名で男は私一人の様子だ。昨晩も大浴場を独り占めしており、今朝も一人で朝風呂をいただいた。職員さんの方が沢山いて申し訳ない気がする。
 国道を7号線から13号線と南下していると、県道56号線と交差し、自転車歩行者は地下道を通ることになる。この地下道は3日前本荘方面から来た時通った地下道である。
道路管理者は歩行者と自転車等を保護する優れものの地下道と思っているだろうが、実はとんでもない欠陥品である。3日前は秋田大橋から秋田駅方面の案内看板に従って走ってきたのだが、この地下道でとんでもない方向に行ってしまったのである。まず地下道に入るとぐるぐると2,3回ループを廻って地下交差点に出る。ループのおかげで方向感覚はまるで無し。そこで道案内に頼って出口を探すのだが、この案内が実にふざけており、○○小学校とか××公園とか地元の人しか解らない場所ばかりなのだ。自動車の交差点は本荘方面とか大曲方面とかわかりやすく書いてある。道はね地元の人ばかりが使う訳じゃないの、地元の人は書かなくてもわかるの。
 大体、歩行者用地下道ってのは最低である。この旅で最初の洗礼は山科の1号線外環状の交差点であった。あの急坂をサイドバッグ付けた自転車で上り下りしてみろ、ほとんどの人は不可能だぜ。なんでエンジンついた車やオートバイがスイスイ楽して自転車や歩行者がえらいめせんなんねん。車いす用にはエレベータまでつけてなんぼかねかけてんねん。
歩行者すんなり通して、車を上か下かに走らさんかい。まあバカ行政にはそんな発想も浮かばないだろうけど。
 秋田の市街地を離れ、国道が橋の上に上がったとき南方に山影が見える。鳥海山だ。Img_0648


うっすらと見えるでしょうか、鳥海山って秋田じゃどこでも見えるのか。

 R13も殺伐とした道である。ふと気づいたのだが、近畿、北陸、信州といろんな国道を走ってきたがいずれもちょっとしたスペースにベンチや水場、芝生の丘などあって休憩できる場所があったのだが、東北では一向にお目にかからない。山形で農業電化発祥の地の東屋があったきりだ。道の駅や食べ物屋などが集まっているところは同じようにあるのだが、無料無人で村の人が世話をしているようなスペースが無いのだ。それは裏返せば合理的な考え方なのかも知れない。道なんて車が走れればそれでいいのだから、余計な施設をつくれば、建設費も維持管理費もかかるわけだから無駄だというのもひとつの考え方だ。
しかし本当にそうであるならあまりにも寂しい話だし、なにせ余裕というかあそびとゆうかそういうものが無いと言うことである。東北三県、秋田、青森、岩手は自殺率がもっとも高いというニュースが流れていた。主因はやはり経済的なものにあるのだろうが、秋田の道路を見て、あそびが無いという感じを受けたのは関係ないのだろうか。
 秋田の道路で気づいたこと、ラブホテルとラーメン屋がやたら多い。私の嫌いなシチュエーションである。
 道路工事のおじさんとまたけんかしてしまった。突然通行禁止ですって追い返された。
「そんなもんもっとはように書いとけよ、ぼけ」昨日の自転車道の件もあるので頭に来る。
関西弁は迫力がある、関係者一同大変かしこまっている。
 R46に入ると俄然静かな走りとなる。荒川と言うところに大盛館という施設があり、資料館などがある。無料なので気をよくして見学する。荒川鉱山といって江戸時代からの古い鉱山のあったところで、その写真展をやっている。佐渡金山同様最終的に三菱合資会社が経営するわけだが、鉱害の問題や労働者の苦労があってこその今日という姿勢は佐渡と違うところだ。
 さもあらん、プロレタリア文学の「おりん口傳」の松田解子はこの荒川の出身で、舞台は荒川鉱山なのだ。実は初めて知ったのだが、、、ぜひ読んでみなくちゃ。Img_0650
  
  走行52Km 累計 2、053Km  費用2,930円

 ★ 角館温泉 花葉館 9/14 日帰り 400円 
   カルシュウム ナトリウム 硫酸塩泉 無色無臭 ややアルカリ
   加水、加温、殺菌だが掛け流し       源泉のウェットサウナが良い

  ★ 青少年交流センター ユースパル  一泊朝食 2,625円 9/13
      併設のユースホステル 設備抜群 本来は夕食もあり
      リーズナブルで秋田城址に近く、観光ビジネスに最適

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男鹿日記(2)9/13

2006-09-19 | 旅行記

 2006.9.13(水)        晴れ 曇り      
 7:00 起床
 9:35 国民宿舎男鹿発~入道崎~男鹿半島一周~R7~
16:25 ユースパル着      

 秋雨前線が停滞し、全国的に雨の予報だが、東北北部日本海側と北海道は好天の様子、何か申し訳ない気持ちで出発する。宿からの急登で、朝風呂でさっぱりした体も汗だくになる。入道崎に向かうツバキロードに出ると、右手に昨日の宿泊地男鹿温泉郷方面の岬、北方彼方に津軽の山影(たぶん白神山地あたりか)、眼下に岩礁の海が見えてとても美しい。Img_0617

遠くに津軽の山が見える

 登り下りを繰り返し入道崎に着く。草原の岬に灯台が立ち、良い景色なんだが、けばけばしい土産物屋が建ち並び、演歌がスピーカーで鳴らされている。素通りをして、岬の端の方で休憩をする。充分美しい、北緯40度の石碑や丁字の句碑などがあり落ち着く処だ。ベレー帽の青年が物思いにふけっており、情緒があるなと思いきや、彼の座っていた跡には空の弁当箱がうち捨ててあった。どっちらけだ。
 菅江真澄という紀行家が文化元年に男鹿を旅しており男鹿の五風という紀行文を書いておられるようだ。芭蕉は秋田まで来なかったけれど似たような人物はおるものだ。Img_0621 Img_0625

入道崎の灯台と北緯40度の線(岩の隙間)

 入道崎から南に向かう海岸線はこれまた絶景で、たおやかな海と岩礁、そして遙かに続く灌木の緑がマッチして飽きさせない。そして何より車も少なく、景色を独り占め出来ること。それにしても今日の海はなんと静かなんだろう。一昨日白波を立て吹き付けたあの同じ海とは思えない。
 
 潮騒の 音たちやみて 男鹿の海     うとくImg_0628 Img_0631_1

入道崎からの海岸線、右は戸賀の海岸大きな岩の影に灯台のある島が宮島
 
 アップダウンを繰り返し、戸賀という入り江に到着、その入り江の端に塩戸というところがある。ここには宮島と呼ばれる岩礁や水族館があり、彼の菅江翁も書をしたためているところである。水族館は何の興味もないのでやり過ごすが、周りの景色は美しい。

 瀬音無き 塩戸の浦の 鴎哉        うとく
  (しおと、掛けてみました)
 左手の山、真山、本山、毛無山はすぐそこに迫って来て急峻な道となる。嫌というほどアップダウンが続き、さすがにくたびれてくる。白糸の滝とか孔雀ヶ窟とか烏帽子岩とか色々出てくるがどうせ道からは見えないだろうとやり過ごす。一番つらいのは、これから行かなければならない遠い道が見えることだ。遙か彼方にかすんでいる。Img_0636 Img_0639

遙か彼方に見える道と椿の群生

 椿というところで足を止める。椿の自生北限という。国の天然記念物である。案内看板の上の小山に群生している。男鹿半島は寒いところと思うが、実は男鹿半島南西面のこのあたりは秋田でも暖かい処だそうだ。海流のせいなのか。今日の行程でもこのあたりが一番暑く感じられる。現に朝からコオロギの鳴き声ばかりだったのが、桜島から椿の間だけ蝉が泣き続けていた。船川から後はまたコオロギの声となるのである。不思議なことだ。

 北の椿 背ひくうにして は色濃し    うとく
  蟋蟀の あるじかはりて 蝉しぐれ       うとく

 すっかり海沿いに降りて坂も無くなった頃、鵜ノ崎海岸にでる。日本の渚100選に選ばれているとか、丁度干潮時で岩礁が数百メートル続いている。

 うのさきに 潟ひろごりて 巌たつ    うとくImg_0641
 (卯の先に辰を掛けてみました)
 
鵜ノ崎海岸 

 男鹿市から先は昨日来た道なのだが、実はここには秋田男鹿自転車道というのがあってあの煩わしい国道を走らなくてもいいようなのである。ところが道標、案内看板等見つからず往路でもよくわからなかったのである。帰路はなんとか探し出して気持ちよく走ろうと目をこらして走る。脇本で思い切って海沿いの小道に入ると、どうやらこれらしい。
船越まで半時間ほど気持ちよく走るが、国道に出てしまう。なお、この間道標、案内一切無し。天王グリーンランドに案内看板があり、秋田まで海岸沿いを走れそう。30分も走ったか、この間は道標、距離看板しっかりあり海沿いの最高の道である。Img_0644
 ところがいきなり「工事中立ち入り禁止」の立て看板あり、クレーン車や飯場がある。
ちょっとまてよ、予告看板も迂回路も無いんだぜ。ままよと自転車を押しながら工事現場を歩いてゆく。ところが先々まで工事は続いているようできりがない。そのうち現場のおじさんが出てきて、道にあがるよう指示される。上がったところが県道56号線、一瞬高速道路かと思う道である。結局その歩道を南進、ついには秋田港のひどい歩道を走らされ
散々の走行であった。8月に走った小松の自転車道と同じ結果である。行政は自転車道なんて眼中にないのだ。もし秋田に自転車文化を追求する市民運動が存在したら、この自転車道を再度世に出してほしい。この道が出来たとき、きっと鳴り物入りの画期的な道であったろう。来年の国体に向けてチャンスだと思うが。

 走行81Km 累計 2、001Km  費用13,232円

 ★ 国民宿舎男鹿  一泊二食 7,300円   お風呂良し、料理、設備は値段どお   りか。一人客値段アップは気にくわない。

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