晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

下部のぬる湯 11/27

2006-11-28 | 旅行記

 2006.11.27(月)     曇り     
 7:15 起床   
 9:45 富士吉田YH発~R139~風穴~本栖湖~R300~
14:30 下部温泉湯元旅館大家(山梨県)~湯之奥金山博物館
17:00 旅館大家着
 
 出発前に雨で錆の来ているチエンに油をやり、前輪に空気を入れた途端にバルブから空気が抜ける。もっともおそれていたことが起こったのだ。実は先日新田家に泊めていただいた折に前後輪のローティションをしたのだが、同じタイヤなのに後輪は簡単に着脱出来るのに前輪はとにかく堅いのだ。新田君と一時間近くかかってやっと着脱できたものだ。
同じメーカーのリムではあるがハブダイナモを使っている加減で品番は違うものを使っているのだが、これほどまでに差があろうとは思ってもいなかった。新田君もこんな堅いタイヤはめは初めてだと言っていた。シューシューといって空気が抜けていくタイヤを絶望的な気持で眺めていたが、一人でやらなければならないと思うと予想以上の力が出るもんだ。30分程かかってなんとかチューブを取り替える。YHの女将さんに聞くと、パーツの揃う自転車屋さんを紹介してくれたので予備チューブを購入する。そんなこんなで一時間以上ロスタイムを生じてなにか気が焦る。そうでなくても空はどんよりとして今にも雨が落ちてきそうで気が滅入ってしまう。焦るな焦るなと言い聞かせながらR139を西に向かう。Img_1879 富士山の最も近くにいながら一度もその姿を見せなかった。


富士吉田の金鳥居、本来なら富士山が大きく見えることだろう。

 河口湖も西湖も国道から遠くて見ることは出来ない。富士五湖へ一体何をしに来たのかと思っていたところへ特別天然記念物鳴沢の溶岩樹型という看板を見つける。富士山が見えないのじゃ富士山の遺物を見ておこうと立ち寄る。溶岩が木の周りで固まり、木が燃えて無くなって穴が残ったというものであるが、立ってるもの寝てるもの様々である。しかし考えてみれば何も鳴沢でなくても富士山の周りにいくらでもあるのではないかという疑問が残る。Img_1886 Img_1889 Img_1884

こんな感じで穴が空いている。




 西湖の南に有名な鳴沢氷穴と富岳風穴がある。どちらも行くわけに行かないので風穴に行く。風穴は溶岩が固まる際に内部のガス等が抜けた後の穴である。富士山には沢山の風穴があるそうだがここは規模の大きい風穴である。奥行きは100m以上あり自然の作り出した大規模な造形である。このあたりはいわゆる青木ヶ原樹海と言われる原生林で、例年何体も遺体の出る自殺の多いところである。奇しくもガスが濃くなり何とも気味の悪い状態となってきた。武田最前線史跡公園入り口というのがあるが、この樹海の中に一人で行く気もしない。上九一色村というのも今では無いのだが、オウムの事件では日本中が注目した村である。Img_1893 Img_1898_1

風穴降り口と青木ヶ原樹海



 本栖湖に着くとガスも晴れ、R300は車も激減でやっと明るい気分になってきた。トンネルを過ぎると凄い下りで、富士川方面の展望が一気に広がる、ただし上部はガスに覆われており南アルプスの展望は期待できない。展望台のところで四国から来た旅人に会う。来年の春は四国に行きますと言ったらいろいろと情報をくれた。四国で再会できることが楽しみである。Img_1903 Img_1906

左:ガスの晴れた本栖湖
右:峠から富士川方面、晴れていれば南アが望める。


 下部温泉への下りは延々と続く、峠って登っただけしか下らないのに、こんなに登ったのだろうか。寒くてスピードは出せない。それでもあっという間に下部温泉に到着、下部温泉はぬる湯で信玄の隠し湯としても有名な温泉、下の方には大きなホテルが並び華やかだが、上部は湯治場があったりで、ひなびた良い温泉場である。宿をとり、湯之奥金山博物館に行く。湯之奥金山は戦国時代に開けた最も古い金山で、武田信玄の軍資金としても重要な地位をなしている。金の採掘から精錬まで行っていた金山衆はその後の佐渡や石見の金山でもその技術の発展に活躍しているのである。Img_1910
 
甲州露一両

走行距離Km(博物館往復4Km)  累計4,900Km   費用2,050円

★下部温泉 湯元大家 アルカリ性単純泉 源泉36.6度 ph8.56 無色透明
      無臭 源泉掛け流し 源泉と沸かしのふたつの湯船がある(古代檜)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の篭坂峠越え 11/26

2006-11-28 | 旅行記

 2006.11.26(日)     曇り~雨     
 7:15 起床   
 9:00 御殿場YH発~R138~篭坂峠~山中湖~
13:40 富士吉田YH着~富士吉田市歴史民俗博物館~
17:30 富士吉田YH着
 
 沢山宿泊したユースホステルの中で一番設備が整っているのは御殿場YHである。整っていると言うより空間の贅沢さや設備の材質が贅沢というところか。同室の男性は珍しく自転車の愛好者で休日を横浜から自転車で来ているそうである。首都圏で自転車の愛好者が多くいることを訪ねると、ここ2,3年の流行であるらしい。決して自転車の環境はよろしくないが愛好者が増えることは喜ばしいことである。横浜から箱根や富士に来るためにR1を使わざるを得ないと言うことも聞いた。地元の人ならきっといい抜け道があるのではないかと思っていたのだが、やはりあの国道を走るというのは気の毒なことである。彼もR246からR1を辿り横浜に帰るという。「気をつけて」と見送って、山中湖に向かう。富士スピードウェイでなにかイベントがあるようで、昨日からスポーツカーやスポーツカー紛いの車が轟音を立てて走ってゆく。スピードも爆音も一段と激しい、良い迷惑である。スピードウェイ近隣の道はみんなカーレーサー気分で走るのだからそれなりの道路にしていただきたい。自転車走行可の歩道は溝蓋の歩道で最低である。R138は全線溝蓋歩道である。歩行者自転車を馬鹿にした国道である。
 諏訪坂という看板があり甲州街道という記述があるが、東京で言う甲州街道とは別物である。Img_1871



 須走のあたりで自動車専用道となり、歩道はどこへ行くのかわからない。適当に進むと富士浅間神社の前に出る。浅間神社は富士の周りに沢山あるが、この神社は大きな神社である。お参りをしている間に雨が降ってきた。予報では夜からの降雨となっていたのだが、がっかりする。荷物と服装を雨バージョンに替え、合羽で出発する。
Img_1872

  篭坂峠(1104m)までだらだらと登る。歩道があるのは最初だけで、後は念仏を唱えながら登る。日曜日とあって大型トラックは少ないが、車は途切れがない。「オンマニペメフム」ヒマラヤで危険箇所ではポーターが念仏を唱えながら歩むというのが実感としてわかった。「南無阿弥陀仏」より「オンマニペメフム」の方がペダル回転によくあう。
 峠付近ではガスが激しくなり、視界は30m程度か、危険防止のためサイドランプを点ける。峠の下りは寒くてたまらない。ブレーキを握る手も感覚が無くなっている。山中湖に着いた頃には歯の根も合わなくなってきた。Img_1875 湖の景色も寒々として興味が沸かない。
 今日は河口湖マラソンが行われているという、宿が心配で富士吉田YHに電話すると大丈夫とのこと、時間は早いがとにかく風呂に入りたい。到着後風呂に向かうべく出かけるが、歴史民俗博物館が今日まで無料とのことでこちらに行く。富士山の信仰、富士講について詳しく展示してあり、興味深く見学する。展望室もあるが、ビチビチと降る雨が見えるだけで富士山は姿を見せない。
 

走行距離47Km(博物館往復6Km)  累計4,900Km   費用6,544円

★峠列伝(29)篭坂峠 R138 静岡山梨県境 困難度 3 景色 不明 水場 無        し 歩道 無し  通行量多し 
        天候悪く風景わからず

★富士吉田YH 朝食付き3,650円 家庭的ナンバーワン 個室

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

箱根旧街道を登る 11/25

2006-11-28 | インポート

 2006.11.25(土)     快晴     
 7:00 起床   
 7:55 箱根湯本箱根の庵発~旧東海道~
 9:25 大芝着~県道75号線~自然探勝路~R138~
      県道401号線~
12:15 長尾峠着~R138~
13:00 御殿場YH着~御殿場温泉会館他
 
 昨日の車の多さを見て、滅入ってしまった。箱根の道はあまりにも狭すぎる。旧道など歩行者も歩けないような状態であった。腹をくくって出発、旧街道は意外と車は少ない。通勤の人や業務関係の車がほとんどで、観光客は少ない様子だ。本来の東海道の石畳がジグザグに登っており、所々で交差している。湯元の家並みが切れるあたりで、見たような人が歩いている。昨日見かけた遍路風の若者である。聞くと昨晩は小田原で野宿し、今日は三島まで行く予定だとか。なかなか元気な子だ。東海道、特に箱根の街道は自転車よりも歩くのが正当だし、楽しいと思う。女転し坂、畑宿一里塚などの名所旧跡がいくつかあり、案内看板があるのだが自転車を降りると、次に動き出すのがたいそうなので飛ばして行く。七曲がり樫木坂であまりに暑いので半袖となる。ここで初めて写真を撮る。一番きついところらしい。勾配は10%と出ている。そうきついとは思わない。八甲田の峠や竜飛の峠の方がよっぽどきつかった。Img_1853 Img_1854

樫木坂の看板と歩道



あっという間に甘酒茶屋に出る。Img_1857


石畳の旧東海道が道を横切る。


 退職した風のおじさんが10人近くカメラを構えて並んでいる。見ているとずっと構えているのだ。藁葺きの茶屋も周りの木々も動くことはないのだが、枯れ葉の落ちるのを待っているのだろうか。紅葉は、昨日からどなたも「きれいでしょう」と言っていたが、ちっとも綺麗じゃない。今までに綺麗な紅葉を見過ぎたせいか、いやもう終わってるで。
 旧街道石畳、お玉が池を過ぎると芦の湖畔を廻る県道との分岐となる。この辺で急に寒くなり、半袖どころかウィンドブレーカーまで必要となる。アップダウンを繰り返し、湖尻に到着、この間富士山の勇姿があるのだが、下っているときであったり多くの車が留まっていたりでチャンスを逃す。湖尻からはやたら車が増えうんざりする。地図を見ると仙石原に抜ける自然探勝路というのがある。自転車で行けるかどうかわからないが、車だらけの国道より良いかもしれない。探勝路はゴルフ場の中を行くオフロード有りの大変な道だが喧噪の箱根にあってこんな静かなところがあるのかという感じのコースである。箱根を訪ね、暇のある方は是非歩いて見て欲しい。全長7Kmである。Img_1859 Img_1858

湖尻から仙石原に続く自然探勝路
大涌谷を望む


 R138に出ると、反対方向はもの凄い渋滞、進行方向は絶え間なく車が続く。乗用車だけでなくダンプ、ローリー車、バスなどの大型車もずいぶん走っている。肩すれすれに追い越して行くもんだから、とことん疲れる。予定は乙女峠越しであったが長尾峠に変更する。これは大正解、車も少なく、箱根の俯瞰を楽しみながら3Kmの峠を越える。
 トンネルを越えると静岡県である。御殿場側の富士山がデンと構えている。五合目あたりまでが白く冠雪し、宝永火口が相変わらず威張っている。Img_1863
Img_1864
長尾峠から芦ノ湖方面
トンネルを越えると富士山の絶景


  7Kmの下りで御殿場に着く。夏なら快適な下りなのだが、寒くてしょうがない。山中湖ぐらい行けるかなと思い、YHに電話するが満室とのこと、御殿場も満室かなと一応聞いてみたらOKである。
 さっそく荷物を置いて温泉会館に行く。真正面に富士山が見える最高のお風呂である。
絵の富士山でなく本物の富士山である。今日は珍しく一日中くっきりと見えたと言うことである。山岳部の冬富士合宿が宝永火口の上部あたりで行われているはずである。のんびり見ているあの富士の一角で寒くて寒くてつらい訓練が行われているのかと思うと申し訳ない気もするのだが、湯上がりにはビールでエールを送ることとした。Img_1865 Img_1866  

温泉会館休憩室からの富士山
合宿は宝永火口のあたりで行われているはず。


走行距離 52Km(温泉食事往復6Km)  累計4,853Km   費用6,544円

★御殿場温泉会館 2時間500円  ナトリウム塩化物硫酸塩泉と弱アルカリ性単純泉         単純泉の混合 循環の様子 無色透明 内湯のみ

★御殿場YH 朝食付き3,990円 立派な設備で清潔 お風呂も気持ちいいImg_1870

★峠列伝(27) 箱根旧東海道(大芝まで) 困難度 3.5 景色 5 水場 有り
         歩道 有り(石畳で使えない) 
         道中見るところが多い
★峠列伝(28) 長尾峠(仙石原から御殿場に抜ける、乙女峠の間道)困難度 2
         景色 5  水場 無し 歩道 無し 
         景色は箱根側、御殿場側とも最高。晴れた日の富士山は絶景。自転車           ならば乙女峠よりこちらの方がずっと良い、、、と思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首都圏脱出 11/24

2006-11-28 | 旅行記

 2006.11.24(金)     晴れ     
 7:30 起床   
 9:10 神奈川YH発~R1~県道30号線~R1~
15:00 箱根湯本箱根の庵着~箱根町立郷土資料館
 
 いよいよ首都圏脱出の日が来た。会いたい人があと二人、下町探訪などもしたかったのだが、とにかく喧噪が嫌でなにか逃げるようにして西に向かうこととなる。元々熱海から大島や新島に渡るつもりであったのだが、自転車同伴では渡れないことがわかり嫌気がさしていたこともある。R1は覚悟はしていたものの大変な走行である。車道走行は無理、歩道は細くて人通りが多い。通勤時間帯は避けたのだが、老人散歩時間帯に遭遇してしまったのだ。犬を連れた人、犬を自転車に乗せた人、夫婦連れ、とにかく杖をついた人が多い。健康のため、リハビリのためという人なのだろうが、1号線以外に歩くところは無いのだろうか。排気ガスと騒音と狭い歩道を散歩する意義は一体何なのだろう。近所にはきっと落ち着いた、安全な散歩道があるのではないかと思ってしまうのである。とにかく細い歩道ではすれ違うことが出来ないので凄く時間がかかる。東海道の街道沿いだけあって松並木や宿跡の史跡が多くあり楽しいはずの通りではあるのだが、、、、、。 Img_1845
Img_1849
左:東海道だけにこのような案内が沢山ある。
右:今も残る松並木


 藤沢の手前で歩道は自然と県道となる。本意では無いのだがR1は勝手に車道だけトンネルに入りどっかに行ってしまうのだ。この県道が正解で車は少なくなるは、道は広くなるはで、あっという間にR134の湘南海岸に出る。白く雪で着飾った富士山が遙かに見え、感激感激、しかも海岸沿いの自転車道路まである。左にサーファーの遊ぶ湘南海岸、右は砂防の松林、前方に富士山と最高の景色を楽しみながら走る。Img_1846Img_1848 

富士山遠望(茅ヶ崎)と湘南海岸のサイクリングロード


 平塚の手前でサイクリングロードは終わり、後はまた歩道を行く。大磯には本格的な東海道の松林が残っており、素晴らしい太さの松が続いている。マツクイムシにやられないことを祈るばかりである。西湘バイパスが始まるあたりで「太平洋自転車道」という看板を見つける。行きつ戻りつやっと探し当てたら、そこは終点であった。ちゃんと書いとけよな、どこからどこまでって。この辺で遍路スタイル風の若者に会う。さすが東海道だけあって歩いて巡っている人もあるのかななどと思う。
 小田原から箱根方面は大渋滞、宿が心配になる。KKRに電話すると満室とのこと、なんとなく不安になる。案内所に飛び込んで「とにかく安いとこ」って頼むと、「大丈夫ありますよ」てんで蕎麦屋の旅館を紹介してくれる。温泉は露天風呂なんかもあり中々の懲りようで満足、食事は外でしたが高くてさっぱり、800円の瓶ビール呑んでしまった。
 箱根町の民俗資料館に立ち寄る。箱根の歴史、特に温泉巡り、一夜湯治の資料が詳しくおもしろい。江戸時代に世田谷の国三郎という人が伊勢、京都大阪、金比羅から宮島を巡る86日間の旅をした資料がある。様々な物の値段などや金銭出納帳がきっちりつけられており、今の値段に換算すると1日あたり9,620円かかっているそうである。私の方が少し安いかと思うが、似たような額であり感心する。

走行距離 67Km  累計4,801Km   費用10,251円

★箱根の庵 箱根湯本 蕎麦屋さんで宿泊も可 6,450円(税含む)
      温泉は掛け流し ナトリウム塩化物硫酸塩泉 低張性 高温泉
           無色透明 露天風呂有り

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治は遠くなりにけり 11/23

2006-11-28 | 旅行記

 2006.11.23(木・祝)     曇り     
 8:30 起床   
 9:50 神奈川YH発~県立歴史博物館~お茶の水界隈・明治大学博物館~小田急~      相鉄~JR~
16:30 神奈川YH着
 
 桜木町駅周辺はランドマークタワーやアイランドタワー等横浜の人気のスポットであるが、その一角に横浜正金銀行本店跡に県立歴史博物館がある。昨日訪れたが時間的に余裕が無く、今朝の訪問となる。建物自体が充分に歴史的価値があり、展示物で特徴的なものは近世の街道文化特に東海道の街道文化、そして幕末から明治期の横浜開港の歴史であろう。私が気に入ったのは「一夜湯治」という現在の温泉巡りが江戸時代の箱根において根付いたことである。それまでの温泉は湯治あるいは病気治療の場であって、決して観光、物見遊山の場ではなかったことだろう。江戸の庶民が箱根七湯へ観光のために出かけたことは現在の温泉巡りの形態として初めて現れたことなのだろう。Img_1833 Img_1830

桜木町界隈と県立歴史博物館


 午後はお茶の水界隈へ出かける。卒業以来出かけたことのない古本街や喫茶店、行きつけの食堂などがどうなっているか結構興味深いものがある。お茶の水で下車し、ニコライ堂から小川町方面に降りてゆく、水道橋方面に行くと古本屋が立ち並んでいるが、数は減っているのではないか。もっと軒並みに大小の古本屋があったように思うが、そのうえ休日とあってシャッターが降りている。反対に盛況なのがスポーツショップで数も増え、総ての店が賑わっている。世の流れの通りの現象かも知れない。明大のほうに向かって登って行くと、ありました、キッチンジローが、ハンバーグに目玉焼きの着いたのをよく食べたものだ。そしてあこがれつつも遂に入ることの無かったロシア料理サラファンの店もある。古いボルシチのチラシは当時のままではないか、いやそんなはずもないか。Img_1839 Img_1840

キッチンジローとサラファン



 明治の本館はなくなり、リバティタワーというもの凄いビルになっている。おかげでいまだに寄付の案内がくるのだが、、、、、。その先に明治大学博物館というのがある。考古、刑事、商品等の大学が所蔵する資料を展示しているのだが、特に刑事博物館を前身とする刑事部門は特筆を要する。江戸期を主にした確保用具、牢の実態、拷問具、処刑具など現物あるいは文献で展示してある。十手やサスマタなどの展示は可愛らしいところもあるが東西の処刑具の現物や磔の現物写真などは強烈である。撮影不可の表示は無いようであったので写真に撮ることは出来たのかも知れないが、流石にシャッターを押す気にはなれなかった。特に西洋の女性用の処刑具で鉄の処女と呼ばれているものは、両開きの鉄の人形の内部に数十本の鉄の針(針と言っても直径は2,3センチあろうか)があり、閉じるとその針が肉体を突き刺すという恐ろしいものである。再度開いたときには遺体は下に落ちるようになっており、手の込んだ処刑具ではある。処刑の歴史は冤罪の歴史でもある。罪もない多くの人々がむごい処刑具で殺されていったのかと思うと何ともやりきれない。Img_1841 Img_1843

明大リバティタワーと博物館案内



 あまりにも強烈なこれらの展示品は将来非公開となるおそれがあるのではないかと思う。人権に関する大学側の考え方も表示してあるが、明治の校歌が迫害を受けたと同様、外圧というものが起きうるかも知れない。興味ある方は今の内に見学されると良い。無料である。
 お茶の水駅近くのよく行った中華料理店は無くなっていた。料理のできが早くて、ラっと言えばラーメンが出来、ギョっと言えば餃子が出てくるという塩梅だ。そんなこと無いか。河野さんお好みの娘さんも居て良く連れられていったものだ。その代わりに駅前で、関西では馴染みのないコロッケ蕎麦を食べる。
 生田校舎も見ておきたいと思ったのだが、横浜からお茶の水まで立ちっぱなしの電車に乗ったおかげで腰が痛くてたまらないのだ。自転車であれだけ山川を駆けめぐっても大丈夫な腰が、一時間あまり電車に乗っただけで痛むとは、なんとも世のサラリーマン諸氏は厳しい環境で仕事をしているのだなあと思う。小田急に乗ったがそのまま相鉄で宿に返る。
 向ヶ丘遊園が無くなり、まるで野原であった百合ヶ丘以西がえらい開けている、孤狸庵先生もあの世で驚いているだろう。

走行距離 0Km  累計4,734Km   費用4,500円

★神奈川YH JR桜木町徒歩7分 宿泊のみ2,980円 古いけれど立地条件は最高

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉は大賑わい 11/22

2006-11-28 | 旅行記

 2006.11.22(水)     快晴     
 7:00 起床   
 9:35 大和第一ホテル発~大和藤沢サイクリングロード~江ノ島~R134~
      鎌倉~鎌倉街道~R16~ 
15:00 神奈川YH(JR桜木町)
 
 東京横浜を自転車で回るのは大変危険と思い、大和あたりに連泊して電車で廻ろうと決めたのだがホテル代が高いのでYHを探す。鎌倉にあるので電話するが29日まで休館とのこと、やむなく横浜まで行くことにする。大和市のガイドブックを見ていると大和藤沢自転車道というのがある。境川という川の右岸を自転車道としているようだ。ホテルから適当に東進し、境川に突き当たるがそれらしいものは無い。普通の道を南下するとらしくなってきた。都市部の自転車道だけあって完全分離は難しく、一部車道併用になったり車道を横断したりしながら繋がっている。しかしウィークディというのにジョガーや散歩の人、ロードレーサーで練習の人、MTBや普通の自転車でポタリングの人などもの凄い人出だ。Img_1823 Img_1825

大和藤沢自転車道、田園地帯が広がる。



 一週間前に走った江戸川自転車道も人気の道であったが、今回それ以上の人気だ。特に境川が江戸川や利根川などと比べ小さな川だけに感心する。これほど親しまれている道も珍しい。全長は30Km弱だが貴重な存在である。また、 この周辺が田園地帯であることも驚いた。
 途中休憩所でエイドステイション茅ヶ崎店というトライアスロンのショップに電話する。滝川君というかつてのトライアスロンの仲間が店長をやっているのだ。と言っても10数年も前のことだし、今どうかはわからない。はたして電話の答えはつれないものであった。会いたい人に会えないとわかると急にがっかりするものである。
 藤沢から適当に南下し江ノ島に行く。学生時代にも何度か来たところなので写真を撮って素通りする。稲村ヶ崎も鎌倉も同様、特に鎌倉はもの凄い人出で自転車を止める気にもならない。鶴岡八幡宮、建長寺、大覚寺など人気のコースを走って行く。
狭い道なのだがロードレーサーも多いのだ。先程の湘南の道もそうなんだがロードレーサーがやたら多い。Img_1826 Img_1828

江ノ島と稲村ヶ崎



 Img_1829

鶴岡八幡宮はこんな賑わい。


こんな車だらけの道で練習するのは気の毒だと思うが、きっと絶対数が多いのだろう。
 横浜に入ると道は広くなり走りやすくはなるが、車の多いことは相変わらずだ。桜木町に着くと歩道を押して歩くこととなる、人も多くなってきたのだ。お巡りさんに道を聞きYHに着く。
 滝川君には会えなかったが、今日はもう一人会う人がいる。中学校の同級生の藤原さんだ。私の旅を応援してくれていて、ブログも見てもらっているのだが恥ずかしいのでコメントはしませんというお方だ。中華街で食事をする。ご主人が簡保事業団(今は郵政公社なのかな)にお勤めなのでいづれお世話になるかとも思う。お別れにビール券まで頂いて感謝至極。ありがとうございました。

走行距離 57Km  累計4,734Km   費用9,420円

★大和第一ホテル 大和駅前 6,900円 古いけれど高い、周りもみんな高いようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学生時代の街は 11/21

2006-11-23 | 旅行記

 2006.11.21(火)     曇り     
 7:00 起床   
 8:55 狭山ビジネスホテル松井発~R16~R467~
15:30 大和第一ホテル着~南林間往復 
 
 本日は旧暦の10月小春の入りだそうだ。小春日和の一日ということだ。静かなルートを楽しく走りたい日和なのだが、昨日同様交通量の多い国道を耐えに耐えて走ることになるのだろう。
 狭山(埼玉県)は泊まるだけになり申し訳ない。ホテルを出てすぐに「市歴史民俗博物館 信号手前左折」の表示があり、その通り行くが見あたらない。次の信号かなと思い行くがそこにも無い。重い荷物でうろうろ探すのはご免だ。もう少しわかりやすい案内をしていただきたい。そういえば狭山は石川被告の狭山事件のあったところだ。最近あまり聞かなくなってきたのだがどうなっているのだろう。
 R16は千葉県富津から横須賀まで東京を環状に走っており有数の幹線国道である。果たしてその通行量たるや恐ろしいもので、とにかく車の切れ目が無い、しかも大型のトラックがほとんどで自転車で走るのは最悪。道路の造りも悪く、入間を過ぎたあたりかとんでもない交差点があった。歩道を南下していくと、横断歩道が無い、横断陸橋があるのだが自転車用の歩道ではなく、自転車では通行不可である。やむなく車道を車の合間に無理矢理横断し、歩道を行くがすぐに歩道は切れる。車道を進むのは道幅、通行量から言って無理、仕方なく元来た道を100m程戻り反対側に移って細い歩道を行く。近くに学校があるらしく学生が多く、そのほか主婦やお年寄りも自転車の人間は大型のトラックの間を右往左往、こんなひどい交差点は初めて見た。狸しか通らない高速道路造るよりなんとかせいよな。Img_1809

横断歩道無し、陸橋は通れず自転車は車の間を右往左往
最悪の交差点

 やがて左に米軍横田基地が現れる。行けども行けども基地が続き、国道沿いは米兵向けの横文字の店が並ぶ。
 八王子や町田のあたりでは道幅も狭くなり歩道も消える部分があって、そこを大型のトレーラーやトラックががんがん通るのである。通学の子供達や住まいしている人々は一体どうしているのだろう。一瞬通り過ぎる私でさえこれだけ困っているのにだ。
 国道は八王子で本線とバイパスに分かれる。バイパスは有料で八王子の街を迂回することができる。ここに歩道があればこれほどありがたいことはない。白バイのお巡りさんに聴いたが、要領を得ない。ままよとばかりバイパスを行く。有料部分が近づくと「自転車通行禁止」と書いてある。いや、よく見ると「自転車、車道通行禁止」なのだ。歩道なら良いと言うことなら、歩道が続いているはずだ。なるほど歩道は続いており、自転車や歩行者がそこそこ通行している。住宅地が続いているからだ。住宅地の先100mほどで歩道は行きなりきれる。最初からバイパスは通り抜けられないと書いてくれよな。こういう裏切られ方はもう何度も経験しているのであまり腹も立たない。自転車の文化なんて永久に日本には根付かないのだろう。Img_1814 Img_1815

左のように続いている歩道が
右のように突然無くなる。予告もなしに。


 昨日同様歩道の狭いところも多い、ところが昨日と少し様相が違うのだ。避けてくれないのだ。確かに狭い歩道をでかい荷を積んで、幅広く走っている私は気に入られないかも知れない。しかし避けなければ事態は解決しないのだ。歩道は歩行者優先といっても、避けなければお互い進むことはできない。おやじと若者は特に避けることはない、権利意識とは少し違うと思うのだが。
 南林間は学生時代4年間を過ごしたところだ。今回は下宿や風呂やアルバイト先のスーパーなどを訪ねてみたい。大和市まで行けばホテルもあろうかと思い、大和の駅前のビジネスホテルに泊まる。今までと違い料金が2割方高い、総てそのようだ。荷を解いて電車で南林間に向かう。33年ぶりの駅に降り立つのは流石にドキドキした。良く通った中華料理屋、タイプのお姉さんの居たクリーニング屋、どれも無くなっており、古い商店街の面影はすっかり無くなっている。そりゃそうだ、今住んでいるところだって33年前とは雲泥の差があるもんねえ。お得意のお風呂屋さん松ノ湯さんはありました。私が学生の頃は近所に米兵の宿舎が沢山あって、ポパイのような兵隊さんがよく風呂屋に来ていたもんだ。Img_1818 Img_1819

中華料理屋やクリーニング店のあった通りと
残っていたお風呂屋。


 当時のスーパーは忠実屋というスーパーで、できた頃は街の唯一のスーパーで賑わっていたものだ。卒業後忠実屋が経営的にあやしくなってきたのを日経紙で見たが、やはりすっかり変わっている。忠実屋が駄目になってダイエーになり、それも駄目になって、今は一階が生鮮食料品のスーパー、二階は100円均一のショップが半分、残り半分は空き屋状態、3階は真っ暗で使用不可の状況、当時の華やかな面影は微塵もない。私はここである人を見つけ出したかったのである。当時忠実屋で味噌やお漬け物の店をやっていた荒井さん夫婦に合いたかったのだ。そのまま店が無くても、なにか手がかりが得られるならと思っていたのだが、この様子では皆無である。学生時代に本当に良くしていただき、出世返しは出来ないけれど、お礼を一言言いたい夫婦なのである。街は華やかになったけれど、このスーパーで働いていた店員さんやフランチャイズの人達、みんなお世話になった人達なんだけど、会社の破綻やなんかで一体どうなったのだろう。
 下宿は台所付き4.5畳の部屋が4部屋ある建物で、私が入ったとき新築第一号であった。大家さんは大野さんといい退職された夫婦であった。もう建て変わって見つからないかなあと思い、そのあたりをうろうろするが、周りがすっかり変わっているので場所の見当が付かない。相当歩いてやっと見つけた。当時のまま残っており、明かりもついている。
綿々と下宿人が続いているのだ。大家さんの表札は養子さんの姓になっている。と言うことは大家さんは亡くなられた様子、呼び鈴を押すも返事は無し。Img_1817 Img_1820

左:旧忠実屋
右:茶色の建物が33年前住んでいた下宿


  周辺を歩いてみるが当時の面影を残すものは何もなく、宿に帰ることにする。小田急の南林間駅は原町田の次の急行停車駅だったのだが、今は中央林間駅に取って代わられホームの片側は空き地となっている。なにか寂しい思いがするスーパーと駅であった。

走行距離 65Km  累計4,677Km   費用9,733円

★大和第一ホテル 大和駅前 6,900円 古いけれど高い、周りもみんな高いようだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の走行 11/20

2006-11-23 | 旅行記

 2006.11.20(月)     雨     
 7:30 起床   
 9:50 本庄ホテル発~R17~県道173号等~森林公園~東松山~R17~
15:30 狭山ビジネスホテル松井着 
 
 今日も雨の予想だが午後は明かりそうなので出発する。というよりホテルでじっとしているとイライラしてくるのだ。晴徨はともかく雨読ができない。もう私には仕事はないのだからバタバタすることは無いのだけれど、だめなんだ。合羽を着て出発する、動いてさえいれば落ち着くのである。R17は相変わらずもの凄い通行量で総て歩道を走ることとなる。幹線国道のくせにちゃちな歩道で、私の自転車で精一杯である。向こうから歩いてくる人は端に避けて待っていてくれる。申し訳ない気持いっぱいで「こんにちはありがとうございます」と大きな声で挨拶するが一人として返ってこないのだ。これは東北、北関東ではあり得ない現象なのである。みんな挨拶されたことが迷惑なようにじっと押し黙っている。人によっては目線が合わないようによそを向いているのだ。都会ってそんなもんかよ、寂しいねえ。
 深谷のあたりで渋沢栄一の生誕の地なんて看板が現れる。諸井泉衛が交流があったと記してあったが要するにご近所なのだ。
 熊谷の手前に来るとずーと続いている車の騒音に耐えきれなくなって、右に折れる。一瞬にして雑音は消え、楽しい走りとなる。問題は道路案内が無いことだ。そのうち森林公園なるものに出た。なかなか大きな公園で、しかもサイクリングロードがある。森林公園駅まで29Kmの表示もある。2.9の間違いじゃないかと近づいてみるが、点の取れた跡もない。走り出すと紅葉と杉の緑で美しいロードだ。ところがあっという間に終わってやっぱり2.9Kmであった。Img_1807

森林公園サイクリングロード、紅葉がきれい


 森林公園駅からは道がさっぱりわからない。適当に東、南に向かう。とR254に出逢った、あとは簡単元のR407に戻り、ひたすら南下する。
途中杉並木のおしゃれな歩道に出逢う。よく見ると日光街道杉並木の表示がある。道理でりっぱな杉がうっそうと茂っている。Img_1808

日光街道杉並木歩道



 止んだかなという雨もまた降り出し、あたりも薄暗くなってくる。こうなると余裕はない、ひたすら漕ぎ続け、顔も服も泥だらけ、早く宿を見つけなければ。宿を見つけるには駅を見つけること、駅を見つけるにはNTTのアンテナかメインの道路を見つけるのが常道。ところが西武の狭山の駅はこの常道に反している。スタンドや交番で聴き倒してたどり着いた駅は坂の上の路地の奥のような所にあり、こらわからんわ。駅が見つかれば宿は簡単、京都を思い出させるホテル松井に泊まる。自転車好きの職員さんに親切にしていただき、おいしい店を紹介してもらった。一昨日の串、沢屋といい今日の居酒屋入船といい
ホテルの紹介の店は安くておいしい。
  新聞情報、千葉の竹馬おじさんが遂に千葉県一周を達成したそうだ。おめでとうございます。

走行距離 71Km  累計4,612Km   費用20,855円

★ホテル本庄 本庄駅前 5,800円 朝食 500円 部屋にゆとりがあって落ち着いたビジネスホテル、LANもあり朝食もおいしい。職員さんが親切で連泊した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々の休養 11/19

2006-11-19 | 旅行記

 2006.11.19(日)     雨     
 7:15 起床   
11:00 本庄ホテル発~本庄市歴史民俗資料館~
14:30 本庄ホテル着 
 
 雨の予想、前回の雨の日(11月11日)も行動しているので、白河以来休養していない。今日は休養と決め込む。高橋尚子の走りも見たいし、横峰さくらやタイガーウッズのプレーも見たい。
 午前中に歴史民俗資料館に散歩に行く。旧本庄警察署を復元して資料館となっている。Img_1798_1
関西人には影の薄い埼玉県の街、本庄市も新しい街かと思いきや、中山道最大の宿場町として栄えた古い町なのである。郊外はどこにでもある殺風景な光景だが、旧街道の通る本庄駅周辺は落ち着いた町並みで、各種の商店が連なっている。一歩路地へ入れば白壁の土蔵などが残っており、往時をしのばせる。
 歴史民俗資料館は無料で資料も少ないが、宿場町としての資料が大半である。特異なのは諸井家資料で、東、南、北の諸井三家の明治期の活躍の資料が多く展示されている。南諸井家の諸井泉衛は明治5年に郵便取扱所を開設し、本庄における郵政事業の創始者と言うことである。本庄郵便局(現本庄仲町郵便局)の長を歴代の諸井家が昭和30年まで勤めたと言うことである。郵政の表彰に諸井賞というのがあったが、この諸井家とは脈絡は無いのだろうか。
 資料館の事務員さんがおいしいうどん屋さんを紹介してくれた。消防署の向かいにある
ます屋といううどん屋さんだが暖簾はなく、表もひっくり返っていておよそ食べ物屋さんらしくない。休みかなと思い戸を開けると、なんと満員の盛況である。野菜の天ぷらうどんの並を注文、大盛りは食べきれないので並にするよう言われていたのだ。関西人には合わない甘くて黒い出汁であるが、私はもうすっかり慣れっこになっている。お腹いっぱいになって450円、これは安い。Img_1802_1 Img_1803
おいしいうどん屋と近所の画廊、ユニークな街だ。



Img_1805_1

Img_1804_1旧中山道の商店街と国の有形文化財になっている仲町郵便局

 ホテルに帰ってスポーツ観戦、期待の三人が三人とも負けてしまった。

走行距離 0Km  累計4,541Km   費用2,853円

★ホテル本庄 本庄駅前 5,800円 朝食 500円 部屋にゆとりがあって落ち着いたビジネスホテル、LANもあり朝食もおいしい。職員さんが親切で連泊した。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相馬山登頂 11/18

2006-11-19 | 旅行記

 2006.11.18(土)     曇り     
 7:15 起床   
 9:00 宿舎発~ヤセオネ峠9:37~山頂10:00~ヤセオネ峠10:22~
11:00 国民宿舎吾妻荘発~県道28号線~高崎~R17~
15:30 本庄ホテル着 
 
 宿に荷物をおいて空身で相馬山を目指す。キャンプ場を過ぎ登りにかかったとき、前方に不審物発見。昨日通ったときには何もなかったが道路上に茶色の物体がある。嫌な予感と思いつつ近づくと100キロ以上ありそうな大きな猪である。死んでいるのか気絶しているのかわからないが、自動車と衝突したのに違いない。路上の蛇を何度か記事にしながら写真が無いじゃないかというご意見があったので今回は証拠写真を撮る。急にむくっと起きあがったら大変なので後ろから失礼する。帰りにまだ居たら顔から撮ってあげよう。Img_1786  

大きな猪、南無阿弥陀仏



 登山道入り口からヤセオネ峠までは自転車で行ける。さっきの猪みたいのがでてきたらどうしようと思うと心細い。せめてもの救いは霜柱の道を誰か一人登っている足跡があることだ。りんりんと鳴りの悪い鈴を鳴らしながら行く、やがて鳥居やお地蔵さんが現れ、ヤセオネ峠に着く。鳥居には黒髪大神と書いてある、そういえば苦労が多いせいかずいぶん白髪が増えた。神妙にお参りをし、尾根に取り付く。3人の登山者が現れちょっと一安心、そういえば今日は土曜日だ。尾根は直登で鎖場やはしご等もありかなりきつい。宿にはすぐ帰りますと言っていた手前必死で登る。修験道の山道で、石塔や儀式跡のろうそくや御幣が続く、昨夕来なくて良かった。頂上には簡素な社殿と多くの石塔や灯籠がある。
すべて人力により担ぎ上げられたのだろう、信仰の力は凄い。榛名の最高峰とはいえケヤキだかクヌギだか木が生い茂って展望はよろしくない。神社の由来を見ると、黒髪は髪とは関係なく、本来水の神様だそうだ。Img_1789_1 さっさと頂上を後にし、転がるように下る。どんどん登山者が登ってくる。峠からは自転車でスイスイ、猪は片づけられていた。

相馬山山頂

 宿で準備をして再出発する。池の畔の駐車場にレッカー車が来ている。軽の四輪駆動が停めてあり前方がぐちゃぐちゃだ。「猪と当たったんだって」と話している。死んだ猪も気の毒だが、当たった車も気の毒だ。保険は効くのだろうか。
 一漕ぎで松之沢峠、あとは高崎市まで下りだ。路面が悪いのと寒いのでスピードが出せない。黒岩というロックゲレンデが現れる。昨日谷川岳の山岳救助隊が救出訓練を行ったと新聞に載っていた。名の通り黒い岩で堅そうだが傾斜がきつく難しそうだ。数パーティが取り付いている。あんなことよくやっていたなあと思う。Img_1794



黒岩ロックゲレンデ、取り付いているパーティの声が聞こえる。

 果てしなく続く下りは京都なら京見峠の下りを思わせる。ロードレーサーの練習には良いなあと思っていたら、数パーティが登ってきた、競輪の選手も登ってきた。高崎に着くと少し暖かい、相当下ったためだろう。
 R17は幹線道路でもの凄い交通量だ。歩道もしっかりしており快調に走るのだが、跨線橋のたびに、自転車歩行者通行止めになるのだ。いったいどうせえちゅうねん。勝手にルートファインディングして迂回するのである。何の案内も表示もない。そんな跨線橋が10個あまりあるだろうか。国道が自転車や歩行者のことなど何も考えていない典型である。
 2時を越えると急に暗くなってくる。今日はどこに泊まろうかと不安になり、寄居のかんぽの宿に電話する。どうせ満室だろうと思っていると空いてますよとの返事、一番安い食事で頼むと12,000円とのこと。昨日の国民宿舎の9,950円といい公共の宿は一体どうなっているのだ。伊香保グランドホテルは7,800円だぜ。丁重にお断りして
本庄でビジネスホテルを探す。
 
走行距離 67Km  累計4,541Km   費用13,395円

★国民宿舎榛名吾妻荘 9,975円 榛名湖湖畔にあり大規模な国民宿舎
  国民宿舎って高いよねImg_1783  


宿舎の上にある岩峰、堅くて登れそう。


★峠列伝(26)松之沢峠 群馬県県道28号線榛名湖から高崎に下る小さな峠だが、渋 川から登ってとして評価。 困難度 4  水場 有り  歩道 所々  景色 5
 伊香保温泉までは直登気味できつい(約8Km)その後は綴折れで楽(約8Km)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

榛名富士登頂 11/17

2006-11-19 | 旅行記

 2006.11.17(金)     曇り     
 8:30 起床   
10:50 伊香保グランドホテル発~県道33~
12:48 国民宿舎吾妻荘(榛名湖畔)着
13:05 宿舎発~榛名富士登山道13:40~山頂14:15~登山道14:45
15:30 宿舎着 
 
 榛名湖畔まで行き、榛名山を登るのが今日の行動、ゆっくり起きる。朝風呂も入り温泉街を散歩する。北方に谷川連峰が白く雪をかぶっている。今回天神平から登りたかったのだがこれじゃ登れない。岩登りには何度か訪れたが頂上には一度も行ったことのない山だ。Img_1766
 その他の山々が続いているが一体どの山がどれかわからない、赤城山だけは一番南に見えるのでわかるが、遠くに白く輝く独立峰らしき山は一体何なのだろう。郵便局でお金を用意し宿に帰るが、温泉街は強烈な坂である。これじゃ足の不自由な人など通行できない、
雪になれば車はどうするのかなどと気に掛かる。今日の行程は登り一本なのでどうも気が進まない。重い腰を上げてスタートすると意外と楽に登れる。昨日と違い綴り折れになっているので傾斜が緩いのだ。それでも榛名湖まで14Kmの表示がある。びゅんびゅん追い抜いていく車を尻目にじわじわ登って行く。見上げると恐ろしく上にガードレールが見える。がんばれる秘訣は楽しいことを考えること、着いたら蕎麦食おうとか、帰ったらゴルフ行こうとか。2時間弱で峠を越える。1キロ近い直線が続いたと思ったら、大きな湖と飲食店街が現れる。天空の湖、天空の街である。宿で登山の準備をして出発、湖を一周して榛名富士の登山道に取り付く。ケーブルが山頂まであるので登山道に人影はない。クマザサの山道を一気に山頂へ、ケーブルの駅と立派な神社があり興ざめ、筑波山よりましか。頂上からの眺めは霞んでいてよくない、晴れていれば富士山も筑波山も見えるそうだ。Img_1772 Img_1781

榛名富士と山頂


 山の案内板を見てびっくり、榛名富士(1391m)隣の相馬山(1411m)なのだ。
山高きが故に尊からずと言うことなのだが、どうも気になる。相馬山はアンデスのマチュピチュのようにぴゅんと尖った山で、どこから見ても特徴的な山である。学生時代から榛名山といえばあの独特の形をイメージしていたのである。登って見るべく榛名富士を走って下りる。18分で下りきり相馬山登山道に自転車で急ぐが秋の陽はつるべ落とし、あっという間に薄暗くなってきた。やむなく断念、明日早朝に登ろう。湖畔に榛名湖温泉というのもあり入ってみたいが、もったいないので宿の風呂にする。Img_1776
 
マチュピチュのような相馬山


走行距離 14Km  累計4,474Km   費用1,440円

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木曽川、天竜川?? 11/16

2006-11-19 | 旅行記

 2006.11.16(木)     晴     
 6:45 起床   
 9:00 シルバーホテル発~R122~R354~県道~
14:30 伊香保グランドホテル着
 
 いつものように快晴の朝が明ける。天気予報ではやたら寒さを強調されるのだが、部屋の中からではわからない。とにかく暖かいふうをして出発する。ところがちっとも寒くない。一枚脱ぎ、二枚脱ぎついにT-シャツ一枚となる。それでも登りでは汗が出るのだ。
実はここ10日間ほど悩んでいることがあるのだけど、やたら暑がりのやたら汗かきになっているのだ。普段はどうって事無いけど、普通に就寝して夜中の2時ぐらいになると暑くて汗かいて目が覚めるのである。そのまま眠れないで起きていると暑くはなくむしろ寒いのである。昼間はあまり感じないのだけれど、この時期にいくら登りだって半袖一枚はおかしいのかも知れない。石岡に行った日と今日は半袖一枚であった。
 男の更年期障害を克服してウコンの宣伝をしていたはらたいらさんが亡くなった。男にも更年期障害があり、男性ホルモンの減少が原因で気力減退、精力減退、倦怠感などの症状があるという。実はそれは4年ほど前に味わった、なにもやる気が起きなくて身体がだるくてどうしようもない時期が一年近く続いたものである。しかし今回は女性の更年期障害の特有の熱感、発汗ではないか。そんな事ってあるのだろうか。
 桐生市はかつて製糸で栄えた町と習ったが、今は何が盛んなのだろう。昨日からメインの通りを通ってきたがなんとシャッターの閉まった店の多いこと。閉まった店に落書きがされ余計寂しくなる。古河の町は同じような規模の町と思うが商店街が生き生きしている。
この違いは一体何だろう、町の産業の盛衰もあるだろうが商店街の生き残り策なども影響するのだろう。シャッター街となると止めどなく寂れていくという、寂しいことだ。
 この町では宿泊しただけで何もせずに去っていくようだ。なんとなく申し訳なくてなにか物色しながら走る。桐生明治館といった古い建物があり、なにか展示をしている。何を展示しているか聴くと市民の作品かなんかであった。興味が沸かないので旧群馬県衛生所という建物だけ写真を撮って先を急ぐ。Img_1756



 坂を登っていると、赤城山と渡良瀬川上流の足尾方面が見える。あのあたりが銅山で栄えていたのかと思うと是非要ってみたいのだが、博物館、資料館的なものは無さそうである。勿論公害に関する展示などさらさらないのであろう。やむなく渋川方面に進む。この国道は空っ風街道というのだが今日はそよ風程度で最高のサイクリング日和である。赤城山の景色が角度により変わり楽しい。やがて榛名山方面の山々も見えてくる。実はどちらに登ろうか決めかねていたのである。どちらの山も麓に温泉がある。赤城山の登り口のところで榛名山に決める。形が良いのだ。榛名や妙義のようにむくむくとした山が好きなのである。 Img_1757 Img_1759
Img_1761
左:足尾方面
中:赤城山
右:榛名山


 峠を越えるともうすぐにでも渋川に着くのかと思ったら、だらだらとアップダウンが続く。富士見村のあたりか変な標識を見つける。「一級河川 木曽川」「一級河川 天竜川」
という看板である。どちらも袂には草にまみれた小さな川が流れている。そうか、あの大河もここが源流なのかと思ったのだが、よくよく考えるとちょっと方向が違うぜ。宿で地図を調べてみると木曽川というのは確かにある。天竜川の記述は無いが木曽川同様存在するのだろう。いずれにしても両河川ともすぐに利根川に流れ込む川で、私どもの思う木曽、天竜川とは違う。群馬県もなかなかしゃれたことをするじゃないか。でもあの看板どれだけの人が気付くだろう。Img_1763 Img_1764

一級河川木曽川、天竜川の看板



 渋川から伊香保までは6Kmの登りなのだが直線的に登っていてつらいこと。またもやシャツ一になって頑張る。伊香保温泉入り口のグランドホテルで宿を取る。7,800円は安い。

走行距離 57Km  累計4,460Km   費用10,015円

★伊香保グランドホテル 7,800円 二食付き 部屋は新館のきれいな洋室でLAN
            もあり最高。
★伊香保温泉 黄金の湯 700円(宿泊者無料) 混合泉で加温、加水、循環装置使わ       ず 緑褐色 中性 ph6.8 40度

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本一周って何? 11/15

2006-11-19 | 旅行記

 2006.11.15(水)     快晴     
 6:45 起床   
 9:30 古河グリーンホテル発~県道~野木神社~県道~三国橋~R354~R50      ~渡瀬サイクリングロード~
15:30 シルバーホテル着(桐生市)
 
 長旅を続けていると妙に張り切れる日と嫌で嫌でたまらない日がある。嫌ならそのまま連泊して休養すればいいのだがそういうときに限って居たくない宿に泊まっているのだ。
嫌になる原因は色々 決まらないこと、これといった目標が決まらないことなどだろう。東北や北海道は行き先を決めればルートは必然的に決まってしまうのだ。関東はそうはいかない、網の目のような道路群の中から抽出しなければならない。面倒なことこの上ない。 今日は乗らない日で、目が覚めても起きられない。仕事に行くのが嫌でたまらないときと同様だ。嫌々味気ない朝食を摂る。こういう日は勘も悪い、行きたい場所に全然行けない。野木神社にお参りして谷中湖を横断し、R354に出るつもりが道がわからなくてうろうろしたあげく三国橋に戻り、R354に出たときは2時間も費やしていた。Img_1742

野木神社、乃木大将とは無関係、栃木県に行った証拠。

 三国橋を渡ったところにカスリーン台風の決壊口の碑がある。昭和22年のこととて私など生まれていないときなのだがその名は聴いていた。この大きな川が決壊するのだから恐ろしい水害である。谷中湖は日本の公害の発祥の地と言っていいのではないか。足尾銅山の鉱毒問題は田中正造などの活躍で、日本初の公害として知るところだが、旧谷中村は鉱毒問題を陳情したところ渡良瀬川の水害問題にすり替えられ、村毎移住を迫られ、田中らの反対運動にもかかわらず湖の湖底に沈んだと言うことである。Img_1744
Img_1746
渡良瀬川キャスリーン台風決壊口と谷中湖


 R354とR50を通り桐生に向かうが、この道のなんと交通量の多いこと、特にダンプの通行が大半なのである。はっきり言って、もう関東地方は要らない、さっさと廻って帰ろうと思わせるのである。
 途中館林で足腰の神様というのがある。金のわらじならず、かねのわらじに願いを書いて奉納するらしい。もの凄い数に、足腰の悩みの多いことを感ずる。Img_1748


足腰の神様、子の権現


  おもしろくも何ともないただ埃っぽい国道をジリジリ走る。朝の出発からずっと向かい風が吹いている。冷たく乾燥し、埃っぽい風である。かかあ天下と空っ風、かかあ天下は問題ないが空っ風はたまらない。邑楽郡邑楽町はきっと誰も読めない町だろう。おうらぐんおうらまちという。北海道の函館で紹介した吉井氏の居住地なのだ。本来なら立ち寄るところなのだが、彼はここ数年海外出張中で会うことができないのだ。おうら町とはなかなか響きが良いが、国道から見る限りは埃っぽい所だ。途中美術館とか雷電神社とか古墳跡とか立ち寄りたい箇所はいくらかあるのだが、精神的に余裕がないので総てパスする。風というのは肉体的にも精神的にも負担の多いものだ。
 桐生に入り渡良瀬川を左岸に渡ったら、藤岡ー足利ー桐生サイクリングロードに出た。そんなものあるのを知っていたら走るのに、、、、残りの数キロだけ楽しんでロードは終わった。正面には赤城山、左には鉱毒の面影はみじんもない渡良瀬川、最後の一時間だけ楽しい走りができた。

 日本一周ってなんだ?
 「日本一周頑張ってね」「日本一周やりきってね」などと多くの人に励まされてきた。
あまり頑張るつもりはないのだけど、やはりこだわりがあって途中で止めたくはない。でも日本一周って一体何なのだ。今まで自転車だけでなく自動車でもバイクでも徒歩でも、変わったところでは竹馬でとかリヤカーでとかあるけれど、将棋の棋譜のように経路は総て違うものである。海岸線を忠実に歩いているというのもある、海岸沿いの国道をぐるりと廻るのも多いだろう、県庁所在地を総て廻るというのもある。みんな日本一周なのである。自分自身の日本一周を白いキャンバスに絵を描くように作り上げれば良いのだろう。
私の場合はとにかく48都道府県の地を愛車初恋号で踏みしめることと定義している。例えば栃木県は2泊しているけれど、自動車で訪れているのだ。今日野木神社に参拝に行ったのは単に愛車で栃木の地を踏みに行った訳である。東北や中国地方は各県が旨く並んでいるので、総ての県を巡ることができるが関東地方は難しい。群馬と山梨は前半に回っておけば良かったと反省している。特に山梨は雁坂トンネルが自転車で通行できない以上訪れるのが難しい。

 走行距離 66Km  累計4,469Km   費用8,767円

★シルバーホテル 6,640円 朝食付  古いホテルで割高感有り 職員さんは親切

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山下清の絵 11/14

2006-11-18 | 旅行記

 2006.11.14(火)     快晴       道中21度
 6:45 起床   
 8:40 小金屋旅館(松戸市小金)発~県道~流山~江戸川サイクリングロード~
12:00 千葉県関宿城博物館着12:40発~利根川サイクリングロード~三国橋~
15:00 古河グリーンホテル着(茨城県古河市)
 
 夕べはいささか飲み過ぎで朝がつらい。食堂に行くと同宿の3人に拍手で迎えられる。
一人の方は若いときにバイクで日本一周をやったとか。いろいろ質問攻めで朝食を終え、富山宅にお礼の挨拶に行く。お母さんに挨拶もしなければいけないが、もう一つ今回の旅で会っておかなければいけないものがあるのだ。もう37,8年前富山宅に数回泊めてもらい、当時塾をやっておられたのでその広い教室で二人布団を並べて休んでいたのだ。
その部屋に一つの絵が額に入れて掛けてあり、「おい、あの下手な絵は妹が描いた絵か」
「ばか、山下清だよ」「えっなんで山下清の絵がここにあんだよ」「常磐線界隈を放浪してたろ、それを親父が連れてきたんだよ」なるほどあの親父ならやり兼ねん事だ。その絵をもう一度確かめたいのはずっと思っていたことである。お母さんに言うとさっそく持ってきてくれて、おもむろに袋から出すと、百合とあじさいのクレパスで描かれた絵である。
当時思っていたより繊細で緻密な絵である。クレパスは当時の富山君のものを使ったらしい。庭に咲いていたあじさいと百合を飾ったら、2日間じっと眺めていたそうだが、3日目から描き始め一週間ほどかかったということだ。描き上げる頃には花はすっかり枯れてしまったとのこと、その様子を近所の人も見に来ていたということだ。富山君は銘が無いのよと言っていたが、絵の裏には「書き上げた日昭和30年云々山下清」と鉛筆で記入してある。彼の作品集にもない貴重な作品である。Img_1726


本邦初公開「百合とあじさい」




 お礼を言って宿に帰り、再出発、今日はサイクリングロード特集だ。宿の前の道を西へ西へ進むと江戸川に出る、ここは全線サイクリングロードが走っており、快適この上ない。
河川敷ではゴルフ場、野球場、サッカーコート、滑空場など様々な遊びができる。ウィークディというのにゴルフ場が満杯なのはやはり近郊のせいか。ロード上もジョギング、ロードレーサー、マウンテンバイク、普通の自転車と賑やかだ。野田市は醤油の本場でロード沿いにキッコーマンの野田工場もある。Img_1729 Img_1730

河川敷のゴルフ場が続く、右はキッコーマン野田工場



 途中竹馬に乗ったおじさんにあう、逃げ出したのだろう孔雀がいたりして退屈はしない。
江戸川が終わるところに公園と関宿城博物館がある。利根川の歴史が詳細に展示してあり、驚くべき事に利根川は江戸時代より前には東京湾に注いでいたのだ。江戸時代の東遷事業により難工事の末遂に銚子に流れ出すのである。また江戸川というのも人工的に造られた川なのである。このような大河の流路を変えたり造営したりする当時の土木技術に感心する。それにしてもこれだけの大河であるので過去の水害はすさまじい。このあたりの歴史は水害との戦いの歴史でもある。
 境橋を渡ると利根川となり、江戸川同様のサイクリングロードあり、今日の目的地古河まで続いている。古河の町は日光街道沿いの城下町で町並みも落ち着いていて、気持の良い町である。良い町にはコンビニが少ない。歴史博物館のあたりは美術館や文学館が並び、石畳の道路で格好の散歩道となっている。博物館では渡辺崋山の「鷹見泉石像」におめにかかる。歴史の教科書に載っていた崋山の最高傑作である。鷹見泉石は古河藩の家老であり、学者としての偉業の数々が展示されている。今日は良い絵に巡り逢った。Img_1735 Img_1737
関宿城博物館と古河歴史博物館



  夜、ニュースを見ていると「70才、竹馬で千葉県一周、飯塚すすむさん」というニュースがあった。その風貌から河川敷であったあの方ではあるまいか、止まってお話しておけば良かった。

  走行距離 67Km  累計4,403Km   費用8,767円

★古河グリーンホテル 5,800円 朝食500円  古いホテルで割高感有り イン           ターネット室でインターネット可能

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筑波りんりんロード 11/13

2006-11-18 | 旅行記

 2006.11.13(月)     快晴 
 6:45 起床   
 8:20 筑波山荘YH発~つくばりんりんロード~R6~
15:00 小金屋旅館着(千葉県松戸市)
 
 冷え込みの夜が明けると快晴の朝である。今日は行き先を決めていない。松戸の富山君に連絡が取れれば松戸に行くし、取れなければ房総半島に向かうか等と適当に思いながら出発する。富山君は明治の山岳部で最も親しくしていた同僚で、松戸の家は有名な塾をしておりたびたび泊めていただいていたのである。私が下宿なのでとお母さんが手料理を一所懸命つくってくれたのを思い出す。富山君が八ヶ岳の海ノ口牧場にいるときは毎年のように訪ねていたのだが、二本松に越してからは没交渉になっていたのである。千葉県の目標は彼に再会することなのだが、住所はわかっても電話番号はわからず、果たして連絡が取れるかもわからないのである。公衆電話で番号を調べ電話するも留守番電話で、とりあえずりんりんロードで土浦まで行くこととする。筑波からの道を降りきって北方を見ると日光か那須の方面の山が真っ白である。もう冬はそこまで来ているようだ。Img_1717

筑波山、右が女体山、左が男体山

 つくばりんりんロードは岩瀬から土浦までかつての私鉄の廃線路を自転車道として整備したものである。このような経過のサイクリングロードは初めてなのでさっそく走ってみる。路面はきれいで景色も良く、駅毎に休憩所もあり、なによりも元鉄道なのでカーブやアップダウンが少ないことである。難点は以前の踏切部分が総て一旦停止となっていることとそのための車止めのポールがやたら多いことぐらいか。ポタリングやツーリングには最適だがロードレーサーの練習にはつらいかなと思っていたら結構練習の人に会う。今日は茨城県の日で学校は休みで子供達のサイクリングも多く、これほど親しまれているサイクリングロードも珍しい。
 駅跡の休憩所にはトイレや水場、いすの設備等整っており、近隣の名所旧跡の案内などもあって楽しい。途中ロードが線路跡を迂回しているところがある。見ると小田城跡ということで、大勢の方が発掘に当たっている。線路は城の真ん中を突っ切っていたのだ。
各地で鉄道が廃線となっているが、このような活用をされたら本当に良いと思う。例えばその鉄道で通勤していた人なら、そのまま自転車通勤すれば安上がりで健康にも良いということになるのだがいかがでしょうか。直線的に走るのであっという間に土浦に着いてしまった。Img_1719 Img_1721

筑波りんりんロード、かつての駅が休憩所となっている。
電車は上田城跡を突っ切っていたのだ。


 再度電話するが留守、思い直してお父さんの名義の電話を調べる。やはりあった、お母さんが出て携帯の番号等を教えてくれる。しかしそれも番号違いでつながらず、ままよとばかり松戸に行くことにする。
 R6は幹線道路だけあって交通量が多く、歩道走行を強いられる。歩道の広いところもあるがほとんどは狭い歩道ですれ違いや追い越しが大変、その上信号も多く、恐ろしく時間がかかる。都会の道路はこりごりだ。
 松戸に到着し、再度富山君の母堂に電話すると奥さんの番号を教えてくれた。奥さんから携帯電話の番号を聞き、やっと連絡が着き今夜のアポイントを取る。安宿を探し、夕方から駅の近くで富山夫婦と3人で談笑、過去のこと未来のこと、今日も楽しい夜をありがとう。彼が山で遭難し、入院していたとき話していた幽霊の話はでっち上げであった。
私は信じていたのに、、、、それほど気味の悪い病院であったのだ。

  走行距離 70Km  累計4,336Km   費用5,875円

★小金屋旅館 松戸市北小金 朝食付き4,500円 いわゆる商人宿 とりあえずバストイレ付き 朝食はパンとコーヒー、カップ麺等もあり

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする