2020.11.25(水)
50年前の今日、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で自決して果てた。わたしは19歳、富士山の宝永火口サイドのテント場で露営中であった。冬山訓練としての冬富士合宿の最中だった。テントの中で、先輩の河野さんが「大変だ、三島由紀夫が死んだぞ!」と声を上げた。一体何が起きたのか、何があったのか何も解らなくて、電波が悪くて途切れ途切れのラジオニュースに耳を傾ける。なんで市ヶ谷駐屯地で自決しなければならないのか、下山するまで詳しいことは解らなかった。おもちゃの兵隊と揶揄された盾の会については聴いていたが、どうしてあの行動になるのか、どうして自決騒ぎになるのか理解が出来なかった。下山後は連日報道が続き、バルコニーでの演説の様子は脳裏に刻まれてしまうほどであった。事件と自決の理由は解らずじまいで時は流れたが、当日極寒の富士山に居たことだけは憶えており、この日が来ると思い出す様になった。
今日まで三島自決の理由は解らないのだが、かみさんに「なんで三島由紀夫はあんなことしたん?」と尋ねられた時、「当時は学生運動が猛烈で、右翼の彼としては自衛隊の力でねじ伏せようとしたんだろう」と答えてしまった。盾の会といい、駐屯地の占拠といい、さらには自決といい単なる右翼のパフォーマンス程度に考えていたのである。ところが50年を迎える今日の新聞やテレビでの論評を見ると、もっともっと奥深いものがあるようだ。つづく