2023.6.20(火)晴れ 丹波西国三十三所打ち始め いきなりの逆打ち
若宮酒造前スタート 9:20 9:40着 二番 正暦寺 9:55発
あやべ市民新聞社 10:45~11:40 取材を受ける
福田神社昼食15分 小滝先生宅訪問30分 13:00着 一番 観音寺13:50発
高津コミセンバス停着14:00
歩行 10.9Km バス代800円 朱印500円 計1,300円
一番は福知山市の観音寺なんだが、綾部市を起点とするとすこぶる効率が悪い。綾部福知山間を往復することとなる。時間的制約の多いわたしの巡礼では、二番の正曆寺からスタートすることにする。綾バスで大宮から若宮酒造前まで行く。白衣に白ズボン(空手の道衣)サンダル(草鞋の代用)錫杖を片手に皆地笠を背負ったスタイルは目を惹いて気恥ずかしくもあるのだが、最近では慣れてきた。綾部駅を出発としないで、若宮酒造前を起点としたのは、綾部三十三所一番の正暦寺にお参りしたとき、裏口からお参りしたので今回は山門からお参り出来るよう、新綾部大橋(R173)経緯で行ったものである。
丹波茶屋ゆらりの手前から踏切を渡って見上げる山門は風情があって、桜の季節はまた訪れてみたい。あいにく本堂は屋根の工事中で、お寺の方も取り込んでおられるようで心経を読んで後にする。
あやバス若宮酒造前出発 正暦寺参道
正暦寺本堂は屋根工事中
あやべ市民新聞で取材してもらうことになっているので、鳥ヶ坪の社屋に急ぐ。一時間近く取材を受けるが、その中で「綾部33所巡礼でつらかったこと、苦しかったことは何ですか?」という質問に考え込んでしまった。雨の中や寒い中を素足で歩き通したが、つらいと思うことは無かったからだ。日帰り巡礼では歩く距離も十数キロで足腰が痛くなることもない。楽しいばかりでつらいことはなかった。
朝倉記者にお礼を言い、炎天下の街に出る。府道の南を走る疎水沿いの道はおそらく昔の街道だろう。道標だとかお地蔵さんとか無いかなと思いながら歩くが、見つからない。大島町で左手に神社を見つけ昼食とする。大きな神社で、福田神社という。
高津の辺りで一度府道に出、また一本南の旧街道を歩く。福知山市との境に郡界を表す石柱に出会う。何鹿郡と天田郡の郡境だ、やはりこれが街道だったのだと嬉しくなる。
旧街道を西に歩むと 郡界の石柱に出会う
郡境から西に行く道が街道のように見えるが、実は南に直角に曲がってぐるっと回って小滝先生宅の辺りに出るのが本来だそうだ。(先生談)古地図で調べるとその通りで、ぐるっと回る理由は解らない。
西に真っ直ぐ行くと、地学の小滝先生のお宅がある。先生には老富のサンドラ岩の探検や上林の地形探究ですっかりお世話になった。実は大栗峠の地蔵の石室について調べたいことがあり、訪ねたいものと考えていたところだ。先生のお宅の前に来たとき、偶然表に出てこられた。不思議な縁があるものだ、早速玄関で話し込む。いつか大栗峠に同行されることを約してお宅をあとにする。
一番札所観音寺はすぐ近くだ、折からのあじさいの季節で参道も駐車場も賑わっている。小藪住職は福知山高校の同学年のOBで、受付でその旨告げると、快く呼んで下さった。ところが当日は住職の講話が行われる日で、多忙を極めておられた様子で恐縮する。しばし受け付け横の休憩所で歓談する。巡礼を始めるというとたいそう喜んでいただき、お寺の一覧や地図などの資料をコピーしていただいた。
観音寺はあじさい真っ盛り
関東から新幹線、JRを乗り継いでお参りに来られた女性の話をされたが、「なんでこんな遠いところまでお参りに来られるのですか?」と住職が訪ねたところ、「(巡礼で)お参りすると疲れた心が安まるのです。」という返事だったそうだ。女性は公務員で、仕事上かなりストレスがあると言うことだった。月並みな話だが、巡礼の原点かもしれないなといたく感動した。巡礼をしていて思うようになったことだが、「お寺はこころのオアシス」特に歩いてたどり着くお寺は格別のオアシスである。
朱印
多忙な時間を割いていただいた住職にお礼を述べ、お参りをして帰路につく。合掌
もう少し写真を大きくしていただければ、嬉しいですが。
でもちょっとめんどくさく、元に戻る時に全部を消してしまい、またやり直ししてますが、まあ慣れていきます。
ついでと言えば厚かましいですが、地図も付けて見て下さい、地図作成の参考にしたいので。