2015.7.30(木)曇り
古代国家の設立と発展に多大な貢献をした金属に関係する職人、鉱山師、坑夫、鍛冶師、鋳物師などが賤視されていることに疑問を持った。それどころか農民以外の職人、漁民、猟師、商人、工人、芸人、聖などの僧、運輸にあたる人々などすべてが賤視されていたわけだ。今日では尊敬されている医者でさえ賤視の対象であったという。先日TVのクイズ番組で、「家康公に触ることの出来ない御殿医はどのようにして脈を測ったか?」という問題があった。家康公の位が高かったから触れなかったのではなくて、御殿医といえども医者が触れることが出来なかった、いわゆる触穢とされていたと言うことだろう。賤視、差別の発生は穢の観念にもとづくものが多い。葬送に関わるもの、動物の生死に関わるもの、癩病など病気に関わるものなどである。根底に仏教思想の影響があると考えられるが、例えば芸人はどうだろう、鍛冶師や鋳物師はどうだろう、仏教思想にもとづく穢の観念によるものばかりではないようだ。近世身分制の源は中世にあるとするのが今日の学説である。しかし被差別民はいかにしてうまれたか、古代とは脈絡は無いのか、とにかく謎が多い。この間読んできた同様の本とはちょっと違った考え方が示されており、それなりに納得のいくものなので紹介したい。
「中世のと遊女」 網野善彦著 1994年8月 明石書店 第2刷 古書
両方ともポストイット貼りたおし。
「日本の聖と賤 中世篇」(2015.2.2雨読参照)を読んでもらえばわかるとおり、商人や鍛冶師、鋳物師、芸人、聖などが賤視されたのは、彼らが全てが非定住性で各地を巡回し情報伝達機能、宗教伝播機能をを持っていたためと考えられる。為政者は農民と彼らが対等に接触することを畏れたのである。中世における為政者とは武士である。彼らもまたそれ以前は賤視される身分であったのだ。武士階級が朝廷、貴族から権力を奪取する過程ではやはり漂泊者の機能を充分に利用したのではないだろうか。
本書の論点は、これら近世においてはとして差別される人々も、中世のはじめには差別されていなかったとしている。武士の台頭と共に賤視されるようになって、近世にいたっては身分制度として固定されてしまう。武士の台頭というのは朝廷の衰退ということであり、職人であったり、芸人であったりは古代においては朝廷の専有の民であったと言うことだ。古代の部民制などみればそのことがよく理解できる。朝廷直属の職人などが朝廷の衰退と共に賤視されるようになったという説は前述の非定住者分断説と矛盾するものでは無い。
近世真継家が朝廷の名を借りて鋳物師の支配をしたこと、木地師が菊の御紋の入った免許状を配布したことなど、元をただせばこのような脈絡があるのかもしれない。
また本書は中世の女性についても論じておられ、自由闊達で奔放な様子は近世以降の女性像からは考えられないほどである。
【作業日誌 7/30】草刈り、もう何回目だろう。
【今日のじょん】こないだ、久々に写真載せたらお尻だったので、正面を見せろって、、、
ハイッ