晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

どらほー睡眠法(12) 3/19

2022-03-19 | 健康

2022.3.19(土)曇り 褐色脂肪細胞は存在するか?

 褐色脂肪細胞とは体脂肪、内臓脂肪などのカロリーをため込む白色脂肪細胞と違って代謝を高め熱エネルギーを産生する細胞のことで、幼児期に多く分布し年齢と共に減少していく脂肪細胞である。昨今ではダイエット目的でネット上によく現れているが、一般的には余り知られていない組織である。わたしが初めて知ったのは2019年「サバイバルボディー」(スコット・カーニー著)を読んだとき、アイスマンことヴィム・ホフの話で知った。「ホフの能力の高さはミトコンドリアの豊富な褐色脂肪細胞(BAT)、つまり褐色脂肪細胞が密集している組織が原因ではないかと考えた。このほとんど知られていない組織は、燃料となる普通の白色脂肪細胞を代謝して体を急速に温める事が出来る。」ホフは北極の氷の下を50mも泳いだり、氷水に72分も浸かる実験をこなしたりしていた。

サバイバルボディーの左下、氷の海で泳いでいるのがホフ。
 褐色脂肪細胞は大部分が幼年期に消えるとされており、51歳のホフが20歳代の5倍もの熱エネルギーを生み出したのは褐色脂肪細が密集していたというのも信じられない話である。とんでもないトレーニングで超人的な身体を作り上げる「サバイバルボディー」を素直に信じるわけにはいかなかった。果たして成人に褐色脂肪細胞が存在することがあるのだろうか。ここ数年の疑問でもあった。
 本書「Body Temperature」ではっきりした。褐色脂肪細胞は幼児期、特に新生児の頸部、肩甲骨間、腋、心臓周辺、後腹膜に出現し、やがて減少していく。

Body Temperature」からの写真だが、新生児の褐色脂肪細胞分布を示している。筋肉が無く、ふるえ熱産生ができない新生児にとって重要な臓器のある位置に褐色脂肪細胞が存在していると考えられる。成人になっても肩甲骨間等には存在するようで、冷水シャワーなどすると最も冷たく感じる部分で、風門などのツボのところである。これはとても興味深いことだ。


 成人では消滅するとされていたが、近年成人でも鎖骨下や大動脈周辺に存在することが解ってきた。また白色細胞から発生するUPC1を発現するベージュ細胞も同様に存在すると言われている。(褐色脂肪細胞はミトコンドリアが豊富でUCP1という熱産生にかかわる特異的なたんぱく質を発現している)結局成人でも褐色脂肪細胞は減少しながらも存在し、新たに同様の機能のあるベージュ細胞も存在しているということだ。
 これは大変喜ばしいことである、ダイエットはともかく体温調節機能としての褐色脂肪細胞は健康に生きるために大変重要な意味をなすと考えられる。つづく
 

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どらほー睡眠法(11) 3/14

2022-03-14 | 健康

2022.3.14(月)曇り
 人間にとって適切な体温を保つことが必要なのは脳と重要な内臓が存在する身体の中心部で、そこのところの体温がコア温(深部体温)で37℃±0.3℃となる。コア温が下がったときは血管を収縮させて血行を悪くし、熱の放散を防ぎ、ふるえなどで熱産生を行う。極端な例は凍傷で、コア温を確保するために末梢の血行は止まり、遂には末梢部分が壊死してしまう。逆にコア温があがりすぎると、皮膚の血行はよくなり、発汗して放熱する。睡眠をとるときなどコア温を下げる必要があるので、手足が温かくなるのはこのためである。通常の場合皮膚温は32~33℃と言われている。
 わたしの平熱は腋下で36.5℃であり、額で34~35℃、手の平で32~35℃程度である。これで発熱時の37.5℃以上という体温が手指体温計で測れるのだろうか。感染症などで発熱し、腋下体温が37.5℃となったとき、手のひらの温度が37.5℃となるのだろうか?否である、発熱の際だけ手のひらの温度が腋下体温と同等になるとは考えられない。

これで感染症の発熱が検知できるか?
 病原体が侵入すると免疫細胞の活動を高めるため発熱する。ふるえなどの代謝量が増加して体温が上がり、皮膚血管は収縮し、末梢の温度は下がる。これは本書にあるとおりだが、つまり発熱すると逆に末梢の温度は低下する。感染症による発熱を手指体温計では発見できないということだ。これでは様々な施設で使われ始めている手指体温計は無意味なこととなる。こんなことが問題にならないのだろうか?新聞やテレビでは見聞きしたこともない。ネット上で検索してみると、手指体温計は出てくるが、機能や使い勝手の宣伝ばかりでわたしの指摘するような問題点は出てこない。

体温に関する科学的、医学的な記事が満載。
 37.5℃以上の熱がある人が温泉に来ることもないだろうからまあいいかと思うけれど、本書を読んで深部体温や皮膚温度についてよく解ったから出てきた疑問である。
 そうこうしているうちにわたしの利用する温泉では、手指タイプが故障して額で計るタイプに戻り、「体温正常」とコールされるようになった。
【今日の”のびちゃん”】NO. 63
3月8日(火)五老ヶ岳に行ったんだけど、遊歩道はこの雪で散歩不能、残念だワン。

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続・のびのルーツを探る 3/5

2022-03-05 | Dog

2022.3.5(土)曇り 【今日の”のびちゃん”】NO. 62
 家に帰って気落ちしながらも地図を見返していると、見逃していた谷がある、そこはもう他府県だと勘違いしていたのだが、ちゃんと京都府内ではないか。のびのルーツはこの谷ではないか?矢も盾もたまらず用事を済ませ、やっと出かけられたのが3月4日である。かみさんのかつての職場の方がレストランをやっているというので、寄ってランチをいただく。なにせあの谷にはいったら、店が無くて食料が得られないのだ。

農園大衆食堂 Agri ランチはボリュームたっぷりでリーズナブル
 前回の集落から別の峠を越すんだが、輪をかけて厳しい峠道だ。幸い対向車は無くて、峠を下りて集落に着く。集落ったって見えるのは4、5軒の家のみだ。
立派なお家が急な斜面にへばりつくように建っている。少し道が広くなったところに車を止めて、聞き取りに行く。1軒目、不在。もう一軒をかみさんに任せて、急坂を上っていく。呼び鈴を鳴らすとすぐに奥さんが出てきて、「この辺りに沢山の犬を飼っておられた家を知りませんか?」と質問をする。するとどうだ、「その家なら〇〇さんの家で、、、、」と道も教えていただく。当時の様子もお聞きするが、放し飼いの犬がハイカーを噛んだり、地域の中をうろうろして大変だったそうだ。その家を訪ねたいと言ったが、「耳が遠くてお話はできませんよ」といわれた。一発でのびの生まれ育った家が解ったわけだ。
 車に乗って言われた方へ向かうのだが、なにせ狭くて急な坂だから駐車ができない。とある家のそばに少しスペースがあるので駐車させてもらい、訪問するが不在だったのでかみさんを残し犬小屋のあった家に急ぐ。犬小屋の他に大きなケージがあるがどれも空で、紙くずなどが散らばっている。のびの生まれたのはここだったのでは、、、と戦慄を覚えたが、周囲は草も生えていて荒れている。玄関から声をかけるも返事無し、表札もないので確認のしようがない。そこへ一台の軽自動車が通り、慌てて手を挙げ「〇〇さんのお宅はここですか?」と聴くと、そうだという返事。遂にのびの生家を見つけた。しかしその荒れたケージを見れば、犬たちがどんな生活をしていたかすぐに想像できる。多頭飼いの崩壊なんてどのみち悲惨な生活に違いないが、現実にその現場を見ると不憫に思えて仕方が無い。あのケージに20頭近くがひしめき合って暮らしていたかと思うと惨憺たる
思いになる。車を置いたところまで帰る数分の間、涙が流れて止まらなかった。

のびが数年間暮らしただろうケージ。
 車を置いたところに帰ると、先ほどの方とかみさんが話している。当時の様子を聞いているが、余りの頭数に野放しとなり、食べ物は与えられていただろうがおとなしいのびには充分に当たらなかっただろう。今でも田んぼのカエルやイモリ見つけると食べようとするのはそのせいかもしれない。
 お話をいただいた奥さんは、捕らえられた犬たちはみな殺処分されたと思われていた。「みんな保護されてもらわれていきましたよ」というと本当に安心されたようだ。
 のびは生まれて数年、一番大切な時期を過酷な環境で過ごしてきた。保護センターだってあれだけの犬を保護するのは大変だっただろう。彼らにとっては命からがら逃げ回ったことだろうから、それらの心的ストレスがPTSDとなってもおかしくない。

帰り道、ちょっと広いところでカイカイしてみた。
 わたしたちはこの地に来るべきではなかったのだろうか?複雑な気持ちになったけど、やはり来てよかったと思う。あの地を仲間たちと駆け回り、必死で生きてきただろうのびの姿が目に浮かぶ。人の愛情を受けることも無く、とにかく生きることで精一杯だったろう。
 いまわたし達に出来ることは、思いっきり愛情をかけて、のびのこれからの犬生を幸せに暮らしてもうらうことだ。もうかけがえのないわたし達の娘なんだから。

何事も無かったかのように今朝の散歩

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のびのルーツを探る 3/4

2022-03-04 | Dog

2022.3.4(金)晴れ 【今日の”のびちゃん”】NO. 61

 のびはじょんのびに来て2年6ヶ月となる。大逃走劇があったり、ひとやものに怖がって懐かないなど一体どうなるかと思っていたが、少しずつ慣れてきてすっかり我が家の一員になってきた。それでも子犬の時から一緒に暮らしたじょんと違って、なにかよそよそしく遠慮がちに暮らしているようだ。生まれ育った環境がのびの現在に影響しているのは間違いない。のびはいわゆる多頭飼育の崩壊により、保護センターや保健所によって保護され、10数匹の仲間と共に保護センターにいた。2019年の6月に保護されて、9月に我が家に来たわけだけど、名前もまだ付いていなくて13番という番号が付いていた。毛づやも悪く、体重も7Kg余りで(現在は9Kgを超えているが保護された当時は5Kg余りと聞いている)元気も無く、眼に力が無かった。

初めて逢ったのび、このときは13号だった。(2019.9.3)
 じょんは野犬の子で自然の中で生まれ、保護されてからひとの愛情に包まれて育ったわけだが、のびは最初からひとに飼われているのだが、愛情をかけられていたとは思えない。放ったらかしか下手すれば虐待されていたかもしれない。想像していても不安が募るばかりだし、生まれ育ったところを見に行こうということになった。ところが保護センターではどこのお家なんて事は教えてくれない。それは当然のことなんだけど、それでも大まかな地名は聞いていた。あとは現地に行って一軒一軒尋ねるしかない。まるで雲をつかむような話だけど、幸いなことにそのあたりは随分田舎で、地域のことは地の人なら解ってそうだ。

2019.9.16、じょんの生まれたところへ供養に行く前にのびに逢っていった。

じょんの生まれた巣穴、生まれた場所の解る野犬の子も少ないだろう、須田さんのおかげだ。
 2月15日、初めての捜索に行く。地域のことを聞くのは、商店が一番いいのだがそれらしいものがない。地の人らしい農作業のひとに聞いてみる。沢山の犬が居て問題を起こしているとなるとだれでもが知っているはずだ。ところが「聞いたことが無いなあ」という返事、谷毎に集落があって、その谷ではないらしい。道で作業をしているひと、郵便局でも聞いてみるが同様の返事である。この谷ではないなあと思い、隣の谷に移動する。その間は峠道なんだが、その道がものすごい、急で狭くて、曲がりくねっている、「ぽつんと一軒家」のアプローチみたいな道をいやと言うほど走って隣の谷に出る。そこで犬の散歩中の人に出会う。聞けばかつては保護犬を9匹も預かっていたというではないか。こんな犬通のひとなら知っているかもと期待したがやはり聞いたことがないという返事だった。時間も無くなってきたので、この谷もあきらめて
帰路につく。どこか他の地域だったのかなあ、探し出すのは無理なんかなあとあきらめムードになってしまった。つづく
 

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