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韓国が元慰安婦の証言を英語に翻訳、日本の「性暴力」を世界に知らせる狙い―韓国メディア

2013年06月05日 07時21分02秒 | 歴史問題
2013年6月3日、韓国・聯合ニュースによると、旧日本軍による従軍慰安婦問題を世界に知らせるため、韓国の翻訳家らが手を組み、元慰安婦から集めた証言を英語に翻訳する作業が進められている。中国新聞社が伝えた。

翻訳専門家と英語監修者、市民活動家ら4人で構成されたグループは昨年12月から翻訳作業に着手。完成された英訳証言集は韓国挺身隊問題対策協議会(慰安婦問題対策協会)や各大学の研究センターに配布される。同時に書籍として出版される予定だ。同グループはまず元慰安婦10人の証言の英訳を目指すという。

慰安婦問題対策協会の関係者も「これまで元慰安婦の証言を外国語に訳した資料はなかった」と話し、この英訳資料に大きな期待を抱いている。4人はさらに海外の組織とも協力して、他国の元従軍慰安婦の証言も収集していく。翻訳家の朴(パク)さんは「現在世界各地で発生している戦争での性暴力も今後明らかにしていくつもりだ。同じ志を持つ人たちと力を合わせていきたい」と話している。(翻訳・編集/本郷)
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「日本の慰安婦制度は特異」 歴史学者が橋下氏批判

2013年06月05日 07時08分45秒 | 歴史問題
 旧日本軍の従軍慰安婦をめぐる日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の発言に絡み、慰安婦問題に詳しい中央大の吉見義明教授(日本史)が4日、大阪市役所で記者会見した。橋下氏が「他国も同じようなことをしていた」と繰り返し主張したことに対し「軍の施設として組織的に慰安所を作った国はほかにない。日本の慰安婦制度は特異だった」と否定。「橋下氏には国が慰安所を組織的に作ったという認識がない」と批判した。

http://194586245.web.fc2.com/index.html
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私が知る「従軍慰安婦」

2013年06月01日 19時26分05秒 | 歴史問題


 私は先の大戦中、中国戦線に於て陸軍病院の軍医として従軍し、部隊の軍医の教育に中国人を生きたまま手術して殺すという、いわゆる生体解剖をずいぶんやりました。そのため敗戦後は中国に抑留され、捕虜として2年、戦犯として監獄に3年半過ごしました。この間中国の手厚い管理により自分の罪を反省することができた次第です。

 1956年、許されて帰国してからは、中国帰還者連絡会の一員として、自分の罪悪を通じて日本の軍国主義の実態を訴えています。普段は生体解剖の話をする機会が多いのですが、ここでは私が体験した朝鮮人の「慰安婦」について述べます。

 私は子供のときから朝鮮人は卑しいと叩き込まれ「センジン」といってさげすんでいました。中国人も「チャンコロ」と侮蔑しておりました。こういう民族差別の意識から、「この戦争は正しい、日本は天皇を頂いて必ず勝つ、いつかアメリカ、イギリスに伍してアジアを征服するのだ」という誤った考えをもっていました。当時日本中があの戦争に浮かれていたので、真実を知る者は極めて僅かだったでしょう。

http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/05/yuasa_ianhu.htm

 当時の軍人の目から見ると「慰安婦」は公娼のように見えたのです。料金を払いますし愛想もよかったからです。然し彼女たちには本当のこと、つまり「私は強制され連れて来られた」とか、「帰ろうとしても脅迫され帰れなかった」などとは絶対に言えなかったのです。相手は軍人、ましてや将校、「日本軍を談議する」とか、「戦争に協力しない」として憲兵隊に通報される。またにこにこして兵隊を迎えなければぶん殴られるが関の山。ここに落ちたら泣いても反抗しても同じ、することはしなくてはならない。だから性奴隷です。これが植民地支配の実情です。

 私は路安で一日に30人を相手にして急死した女性のことを聞きました。苦しくても逃げられなかったのです。

 しかし「外出もできたから自由があった。お金を得たから奴隷ではない」などと言う若いマンガ家や「兵隊を拒否しなかったから商売だった」という大学教授もおります。これらは植民地支配や戦地の軍支配の実体を何も知らない人たちの言うことです。「慰安婦」は正しく日本軍の性奴隷だったのです。

http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/05/yuasa_ianhu.htm
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中国帰還者連絡会の人びと(上)

2013年06月01日 18時59分10秒 | 歴史問題
このルポは、『週刊金曜日』第303号(2000年2月18日)に掲載されたものです。

記事抜粋

<現場では薄い罪悪感と葛藤>

 湯浅謙は1916年に埼玉県に生まれ、東京・京橋の越前堀で育った。父親は開業医で、「地域の困っている人に対して、いつも献身的に診療をしていた」と言う。9人兄弟姉妹の上から3番目の湯浅はいつも学業優秀で、父親の姿を見て、漠然とだが「医者になって困っている人を助けたい」と思うようになり、東京慈恵会医科大学に入学した。

 41年3月に大学を卒業して内科医となった湯浅は、東京の駒込病院を経て、同年10月には北海道・旭川歩兵第28連隊に入隊した。ここで2ヵ月の教育を終え、25歳で軍医中尉になった。そして42年1月末には、日本軍が侵略し一部を「支配」する中国・山西省の安陸軍病院に赴任した。

 湯浅は、この時期から日本の敗戦間際までに自らが体験したことについて、この40年以上にわたって日本全国で500回ちかく講演を行なってきた。

「日本軍が中国に侵略していった目的は何だと思いますか?」

 講演会の会場で、当時の状況をひととおり説明した後、一人ひとりにそう尋ねていく。皆なかなか答えられない。


 「資源の略奪に行ったんです。そのために、中国に強盗に入ったんですよ」

 湯浅は、このような日本による侵略戦争の全体像や時代背景については、とても饒舌に語る。しかし、自ら犯した罪行のことになると、なかなか言葉が出てこない。

 「僕の仲間が誰もしゃべらないから・・・殺された中国人たちの供養のつもりで話します」

 もう何百回もこの話をしているはずなのに、ここまでくると毎回動揺を隠せない。何度も咳払いをして、水を飲む。つっかえながらも、やっとの思いで声を絞り出す。

 「私は7回にわたって・・・14人の中国人を・・・生体解剖してしまったのです」
 湯浅は、最初の生体解剖については特によく覚えている。安陸軍病院に赴任して1月半ほど経った42年3月中旬、病院長から解剖室に来るようにと言われた。学生時代から噂では聞いていたので、「すぐに中国人への生体解剖だと分かった」と言う。

 後に、私は湯浅に対して「断ろうとは思いませんでしたか?」と尋ねてみたことがある。湯浅は「一瞬いやだなと思いましたが、そんなことは考えませんでした」と答えた。しかしすぐに「もしそんなこと(拒否)をすれば、非国民と言われて、自分の地位を失うだけでなく、日本にいる家族の恥になる、との思いが頭をかすめました。そのとき頭に浮かんだのは、母の顔でした」と続けた。

 湯浅は当時、それ以上考えることをやめた。「戦争に勝つためだ。これも仕方がないな」と気を取り直し、意識的に胸を張って大股で解剖室へと向かった。思考を停止し、虚勢をはる。湯浅がしたのは、ただそれだけだった。

 解剖室には、すでに医師や看護婦らが20人ほど集まっていた。そして、端の方に2人の中国人の男が後手に縛られて立っていた。1人は便衣(注)をまとった30歳くらいの男で、体格がよく堂々とした態度だった。もう1人は、野良仕事の格好をした小柄の40~50歳くらいの男で、「アイヤー、アイヤー」と泣き叫んでいた。

 「この2人を手術演習に使ってしまったんです。彼らの顔は・・・今でも思い出しますねぇ」

 湯浅は皆の前でそう言ってため息をつくと、目をつぶって絶句し、必死に涙をこらえている。

 「当時は罪悪感はありませんでした。それほどの葛藤もなかったんです」

  中国人や朝鮮人を劣等民族と蔑む当時の日本社会で育ち、そういう教育を受けた湯浅にとっては、このような認識だったのである。

 「生体解剖を前にして、日本人の医師や看護婦は皆ニコニコして談笑しているんですよ。嫌そうな顔でも見せたら、『使いものにならない』という烙印を押されて、家の恥になってしまうのです」

 湯浅は将校として見苦しいところは見せられないと必死に自分に言い聞かせていた。

 医師団は二手に別れ、それぞれの中国人に麻酔をかけ、「手術演習」を始めた。湯浅は年配の中国人の方に加わった。虫垂(盲腸)の摘出、腕の切断、そして腹を切り裂いて腸の切除と吻合などを医師たちが手分けして行なった。湯浅は初めのうちは補助的な役割を果たしていたが、途中から自らが中国人の喉を切り裂き、気管切開の練習をした。

 1時間半ほどで「演習」は終了した。年配の男はすでに息絶えていたが、若い男の方はまだ息をヒューヒューさせていた。湯浅はO医師と2人でこの男の首を絞めたがなかなか死ななかった。そこで湯浅は薬品を注射して殺害した。

 「そんなこと(生体解剖)する必要なかったんだけどねぇ。これはお国のためになるんだ、と全身で感じていたんだねぇ。それで平気でやっちゃったんだ」

 会場の人たちにというよりは、自分自身に問いかけるように、湯浅は目をつぶったままそう語った。そして、堅くむすんだ口をすこしゆるめ、やっとの思いで話しつづける。

 「1回目は嫌々、2回目は平気になって、3回目からは自分からすすんで生体解剖をやってしまったんです」

 湯浅は、自らが関わった生体解剖の夢をこれまでに一度も見たことがない、と私に語ったことがある。

 日本軍にとっての最大の目的は、実戦で役に立つ医師を速成すること、だった。

http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/text/star/hoshi1.html




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慰安婦問題、国連委が勧告 「日本の政治家が事実否定」

2013年06月01日 07時15分08秒 | 歴史問題
国連の拷問禁止委員会は31日、旧日本軍の慰安婦問題で「日本の政治家や地方の高官が事実を否定し、被害者を傷つけている」とする勧告をまとめた。橋下徹大阪市長らの最近の発言を念頭に置いたものとみられる。日本政府に対し、こうした発言に明確に反論するよう求めている。

 拷問禁止委員会は、人間の非人道的な取り扱いを禁止する条約を守っているかどうかを調べる国際人権機関。慰安婦を条約上の被害者だとしている。10人の委員が数年に1回のペースで各国を審査する仕組みで、1999年に条約を締結した日本は、5月21、22の両日、6年ぶり2回目の審査を受けた。

 勧告は、慰安婦問題について「国会議員を含む政治家や地方政府高官によって、事実を否定する発言が続いている」と批判。日本政府がただちにとるべき対応として「当局者や公的人物による事実の否定や、それによって被害者を再び傷つける行為に反論すること」をあげた。

 名指しはしていないが、審査では、慰安婦問題を取り上げた委員4人のうち3人が「慰安婦制度は必要なのは誰だってわかる」「強制連行を示す証拠はない」などとした橋下氏の発言に触れ、日本政府の見解をただしていた。

 勧告対象は、代用監獄問題など多項目にわたった。慰安婦問題では、元慰安婦に対する公的な補償や救済措置がなく、関係者の訴追が行われていないことに懸念も表明。さらに、日本政府に対し、全ての歴史の教科書に慰安婦問題を含めるよう求めた。

 審査で日本政府代表は、93年の河野談話や償い金を支給したアジア女性基金の取り組みを説明したが、橋下氏の発言には一切触れなかった。

■慰安婦をめぐる国連委の勧告(英文)

Victims of military sexual slavery


軍による「慰安所」管理は紛れもない事実
http://194586245.web.fc2.com/18.html

河野談話
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/246.html

日本軍慰安婦問題
http://194586245.web.fc2.com/

大日本帝国の証拠隠滅
終戦直後に焼かれた大量の行政文書(証拠書類)
http://194586245.web.fc2.com/24.html

外務省ホームページ
歴史問題Q&A  問5.「従軍慰安婦問題」に対して、日本政府はどのように考えていますか?」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/05.html



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