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ごっそり買ってきた

2007-08-16 | 心の体験的日記
ごっそりと飲み物を買ってきた
ジュース、ヨーグルト、牛乳、ビール、日本酒
わけのわからないお茶、
缶コーヒー
さあー、暑さよやってこい。

ビールでの深酒が続いてしまったので、反省。
深酒すると、睡眠管理がうまくいかない。

今もぱっちりと目が覚めたら、なんと11時半。

実証の桎梏

2007-08-16 | 認知心理学
なお、やや余談じみた話になりますが、心理学がこれでよしとしている実証は、心の研究にとって時にはさまざまなあしかせとなってしまうことがあるという話をしてみたいと思います。これを私は、実証の桎梏と呼んでいます。
 その最も厳しいケースは、かつて行動主義が隆盛を誇っていた頃を思い出せばよいと思います。自然科学と同じレベルの実証性を心理学に求めたために、心を研究対象から排除して、観察できる行動だけに限定することになりました。
 意識ー無意識のような概念はもとより、知能、性格、注意などなど、現在の心理学のテキストに出てくる心的な用語のすべてを排除した心理学をつくろうとしたのです。そういう説明概念を使ってしまうと、実証の妨げになるからです。
幸いなことに、20世紀後半になり、心理学における実証の概念は、かなり幅広くとらえられるようになってきました。
自然科学のまねごとの実証ではなく、心理学にとって固有の実証の概念が研究者の間で受け入れられるようになってきました。それに伴って、「実証の桎梏」ゆえに心理学の研究対象から排除されていた心の諸問題が、自由に取り上げられるようになってきました。

こんなものも飲んでいる!!

2007-08-16 | 心の体験的日記
写真は、黒豆茶である。
とりたてておいしいというわけではないが、
お茶より面倒がないし、
なんとなく栄養がありそうなので、
飲み始めた。

とうとう今朝、あれこれとペットボトルをかってきた。
のどの渇きに対処しようというわけである。

知能の定義

2007-08-16 | 教育
●知能の定義と測定  目に見えない知能を測定するには、方法論が必要である。それが間接測定の考えである。知能を定義した上で、知能がある(高い)とするなら、それは、こうした場面や検査問題でこういう行動として出現するはずとする仮定を置いた上での測定である。その仮定の妥当性が絶えず問われるのが、知能に限らず、心理測定の宿命である。
 さて、その定義であるが、研究者の数だけあるといってもよいほど多彩である。代表的な研究者の定義を挙げておく。
・一定の方向をとり、それを維持する能力、目的達成のために適応する能力、自己批判する能力(A.Binet)
・抽象的思考をする能力(L。M。Terman)
・各個人が目的的に行動し合理的に思考し、かつ、能率的に自分の環境を処理し得る総合的または総体的能力(D.Wechsler)
  松原達哉は、これら3つも含めて13の定義を列挙した後に、「高等な抽象的思考能力」「学習能力」「新しい環境への適応能力」の3つが、知能の定義の鍵になっていると指摘している。
 知能の定義がこれほど多彩で広範に及ぶことは、測定上だけでなく、後述する他の領域での論議にも強く影響してきた。ただ、知能検査を作成するに当たっては、物理学に端を発する操作主義のおかげで、「知能とは、知能検査で測定したもの」(F.N.Freeman)との一見するとやや乱暴な考え、さらに「存在するものはすべて測定できる」(E.L.Thorndike)とする楽観的な測定観を共有することで、次々といろいろの目的にかなった知能検査が開発されてきた。