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●感動――心を元気にする習慣づくり⑤

2009-09-03 | ポジティブ心理学
感動――気持ちを元気にする⑤

感動は心のはれ
感動することをやめてしまった人は生きていないことと同じこと(アインシュタイン)

●感動の心を心理する
 感動。
そう毎日ということはありませんが、誰もが何度か体験した心ではあるはずです。
その心を分析してみると、いくつか特徴があります。
 外国旅行に行って、すばらしい景色に感動したことを想定してみます。
 
一つは、驚きや喜びを伴う知的な体験ということがあります。
 ただこれまで知らなかったことを知ることができたという知的満足だけではなく、そこに強い感情が離れがたく付随しているということがあります。
 
2つは、感情も知性もその活動がピークに達しているということがあります。
 これまで見たこともない、驚きも喜びも最大に達している、さらに、これまでの知識を総動員しても追いつかないほどの情報処理の段階に達しているということがあります。
 
そして、第3に、満足感、幸福感に浸されるということがあります。
 その景色をみてよかった、幸せだ、という気持ちが伴います。
 
 こんな体験。誰もが、できればたくさん体験したいと思うはずです。では、どうしたらよいのでしょうか。
 
●感動を自分で作り出せるか
 基本的には、感動を自分の心だけで作り出すことはできません。
 ただ、感動できる可能性の高い場は、自分で作り出す、あるいはそこに出向くことはできます。
たとえば、
・映画みたり、小説を読んだりする
・ 外国旅行などめずらしい場所に出かける
・ 真善美に触れることができる場所に出かける

こうした場には一体何があって、人を感動させるのでしょうか。
まずは、頭の中の知識を激しく刺激するものがあります。
映画を見た。月並みのストリー展開だった。これでは、知的な刺激はありませんから感動できません。奇想天外というほどはなはだしいものである必要はありませんが、少なくともこれまでの知識の中に自然には取り込めないようなもの、予想できない展開があることが必要です。

そして大事な要素は、ポジティブ感情です。
感情を強く刺激するものはいくらでもありますが、ポジティブ感情を強く刺激するものでないと感動になりません。愛と喜びを強く喚起し、さらに正義、勇気、希望、真善美の感覚が湧き出させなくてはなりません。

さて、こんな場をあなたはいくつ持っているでしょうか。
と書いてから、自分を振り返ってみましたが、実は、ほとんどないことに気づかされました。そして、最近、とんと感動とは無縁な生活をしていることにも気づかされました。 

●それでも感動したい
 後期高齢者の自分の感動はさておくとして、少しでも感動、あるいはそれに近い体験ができるようにするにはどうしたらよいかを考えてみたいと思います。
 前の項で、3つの場に出かければ、感動体験ができそうだ、といいました。それは間違いありません。
・評判の映画のラストシーンで涙が止まらなかった
・世界遺産を現地でみてわくわくどきどきだった
・「モナリザ」を生で見ることができて胸が締め付けられほどだった
こんな感動体験は、その場に行ったからこそです。子どもには、ぜひ、こうした場を体験させてやってほしいですね。感動体験のタネを蒔いていることになるからです。
もう少し日常的にミニ感動体験をすることはできないものでしょうか。

まず、知的なほうから。
外の世界を認識するのは、外からの情報と頭の中の知識とのやりとりになります。その間に適度のずれがあった時に、外の世界の認識は、微妙な色合いを帯びます。
朝顔が咲いている光景。あーいつもの朝顔だー。では感動とは無縁。
でも、あー今日は、朝露が数滴。いつもと違うなー。おひさまが出てきたらどうなるだろうー。カメラにとってみようかなー。――――
となればどうでしょうか。だんだん、ミニ感動体験になっていきませんか。
つまり、あるがままを取り込むのではなく、絶えず、頭の中の知識を投入して、外の世界とやりとりするのです。このやりとりこそ、感動へと導く知的活動なのです。
これなら、誰もがいつでもできます。
いつもの見慣れた光景の中を散歩していても、感動のネタはいくらでもあることになります。
大事なことは、外と内とのやりとりです。
いつもの平凡な光景にしてしまうのは、あなたの知識だけしか使っていないからです。見たいようにしか見ていないのです。これでは、感動とは程遠いことになります。

もうひとつ、ミニ感動のためには、何度も出てくることになりますが、ポジティブ感情です。
感情がネガティブでは、感動は絶対にできません。とはいっても、こればかりは、どうにもなりません。
ポジティブ・マインドづくり全体の中で心がけていくことになります。


安全プロの育成がはじまる  

2009-09-03 | 安全、安心、
◎安全プロの育成がはじまる  
 1月29日付けの朝日新聞に、「安全を守る技術者育成」との見出しで、長岡技術科学大学に、専門職大学院***注1 が開設される旨の記が掲載された。その一部を引用してみる。
「———日本の技術神話崩壊に歯止めをかけようと、————理系的な安全工学だけでなく、安全をルール化し、組織内で運用する文系的な安全管理も含んだ総合的な講座内容とし、−−−」
乱立気味の大学院であるが、ぜひ、成功してほしいものである。安全、安心に関するこうした学校制度ができると、人材養成はむろんのこと、そこが、一つの情報センターとなって、貴重な情報の蓄積と知識発信がなされることが期待される。この効果も馬鹿にならない。

●安全のプロが身に付けるべき知識
実は、こうした大学院の構想は、村上陽一郎は、「安全と安心の科学」(集英社新書)の結びにすでに記載されている。そこでは、カリキュラムに含むべき内容として、次の領域が挙げられている。
・数学、統計学
・設計学
・人間工学、安全工学
・社会学、政治学、国際関係学、法学、平和学、歴史学
・心理学、多元文化論、コミュニケーション論
・哲学、応用倫理学
安全、安心の科学が、学際的にならざるをえないことから、これほど広範な領域の学びが必要ということであろう。

「安全・安心の心理学」しんよう社より

一人マージャンはさびしい

2009-09-03 | ポジティブ心理学

 一人マージャンはさびしい限りです。やはり、4人仲間でやりたいものです。
 そうすれば、仲間に勝てます。これも、強い報酬になります。さらに、
優越感にも浸れます。
承認欲求も満たされます。
気持ちもポジティブになれます。
有能感にも浸れます。

良いことずくめです。

真央ちゃん

2009-09-03 | 心の体験的日記
文部科学時報(文部科学省 編集)
回覧でまわってきた
表紙と冒頭数ページが真央ちゃん
いつもなら、ほとんど見ない、読まないで次へ
でも、今回は、、インタビューまでよんだ
インタビューアーは男(もうしわけないがあなた入った写真2枚は
邪魔なんだよね-)
回覧をしばらく延期してテスクにおいてある
次の方、あと1週間まってください(内緒)

交差点で追い抜かれる

2009-09-03 | 安全、安心、
話題1

交差点の右折は慎重にやっている
したがって、スピードも極端に落とす
これまで、2度、曲がろうとするところをさらに右側を追い抜く車があった
歩行者、それに自転車でもきたらどうするのだろう
危険極まりない

話題2
最近、ぼんやり運転が多い気がする
今朝も、左折シグナルを出し忘れていた
考え事運転もある
いずれにしても、集中力の途切れが怖い

話題3
まだまだ運転できるという自覚はあるが、
でもねーそろそれかも
通勤、車1時間、電車90分
微妙なところ
同じ道を同じように走っているならまだ
という気持ちもある

集中力はストレス解消に役立つ

2009-09-03 | Weblog

集中力はストレス解消に役立つ
 集中すれば、時間が経つもの忘れる。浮世のウサも、集中している間はどこかに隠れてしまっている。ストレスさえも吹き飛ばすのが集中力である。
 好きな本を読んだり、模型作りに精を出したり、スポーツをしたりなど、我を忘れられるものを1日30分でもよいから生活の中に入れておくと、精神生活が快適になる。もちろん、そのためにはいくつかのお膳立てが必要である。
 まず、仕事や勉強の場からできるだけ離れること。人間は以外に環境によって強く拘束されている。環境が同じ、あるいは物理的に近かったりするだけで、もとの環境から影響を受ける。その点だけからすると職住接近は好ましくない。
 ちなみに、筆者は筑波の研究学園都市に住んでいる。家から大学までバスで30分。寄り道するところがないわけではないが、仕事も遊びも一体といった感じで解放感がない。
 つぎに、できるだけ一人でやること。特に、いつも一緒にいる仲間からできるだけ離れることが大事である。人との付き合いは、それがどんなに楽しくとも多少のストレスをもたらすものである。それはそれで楽しいし、人生にハリを与えてくれるが、そんなことからも1日1回は自分を切り離してみることがあってもよい。
 さらには、集中して我を忘れるようなものをいくつか用意すること。集中するのに色々あっては邪魔になると思うかも知れないが、その日の気分、そのときの心の状態でどうしてもあのことはやりたくない、というようなことがある。そのようなときのために、高尚なものから低俗なものまで、椅子に座ってやるものからからだを動かすものまで、いくつか集中できるものを用意しておけば安心である。
 この場合、「高尚なことをやらねば」などと思わないこと。週刊誌を集中して読むことでもさしあたりはよい。パチンコに我を忘れてみることでもよい。そんなところから、徐々に自分を高めてくれるものに集中できるようになってくるものである。
 その点、日本はありがたい。パチンコから、ゲーム・センター、赤チョウチンまで、ポルノ雑誌から文学雑誌まで、バッティング・センターからゴルフまで、実に多種多様な「娯楽」が手軽に利用できる。溺れてしまっては困るが、落ち込んでしまったときの回復剤としてなら大いに利用できるようにしておきたいものである。
 一言で言えば、趣味を持つことに尽きる。昨日よりも今日のほうが、そして明日はもっと、となるから、趣味はおもしろいし集中力が自然と注げるようになる。