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ブログの開設から 1100 日

2009-09-21 | Weblog
gooブログ開始より
ブログの開設から 1100 日 とのこと
その前に、3、4年くらい、アメーバブログをしていたから
かれこれ6,7年は、ブログを書き続けていることになる
何がこれほどまで持続させたのか
かなり強固な習慣になってしまっている
大変でしょう
と同情?されることもあるが、
習慣なのでどうということはない

これからも、死ぬまで?続けるつもり
愛読感謝です

●習慣を壊すことを習慣にする 「心を元気にする習慣づくり

2009-09-21 | ポジティブ心理学
●習慣を壊すことを習慣にする
 習慣とはいつもと同じことをほとんど努力感なくすること、できることです。
 ここで述べる習慣づくりのほとんどは、習慣が出来上がるまでに、こういうようなことに心がけるといいですよ、という話でした。そして、そのようにすることが習慣になれば、」心元気でいられます、という話でした。
 ところが、今回の」改善マインド」は、「いつもとは違ったことをすることを習慣にする」ことのすすめになります。「習慣を壊すことを習慣に」ですから、なんとももったいない話になります。ややしゃれた言葉を使うなら、メタ習慣、つまり、習慣の更なる習慣のすすめです。
なぜこういう一見やっかいな話をするかというと、習慣はいったんできてしまうと、ついつい、保守的、マンネリになってしまい、状況が変化してもはやその習慣がうまく働かなくなっても、相変わらずそのままやり続けてしまうからです。長期政権下の行政機能のようなものですね。
 心でも同じです。習慣になっている、かつては有効に機能していたものも、心の生涯発達や周りの環境変化によって、ほとんど有効性を失ってしまったものもあります。
適当なスパンで見直しが必要です。心の政権交代ですね。

集中するために休憩は必須

2009-09-21 | 健康・スポーツ心理学
<タイトル>
集中するために休憩は必須! 働く女子たちの集中力持続法

<本文>
「仕事をするぞ!」と意気込んでパソコンに向かったはいいものの、急にトイレへ行きたくなったり、ついついブログを書いたり読んだり……。そんな寄り道ばかりしてしまう女子も多いのでは? かくいう私もその1人。働く女子の皆さん、集中力を持続させるための方法を教えてください!

●インターネットのLANケーブルと携帯電話の電源を切っておく(26歳/通信関係)
「気が散ってしまう要因は、すべて排除しておきます。早くネットをしたいという気持ちと、誰かから連絡がきてしまうかもしれないという焦りで、仕事がはかどります(笑)」

これまた思い切ったことをしていますね! 私の場合、携帯電話の電源だけは怖くて切れません……。

●ToDoリストを書く(25歳/編集)
「作業に入る前に、しなくちゃいけないことを書き出します。書いているうちに頭の中が整理されて、次の作業に集中して取りかかれますよ」

また終わった作業については、横線を引いて消していくのだとか。終わった項目をチェックするのが、クセになりそう!

●欲しいものをすべて周辺においておく(23歳/経理)
「食べたいお菓子やコーヒー、肌寒くなってしまった時の膝かけなど。いちいち席を立って取りに行く必要がないように、あらかじめ準備しておくようにしています」

そうそう。席を立つたびに、集中力が途切れるどころか「何するつもりだったんだっけ」ということになっちゃうんですよね。あれにはいつも、困っています。

 皆さん、なかなか工夫されているご様子。そもそも、なぜ「やるぞ!」と決めた時に限って、集中力が散漫になってしまうのでしょうか。東京都成徳大学応用心理学部「健康・スポーツ心理学科」教授で『集中力を高めるトレーニング』(あさ出版)の著者である海保博之先生にお伺いしました。

「仕事を始めようとすると気が散ってしまうのは、別に悪いことではありません。実は、仕事に必要な知識や段取りを考えているところ。なので『気が散ってどうしようもない』と、気負う必要もないのです。むしろ、無理に制限するほうが仕事に影響を及ぼしてしまうのではないかと考えられます」(海保博之先生)

作業前に気が散ってしまうのは、悪いことではなかったのですね! では、集中力を持続させるためにはどうすればいいのでしょうか。

「人間の集中力が途切れるということは、とても自然なこと。そのため、無理をすれば仕事の質も悪くなってしまいます。そこで大切なのが、仕事・休憩・仕事・休憩……というリズムを作り出すことです。IT化が進んだ近年では、特に仕事の合間で休憩を取りづらくなっています。1時間集中したら10分、2時間では20分、3時間は30分というように、強制的にプチ休憩を取るようにしてください」

注目すべきは、休憩の取り方だったとは! 確かに、「集中しなくちゃ!」は多いけれど、「休憩しなくちゃ!」と思うことは少ないかも……。

「休憩ではリラックスすることが求められます。コンビニへ買い物に出かけたり、隣の席の人と話したり、お菓子を食べたり。思い切って家族や友達に電話してみるのもいいでしょう。また、ストレッチなど、体を動かすこともオススメですよ。こうしてプチ休憩のレパートリーを増やしておくことで、仕事と休憩のリズムを作ることができるのです」

今までは、休憩すること=サボりのようなイメージがありましたが、決してそうではなかったのですね。むしろ、集中するために休憩は必須。私も集中しすぎないように、適度に休憩を入れるようにします!

(吉住夏樹/プレスラボ)

海保博之先生のブログ
http://blog.goo.ne.jp/hkaiho/

『集中力を高めるトレーニング』
http://www.amazon.co.jp/%E9%9B%86%E4%B8%AD%E5%8A%9B%E3%82%92%E9%AB%98%E3%82%81%E3%82%8B%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0-Biz-plus-%E6%B5%B7%E4%BF%9D-%E5%8D%9A%E4%B9%8B/dp/4860630750/ref=sr_1_5?ie=UTF8&s=books&qid=1237814866&sr=1-5

現実から距離をおく

2009-09-21 | 認知心理学
現実から離れたところから現実を見られるようにしておくことである。これには、2つある。

一つは、文字通り、「現場から遠く離れて見る」ことである。視野狭窄を避けるためである。
たとえば、原子力プラントのモニタールーム。フロント一列の数人がそれぞれの領域を決めてモニターしている。そのうしろに、リーダーが全体をモニターするようになっている。これと同じことが自分でできるようにしておくのである。

「現実から離れる」のもう一つの意味は、頭の中に描く現実のイメージや知識に基づく見方である。これによって、現実の中に隠れてしまったものも見えてくる。目の前に火が吹いている現実があれば、それに囚われて火の消化だけに専心してしまう。しかし、その発火の原因についての知識があれば、もう一つ有効で効果的な手立てが打てるはずである。「知は力なり」である。

実証

2009-09-21 | 認知心理学
実証  それは真実性の唯一の証しか

●心理学から実証を取り去ると
「心理学-実証=哲学」 という計算が成り立つ(?)。実証をとってしまうと、心理学は哲学の一部とされる。 さらに、この式の変形をすれば、 「心理学=哲学+実証」 ともなる。1879年にW.ブントがライプチッヒ大学に心理学実験室をつくって、心理学を哲学から独立させようとしたのも、この式によって婉曲的には表現できる。  もっとも、「心理学-哲学=実証」ともなると、こりゃーなんだとなってしまうから、式の意味をあまり厳密に考えられると困ることもある。  いずれにしても言いたいことは、心理学から実証を取り去ってしまうと、心理学ではなくなってしまうということである。では一体、この実証とは何ものなのであろうか。どんな問題をかかえているのであろうか。

●実証とは  
心理学に限らないが、実証とは、仮説やモデルを、データによってその真実性を証明することである。犯罪捜査で言うなら、挙証(証拠を挙げる)にあたるのが、実証である。  この定義で、とりたてて何の問題もないようにみえるが、実は人の心にかかわる実証となると、問題だらけなのである。その代表的なものを3つ。 問題その1:どのデータなら真実であることを保証するのか  仮説やモデルの真実性を実証するデータは無限(?)にあるが、どのデータなら、もっとも真実性を保証するのかは確定していない。現実的な制約と仮説やモデルに基づく予想とから、真実である可能性の高いデータだけを挙げてすまさざるを得ない。たとえば、犯罪捜査なら、現場に容疑者の指紋があったという証拠(データ)のようなものである。しかし、それが常に完璧な真実性を保証するわけではないことは自明である。 問題その2:どのデータなら測ろうとするものを測っているかが確定していない  人の心を直接測るわけにはいかない。記憶力一つとっても、このデータなら、記憶力を測っていると豪語できる(?)ものは実はない。ときには、それでそれを測っていると言えるの?というようなデータが提出されることがある。データの妥当性問題と呼ばれるやっかいな問題である。 問題その3:データそのものの信頼性にばらつきがある  データの収集/測定といっても、それ自身にも信頼性がいつも100%とはいかない事情がある。自然科学の測定でも程度はかなり違うが事情は同じである。ましてや、人の心ということになると、それ自体が日々/時々刻々と変動するから、収集されるデータの信頼性のほどは押して知るべしとなる。

●実証の桎梏  
かくして、実証は膨大なコストがかかる作業となる。となると、検証したい仮説やモデルがあっても、実証のコストを考えると、とても現実的な研究テーマにならないというケースが続出することになる。あるいは、逆に、簡単に実証できる仮説やモデルだけを研究対象とするというような奇妙なことも起こってしまう。学会誌などには、後者のような論文で満載になる。あれやこれやを称して、実証の桎梏と呼んでおく。  心理学では、実証性の桎梏は、実はかなり深刻である。その多くは、人の心を研究の対象としているからである。まず、人が問題。物に対してならできることも、人であるためにできない、というよりやってはいけないことが山ほどある。もう一つは、心が問題。妥当性、信頼性がもろに問題となってくる。

●実証の桎梏を克服する  
しかしながら、100年間にわたる「実証」心理学の歴史をここで捨てるには、これまた膨大なコストがかかる。どうするか。  
一つは、「実証」心理学を捨てて、隣接分野に移ってしまうか、新設分野を創設してしまうという手がある。これを実践している研究者はかなりいる。最近では、コンピュータ・シミュレーションによるモデル論的アプローチをとる認知科学分野でもっぱら活動している「旧」心理学者を、その典型として挙げることができる。もっとも、これを制度的にやるとなると、心理学消失になってしまうのだが。  
2つは、データの意味を広く柔軟に考えることである。心理学では、実験データ、
調査データが主である。いずれも、自然科学的なデータと同じ程度の質を求められがちである。ないものねだりをお互いがして自らの首を締めているようなところが心理学にはある。「人の心を扱うのだから」それにふさわしいデータがあってもよい。  
3つは、データの役割を低めることである。しょせんデータは真実性を保証する一つの手がかりに過ぎない。「もっとデータを」も研究の王道ではあるが、「もっと仮説やモデルを」ということもあってよい。

八千代市プレーパーク

2009-09-21 | 教育
河川敷、というより、印旛沼からの運河ぞいに
運動公園がある
「サッカー場、野球場、そして、子どもの野外自然遊び場であるプレーパーク
両側が自転車ロードになっている
実にすばらしい施設が一同に揃っている

学生がプレーパークで土日ボランティアをしているので
あいさつもかねて出かけてみた
連休であまり多くの子どもはらいえんしてなかったが、
こんなところで遊べたら良いと思う
学生諸君も大変だと思うががんばって
教室ではえられない体験をしてほしいもの