批判精神――頭を元気にする習慣づくり⑦
「批判は頭をシャープにする」
● ほめるばかりは、頭を鈍らせる
批判は、これまで述べてきたこととは違って、ネガティブな要素を含むことになります。
相手を攻撃することになります。
相手を怒らせたり、意気消沈させたりすることにもなります。
結果として、自分にもかなりのストレスがかかります。
お互いを元気にするという点からすれば、批判はできればしないに越したことはありません。
しかし、頭の元気という点だけからすれば、批判精神を持つこと、批判することは必須といえます。
なぜか。
それは、すでに取り上げた「ほめる」のところでも述べましたが、ポジティブ世界は、基本的に「甘い」からです。
多少、嘘っぽくとも、論理の詰めがおかしくとも、自分も仲間も、受け入れてくれるからです。
「君はイケメンだねー」といわれれば舞い上がってしまって、「その判断基準は?」「どこが?」とか詰め寄ることはまずありませんね。
そこに危険が潜んでいるのです。
とりわけ、頭の使い方、働かせ方という点で、危ないところがあります。
● 批判の4つのタイプ
批判にはいくつかのタイプがあります。
① 論理展開がおかしいから
自衛隊イラク派遣の論拠を問われて、小泉首相「自衛隊の活動している地域は非戦闘地域だ」という名(迷)答弁がありました。(論理破綻なのですが、不思議に納得してしまうようなところがありますね。)
論理にも記号論理のごとく、正誤がきっちりと決まっているものから、「嫌いだから嫌い」といった感情論理まで、さまざまですが、おおむね、その間違いを指摘して批判することは許されています。
② 信条、信念が気にくわないから
「考え方(信条、信念)の違いだからしょうがない」というような言い方をよく耳にしますね。
これは、いくら批判しても、批判のしがいがないことを認めたセリフですが、
批判としては、かなり大事なものです。
なぜかというと、信条、信念は、現状認識も行為も、さらに生き方をもガイドするからです。
ただ、それを批判しても、それが誤っているか妥当なのかは、批判する本人にも、にわかには判断できないところがあります。
キーワード「信念」のところで述べたようなカウンセリング場面でしたら、批判とは違った、それなりの手法を使うことが可能ですが、普通の状況では、なかなか難しいところがあります。
だから、批判はしない、という選択もありです。無駄なことはしないという選択も、あって当然です。
しかし、信条、信念にも明らかに誤り、妥当でないというものもごまんとあります。それには、証拠を挙げて辛抱強く批判しないと、進歩がありません。
ちなみに、学問の世界は、こうした批判あり、を前提にしています。ですから、学者、研究者は小うるさいのです(笑い)。
③感性が受け付けないから
通販で買った背広がイマイチ気に入らない、なんてことはよくあります。
お見合いした。どこといって難点はないが、なんとなく気にいらない。
よくある話ですね。
要するに、あなたの感性が受け付けないというものです。だから批判するというのでは、批判されたほうは、たまりませんね。
でも、世の中、結構、これで動いているのも事実です。
商品開発では、ターゲットユーザーの感性を無視できません。
④ その人が嫌いだから
会議などで山口さんの提案にはいつも賛成、田中さんの意見にはいつも反対、というようなことはありませんか。
提案や意見の妥当性や賛否を、その内容からではなく、誰が言ったかだけから判断するものです。属人思考と言われています。
属人思考は、批判の邪道なのですが、同じ組織の中で長い間一緒に仕事をしていたりすると意外によく使われます。
なんといっても便利です。しかも、賛成する仲間どうしの絆を強めます。
しかし、その危うさは、あらためて言うまでもないですね。
● 批判で頭を元気に
批判の世界は、そのインパクトまで考えると、なかなか厳しい営みです。
しかし、批判しあいながら、お互いに高めあっていくこともあります。いたずらに、批判を避けるのはもったいないところもあります。
アメリカでは、お互いに示し合わせて、ある理論をアピールするために論争を仕掛けるようなこともあるという話を聞いたことがあります。そういえば、そうした有名な論争が心理学会でもいくつかあります。
論争、批判の持つポジティブ効果をねらったものです。
残念ながら、日本ではそうした生産的な批判合戦はあまりありません。お国柄ですね。ときおりみかけますが、どうも属人思考に偏ってしまっているケースが多いように見受けられます。
ところで、批判することによる頭の元気づけ効果にはどんなものがあるのでしょうか。
① 批判対象をより深く理解しなければならない
② 自分の立場を明確にするために、自分の世界を深堀しなければならない
③ 批判するところをシャープに表現しなければならない
④ 批判に対する回答をきっちりと理解しなければならない
⑤ 批判ー回答の過程で、それまで気がつかなかったことに気づかされる
いずれも、いつもの何倍もの頭の働きを要求されます。頭が元気になること間違いなしです。
● 自分の頭を元気にする批判のこつ
自分も心理学の研究者としてずっと仕事をしてきました。その間、批判精神を研ぎ澄ませてきたと言えます。
なぜか。
それは、先行研究を乗り越える研究をするためです。先行研究の「あら捜し」をして、その「あら」を越える研究をするためです。
なお、余談になりますが、それはそれで何も問題がなかったのですが、その批判精神が学生の研究指導になると時折、裏目に出てしまったことがありました。「ほめて育てる」ことを忘れてしまい、学生のやる気を殺いでしまったことがありました。批判には、こういう恐い面もあることは知っておいてよいと思います。
研究の世界には、それなりに批評文化と批評マナーがありました。そのあたりを踏まえて、効果的に批評をするコツを3つほど紹介しておきます。
① 賛否、好き嫌いつける習慣をつける
何事に対しても、自分なりに賛成、反対、あるいは好き、嫌いをはっきりさせる習慣をつけることが、批判精神を育てることになります。
ぼんやり、のほほんと毎日を過ごしていては批判精神は育ちません。ことが起こった、本を読んだ、人の意見を聞いたなどなど。日常いろいろの場面で自分なりの意見や感想を持つ習慣を付けると良いと思います。
もちろん、いつもいつも反対、ネガティブである必要はまったくありませんが、そうですね、7つがポジで、3つがネガ、くらいのところでしょうか。
②批判してもそれを公にしない
あくまで自分の頭を元気にするためだけなら、批判をその「人」に直接、表明する必要はありません。批判したことをメモにでもしたり、せいぜい周辺の批判対象とは無縁の人々だけに話せばよいのです。
ややずるいやり方ですが、批判はリアクションがあります。それに弱い人は、こうしたやり方もありです。
③ 「私は」表現を心がける
これは、批判相手が目の前にいるときのコツです。
「あなたの考えはわかります」「あなたの考えは良いところをついています」
の枕ことばの後に、「しかし、私は、こう思います」という形で批判するのが一つのパターンとしてあります。
前者は、「ほめて叱る」ようなものですね。
後者の「私」表現の良いところは、あなたを攻撃する意思はありません、しかし、あなたとは違った考えもあります、という暗黙のメッセージを伝えているからです。これによって、批判を創発的な方向に向けることができます。
「批判は頭をシャープにする」
● ほめるばかりは、頭を鈍らせる
批判は、これまで述べてきたこととは違って、ネガティブな要素を含むことになります。
相手を攻撃することになります。
相手を怒らせたり、意気消沈させたりすることにもなります。
結果として、自分にもかなりのストレスがかかります。
お互いを元気にするという点からすれば、批判はできればしないに越したことはありません。
しかし、頭の元気という点だけからすれば、批判精神を持つこと、批判することは必須といえます。
なぜか。
それは、すでに取り上げた「ほめる」のところでも述べましたが、ポジティブ世界は、基本的に「甘い」からです。
多少、嘘っぽくとも、論理の詰めがおかしくとも、自分も仲間も、受け入れてくれるからです。
「君はイケメンだねー」といわれれば舞い上がってしまって、「その判断基準は?」「どこが?」とか詰め寄ることはまずありませんね。
そこに危険が潜んでいるのです。
とりわけ、頭の使い方、働かせ方という点で、危ないところがあります。
● 批判の4つのタイプ
批判にはいくつかのタイプがあります。
① 論理展開がおかしいから
自衛隊イラク派遣の論拠を問われて、小泉首相「自衛隊の活動している地域は非戦闘地域だ」という名(迷)答弁がありました。(論理破綻なのですが、不思議に納得してしまうようなところがありますね。)
論理にも記号論理のごとく、正誤がきっちりと決まっているものから、「嫌いだから嫌い」といった感情論理まで、さまざまですが、おおむね、その間違いを指摘して批判することは許されています。
② 信条、信念が気にくわないから
「考え方(信条、信念)の違いだからしょうがない」というような言い方をよく耳にしますね。
これは、いくら批判しても、批判のしがいがないことを認めたセリフですが、
批判としては、かなり大事なものです。
なぜかというと、信条、信念は、現状認識も行為も、さらに生き方をもガイドするからです。
ただ、それを批判しても、それが誤っているか妥当なのかは、批判する本人にも、にわかには判断できないところがあります。
キーワード「信念」のところで述べたようなカウンセリング場面でしたら、批判とは違った、それなりの手法を使うことが可能ですが、普通の状況では、なかなか難しいところがあります。
だから、批判はしない、という選択もありです。無駄なことはしないという選択も、あって当然です。
しかし、信条、信念にも明らかに誤り、妥当でないというものもごまんとあります。それには、証拠を挙げて辛抱強く批判しないと、進歩がありません。
ちなみに、学問の世界は、こうした批判あり、を前提にしています。ですから、学者、研究者は小うるさいのです(笑い)。
③感性が受け付けないから
通販で買った背広がイマイチ気に入らない、なんてことはよくあります。
お見合いした。どこといって難点はないが、なんとなく気にいらない。
よくある話ですね。
要するに、あなたの感性が受け付けないというものです。だから批判するというのでは、批判されたほうは、たまりませんね。
でも、世の中、結構、これで動いているのも事実です。
商品開発では、ターゲットユーザーの感性を無視できません。
④ その人が嫌いだから
会議などで山口さんの提案にはいつも賛成、田中さんの意見にはいつも反対、というようなことはありませんか。
提案や意見の妥当性や賛否を、その内容からではなく、誰が言ったかだけから判断するものです。属人思考と言われています。
属人思考は、批判の邪道なのですが、同じ組織の中で長い間一緒に仕事をしていたりすると意外によく使われます。
なんといっても便利です。しかも、賛成する仲間どうしの絆を強めます。
しかし、その危うさは、あらためて言うまでもないですね。
● 批判で頭を元気に
批判の世界は、そのインパクトまで考えると、なかなか厳しい営みです。
しかし、批判しあいながら、お互いに高めあっていくこともあります。いたずらに、批判を避けるのはもったいないところもあります。
アメリカでは、お互いに示し合わせて、ある理論をアピールするために論争を仕掛けるようなこともあるという話を聞いたことがあります。そういえば、そうした有名な論争が心理学会でもいくつかあります。
論争、批判の持つポジティブ効果をねらったものです。
残念ながら、日本ではそうした生産的な批判合戦はあまりありません。お国柄ですね。ときおりみかけますが、どうも属人思考に偏ってしまっているケースが多いように見受けられます。
ところで、批判することによる頭の元気づけ効果にはどんなものがあるのでしょうか。
① 批判対象をより深く理解しなければならない
② 自分の立場を明確にするために、自分の世界を深堀しなければならない
③ 批判するところをシャープに表現しなければならない
④ 批判に対する回答をきっちりと理解しなければならない
⑤ 批判ー回答の過程で、それまで気がつかなかったことに気づかされる
いずれも、いつもの何倍もの頭の働きを要求されます。頭が元気になること間違いなしです。
● 自分の頭を元気にする批判のこつ
自分も心理学の研究者としてずっと仕事をしてきました。その間、批判精神を研ぎ澄ませてきたと言えます。
なぜか。
それは、先行研究を乗り越える研究をするためです。先行研究の「あら捜し」をして、その「あら」を越える研究をするためです。
なお、余談になりますが、それはそれで何も問題がなかったのですが、その批判精神が学生の研究指導になると時折、裏目に出てしまったことがありました。「ほめて育てる」ことを忘れてしまい、学生のやる気を殺いでしまったことがありました。批判には、こういう恐い面もあることは知っておいてよいと思います。
研究の世界には、それなりに批評文化と批評マナーがありました。そのあたりを踏まえて、効果的に批評をするコツを3つほど紹介しておきます。
① 賛否、好き嫌いつける習慣をつける
何事に対しても、自分なりに賛成、反対、あるいは好き、嫌いをはっきりさせる習慣をつけることが、批判精神を育てることになります。
ぼんやり、のほほんと毎日を過ごしていては批判精神は育ちません。ことが起こった、本を読んだ、人の意見を聞いたなどなど。日常いろいろの場面で自分なりの意見や感想を持つ習慣を付けると良いと思います。
もちろん、いつもいつも反対、ネガティブである必要はまったくありませんが、そうですね、7つがポジで、3つがネガ、くらいのところでしょうか。
②批判してもそれを公にしない
あくまで自分の頭を元気にするためだけなら、批判をその「人」に直接、表明する必要はありません。批判したことをメモにでもしたり、せいぜい周辺の批判対象とは無縁の人々だけに話せばよいのです。
ややずるいやり方ですが、批判はリアクションがあります。それに弱い人は、こうしたやり方もありです。
③ 「私は」表現を心がける
これは、批判相手が目の前にいるときのコツです。
「あなたの考えはわかります」「あなたの考えは良いところをついています」
の枕ことばの後に、「しかし、私は、こう思います」という形で批判するのが一つのパターンとしてあります。
前者は、「ほめて叱る」ようなものですね。
後者の「私」表現の良いところは、あなたを攻撃する意思はありません、しかし、あなたとは違った考えもあります、という暗黙のメッセージを伝えているからです。これによって、批判を創発的な方向に向けることができます。