わかりやすさの心理学
「概要」わかりやすさの心理について認知心理学の枠組みの中で考えてみる。わかりやすさは、ごく日常的な体験である。まず、その体験を支えるのがメタ認知であることを紹介し、ついで、わかりやすさの心理的メカニズムに配慮したわかりやすさの設計原理を提案する。
1.1 わかりやすさは主観的な感じ
●わかりやすさを感知するにはメタ認知力が必要
わかりやすさは、自分の理解状態をモニタリング(監視して)いるメタ認知の働きに負うている。たとえば、ある文章を読んで、そのわかりやすさを評価してもらうとする。読んで理解するためには複雑な認知的な情報処理が実行されることになる。そこでどれほどスムーズな処理が行われたかのメタ認知(モニタリング)によって、わかりやすさの主観的な感じが決まってくる。
メタ認知力が高ければ、わかりやすさの主観的な感じの精度も高くなる。さらに、その主観の内容、つまりどこのところがどのようにわかりにくいのかを的確に指摘できることにもなる。
どうした?
どうする?
図1 メタ認知と情報処理
●メタ認知力を高める要因
では、そのメタ認知力を高める要因はなんであろうか。
一つは、一般的な知識量である。知識が豊かになれば自然とメタ認知力はついてくる。
さらに小学校高学年あたりから、メタ認知そのものに関する知識も徐々に獲得するようになる。反省や内省の機会が増えるからである。3,4歳になると、人には心があることの認識が生まれることが知られているが、その認識が反省や内省の習慣とともに次第に精緻化されてくるにつれて、メタ認知力も高度化してくる。
●メタ認知はいつどのように働くか
メタ認知は、一般に心が普通に働いている時には、意図的に働かない限り働かない。何か心の不具合が発生した時に、どんな不具合が発生しているのか、それはなぜなのかを知るために、メタ認知が働く。
わかりやすさについてのメタ認知が働くのも、日常的な場面では、わかりにくさに遭遇した時である。認知情報処理が円滑に進まなかった時、「あれっ、どうした」となる。
メタ認知が起動されると、メタ認知の次の仕事は、どこがどうわからないかの点検である。ここで動員されるのが、前述した2つの知識である。一つは、その素材に関連した既有知識、もう一つはメタ認知をどのように働かせればよいのかについての知識である。なお後者については、モニタリング機能に加えて、心や行動をコントロールする機能についての知識がある。
1.2 わかりやすさを考えるための枠組
●認知情報処理過程の枠組
図*に示すのは、今では古典的ともいえる認知情報処理の枠組として採用されているものである。わかりやすさをこの枠組で考えてみるが、その前にこの枠組を簡単に解説しておく。なお、このモデルは、通常、感覚情報貯蔵庫が左端に入れた3貯蔵庫モデルが一般的だが、わかりやすさにはほとんど関係しないので省いた。
図2 情報処理のマクロモデル(電話番号の記憶を想定した
場合)
1)短期記憶貯蔵庫
ここでは、感覚情報貯蔵から抽出された情報を高々20秒程度保存しておくところである。この間に、リハーサルを行ないながら、長期記憶に貯蔵されている関連知識を引き出して(検索して)、入力情報と結びつけては(精緻化しては)、逐次、それを長期記憶へ転送する。短期記憶に一度に貯蔵しておける情報は、意味的なまとまり(チャンク)にして7個程度である。
2)長期記憶
ここでは、情報(知識)を長期間にわたり貯蔵しておくところである。短期記憶からの検索要求に応じて必要な情報を提供し、それによって、既有の知識を更新する。
3)注意系・メタ認知
ここでは、短期記憶の機能を管理する。メタ認知によって短期記憶の情報処理の様子をモニターしながら、注意配分が行われる。処理に負荷がかかれば注意をたくさん注ぐ、処理負荷が軽ければ、注意は節約される。
●状況論
わかりやすさの問題を考えるもう一つの視点が、認知心理学の中にはある。それは、認知情報処理に対する批判として出現した状況論である。
認知情報処理モデルが頭の中での自閉的な記号操作の仕組みにもっぱら関心を向けたのに対して、もう一つの知的世界として、人を取り巻く状況と人とのやりとりそのものがある。
●3つの観点
以上の枠組をベースにして、次の3つの観点から、わかりやすさとそれを作り出し設計原理を考えてみる。
1)知識の活性化
情報処理には、そこで使う知識が使える状態にあることが必須である。これが知識の活性化である。情報処理のためのいわば知識の準備体操のようものである。それを支援するための仕掛けが必要となる。認知情報処理モデルで言うなら、長期記憶貯蔵庫が深くかかわってくるところである。
2)注意資源の配分の最適化
情報処理に十分な注意が注がれれば、その情報はいつもよりもスムーズに処理される。そこで、大事な情報とそうでない情報とを仕分けて、そのことが見てわかるようにメリハリ表現をしてやれば、張りの部分に注意が誘導されて大事なことが深く処理されることが期待できる。認知情報処理モデルで言うなら、短期記憶貯蔵庫が深くかかわってくるところである。
3)状況の活用
外部情報は状況の中で提示される。たとえば、会話。相手の言葉だけがわかりやすさを規定しているわけではない。ノンバーバルな情報もきわめてだいじになるし、その会話がどんな場面で発生しているかや瞬時のやりとりの中にもわかりやすさを微妙に規定しているものがある。状況論が深くかかわってくるところである。
1・3 知識の活性化とわかりやすさ
●知識とわかりやすさ
外部情報をわかるためには、膨大かつ多彩な知識が必要である。かりに、「海」1文字でも、それを形として認識するための形態についての知識、それを/カイ/と読むための音韻的知識、さらに、それが概念としての海の意味であると認識するための意味的知識が必要である。これが文、文章、テキストとなれば、それをわかるための知識は、はかりしれないほど膨大で多彩になる。
外部情報のわかりやすさは、基本的には、どれほどの内部知識をそれに結びつける(引き出す)ことができるかによって決まってくる。
●わかりにくい一つの事例
わかりにくさを作り出しているのは、素材を処理する資源(知識とそれを操る技能)の不足である。関連する知識がなければ素材を処理できないし、さらに知識を操る技能がなければ素材の処理ができない。そのいずれの不足によるかのメタ認知がまず必要となる。知識不足なら、知識を求めての知的活動が開始される。技能不足なら最大限の技能発揮の努力をするか、場合によっては諦めることになる。
ここで、話を具体化するためにひとつの事例を挙げておく。次の文章は、ひとつひとつの文は、わかりやすいのだが、全体は非常にわかりにくい(Bransford,J,D. and Johnson,M.K. 1972)。
「新聞のほうが雑誌よりいい。街中より海岸の方が場所としていい。最初は歩くより走る方がいい。何度もトライしなくてはならないだろう。ちょっとしたコツがいるが、つかむのは易しい。小さな子どもでも楽しめる。一度成功すると面倒は少ない。鳥が近づきすぎることはめったにない。ただ、雨はすぐ浸み込む。(後略)」
ちなみに、これにタイトルとして、「凧揚げをする」をつけると、とたんに全体がわかりやすくなる。タイトル効果である。
●知識量とわかりやすさ
ハングル文字「 」を見ても、高々、その形の部分が直線とか曲線でできている、あるいは、カタカナ文字に似た部分がある程度の認識しかできない。結びつけることのできる知識がほとんどないからである。しかし、「海」なら、形音義に関わる知識をどんどん引き出してくることができる。かくして「海」は圧倒的にわかりやすい情報ということになる。
このように知識の内容はともかくとして、外部情報に対してより多くの知識を結びつけることができれば、その情報はわかりやすいと感ずることになる。
しかし、さきほど挙げた事例のように、部分的に一つ一つの文はわかるが、全体として何が何やらわけがわからないということがあるのは、知識の質もわかりやすさに関連していることを示唆している。
●知識の質とわかりやすさ
前出の例のように、タイトルを示すととたんにわかりやすくなる。なぜか。タイトルによって、凧揚げに関するまとまった知識が活性化されて外部情報の処理に使えるからである。このまとまった知識構造をスキーマと呼ぶ。たとえば、凧揚げのスキーマなら、図に示すようなスキーマが想定されるであろう。
図1-3 凧揚げに関して想定されるスキーマのイメージ
外部情報にばらばらな知識が結び付けられても「浅い」わかりやすさ、つまり、部分的、表層的、連想的わかりやすさしか生成されない。「深い」わかりやすさは、スキーマが駆動されて、全体的、深層的、構造的理解にまでなってはじめて達成される。もっとも、スキーマにも、知識要素の大小、具体―抽象、カバー範囲の広狭などなどがあり、どんなスキーマが引き出されるかによって、さまざまなわかりやすさが発生する。
●知識を活性化する
さて、わかりやすさを作り出すのは頭の中の知識であるが、いかにしてその知識を外部情報の処理に適切に使えるようにするかが、わかりやすさに深くかかわってくる。知識の量がどれほど多くとも、また、スキーマがどれほど高度化されていても、それが外部情報の処理に使えなければ、わかりやすさとは無縁である。
そこで、外部情報の中に、知識を使いやすくする仕掛けを作り込むことになる。
その基本は、どれくらいの知識量を活性化させるか、そして、どんな知識を活性化させるかである。
なお、ここで、活性化についての一言。
頭の中の知識の要素は、一定の活性度の札をつけて格納されている。活性度は、概ね、過去の使用頻度、あるいは親近度(どれくらい前に使用されたか)と比例する。使用頻度が高くとも、新近度が低ければ(昔のことであれば)、活性度は低くなる。たとえば、マスコミで報道される奇異な犯罪関連の用語のように、使用頻度が低くとも、新近度が高ければ活性度は高くなる。
活性化とは、その知識要素が使われるときの活性度を高めることである。活性度が高いほどその知識は使わるやすいことになる。したがって、外部情報の処理に、たくさんの活性度の高い知識を使えるような仕掛けを作り込めばわかりやすさを作り出すことができる。その具体策の一つとして、先行オーガナイザーを紹介してみる。
●先行オーガナイザー
教材設計の分野で馴染みのある概念に、先行オーガナイザー(Ausubel,D,P,1960)がある。
先行オーガナイザーとは、章単位程度のまとまりのある教材の冒頭に、その教材の全体像や枠組を示すものである。そのねらいは、新しい教材を児童生徒の既有の知識構造に結びつけて有意味化をはかることである。示し方は、いろいろあるが、文章でもよいし、概念図などの視覚表現でもよい。オースベルは、たとえのようなものでもよいとして、これを特に比較オーガナイザーと呼んだ(図1-2参照)。これは、たとえば、音響系についての知識が豊富な人に、電気回路のことを説明したいときに、「たとえると」というアナロジーを用いるときに使う。いずれも、内容は、抽象度が高く、カバーする領域全体を包摂するようなものになる。
図 たとえるもの(脳)とたとえられるもの(コンピュータ)
(山梨、1988、に基ずく)
タイトル効果は、先行オーガナイザー効果のミニチュアの一つといってよい。もっともその効果を発揮するためには、タイトルの内容が前述の要件を満たしていなければならない。
●連想する
先行オーガナイザーが、ある特定の知識領域を限定しての活性化であったのに対し、もっと漠然とした領域を広範囲に活性化する手法もある。その一つが連想マップである。
図1-3のように、キー概念を中心にそこから連想することを自由に紙に書き出し、関連する内容は線でつないでいくだけの作業である。
(海保、1888 こうすればわかりやすい表現になる 福村出版
連想することによる関連する知識の広範囲にわたる活性化がねらいであり、マップにすることによる知識の固定化は本意ではない。あくまでこれから提供する情報の可能性としての受け皿を用意してもらうことがねらいである。
●ひとつの研究例
知識の活性化を中心にわかりやすさの問題を考察してみたが、わかりやすさにかかわる研究は、これ以外の文脈でも広範に行われている。その一つを紹介しておく。
図に示したのは、テキスト理解の文脈で行われたものである。このパス図わかることを摘記してみると次のようになる。
① わかりやすさを規定する要因として熟知度と具体性がかかわっている
② わかりやすさは、興味を規定している
③ わかりやすさは、テキストの再生成績にはそれほど強くは規定していないが、興味を仲介する形で、再生成績に影響している
ここで取り上げられた要因のうち、熟知度と具体性は、知識の質にかかわるもので、ともに、知識を活性化することに深くかかわっている。
さらに注目しておきたいことは、③の結果である。わかりやすさが興味を喚起するのに強く貢献している。ここで、わかりやすさという知的機能にかかわることが、興味という感情機能を深く規定していることがうかがえる。
図1-** わかりやすさにかかわる諸要因間の関係(Sadoski et al.2000)
1.4注意配分の最適化とわかりやすさ
●わかりやすさと注意
わかりやすさと注意との関係を考えるあたり、ポイントになることをいくつか述べておく。
プレゼンをあなたが聞いているとする。あまりにわかりやすい話ばかりが長々と続くと、つい眠くなってしまう。注意の活動レベルが低下してしまうからである。一方、とてつもなく難しい話がこれまでえんえんと続けば、これまた眠くなってしまう。注意集中が持続しないからである。
大雑把には、情報処理の効率と注意レベルとの関係は、図に示すように山型になる。情報処理が最も効率的に行われているときには、わかりやすさの感覚も高くなる。
図 情報処理の効率と注意の水準
これがまず指摘しておきたい第一のポイントである。
第2のポイントは、注意の配分は、メタ認知に負うているということである。
わかりにくいとメタ認知が感知したときには、注意をより多く配分して短期記憶の活動を活発にさせる。わかりやすいとメタ認知が感知したときは、注意を節約する。
第3のポイントは、第2と深く関連するが、注意の資源には限界があるということである。だからこそ、その効果的な配分が問題になってくる。わかりにくいときは、注意をたくさん注ぎ、わかりやすいときには、注意を節約することになる。
最後は、注意の配分は、時間的な変動にさらされるということである。たとえ10分間でも、注意のレベルが一定ということはありえない。心身状態や外部条件によって時々刻々変動するのが注意である。
● メリハリをつける
平板さは、注意配分を外的にコントロールするためには大敵である。どこにどれくらい注意を配分してよいかがわからないために、注意資源の無駄が発生してしまうからである。
効果的で無駄のない注意配分を促すためには、表現にメリハリ(滅り張り)をつけることである。
図は、漢字かな混じり文を読んでいるときの眼球運動を記録したものである。眼球の停留は、そこに注意が集中的に配分されて処理効率を高めていることを示している。漢字の部分に眼球が停留しているのがわかる。漢字は文の意味理解にとって大事な要素なので、当然の結果である。
図 眼球運動の停留するところ(斉田、1993より)
情報処理の効率を高めてほしいところにはハリをつけて表現する。表現の背景的な内容はメリ表現をして、最適な注意を配分ができるように支援してやる。
1・5 状況とわかりやすさ
●一つの思考実験
1980年代、人工知能研究が盛んだった。コンピュータに知識を埋め込んで、世界を理解させようとしたわけである。そうした試みの中で一つの思考実験を想定してみる。
「お腹が痛い。どうしたんだろう」とコンピュータに問いかけた。コンピュータは腹痛の原因を100個列挙して、このうちのどれかだと思うとして、さらに、原因追求のための質問をしてくる。それに答えることを繰り返していると、原因が次第に絞られてきた。そこで、「では、どうしたらいいか」と訪ねると、またまた100の可能性を列挙してきた。それから可能性を絞るための、またまた延々とやりとりをしているうちに、その人が死んでしまった。
ここまで、知識情報処理とわかりやすさの話をしてきたが、知識がどれほど豊富だったとしても、それだけで人のわかりやすさが説明できるわけではない。
この思考実験で、コンピュータの代わりに人間の医師を想定したら、知識処理だけに依存するコンピュータの限界にたちどころに気がつくはずである。
ここには、2つの問題がある。一つは、そもそも世の中を理解するの十分な知識を人でもコンピュータでも貯蔵することが出来るかという問題である。少なくともコンピュータにはできない(フレーム問題)とされているが、人ではどうであろうか。これに対する一つの答えが、状況論から提案されている。
もう一つの問題は、なぜ、十分な知識がなくとも、医者は(おおくの場合)的確な診断ができるのかという問題である。直感判断や熟達者の判断のメカニズムの解明がまたれることになる。
● 状況論とわかりやすさ
状況とのリアルタイムでの相互作用
状況への関与 情報の受動的な受け入れではなく、積極的な関与
医師であれば、患者の言語的な訴えを聞いたら、そこからだけでなく、それを取り巻く状況から豊富な情報を得るのが普通である。
フレーム問題
文脈の役割
KY(空気を読む)
意図がわからない
相互作用
まとめに代えて; わかるとわかりやすさ
わかりやすさの極致がわかってということではない。わかることとわかりやすさとは、あるところまでは同一次元の程度問題ではあるが、その先は、次元を異にすると考えておいたほうがよい。
図1-** わかりやすさとわかる
わかるとは、大きく、2つのタイプがある。ピアジェの用語を借りるなら、同化によるわかり方と、調節によるわかり方とである。
同化によるわかり方とは、わかるべき新しい情報が、頭の中にある知識の一部として取り込まれた時である。この時は、既有知識の体系には変更はなく、ただ、新しい知識要素が追加されただけである。
たとえば、「山田君が結婚する」という情報を知ったとき、「山田君」についてすでに既有知識があれば、新たに「結婚」という情報を追加すればよい。そして、それは、それでわかったということになる。
ここまでは、わかりやすさと次元を共にする。
しかしこれに対して、調節によるわかり方とは、新しい情報の入力によって、頭の中にある知識の体験が組み換え(更新)られることである。
たとえば、「山田君があなたの部下である高橋さんと結婚した」となればどうであろうか。山田君と高橋さんそれぞれについてもっていた知識体系は、ここで一挙に変更されて、あらたな知識体系が作り出されることになる。同化によるわかり方が、「わかった、それでどうした」ということになるが、調節によるわかり方は、「わかった。びっくりしたなー」となる。
わからないことがわかった、となるのは、調節による知識体系の変更、つまり、一段上への知識の体系化が基盤になっている。
本章では、同化によるわかり方におけるわかりやすさを問題にしてきた。
コラム
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わかりにくい表現は高コスト負担になる
社会保険庁からの年金特別便がわかりにくくて再送、億単位の支出増とのニュース。さもありなんと思う。先日おくられてきた簡易保険満期の通知もそれで何をしてよいのかさっぱりわからないので窓口にいったら、書かれていることとは別の手続きでよいと言う。
さらに、税金の確定申告の説明も、何度も読まないと理解できない指示で満載。ほとんどが毎年同じはずなのに、説明の仕方が異なる。違ったところだけ強調して書いてくれれば余計なところは読まなくとも済むのだが。
官僚文書は、官僚だけが作るわけではない。これを真似するかのようにして、民間でも似たようなわかりにくい文書が出されている。
わかりにくい文書は、読み手、ひいては社会に高いコストを負担させることになる。今回の社会保険庁のケースはそのことをはっきりと認識させた点で効用ありである。再送の金銭コストに限らない。わかりやすく書けば、5分で読み終える文書が、わかりにくく書かれていたために倍の時間を費やす、さらには、回りの人に聞く、あげくの果ては、書き手に問い合わせることになる。この時間コストは、いかほどになるか見当もつかない。
どうしてこうした悪文書が出回るであろうか。
これらの文書の多くは、ちょっとした間違いが大変なことになる文書である。誤りを恐れて、なんでもかんでも書き込んでおこうとすることが、こうしたわかりにくい文書を作り出してしまうのであろう。
筆者は電子機器の取扱説明書をわかりやすくする研究をしてきた。30年前、なんでも知っている技術者が書いたものが、素人ユーザにはちんぷんかんぷんで、クレームがメーカーに押し寄せた事情と似ている。
さらに、文書は形として残る。前例、慣習でもっぱら動いている官庁では、過去の悪文書が参照されてそれが一種のマニュアル(表現文化)になってしまっているのだと思う。
改善の方策は大小とりまぜればたくさんあるが、ここでは、「大」のほうを3点だけ指摘しておきたい。
第一には、誰に当てた文書なのかをしっかりと意識して文書作りをすること。高齢者相手の文書ならそれなりの作り方があるはず。
2つ目は、読み手に近い周辺の人に事前にチェックしてもらうこと。一人でも2人でもよい。ちょっとみてもらうだけでも独りよがりの表現のまずさが指摘してもらえる。取扱説明書の作成には、こうした役割と果たすテクニカルライターが介在するのが一般的になっている。
3つ目は、やや具体的な方策であるが、メリハリ表現をすること。書いてあることが全部大事ということはない。読み手にとって大事なこととそうでないことがみてわかるようにする。文書の「みえる化」である。今、金融商品の説明が参考になる。
* ********
文献
Ausubel,D,P, 1960 The use of advance organizers in the learning and retention of meaningful verbal material. Journal of Educational Psychology,51,267-272
Bransford,J,D. and Johnson,M.K. 1972 Contextual prerequisites for understanding; some investigations of comprehension and recall. Journal of Verbal Learning and Verbal Behavior,11,717-726(西林克彦 2005 「わかったつもり;読解力がつかない本当の原因」光文社新書の訳より)
Sadoski ,M.,Goetz,E.,& Rodriguez,M. 2000 Engaging texts;Effects of concreteness on comprehensibility,interest, and recall in four text types. Journal of Educational Psychology,92,85-95
斉田真也1993 読みと眼球運動 (阪良二ら編 眼球運動の実験心理学 名古屋大学出版会)
山梨正明 1988 「比喩と理解」 東京大学出版会
「概要」わかりやすさの心理について認知心理学の枠組みの中で考えてみる。わかりやすさは、ごく日常的な体験である。まず、その体験を支えるのがメタ認知であることを紹介し、ついで、わかりやすさの心理的メカニズムに配慮したわかりやすさの設計原理を提案する。
1.1 わかりやすさは主観的な感じ
●わかりやすさを感知するにはメタ認知力が必要
わかりやすさは、自分の理解状態をモニタリング(監視して)いるメタ認知の働きに負うている。たとえば、ある文章を読んで、そのわかりやすさを評価してもらうとする。読んで理解するためには複雑な認知的な情報処理が実行されることになる。そこでどれほどスムーズな処理が行われたかのメタ認知(モニタリング)によって、わかりやすさの主観的な感じが決まってくる。
メタ認知力が高ければ、わかりやすさの主観的な感じの精度も高くなる。さらに、その主観の内容、つまりどこのところがどのようにわかりにくいのかを的確に指摘できることにもなる。
どうした?
どうする?
図1 メタ認知と情報処理
●メタ認知力を高める要因
では、そのメタ認知力を高める要因はなんであろうか。
一つは、一般的な知識量である。知識が豊かになれば自然とメタ認知力はついてくる。
さらに小学校高学年あたりから、メタ認知そのものに関する知識も徐々に獲得するようになる。反省や内省の機会が増えるからである。3,4歳になると、人には心があることの認識が生まれることが知られているが、その認識が反省や内省の習慣とともに次第に精緻化されてくるにつれて、メタ認知力も高度化してくる。
●メタ認知はいつどのように働くか
メタ認知は、一般に心が普通に働いている時には、意図的に働かない限り働かない。何か心の不具合が発生した時に、どんな不具合が発生しているのか、それはなぜなのかを知るために、メタ認知が働く。
わかりやすさについてのメタ認知が働くのも、日常的な場面では、わかりにくさに遭遇した時である。認知情報処理が円滑に進まなかった時、「あれっ、どうした」となる。
メタ認知が起動されると、メタ認知の次の仕事は、どこがどうわからないかの点検である。ここで動員されるのが、前述した2つの知識である。一つは、その素材に関連した既有知識、もう一つはメタ認知をどのように働かせればよいのかについての知識である。なお後者については、モニタリング機能に加えて、心や行動をコントロールする機能についての知識がある。
1.2 わかりやすさを考えるための枠組
●認知情報処理過程の枠組
図*に示すのは、今では古典的ともいえる認知情報処理の枠組として採用されているものである。わかりやすさをこの枠組で考えてみるが、その前にこの枠組を簡単に解説しておく。なお、このモデルは、通常、感覚情報貯蔵庫が左端に入れた3貯蔵庫モデルが一般的だが、わかりやすさにはほとんど関係しないので省いた。
図2 情報処理のマクロモデル(電話番号の記憶を想定した
場合)
1)短期記憶貯蔵庫
ここでは、感覚情報貯蔵から抽出された情報を高々20秒程度保存しておくところである。この間に、リハーサルを行ないながら、長期記憶に貯蔵されている関連知識を引き出して(検索して)、入力情報と結びつけては(精緻化しては)、逐次、それを長期記憶へ転送する。短期記憶に一度に貯蔵しておける情報は、意味的なまとまり(チャンク)にして7個程度である。
2)長期記憶
ここでは、情報(知識)を長期間にわたり貯蔵しておくところである。短期記憶からの検索要求に応じて必要な情報を提供し、それによって、既有の知識を更新する。
3)注意系・メタ認知
ここでは、短期記憶の機能を管理する。メタ認知によって短期記憶の情報処理の様子をモニターしながら、注意配分が行われる。処理に負荷がかかれば注意をたくさん注ぐ、処理負荷が軽ければ、注意は節約される。
●状況論
わかりやすさの問題を考えるもう一つの視点が、認知心理学の中にはある。それは、認知情報処理に対する批判として出現した状況論である。
認知情報処理モデルが頭の中での自閉的な記号操作の仕組みにもっぱら関心を向けたのに対して、もう一つの知的世界として、人を取り巻く状況と人とのやりとりそのものがある。
●3つの観点
以上の枠組をベースにして、次の3つの観点から、わかりやすさとそれを作り出し設計原理を考えてみる。
1)知識の活性化
情報処理には、そこで使う知識が使える状態にあることが必須である。これが知識の活性化である。情報処理のためのいわば知識の準備体操のようものである。それを支援するための仕掛けが必要となる。認知情報処理モデルで言うなら、長期記憶貯蔵庫が深くかかわってくるところである。
2)注意資源の配分の最適化
情報処理に十分な注意が注がれれば、その情報はいつもよりもスムーズに処理される。そこで、大事な情報とそうでない情報とを仕分けて、そのことが見てわかるようにメリハリ表現をしてやれば、張りの部分に注意が誘導されて大事なことが深く処理されることが期待できる。認知情報処理モデルで言うなら、短期記憶貯蔵庫が深くかかわってくるところである。
3)状況の活用
外部情報は状況の中で提示される。たとえば、会話。相手の言葉だけがわかりやすさを規定しているわけではない。ノンバーバルな情報もきわめてだいじになるし、その会話がどんな場面で発生しているかや瞬時のやりとりの中にもわかりやすさを微妙に規定しているものがある。状況論が深くかかわってくるところである。
1・3 知識の活性化とわかりやすさ
●知識とわかりやすさ
外部情報をわかるためには、膨大かつ多彩な知識が必要である。かりに、「海」1文字でも、それを形として認識するための形態についての知識、それを/カイ/と読むための音韻的知識、さらに、それが概念としての海の意味であると認識するための意味的知識が必要である。これが文、文章、テキストとなれば、それをわかるための知識は、はかりしれないほど膨大で多彩になる。
外部情報のわかりやすさは、基本的には、どれほどの内部知識をそれに結びつける(引き出す)ことができるかによって決まってくる。
●わかりにくい一つの事例
わかりにくさを作り出しているのは、素材を処理する資源(知識とそれを操る技能)の不足である。関連する知識がなければ素材を処理できないし、さらに知識を操る技能がなければ素材の処理ができない。そのいずれの不足によるかのメタ認知がまず必要となる。知識不足なら、知識を求めての知的活動が開始される。技能不足なら最大限の技能発揮の努力をするか、場合によっては諦めることになる。
ここで、話を具体化するためにひとつの事例を挙げておく。次の文章は、ひとつひとつの文は、わかりやすいのだが、全体は非常にわかりにくい(Bransford,J,D. and Johnson,M.K. 1972)。
「新聞のほうが雑誌よりいい。街中より海岸の方が場所としていい。最初は歩くより走る方がいい。何度もトライしなくてはならないだろう。ちょっとしたコツがいるが、つかむのは易しい。小さな子どもでも楽しめる。一度成功すると面倒は少ない。鳥が近づきすぎることはめったにない。ただ、雨はすぐ浸み込む。(後略)」
ちなみに、これにタイトルとして、「凧揚げをする」をつけると、とたんに全体がわかりやすくなる。タイトル効果である。
●知識量とわかりやすさ
ハングル文字「 」を見ても、高々、その形の部分が直線とか曲線でできている、あるいは、カタカナ文字に似た部分がある程度の認識しかできない。結びつけることのできる知識がほとんどないからである。しかし、「海」なら、形音義に関わる知識をどんどん引き出してくることができる。かくして「海」は圧倒的にわかりやすい情報ということになる。
このように知識の内容はともかくとして、外部情報に対してより多くの知識を結びつけることができれば、その情報はわかりやすいと感ずることになる。
しかし、さきほど挙げた事例のように、部分的に一つ一つの文はわかるが、全体として何が何やらわけがわからないということがあるのは、知識の質もわかりやすさに関連していることを示唆している。
●知識の質とわかりやすさ
前出の例のように、タイトルを示すととたんにわかりやすくなる。なぜか。タイトルによって、凧揚げに関するまとまった知識が活性化されて外部情報の処理に使えるからである。このまとまった知識構造をスキーマと呼ぶ。たとえば、凧揚げのスキーマなら、図に示すようなスキーマが想定されるであろう。
図1-3 凧揚げに関して想定されるスキーマのイメージ
外部情報にばらばらな知識が結び付けられても「浅い」わかりやすさ、つまり、部分的、表層的、連想的わかりやすさしか生成されない。「深い」わかりやすさは、スキーマが駆動されて、全体的、深層的、構造的理解にまでなってはじめて達成される。もっとも、スキーマにも、知識要素の大小、具体―抽象、カバー範囲の広狭などなどがあり、どんなスキーマが引き出されるかによって、さまざまなわかりやすさが発生する。
●知識を活性化する
さて、わかりやすさを作り出すのは頭の中の知識であるが、いかにしてその知識を外部情報の処理に適切に使えるようにするかが、わかりやすさに深くかかわってくる。知識の量がどれほど多くとも、また、スキーマがどれほど高度化されていても、それが外部情報の処理に使えなければ、わかりやすさとは無縁である。
そこで、外部情報の中に、知識を使いやすくする仕掛けを作り込むことになる。
その基本は、どれくらいの知識量を活性化させるか、そして、どんな知識を活性化させるかである。
なお、ここで、活性化についての一言。
頭の中の知識の要素は、一定の活性度の札をつけて格納されている。活性度は、概ね、過去の使用頻度、あるいは親近度(どれくらい前に使用されたか)と比例する。使用頻度が高くとも、新近度が低ければ(昔のことであれば)、活性度は低くなる。たとえば、マスコミで報道される奇異な犯罪関連の用語のように、使用頻度が低くとも、新近度が高ければ活性度は高くなる。
活性化とは、その知識要素が使われるときの活性度を高めることである。活性度が高いほどその知識は使わるやすいことになる。したがって、外部情報の処理に、たくさんの活性度の高い知識を使えるような仕掛けを作り込めばわかりやすさを作り出すことができる。その具体策の一つとして、先行オーガナイザーを紹介してみる。
●先行オーガナイザー
教材設計の分野で馴染みのある概念に、先行オーガナイザー(Ausubel,D,P,1960)がある。
先行オーガナイザーとは、章単位程度のまとまりのある教材の冒頭に、その教材の全体像や枠組を示すものである。そのねらいは、新しい教材を児童生徒の既有の知識構造に結びつけて有意味化をはかることである。示し方は、いろいろあるが、文章でもよいし、概念図などの視覚表現でもよい。オースベルは、たとえのようなものでもよいとして、これを特に比較オーガナイザーと呼んだ(図1-2参照)。これは、たとえば、音響系についての知識が豊富な人に、電気回路のことを説明したいときに、「たとえると」というアナロジーを用いるときに使う。いずれも、内容は、抽象度が高く、カバーする領域全体を包摂するようなものになる。
図 たとえるもの(脳)とたとえられるもの(コンピュータ)
(山梨、1988、に基ずく)
タイトル効果は、先行オーガナイザー効果のミニチュアの一つといってよい。もっともその効果を発揮するためには、タイトルの内容が前述の要件を満たしていなければならない。
●連想する
先行オーガナイザーが、ある特定の知識領域を限定しての活性化であったのに対し、もっと漠然とした領域を広範囲に活性化する手法もある。その一つが連想マップである。
図1-3のように、キー概念を中心にそこから連想することを自由に紙に書き出し、関連する内容は線でつないでいくだけの作業である。
(海保、1888 こうすればわかりやすい表現になる 福村出版
連想することによる関連する知識の広範囲にわたる活性化がねらいであり、マップにすることによる知識の固定化は本意ではない。あくまでこれから提供する情報の可能性としての受け皿を用意してもらうことがねらいである。
●ひとつの研究例
知識の活性化を中心にわかりやすさの問題を考察してみたが、わかりやすさにかかわる研究は、これ以外の文脈でも広範に行われている。その一つを紹介しておく。
図に示したのは、テキスト理解の文脈で行われたものである。このパス図わかることを摘記してみると次のようになる。
① わかりやすさを規定する要因として熟知度と具体性がかかわっている
② わかりやすさは、興味を規定している
③ わかりやすさは、テキストの再生成績にはそれほど強くは規定していないが、興味を仲介する形で、再生成績に影響している
ここで取り上げられた要因のうち、熟知度と具体性は、知識の質にかかわるもので、ともに、知識を活性化することに深くかかわっている。
さらに注目しておきたいことは、③の結果である。わかりやすさが興味を喚起するのに強く貢献している。ここで、わかりやすさという知的機能にかかわることが、興味という感情機能を深く規定していることがうかがえる。
図1-** わかりやすさにかかわる諸要因間の関係(Sadoski et al.2000)
1.4注意配分の最適化とわかりやすさ
●わかりやすさと注意
わかりやすさと注意との関係を考えるあたり、ポイントになることをいくつか述べておく。
プレゼンをあなたが聞いているとする。あまりにわかりやすい話ばかりが長々と続くと、つい眠くなってしまう。注意の活動レベルが低下してしまうからである。一方、とてつもなく難しい話がこれまでえんえんと続けば、これまた眠くなってしまう。注意集中が持続しないからである。
大雑把には、情報処理の効率と注意レベルとの関係は、図に示すように山型になる。情報処理が最も効率的に行われているときには、わかりやすさの感覚も高くなる。
図 情報処理の効率と注意の水準
これがまず指摘しておきたい第一のポイントである。
第2のポイントは、注意の配分は、メタ認知に負うているということである。
わかりにくいとメタ認知が感知したときには、注意をより多く配分して短期記憶の活動を活発にさせる。わかりやすいとメタ認知が感知したときは、注意を節約する。
第3のポイントは、第2と深く関連するが、注意の資源には限界があるということである。だからこそ、その効果的な配分が問題になってくる。わかりにくいときは、注意をたくさん注ぎ、わかりやすいときには、注意を節約することになる。
最後は、注意の配分は、時間的な変動にさらされるということである。たとえ10分間でも、注意のレベルが一定ということはありえない。心身状態や外部条件によって時々刻々変動するのが注意である。
● メリハリをつける
平板さは、注意配分を外的にコントロールするためには大敵である。どこにどれくらい注意を配分してよいかがわからないために、注意資源の無駄が発生してしまうからである。
効果的で無駄のない注意配分を促すためには、表現にメリハリ(滅り張り)をつけることである。
図は、漢字かな混じり文を読んでいるときの眼球運動を記録したものである。眼球の停留は、そこに注意が集中的に配分されて処理効率を高めていることを示している。漢字の部分に眼球が停留しているのがわかる。漢字は文の意味理解にとって大事な要素なので、当然の結果である。
図 眼球運動の停留するところ(斉田、1993より)
情報処理の効率を高めてほしいところにはハリをつけて表現する。表現の背景的な内容はメリ表現をして、最適な注意を配分ができるように支援してやる。
1・5 状況とわかりやすさ
●一つの思考実験
1980年代、人工知能研究が盛んだった。コンピュータに知識を埋め込んで、世界を理解させようとしたわけである。そうした試みの中で一つの思考実験を想定してみる。
「お腹が痛い。どうしたんだろう」とコンピュータに問いかけた。コンピュータは腹痛の原因を100個列挙して、このうちのどれかだと思うとして、さらに、原因追求のための質問をしてくる。それに答えることを繰り返していると、原因が次第に絞られてきた。そこで、「では、どうしたらいいか」と訪ねると、またまた100の可能性を列挙してきた。それから可能性を絞るための、またまた延々とやりとりをしているうちに、その人が死んでしまった。
ここまで、知識情報処理とわかりやすさの話をしてきたが、知識がどれほど豊富だったとしても、それだけで人のわかりやすさが説明できるわけではない。
この思考実験で、コンピュータの代わりに人間の医師を想定したら、知識処理だけに依存するコンピュータの限界にたちどころに気がつくはずである。
ここには、2つの問題がある。一つは、そもそも世の中を理解するの十分な知識を人でもコンピュータでも貯蔵することが出来るかという問題である。少なくともコンピュータにはできない(フレーム問題)とされているが、人ではどうであろうか。これに対する一つの答えが、状況論から提案されている。
もう一つの問題は、なぜ、十分な知識がなくとも、医者は(おおくの場合)的確な診断ができるのかという問題である。直感判断や熟達者の判断のメカニズムの解明がまたれることになる。
● 状況論とわかりやすさ
状況とのリアルタイムでの相互作用
状況への関与 情報の受動的な受け入れではなく、積極的な関与
医師であれば、患者の言語的な訴えを聞いたら、そこからだけでなく、それを取り巻く状況から豊富な情報を得るのが普通である。
フレーム問題
文脈の役割
KY(空気を読む)
意図がわからない
相互作用
まとめに代えて; わかるとわかりやすさ
わかりやすさの極致がわかってということではない。わかることとわかりやすさとは、あるところまでは同一次元の程度問題ではあるが、その先は、次元を異にすると考えておいたほうがよい。
図1-** わかりやすさとわかる
わかるとは、大きく、2つのタイプがある。ピアジェの用語を借りるなら、同化によるわかり方と、調節によるわかり方とである。
同化によるわかり方とは、わかるべき新しい情報が、頭の中にある知識の一部として取り込まれた時である。この時は、既有知識の体系には変更はなく、ただ、新しい知識要素が追加されただけである。
たとえば、「山田君が結婚する」という情報を知ったとき、「山田君」についてすでに既有知識があれば、新たに「結婚」という情報を追加すればよい。そして、それは、それでわかったということになる。
ここまでは、わかりやすさと次元を共にする。
しかしこれに対して、調節によるわかり方とは、新しい情報の入力によって、頭の中にある知識の体験が組み換え(更新)られることである。
たとえば、「山田君があなたの部下である高橋さんと結婚した」となればどうであろうか。山田君と高橋さんそれぞれについてもっていた知識体系は、ここで一挙に変更されて、あらたな知識体系が作り出されることになる。同化によるわかり方が、「わかった、それでどうした」ということになるが、調節によるわかり方は、「わかった。びっくりしたなー」となる。
わからないことがわかった、となるのは、調節による知識体系の変更、つまり、一段上への知識の体系化が基盤になっている。
本章では、同化によるわかり方におけるわかりやすさを問題にしてきた。
コラム
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わかりにくい表現は高コスト負担になる
社会保険庁からの年金特別便がわかりにくくて再送、億単位の支出増とのニュース。さもありなんと思う。先日おくられてきた簡易保険満期の通知もそれで何をしてよいのかさっぱりわからないので窓口にいったら、書かれていることとは別の手続きでよいと言う。
さらに、税金の確定申告の説明も、何度も読まないと理解できない指示で満載。ほとんどが毎年同じはずなのに、説明の仕方が異なる。違ったところだけ強調して書いてくれれば余計なところは読まなくとも済むのだが。
官僚文書は、官僚だけが作るわけではない。これを真似するかのようにして、民間でも似たようなわかりにくい文書が出されている。
わかりにくい文書は、読み手、ひいては社会に高いコストを負担させることになる。今回の社会保険庁のケースはそのことをはっきりと認識させた点で効用ありである。再送の金銭コストに限らない。わかりやすく書けば、5分で読み終える文書が、わかりにくく書かれていたために倍の時間を費やす、さらには、回りの人に聞く、あげくの果ては、書き手に問い合わせることになる。この時間コストは、いかほどになるか見当もつかない。
どうしてこうした悪文書が出回るであろうか。
これらの文書の多くは、ちょっとした間違いが大変なことになる文書である。誤りを恐れて、なんでもかんでも書き込んでおこうとすることが、こうしたわかりにくい文書を作り出してしまうのであろう。
筆者は電子機器の取扱説明書をわかりやすくする研究をしてきた。30年前、なんでも知っている技術者が書いたものが、素人ユーザにはちんぷんかんぷんで、クレームがメーカーに押し寄せた事情と似ている。
さらに、文書は形として残る。前例、慣習でもっぱら動いている官庁では、過去の悪文書が参照されてそれが一種のマニュアル(表現文化)になってしまっているのだと思う。
改善の方策は大小とりまぜればたくさんあるが、ここでは、「大」のほうを3点だけ指摘しておきたい。
第一には、誰に当てた文書なのかをしっかりと意識して文書作りをすること。高齢者相手の文書ならそれなりの作り方があるはず。
2つ目は、読み手に近い周辺の人に事前にチェックしてもらうこと。一人でも2人でもよい。ちょっとみてもらうだけでも独りよがりの表現のまずさが指摘してもらえる。取扱説明書の作成には、こうした役割と果たすテクニカルライターが介在するのが一般的になっている。
3つ目は、やや具体的な方策であるが、メリハリ表現をすること。書いてあることが全部大事ということはない。読み手にとって大事なこととそうでないことがみてわかるようにする。文書の「みえる化」である。今、金融商品の説明が参考になる。
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文献
Ausubel,D,P, 1960 The use of advance organizers in the learning and retention of meaningful verbal material. Journal of Educational Psychology,51,267-272
Bransford,J,D. and Johnson,M.K. 1972 Contextual prerequisites for understanding; some investigations of comprehension and recall. Journal of Verbal Learning and Verbal Behavior,11,717-726(西林克彦 2005 「わかったつもり;読解力がつかない本当の原因」光文社新書の訳より)
Sadoski ,M.,Goetz,E.,& Rodriguez,M. 2000 Engaging texts;Effects of concreteness on comprehensibility,interest, and recall in four text types. Journal of Educational Psychology,92,85-95
斉田真也1993 読みと眼球運動 (阪良二ら編 眼球運動の実験心理学 名古屋大学出版会)
山梨正明 1988 「比喩と理解」 東京大学出版会