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2015年10月08日 に書かれた記事

2016-10-09 | Weblog
2015年10月08日 に書かれた記事をお届けします。
スケが定まらない」高齢期心理シリーズ

外から決められるスケはすっぽかしがないようにすればよい自分のスケは、自分で決めればよいそれだけの話なのだが、最近、たとえば、1週間の予定を立てるとそれが変更される、あるいは変更しようとすることが多くなってきた日曜日10時に映画館にいくいや面倒だなー、家でTVでも見るか、いやそれもつまらないから久しぶりに都心散......
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ノーベル賞受賞者を生み出す日本の教育

日本の大学教育受賞者の世代には、少なくとも現在ほどには公的にも私的にも「教育」はととのっていなかったそんな中で育った研究者が、偉業を成し遂げている不思議といえば不思議これほどの異才には教育を超えてしまうものがあるのかもあるいは、もしかすると、過去の一見すると放任的教育に何か見逃している優れものが隠れているのか......
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Facebookはしていません

2,3年前に気紛れに開設してみた今でも、メールでお知らせが来るでも、自分からあけることはしなかった先日、なんとはなしにあけてみた。2件ほど、用件が入っていたでも、2年くらい前のもの今更返事というわけにもいかないすみませんそれにしても、facebook,ブログとはちがい周囲(友達)とのやりとりがあるそれが毎日、......

使命感

2016-10-09 | 教育
使命感ってなにもの?

 使命感にかられた行動には社会性があります。それをすることが、世の中、人のためになっているという感覚ですね。
 類語辞典で、使命感の類語を拾ってみますと、
  「任務、職責、職務、責任、務め、献身、義務、課題」
となります。ここからも、社会性の意味がぼんやりとみえてきます。 

さらに、使命感には個人的な嗜好も入り込んでいます。適性や好みですね。仕事が自分にぴったりという感触といっても良いと思います。

社会からの要請と個人的な嗜好とが共振したところに本当の意味での使命感が発生します。
社会からの圧力が強すぎると、命令になってしまいます。 個人的嗜好が強すぎると、偏った信念になってしまいます。
 社会と個人とが微妙なバランスがとれているところが使命感の大きな特徴です。というより、バランスがとれているときに、使命感は心に真正な元気をもたらします。



温かい知 思考に気持ちをこめる」発想法

2016-10-09 | 認知心理学
温かい知 思考に気持ちをこめる

********ポイント
1)うまくいっているときこそ慎重に
2)失敗したときこそ深く考えるチャンス
3)考えるときは自分の感情状態にも思いを  はせる
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●「温かい知」と「熱い知」と「冷たい知」  
心を知情意の3つに分けたのは、アリストテレスであるが、今でもそれなりにわかりやすい分類なので、心理学でも使われている。  しかしながら、現実の心の働きは、知情意渾然一体である。たとえば、  
(1)おもしろそうだから解いてみた  
(2)わかってうれしい  
(3)あわてたので間違えてしまった  
(4)熱愛しているのであらが見えない

(1)と(2)のように、知の働きに穏やかな感情が混在しているとき、それを温かい知と呼び、(3)と(4)のように、激しい感情が混在しているとき、それを熱い認知と呼ぶ。温かい認知と熱い認知を一緒にして感情知と呼んでおく。  これらに対して、コンピュータ上での知のように、感情の混じらない知を冷たい知と呼ぶ。

●うれしいときは難しく考えない  
温かい知の現象でおもしろいことはいろいろあるが、その一つ。  うれしい、楽しいなどポジティブな感情状態では、あまり細かいことまで考えずに、大雑把に考え、反対に、悲しい、不安などネガティブな感情状態では、かなり深く細部まで思いをめぐらすらしい。  「成功体験に溺れているとだめ」「勝って兜の緒を締めよ」も、この知見からすると、納得のいく戒めである。  また、慰め言葉の常套句に、「深刻に考えないほうがよい」とか「気晴らしでもしたら」があるが、これも、ありもしないことにまで思いをめぐらしてしまってますます落ち込んでしまうのを防ぐためには有効である。

●感情は注意の調節弁  
知的活動は、適度の注意が配分されているときに、最も最適な状態になる。感情は、この注意資源の量をコントロールする役割を果たしていると考えられる。  となると、知の働きを最適なものにするからめ手からの方策として、感情をコントロールすればよさそうに見えるが、事はそれほど簡単ではない。  というのは、感情は、今目の前にある状況に即応する機構なため、自己コントロールが非常に難しいのである。へたにコントロールすると、自分の生存が危なくなる。  うれしい気持ちになるのは、状況の中に生き残りのための材料が豊富にあることを意味している。逆に、悲しい気持ちになるのは、状況の中に生き残ることを危うくする危険な材料があることを意味しているのである。だからこそ、深く細かく分析するのである。  したがって、その時その場での生き残り戦略としては、感情に従った温かい認知活動をするのが最適ということになるが、より長期的な戦略にかかわる重要な決定や判断は、一時の感情に影響を受けないように、感情の波が治まってからにするのが賢明というものである。

●情報から感情知まで
「解説」  情報化社会はまさに情報の乱れ飛ぶ社会である。それは、しかし、情報というゴミが乱れ飛ぶ混乱化社会とも言える。今の日本がそんな感じ、というのは言いすぎか。  情報は体系化されてはじめて意味のある知識となる。したがって、情報化社会は、知識化社会でなければならない。そのためには、学問による体系化、あるいは、個人の中での体系化が必須である。マスコミによる編集という作業も体系化の一端であるが、これが過剰になると歪んだ体系化となるので危険である。  情報、知識、知恵、感情知の4つの知の間の頻繁な往復があることが、豊潤な知の世界の構築につながる。そのためには、身体で覚える(身体化)、感情を込める(感情化)、自分で体験する、自分なりの解釈をする、といったことが必要とされる。

●感情は注意とメタ認知を介して認知活動に影響する
「解説」  夫婦ゲンカして車で家を飛び出し事故を起こしてしまったケースを耳にしたことがある。 車の運転は、習熟してしまうと気がつかないが、実はかなり高度な認知活動が関与している。ケンカして気持ち(感情)が乱れているようなときは、注意配分もうまくいかなくなり、さらに自分で自分を知るメタ認知も十分に働かなくなり、結果として、認知活動も貧弱になる。こんなときには、車の運転のような高度で複雑な認知活動は要注意である。 ***********