心の風景 認知的体験

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2015年10月31日 に書かれた記事

2016-10-31 | Weblog
2015年10月31日 に書かれた記事をお届けします。
今日の献呈雑誌「東京人」

今日の献呈雑誌「東京人」あの大村先生が画家・堀文子氏と対談内容圧巻東京人 2015年 11 月号 [雑誌]クリエーター情報なし都市出版


心の悩み」名言の心理学

心への素朴な疑問は、悩んだ経験の豊富な人ほど強い 例 ネガティブな気持ちのときほど、深く自己を分析する


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百寿者(100歳以上の高齢者)になりたい?!

百寿者(100歳以上の高齢者)になりたい?!健康かどうかは関係なくともかく100年以上生きている人である日本でどんどん増えて、今や6万人超えだそうだ自分が百寿者になる2042年にはなんと42万人(推計)にもなる<<人口推計ほど精度の高い未来予測はないのだそうだうーん、なりたくてなれるものでもないしなーしかし、......
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木枯らしの季節になった

木枯らしが吹いたまた落ち葉の季節前にも書いたが<<記憶力まだ大丈夫 笑いお隣の落ち葉が垣根の側にたくさん吹き寄せられる掃除せねば強がりだが、いい季節になった 笑いそれにしても、一気に暗くなる時間が早まった感じ暗いなかの運転はとても怖い老眼は夜目が極端に悪いこの前、夜、左折せねばならないいつもの通勤路を通り過ぎ......
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HCD]エゴサーチ

Human Centered –Design(HCD-Net)前身は、海保博之先生が第一回目を主催されたユーザビリティ評価研究部会です。その後、ヒューマンインタフェース学会の研究談話会、そして専門研究会(SIGUSE)となり、ユーザビリティ活動の活性化やUXへの関心の高まりを背景にして2005年にHCD-Ne......

生活のなかで記憶を失う

2016-10-31 | 心の体験的日記
生活のなかで記憶を失う
●記銘の失敗
覚えたはずのことを覚えていない
例 2階にあがったが、何をしにきたか忘れた
●記銘の混同
似たものを混同して覚える
例 「かいほ」と「かねこ」(よくあるほうに誤る)
●想起の混同
誤って別のことを思い出してしまった
例 試験で誤った人名を書いてしまった
●行為の想起のタイミングの失敗
やるべきことをやり忘れた
例 会議をすっぽかしてしまった
●行為の想起の失敗
やるべきことをやったかどうか忘れた
例 鍵の閉め忘れ



心理学で読み解く司馬遼太郎の世界(再掲)

2016-10-31 | 心の体験的日記

心理学で読み解く司馬遼太郎の世界
「名前」
司馬遼太郎によると、
女性の名前で、子とつくのは、公家風で
軽い尊称だったらしい。
日野富子
平徳子
など
この貴族の習慣が、明治後一般化され
女性の名前に子がつくという流行を生んだ

きらきらネーム隆盛のおり、
ちょっと気になったので。

なんとなんと
森鴎外の子供の名前がーーーー
於菟(おと)
茉莉(まり)
不律(ふりつ)
杏奴(あんぬ)
類(るい)

「教科書」
教科書というものは、人間がつくるもので、ところがいったんこれが採用されれば
一つの権威になり、そのあとの代々の教官はこれに準拠してそれを踏襲するだけになります。
(井口省吾)司馬遼太郎が考えたこと5p39)
@@

だからこそ教科書が必要ということもある。
学問的な知識の最先端は、常に揺れているが、土台の部分は強固である。
その強固な部分が、教科書になる。
しかし、その認識なしに、教科書がすべてとの教育は、教員の頭を固くし、
学生に響かない。
大学教員に研究が義務づけられているのも、故なきことではない。



「秩序と独創」
寺内は、独創よりも不秩序を憎む人であった。
(司馬遼太郎)
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独創を好む人が、秩序の世界、
秩序を好む人が、独創の世界、
というミスマッチは至る所で発生する。
面倒なのは、一つの組織で、
この正反対の人が一定の割合でミックスしていないと
組織がうまく動かないこと。
ただ、ミスマッチが組織のトップとボトムの間で発生すると、
組織は崩壊する。


「追憶」
●人間の脳裏の追憶というものは、
事実として記憶されるよりも、
詩として記憶されるのかもしれない
(司馬遼太郎「花神」中、p322)
@@

詩としての記憶。
詩=論理(言葉)+情感(感情)
なので、
追憶は、まさに詩である。

でも本人もまわりもそれを事実と思い込んでいる。
それが目撃者証言の世界では、大問題になってしまう。


「脳の局在論」
●蔵六(大村益次郎)は、間仕切りのありすぎる頭脳、もしくは精神を持っている。ーーー
間仕切りの1つ一つが絶対の空間になっている。
花神、p348
@@

脳の局在論は、いまでは古典なのかもしれないが、
それでも、こんな心理状態のとき、脳のどこそこが働いている
というたぐいの話はあいかわらずある。
ただ、昔の局在論と違うのは、
脳全体をネットワーク的にとらえるようになったところ。
脳のある部位の損傷がある行動、心理障害に直結することもあるが、
もう一つは、ネットワーク機能の不全にも目がいくようになった。

医学、軍事技術に特化した頭脳を持つ蔵六に
イネという女性を対面させるところは、圧巻。
どうしてもイネを受け入れる間仕切りがないのだ。


心理学で読み解く司馬遼太郎の世界


陽気な舞手ならば、
舞手自身がわが芸を大肯定しているがために
少々下手に舞っても
観衆はその陽気にまどわされ、
つい欠点に目がゆかず、
長所にのみ目がゆく。
(司馬遼太郎「新史 太閤記 下」)

基礎研究はなぜ大事なのか]今日の論考

2016-10-31 | 認知心理学
2011-05-27 |
基礎研究はなぜ大事なのか

いずれの研究も、それでどうなるの、という研究ばかりである。しかし、だからといってそこに費やされたコストもすべて無駄だったのかと、問いつめられれば、即座にいくつかの反論をしたくなる。

まず、個人的なメリットを挙げるなら、基礎研究は、リサーチマインドを体得するのに絶好の場を提供する。ここでリサーチマインドとは、研究者としての心がまえ、さらに言うなら心理学の研究文化である。これは、夾雑物のない純粋な研究環境のもとで興味にあかせて脇目もふらずに、そして周囲、とりわけ指導教官などとの議論などを通して一定期間——大学院5年間くらいが一つのめどーー研究に没頭することで体得できる。時折、大学院の3年編入で他大学からやや異なった研究文化を身につけた学生が入ってくると、あらためて、我が研究室の研究文化の存在に気がつかされる。

さらに、個人的なメリットを挙げるなら、研究者としての力量アップである。研究は、個人でおこなうにしても、一大知的プロジェクトである。そこでは研究のアイディアを生み出すための発想力、それを調査や実験として具体化するための企画力、それを実際におこなう実行力、結果を分析する解析力、そして得られた結果を外に向かってアピールする表現力が求められる。基礎研究は、研究テーマを限定することで、こうした力量を訓練する恰好の場を提供する。これについては、さらに次項で考えてみる。

次に基礎研究の社会的意義を2つほど挙げておく。

一つは、人材養成機能である。どんな人材が養成されるかは、上述の個人的メリットの2つである。心理学の研究文化や心理学的な知的素養が外部でどれくらい役立つかは時代によって変わってくるが、すくなくとも、心理学化している現在の社会(斉藤環氏による)では、至る所で役立っていると思っている。

基礎研究の社会的意義その2は、基礎研究の知見が積み重なると、そこからおのずと出てくる鍵概念や理論が、心理学の場合なら、人間の営みの不思議を説明したり解き明かしたりする機能を果たすことが多い。それは、後述する応用研究が寄ってたつ、いわば知識のインフラになる。

コラム「心理学化した日本社会」*****
斉藤環氏の本(「心理学化する社会)PHP)の「はじめに」から、心理学化した日本社会の様相を摘記してみる。心理化ではなく、心理「学」化であることに注意されたい。
・どの書店でも、心理学書のコーナーが設けられている
・女子高校生がなりたい職業の第二位がカウンセラー
・社会事象の分析に精神分析的手法を持ち込むのが流行
・動機のはっきりしない犯罪についてのコメントを心理学者に求めるようになった
・癒しブームの中核に臨床心理学がある
・トラウマ(精神的外傷)インフレーションが小説、映画、TVで発生
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