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TV食べ物番組のメニューが食べたいものになる

2018-03-07 | 心の体験的日記
食欲がないと、食べたいものもない。
そんなときTV紹介の食べ物が無性にたべたくなる。
ついさっきは、焼きそば。
その前は、中華丼。
およそ重いメニューで、
自分では食べられるはずがないようなものが多い。
ないものに憧れる心理が働いているのかなー

そして、結局、味の素CM[ピラフ」
食しました!!


年金減額騒動

2018-03-07 | 高齢者
131万人もの老人の年金が2万円減額騒動。
自分は、たぶん、問題の扶養親族申告書は、提出したと思うが、確信はない。

退職前は、社会保険、税金関係は、ほとんど、職場でしてくれていたことが、
すべて自分でしなければならない。
そのやり方が実にわかりにくい。
文書を読んでも、一度や2度では皆目わからないということが多い。

おまけに頭のほうもなまっているので、わかりにくさが倍増する。

対策は、
わかりやすく説明すること
高齢者自身にまかせないで家族などが支援する


比較「昔にくらべれば、鈴木君にくらべれば、まだまし」

2018-03-07 | ポジティブ心理学
比較「昔にくらべれば、鈴木君にくらべれば、まだまし」

● なぜ比較をしたがるのか
私たちは比較が本当に好きです。無意識のうちに比較をしながら生きています。ちょっと考えただけでも、ついつい比較してしまっている自分に気づかされます。
こうした比較をする、あるいはしてしまうのは、なぜなのでしょうか。
 一つは、事をよりよく知ることができるからです。
 唐突ですが、学校での一人の子どもの学力をどのように評価するかを引き合いに出してみます。相対評価、絶対評価、個人内評価の3つがあります。
 相対評価とは、その人が所属する集団の中で、その人がどれくらいの順位になるかで評価するものです。偏差値がその代表です。集団を比較の基準にするものです。
 絶対評価とは、学ぶべき内容がどこまでできているかという(絶対的)規準で評価するものです。日本の教育界では、今は、もっぱらこちらのほうが使われます。内容を比較の基準にするものです。
 個人内評価とは、一人の人が過去よりどれくらい進歩したかで評価するものです。時間を比較の基準にするものです。
 それぞれ、一人の子どもの学力を知るために、比較の基準、仕方を変えたものです。それによって、子ども学力がよりよく見えてきます。
 比較の目的のもう一つは、気持ちをコントロールすることができるからです。ここでは、こうした比較心性について考えてみたいと思います。

●「――よりまし」の比較
 物事を楽観的に考えるコツの一つが、まずい事が起こったときに、「――より今はまし」と考えることです。やってみます。
・まずい料理ができてしまった。でも、ないよりまし
・病気になった。でも、前の病気よりまし
・給料が少ない。でも、失業するよりまし
・貧乏だが、あの人よりはまし
きりがないのでこのあたりでやめておきますが、あなたも、ぜひ、あれこれ思考実験をしてみてください。
 この「―-よりまし」比較が楽観につながるのは、おわかりですね。
 今よりもネガティブな状況や劣った(と思う)人を比較の基準に設定して、それを比べれば、今の自分のほうがまだまし、と考えるわけです。
その基準には実にさまざまなものが採用されます。
もっともよく使われる基準は、過去ですね。昔とくらべれば、という比較です。時間比較と呼んでおきます。
ここでは、皮肉なことに、過去に不幸せであるほうが、現在が幸福に思えるということなります。そういえば、「貧乏は、買ってでもせよ」なんて格言がありますね。
比較によく使われる基準のもう一つが、周りとの比較です。横並び比較と呼んでおきます。教育評価で言う、相対評価です。
これについても、自分の世代は幸福でした。25歳で就職するまで、本当に貧乏でしたが、仲間が総じて貧乏でしたら、あまり気になりませんでした。貧乏も相対的なものなのです。今の若い世代の方々、この点でも結構、つらいところがあるようにも思います。
関連して、「井の中の蛙効果」というのを紹介しておきます(外山美樹による)。
同じ人でも、能力レベルの高い集団にいるより低いレベルの集団にいるほうが、自尊心が高まるという効果です。「鶏口(けいこう)となるも、牛後となるなかれ」です。

● 楽観的になるための比較のコツ
① 基準を多様化しておく
 先ほどは、よく使う基準として、過去と周りの2つを取り上げました。それぞれ、その中身は多彩です。
 「過去基準」も、個人的なものも歴史的、社会的なものもあります。
 「周り基準」も、仲間も物も国もあります。
 今現在は、多かれ少なかれ過去と周りからの影響を受けているからです。
そうした基準を多様化しておくことで、「これがだめなら、あれがある式の比較ができます。そして、現在の、一見すると不幸な状況でも楽観的になれます。
ただ、過去基準の場合、「より下」の回想をすることになります。これは、心が痛むネガティブな回想を使うことになりますので、もしかすると、気持ちの葛藤状態に陥ってしまうかもしれませんので、なかなか難しいところがあります。
そこで一つの工夫は、できるだけ、遠い過去、あるいは、気持ちの上でもう整理ができている過去を使うことです。感情成分がそぎ落とされて事実だけになりますので、回想に伴うネガティブな感情に負けないのではないかと思います。
② 比較の基準として、人生観、あるいは使命感を使う
あるいは、目標基準、教育評価でいうなら、絶対評価といっても良いかと思いますが、これと、今現在の状況とを比較してみるのです。いわば、未来の達成すべき内容を比較の基準にするのです。
大きくは人生観、こうありたい自分と現在の自分とを比較する、あるいは、自分はこういうことで社会に役立ちたいとする自分と現在の自分とを比較するのです。
ちょっとやそっとの失敗、成功でぐらぐらせずに、どっしりと構えて、気持ちを前向きにできるはずです。真正な心の元気は、こういうところから出てきます。
最後に引用です。
SMAPの持ち歌に「世界は一つだけの花」という歌があります。
「そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
 一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに
 一生懸命になればいい」(槙原敬之作詞、作曲)
この歌詞は、「only one」をめざすことの大切さを訴えるものですが、それは、私たちの比較心性への警告でもあります。



車の運転

2018-03-07 | 高齢者
車の運転、
相変わらず、週に2、3度はしている。
買い物
病院
立寄の湯
ホーム見舞い
の4カ所くらい。

やや控えめにしているつもりだが、
あまり長く運転しないと運転技能が落ちるのが怖い。

それにしても、オートマ車は、運転操作が楽だなー
これが免許を取得したときのあのマニュアル車だったら、
多分、もう技能的に運転はできないのではないかなー

数の力」

2018-03-07 | 社会

「多数の力」

●民主主義と多数決
 民主主義は、多数決による決定原理を基本にしている。それでも、「多数、かならずしも、正義ならず」であることも誰もが承知しているがゆえに、決定に至るまでの間に甲論乙駁の議論の過程を大事にする。結果としていくばくかの層は意見変容し納得の上、多数意見が採用されることで事が動くことになる。
しかし、先般のEU離脱か残留かの国民投票や、ペルーの大統領の決選投票のような2者択一の選択を数の多少で決める(過半数決定)のは、多数決による決定原理を基本にする民主主義社会であっても、それほど頻繁にはない。それだけに、多数ってなーに、という疑問を問い詰めてみる価値はある。

●数の力
 余談。
 数には力がある。
普通の人が1人なら見向きもされなくとも、普通の人が10人、100人、1000人集まれば、ただそれだけで数に応じた力になる。
あるいは、1,2人を相手に話すならまったく緊張しないが、100人を前にして話すとなると、これは尋常の圧力ではない。
社会心理学では、お互いにかかわりのない人々の集まりである群衆でも、その行動には個人では見ることのできない特異な行動が発生することを教える。
いずれも、数、というより数の多さが、それなりの力を持っていることを示している。

●多数決にもいろいろある
 過半数による多数決以外にも、2/3多数というのもある。
 憲法改正のように、重要案件の場合に採用される。しかし、論争のある案件では、2/3多数による決定はかなりきつい。この場合は、多数決原理ではなく、1/3の少数者の拒否権――その多くは現状維持の支持になるのだがーーが行使されることになる。
 EU離脱の賛否も、日本の憲法改正要件のように、2/3多数でもよかったのではないかと思う。
もう一つ、そしてこちらのほうが日常的な決定では一般的だが、相対多数がある。
 選択肢が3つ以上あり、そのうち最も多かった選択肢を採用するというものである。この場合の問題は、たとえば、A案に賛成の人が4人、B案、C案に賛成がそれぞれ3人だったとすると、かりにA案の賛否だけを問う過半数決定の場面にすれば、A案は4対6で否決される可能性が高くなる。

●個、少数から多数へ
 物だと、個は確固普遍でそれの集まったものが多数となるが、人の場合には、それほど単純ではない。前述したように、人が集まるとそこに一人のときにはみられなかった力が発揮される。

和して同ぜず
和とは、違う要素が集まって一つの形をなすこと
同とは、同じ要素が集まって烏合の衆をなすこと(許成準)