美「美は心にもあり」
●美の絶対的な基準ってある?
男なら美人を、女ならいけ面を相手に求めるのは自然です。
ところがです。
一体、美人にしてもいけ面にしても、それって、絶対的な基準があるのでしょうか。
美人コンテストが相変わらず所を変え品を変えて行われるところをみると、そんな基準があるような気もしますし、しかし、もしそんなものがあるなら、あえて、たくさんの審査員を用意せずともいいような気もします。
結局は、美は見る人の心の中に作られる「美」と外にある「美」とが共振することで作り出されるのだと思います。
だから美の世界は、とらえどころがないほど多彩で深浅があるのだと思います。
なんでも研究対象にしてしまう心理学でも、さすがに、美は、扱いかねてきましたが、まぎれもなく、美は、心理学の研究対象であることは間違いありません。
●美の追求の心理
それが、その時々の心の状態によって変わるとしても、美しいものに触れたい、という気持ちは誰しもが自然に抱きます。いわば、美追求欲求です。
そして、欲求ですから、それに触れるための行動を引き起こします。
ただし、欲求ですから、欠乏しないと行動を引き起こしません。とはいっても、生理的欲求ならその欠乏は実感としてわかりますが、美追求欲求の欠乏と言われてもピンときませんね。でもそういうものがありそうなことはわかります。
日常の退屈で雑駁な環境、殺伐とした気持ちから逃れて逃れたいというような時、そして、それを満たすために美しいものに触れたいという気持ち、とでも言えばいいのかもしれません。
具体的には、旅に出てみたい、美術館に行ってみたい、映画や芝居をみてみたい、といった気持ちを起こさせるものです。
たぶん、そうした人々の気持ちの累積が、美の文化を作りだす原動力になったのではないでしょうか。
●美とつきあうコツ
①美にふれる機会を増やす
何に美を求めるかは、人それぞれです。異性に美を求める人もいるし、自然の風景、芸術に美を求める人もいます。
何が自分にとって、もっとも美的感覚を刺激するかは、触れてみないとわかわないところがあります。ですから、ともかく、動いてみることです。あれこれ可能性のあるものに触れてみることです。どこかで美に遭遇するはずです。
②美のレパートリーは狭く深く
ただし、真正の美は浅薄なものからは感得できません。ですから、あれころやってみて、あなたの琴線に触れるこれはというものが見つかったら、それに徹底してこだわることです。美に惑溺するのです。
そんなものが生涯、1つでも2つでも見つけられたら幸せです。
②みずから美を作りだす
美には、外と内との共振で生み出されると言いましたが、その外の美を自分で作り出すこともありです。
多くの芸術活動がそれです。絵を描く、詩、俳句を詠む、花を生けるなどなど、芸術活動というと大げさですが、なんらかの創作活動には、美が陰に陽に関係してきます。
そうそう、女性のお化粧も、まぎれもなく立派な美の創造活動でした。
こうした美の創造活動は、①と②をさらに豊かなものにすることにもなります。まさに、「美が美を呼ぶ」ですね。