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日本女子ソフト、万歳!!

2018-08-12 | 心の体験的日記
延長十回、同点とされ、なおも2死二、三塁。打球が三塁線を抜けて激戦に終止符が打たれると、上野は天を仰いだ。「(野手が)点を取ってくれたのに申し訳ない」。1日2試合、計16回3分の2を1人で投げた日本のエースが、最後は力尽きた。(8月13日
 毎日新聞)
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こんな試合ってありなんだなー
最後の最後まで一進一退を繰り返し、結局負けた!

7時から10時過ぎまで、こんなに熱中して応援させてくれて、
ありがとうを言いたい。

上野投手の限界に挑み続ける姿、
それを支援するチームメイトの姿、
感動のひとことにつきる。

これだから、スポーツは不祥事なんてあってはいけないのだ!!


美「美は心にもあり」ポジティブキーワード解説その24

2018-08-12 | ポジティブ心理学

美「美は心にもあり」

●美の絶対的な基準ってある?
 男なら美人を、女ならいけ面を相手に求めるのは自然です。
 ところがです。
 一体、美人にしてもいけ面にしても、それって、絶対的な基準があるのでしょうか。
 美人コンテストが相変わらず所を変え品を変えて行われるところをみると、そんな基準があるような気もしますし、しかし、もしそんなものがあるなら、あえて、たくさんの審査員を用意せずともいいような気もします。
 結局は、美は見る人の心の中に作られる「美」と外にある「美」とが共振することで作り出されるのだと思います。
 だから美の世界は、とらえどころがないほど多彩で深浅があるのだと思います。
 なんでも研究対象にしてしまう心理学でも、さすがに、美は、扱いかねてきましたが、まぎれもなく、美は、心理学の研究対象であることは間違いありません。

●美の追求の心理
 それが、その時々の心の状態によって変わるとしても、美しいものに触れたい、という気持ちは誰しもが自然に抱きます。いわば、美追求欲求です。
そして、欲求ですから、それに触れるための行動を引き起こします。
 ただし、欲求ですから、欠乏しないと行動を引き起こしません。とはいっても、生理的欲求ならその欠乏は実感としてわかりますが、美追求欲求の欠乏と言われてもピンときませんね。でもそういうものがありそうなことはわかります。
日常の退屈で雑駁な環境、殺伐とした気持ちから逃れて逃れたいというような時、そして、それを満たすために美しいものに触れたいという気持ち、とでも言えばいいのかもしれません。
具体的には、旅に出てみたい、美術館に行ってみたい、映画や芝居をみてみたい、といった気持ちを起こさせるものです。
たぶん、そうした人々の気持ちの累積が、美の文化を作りだす原動力になったのではないでしょうか。



●美とつきあうコツ
①美にふれる機会を増やす
 何に美を求めるかは、人それぞれです。異性に美を求める人もいるし、自然の風景、芸術に美を求める人もいます。
 何が自分にとって、もっとも美的感覚を刺激するかは、触れてみないとわかわないところがあります。ですから、ともかく、動いてみることです。あれこれ可能性のあるものに触れてみることです。どこかで美に遭遇するはずです。
②美のレパートリーは狭く深く
 ただし、真正の美は浅薄なものからは感得できません。ですから、あれころやってみて、あなたの琴線に触れるこれはというものが見つかったら、それに徹底してこだわることです。美に惑溺するのです。
 そんなものが生涯、1つでも2つでも見つけられたら幸せです。
②みずから美を作りだす
 美には、外と内との共振で生み出されると言いましたが、その外の美を自分で作り出すこともありです。
 多くの芸術活動がそれです。絵を描く、詩、俳句を詠む、花を生けるなどなど、芸術活動というと大げさですが、なんらかの創作活動には、美が陰に陽に関係してきます。
 そうそう、女性のお化粧も、まぎれもなく立派な美の創造活動でした。
 こうした美の創造活動は、①と②をさらに豊かなものにすることにもなります。まさに、「美が美を呼ぶ」ですね。 


100回大会で、大学の名前の付いた高校の数

2018-08-12 | 健康・スポーツ心理学
ぼんやりみていて、あれ?大学の名前の付いた高校が多いなーと思った。
ネットで調べてみると、
慶応高校や土浦日大はどうするか迷うが、
13高校に及ぶ。

大学が高校を利用しているのか、
逆に、高校が大学を利用しているかわからないが、
相乗効果で、知名度が上がっていることは間違いない。

それにしても、「日大」が多いねー
それとついでに、
最近は?「――大学付属ーー高校」という命名より
「--大学――高校」付属を入れないのが一般的なってきていることにも気が付いた。

心の風景「書くことは心のジョギング」(再掲)

2018-08-12 | 心の体験的日記
心の風景「書くことは心のジョギング」

 書くことが好きだった。
 小学生の頃、事の経緯も内容も不明だが、自分の作文が「千葉日報」――今でもあるーーという地方紙に掲載されたのだ。近所の人が教えてくれたと母親がうれしそうに話してくれた。
 それが、「書くこと」というテーマで書こうとしたときすぐに思いうかんだ記憶である。「書くことが好き」になった原点なのかもしれない。

 余談はさておくとして、書くことは、書く内容にかかわる知識の探索と精選、それを文章という制約の中で表現する活動のどれをとっても能動的な知的活動である。頭が絶えず働いている状態である。したがって、退屈しない。時間も忘れる。
 というわけで、時間がたっぷりある高齢者には、書くことをお勧めしたい。頭のボケ防止にもなる。書くことは、心のジョギングになるのだ。

 自分史といった膨大なものに挑戦するのもありだが、とりあえずは、日記、それもブログのようなもので軽く読み手を意識した表現を心がけると、世の中とのほのかなつながりを意識できるので、持続への支えにもなる。
 ということで、自分は、ブログに書くことを、2006年くらいから行っている。
そして、今や、これが唯一の生きがいになっている。笑い