人間の記憶は、きわめて脆弱である。
そもそも覚えこむときにさえ、現実の一部だけしか覚えられない。
記憶した情報は、時間とともに薄れる。
さらに、
思い出すときは、過去のさまざまな記憶情報のなかに溶け込んしまっているので
「歪んだ」想起となる。
かくして、記憶は、きわめて不確かなまま人々の頭の中に存在し続けることになる。
その脆弱さを補うものが、遺産、遺構、メモ(記録)、墓など外部記憶システムである。
そもそも覚えこむときにさえ、現実の一部だけしか覚えられない。
記憶した情報は、時間とともに薄れる。
さらに、
思い出すときは、過去のさまざまな記憶情報のなかに溶け込んしまっているので
「歪んだ」想起となる。
かくして、記憶は、きわめて不確かなまま人々の頭の中に存在し続けることになる。
その脆弱さを補うものが、遺産、遺構、メモ(記録)、墓など外部記憶システムである。
昨日のニュースで報道されていた。
鉄筋建築などに使うボルト不足が大変なことになっているらしい。
震災復興とオリンピック関連の建築が目いっぱいになってきたこの時期、
やりくりができなくなってきたのであろう。
それにしても、日本社会、あれこれあっても、
結局、なんとか乗り越えてしまうしぶとさがあるのには、感嘆することがある。
ボルト不足問題も多分、あっさりと乗り越えてしまうのではないかなー
乗り越えてほしいなー
鉄筋建築などに使うボルト不足が大変なことになっているらしい。
震災復興とオリンピック関連の建築が目いっぱいになってきたこの時期、
やりくりができなくなってきたのであろう。
それにしても、日本社会、あれこれあっても、
結局、なんとか乗り越えてしまうしぶとさがあるのには、感嘆することがある。
ボルト不足問題も多分、あっさりと乗り越えてしまうのではないかなー
乗り越えてほしいなー
観客の多さは、スポーツ選手にとっても心地よい。
最近、野球、サッカー、卓球など、、
週末でなくとも、かなりの観客がおしかけて、応援に精を出している。
スポーツには、お祭り効果ねらいもあるので、たくさんの人々に応援してもらうのはいいことだとは思う。
それに水をさすつもりはないが、<<うーん、さしているな!!
それにしても、若い男女が、土日以外でも、応援に精を出しているのをみると、
おいおい、仕事や勉強はいいの?と、つい思ってしまう。
今年はラグビーの世界選手権もある。
来年はオリンピック、パラリンピックがある。
仕事、勉強そっちのけで応援
とならないようにしてほしいもの。
祭りもほどほどに、というところかなー
最近、野球、サッカー、卓球など、、
週末でなくとも、かなりの観客がおしかけて、応援に精を出している。
スポーツには、お祭り効果ねらいもあるので、たくさんの人々に応援してもらうのはいいことだとは思う。
それに水をさすつもりはないが、<<うーん、さしているな!!
それにしても、若い男女が、土日以外でも、応援に精を出しているのをみると、
おいおい、仕事や勉強はいいの?と、つい思ってしまう。
今年はラグビーの世界選手権もある。
来年はオリンピック、パラリンピックがある。
仕事、勉強そっちのけで応援
とならないようにしてほしいもの。
祭りもほどほどに、というところかなー
目標探索型の生き方
目標なき人生もまた楽しからずやという話もしてみたくなりました。
ある調査によると、日本の高校生、「将来やりたいことがありますか」と問うと、「はい」と答えたのは、たったの20%。アメリカの高校生だと、これが70%にもなります。
ついつい、日本の若者には、人生の目標を持ちなさいと諭したくなるような数値です。
でも、考えてみると、昔の若者より、ずっと自由に考え生きていけるということでもありますから、この結果をそれほど深刻に受け止める必要はないと思います。
それに、若者のあれこれの迷いは将来のために必要な心のコスト(経費)です。
若者に限らず、誰でも、実際には、日々の生活をしていくのに、四六時中、目標を意識していることはあまりありません。習慣になっていること、目標達成にはほど遠いこともたくさんしなければなりません。
それでも、一日、1週間、1年を振り返ったり、ふと将来のことを考えたりするときがあります。そして、自分は毎日一体何をしているのだろうとなります。そんなとき、目標が顔をもたげてきます。何か目標をも持たねば、というわけですね。
そして、「1年の計、元旦にあり」を繰り返すことになります。
これでいいのです。これが自然の生き方なのです。
へたに目標に縛られて人生を狭くしてしまうなんてつまらないことです。
目標なき人生もまた楽しからずやという話もしてみたくなりました。
ある調査によると、日本の高校生、「将来やりたいことがありますか」と問うと、「はい」と答えたのは、たったの20%。アメリカの高校生だと、これが70%にもなります。
ついつい、日本の若者には、人生の目標を持ちなさいと諭したくなるような数値です。
でも、考えてみると、昔の若者より、ずっと自由に考え生きていけるということでもありますから、この結果をそれほど深刻に受け止める必要はないと思います。
それに、若者のあれこれの迷いは将来のために必要な心のコスト(経費)です。
若者に限らず、誰でも、実際には、日々の生活をしていくのに、四六時中、目標を意識していることはあまりありません。習慣になっていること、目標達成にはほど遠いこともたくさんしなければなりません。
それでも、一日、1週間、1年を振り返ったり、ふと将来のことを考えたりするときがあります。そして、自分は毎日一体何をしているのだろうとなります。そんなとき、目標が顔をもたげてきます。何か目標をも持たねば、というわけですね。
そして、「1年の計、元旦にあり」を繰り返すことになります。
これでいいのです。これが自然の生き方なのです。
へたに目標に縛られて人生を狭くしてしまうなんてつまらないことです。