
知能」
●知能研究のはじまり 知能研究は、現代心理学の1世紀余の歴史とともにある。その嚆矢は、ゴールトン(F.Galton;1822-1911)にある。民族や個人の知的優秀性を実証しようとする試み(優生学)は知能は遺伝か環境かをめぐっての社会的な議論を巻き起こし、知的能力を計測しようとする試み(測定学)はテスト開発と統計的データ解析手法の開発を促し、さらには、知的能力モデルの構築へとつながっていった。 以下、知能研究の歴史を踏まえて、4つのトピックを概観してみる。
●知能の定義と測定
目に見えない知能を測定するには、方法論が必要である。それが間接測定の考えである。知能を定義した上で、知能がある(高い)とするなら、それは、こうした場面や検査問題でこういう行動として出現するはずとする仮定を置いた上での測定である。その仮定の妥当性が絶えず問われるのが、知能に限らず、心理測定の宿命である。 さて、その定義であるが、研究者の数だけあるといってもよいほど多彩である。代表的な研究者の定義を挙げておく。 ・一定の方向をとり、それを維持する能力、目的達成のために適応する能力、自己批判する能力(A.Binet) ・抽象的思考をする能力(L。M。Terman) ・各個人が目的的に行動し合理的に思考し、かつ、能率的に自分の環境を処理し得る総合的または総体的能力(D.Wechsler) 松原達哉は、これら3つも含めて13の定義を列挙した後に、「高等な抽象的思考能力」「学習能力」「新しい環境への適応能力」の3つが、知能の定義の鍵になっていると指摘している。 知能の定義がこれほど多彩で広範に及ぶことは、測定上だけでなく、後述する他の領域での論議にも強く影響してきた。ただ、知能検査を作成するに当たっては、物理学に端を発する操作主義のおかげで、「知能とは、知能検査で測定したもの」(F.N.Freeman)との一見するとやや乱暴な考え、さらに「存在するものはすべて測定できる」(E.L.Thorndike)とする楽観的な測定観を共有することで、次々といろいろの目的にかなった知能検査が開発されてきた。
●知能モデルの構築
知能モデルの構築は、20世紀前半は、知能検査の得点の相関分析/因子分析によるボトムアップ的なアプローチに基づいて提案されてきたが、20世紀後半の認知心理学/認知科学の隆盛の影響を受けて、モデル論的な(トップダウン的アプローチにより)知能モデル構築の試みもいくつか提案されてきた。 相関分析/因子分析によるモデル化は、スピアマン(C.E.Spearman)が1904年に提案した2因子モデルを軸に展開されてきた。 図1 スピアマンの2因子モデル<-トル? 2因子モデルの特徴は、どんな問題も解くにも有効な一般因子gがベースにあって、その上で、それぞれの検査問題(群)を解くのに固有な特殊因子sがあるとするものである。 これ以後に提案されたサーストン(L.L.Thurstone)の多因子説(言語理解、語の流暢性、計算力、空間認知力、記憶力、知覚の速さ、推理力)は一般因子gの存在を否定して特殊因子をより精選したもの、キャッテル(R.B.Cattel)の流動性知能(問題解決にかかわる知能)と結晶性知能(言語的な知識にかかわる知能)は、多因子をさらにまとめあげたもの(群因子)と考えることができる。 一方、認知心理学/認知科学におけるモデル論的アプローチによる知能モデルも提案されてきた。そのねらいは、知的課題を解く時の情報処理プロセスがどうなっているか、さらに、そそれぞれのプロセスの性能(容量と効率)と処理様式とがどうなっているかを明らかにすることであった。それが知能検査として具現化したのが、KーABC(4.1。4参照)であった。 なお、これら以外にも、神経心理学の知見を踏まえた知能モデルも提案されている(たとえば、Das,J.P.ら)
●知能の遺伝規定性
双生児比較法、家系調査法、さらには、異なる年令集団の変化を経年(縦断)的に調査するコホ-ト分析などの科学的な研究手法によって、心の諸特性についての遺伝規定性がどの程度あるかを同定しようとする試みが数多くなされてきているが、知能に限らず決着がついたものはないと言ってよい。 それだけに、これまでさまざまな研究や問題提起が、その時々の社会情勢や時代思潮を反映しながら、なされてきた。 その代表的なものを挙げると、一つは、1933年ナチス・ドイツによる、ゴールトンの優生学を復活させる形でのユダヤ人虐殺の悲劇がある。 近年では、1969年のジェンセン(A.R.Jensen)の122ページの大論文での主張「IQの分散のうち、遺伝による分散は、8割を占める」「社会階層や人種による差は、遺伝的な差異によるところが大きい」「環境は遺伝的素質を発現させる低い閾値的な役割しか果たさない」が、公民権法は成立した(1964年)とは言え、人種差別問題で苦悩していた当時のアメリカにおいて、ジャーナリズムも巻き込んでの大論争を引き起こした。 いずれのケースでも、知的基盤能力の一つである知能が遺伝的に規定されているとすることで、差別の固定化、そして、教育的処遇を通しての差別の拡大へと突き進んでしまう危険性を含んでいることは注意する必要がある。かといって、遺伝の影響を過少視するのも、事態を見誤る可能性がある。
●知能の発達的変化と予測性
これに関しては、生涯を通してIQは恒常性かという古典的な問題がある。IQは、当該集団(コホート)のノルム(平均と標準偏差)を使う関係もあって、経年的に調べても、それほど大きくは変化しない。ただし、再標準化をしないと、IQは、30年間で14か国平均で15点も上昇することを示す事実がありフリン効果として知られている(Flynn、1987) しかし、知能の検査問題の正答率ベースで発達的な変化をみると、たとえば、帰納的推理力(流動性知能)は25歳あたりをピークに80歳くらいまで単調減少カーブをなすのに対して、言語能力(結晶性知能)は30歳あたりのピークが80歳くらいまで維持されることを示すような証拠もある。 また、知能の予測性に関しても、将来の職業的成功を予測できるとする証拠もいくつかある。しかし、これに関しては、学童期の知能から職業的な成功までの間に介在する環境的・教育的な影響も無視しえないので、決定的な言説には慎重さが必要である。 ガードナー、H.は、こうした面倒な議論を飛び越えて、社会での職業上での成功(熟達化)を想定し、さらにその神経心理学的な基盤に配慮して、お互いに自律した7つの知能類型(多重知能モデル)を措定し、その教育訓練プログラム(プロジェクト・スペクトル)を実践して注目されている。
●参考文献
1)東洋 1989 「教育の心理学」 有ひ閣
2)Deary、I.J. 2001 Intelligence;A Very Short Introduction.(繁桝算男訳 2004「知能」岩波書店)。
3)Flynn,J.R. 1987 Massive IQ gains in 14 nations; What IQ tests really measure. Psychological Bulletin,101,171-191.4)Das,J.P.ら Assesment of Cognitive prosesses. A Longwood professional Books.5)Jensen,A.R. 1969 How much can we boost IQ and scholastic achievement? Harvard Educational Review