心の風景 認知的体験

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女流って?」女性ウオッチング」

2019-07-22 | 社会
女流作家、
女流棋士
意外に、「女流」と区分けのある世界は、思いつかない。
どうしてだろう。

女流」と区分けするのは、男と一緒では勝負にならないから
ということがありそう。
女流棋士がそうだと思う。


その道で秀でた女性というう意味もあるなー
女流作家や
女流剣士なんては、この例だろうなー。




家のとりこわし」6/8/30の記事

2019-07-22 | 心の体験的日記

●認知的体験「家のとりこわし」06/8/30
この団地ができて20数年。近くで立て直しがはじまった。これで、目撃したのは2軒目。もうそんな時期なのかなー。となると、家の建て替え資金が必要になる。こりゃー大変だ。
我が家は、最初の20年間はあき屋のままだったので、痛みはほとんどない。リホームの必要性もあまり感じない。自分一代は住めるかと思っていたのだが。
それにしても、購入時価格の半分近くに値下がりしてしまったのは痛い。ここを売ってどこか高齢者マンションへ、もままならないかも。
****
09年7月18日
お隣さん
新築そっくりさん を使ってリフォーム中
3か月くらいかかるらしい
骨組みを残して根こそぎという感じ
さてさて我が家、どうするか
ガスが27年たっている
交換しませんか とのセールス
でもねー また何も問題ないしねー
家はまだどこも痛んでない
だって、買ってから20年、空家のままだったんだから

海保」の名前の由来

2019-07-22 | 心の体験的日記
ニコニコ大百科より

千葉県北部に集中する苗字で、特に四街道市、成田市、山武市、山武郡横芝光町などに多く分布する。

上総国海上郡海保(現・千葉県市原市海保付近)発祥。武家の海保氏は清和源氏里見氏の分流という。

実在の人物
海保エミリ(かいほ・えみり):女優、歌手
海保えりか(かいほ・えりか):声優
海保漁村(かいほ・ぎょそん):幕末の儒学者
海保青陵(かいほ・せいりょう):江戸時代後期の儒学者
海保知里(かいほ・ちさと):アナウンサー
海保宣生(かいほ・のぶお):バスケットボール選手
海保帆平(かいほ・はんぺい):幕末の剣客
海保博之(かいほ・ひろゆき):心理学者
海保眞夫(かいほ・まさお):英文学者

地名
千葉県市原市海保

勉学第一

2019-07-21 | 教育
勉学第一「大学問題」

大学生協連の1963年以来の調査によると、
大学生活で最も重視しているのを一つ挙げさせると
「勉強第一」としたのが
1982年では10%で最下位だったのが
次第に増加し、2010年では25%とトップになっている。
ちなみに、これと逆の傾向を示したのが、
「対人関係」で
1982年の23%から2010年9%まで漸減している。

理想的なのは、「みんなと一緒に仲良く勉強」であるが、
それが分離してしまっているところにがやや心配。
しかし、勉強第一としてくれた学生のその意気ごみを真正の学びに
つなげていくのが、大学教員の役目

「大学にまで入って、教師から学ぼうとするなんて!」との
嘆きはかつてのよき時代の大学教員のたわごとであろう。笑い







なるほど、なるほど

2019-07-21 | 社会
日本では「保守派がリベラルな経済政策」を取り、「左派が保守的な経済政策」を取るという「経済政策のねじれ」の問題である〉

(月刊『Hanada』編集長)
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素人には、こういう一刀両断的言い方が一番。


暑中お見舞い申し上げます」10年前の今日の記事

2019-07-20 | 心の体験的日記

暑さが続きます
皆様にはお変わりございませんでしょうか

元気でやってます

テニス、卓球ができる幸せ
ブログが更新できる幸せ
心の元気作りの原稿が書ける幸せ

こんな幸せにひたりながら、のんびりやってます

暑さ厳しいおり、心身の健康にはくれぐれもお気をつけください
寝ること
食べること
怠けること

夏はこれに限ります

では、これからもよろしくお願いします

教育の目標は健康な心を育てること(森 敏昭)

2019-07-20 | 教育


森 敏昭
7月14日 8:02 ·
教育の目標は健康な心を育てること。
健康な心の三条件は、
(1)偏見や妄想に惑わされない「正しい心」、
(2)他者と自己を尊重する「暖かい心」、
(3)困難にくじけない「強い心」。

隠喩(metaphor>学生が解説すると

2019-07-20 | Weblog

隠喩(metaphor>

metaphorとは、「隠喩」と訳され、そのままカタカナで「メタファ」とも言われます。ここで使われる「隠喩」とは修辞表現的な「『~のような』を用いない『たとえ』」だけを表すのではなくて、もっと感覚・知覚的な「たとえ」を表します。metaphorの一例をあげると…会話中、あなたが「何か飲みたい」と感じた時、‘ノドが渇きましたね?’と言ったのに対して、‘はい、渇きました。’と相手が答えたらあなたはどう思うでしょうか?おそらく思わぬ返答に驚くはずです。あなたは‘何か飲みましょうか。’という返事を期待していたはずですから。あなたが言った‘ノドが渇きましたね?’という字句の裏に「何か飲みたい」という意味があるのを相手に理解されなかったためこのような会話の食い違いが起こるのです。(KT)

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メタファーとはある事柄を他の事柄を通して理解し、経験することです。例えば、「鈴木先生は鬼なんだよ。」と友達に言われたとします。そうしたら、あなたが鈴木先生本人を知らなかったとしても、鬼のように厳しく、恐い先生だということがわかりますね。これは、鈴木先生という知らない人物を、すでに知っている鬼というものの持っているイメージに当てはめて理解しているということになります。つまり、鈴木先生を鬼にたとえて理解しているのです。このように知らない物事を、すでに知っている物事と関連付けて理解することを、私達は日常生活でよく行っています。これがメタファーです。私たちの思考過程の大部分はメタファーに基づいて成り立っています。また、メタファーは今までの自分の経験とは切っても切り離せない関係にあります。先ほどのたとえで、自分が鬼というものを知らなかったとしたら、鬼のイメージそのものがもてなくなってしまい、鈴木先生がどういう人かを理解することができないからです。このように、経験に基づいてメタファーは使われるのです。(SM)
  

女流作家がんばる」女性ウオッチング」

2019-07-19 | 社会
芥川賞に今村夏子さん 直木賞に大島真寿美さん
2019年7月17日 21時39分NHKネットニュースより

第161回芥川賞と直木賞の選考会が東京で開かれ、芥川賞は今村夏子さんの「むらさきのスカートの女」、直木賞は大島真寿美さんの「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」(うず/いもせやまおんなていきん/たまむすび)が、それぞれ選ばれました。

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女性作家の本は、最近よく読む。
でも途中で投げ出してしまうことも多い。
女流作家に多い(と思う)だらだらめりはりなくストリーが展開するようなのは、苦手。

楽しみなのは、へー女性ってこんなことをかんがえているんだ!!ということをしること。

がんばってほしい。






からだは一つのシステムなりを実感

2019-07-19 | 健康・スポーツ心理学
痛みの源泉は、右手上腕筋のごく一部。
にもかかわららず、立ったり、座ったりするときも
痛みを感じる。

だいぶ上達してきたが、それでも右手の支援がないと、
かなり動作に制約を受ける。
衣類の着脱なんて、大事業。
ちょっとでも妙な動きをすると、局所に痛みがはしる。

もう1週間がたった。
そろそろなんとならないかなー



司馬遼太郎語録

2019-07-19 | 名言の心理学



心理学で読み解く司馬遼太郎の世界(その2)




「脳の局在論」
蔵六(大村益次郎)は、間仕切りのありすぎる頭脳、もしくは精神を持っている。ーーー
間仕切りの1つ一つが絶対の空間になっている。
花神、p348
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脳の局在論は、いまでは古典なのかもしれないが、
それでも、こんな心理状態のとき、脳のどこそこが働いている
というたぐいの話はあいかわらずある。
ただ、昔の局在論と違うのは、
脳全体をネットワーク的にとらえるようになったところ。
脳のある部位の損傷がある行動、心理障害に直結することもあるが、
もう一つは、ネットワーク機能の不全にも目がいくようになった。

医学、軍事技術に特化した頭脳を持つ蔵六に
イネという女性を対面させるところは、圧巻。
どうしてもイネを受け入れる間仕切りがないのだ。



陽気な舞手ならば、
舞手自身がわが芸を大肯定しているがために
少々下手に舞っても
観衆はその陽気にまどわされ、
つい欠点に目がゆかず、
長所にのみ目がゆく。
(司馬遼太郎「新史 太閤記 下」)

「思想というフィクションは、人間の飢えを必要とします。物質的にも飢え、精神的にも飢えている状態に必要なのですね。飢えているからこそ、壮大なフィクションの中に入ることができ、信じることができ、酔いが回ります。回っている間、人間というのは幸福であります。」(司馬遼太郎全講演1、朝日文庫、p110)

慶喜の行動は慶喜自身がつねに支持し、
自分ひとりが支持しているだけで
慶喜はもう自足しているようであった。
ーーー
精神の自足主義をひとは美化して剛情と言い、
(慶喜を)剛情公とよんでいる。
(司馬遼太郎「最後の将軍」より)
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才に溺れた最後の将軍なのかもしれない。
才の豊かさは、必ずしもよいことばかりではない。
周りはすべて自分より劣る
したがって、
周りの意見に耳を傾けない
結果としてとんでもない方向へ組織を導いてしまう。
むしろ、愚鈍なリーダーにも活路がある。
反面教師的な機能
周りの自発性を引き出す機能
慶喜が才に溺れて破れ
朝廷の愚鈍さが薩長の力を引き出したのかも<<素人維新論でした。


---あまり小利口小才子では、眼前の物事に眼がうつりすぎて、かえって、身も事もあやまる。---」(司馬遼太郎「竜馬がいく」3(文春文庫))


物事の原理性に忠実である以上、
その行動は狂たらざるをえない」
司馬遼太郎
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原理の最たるものは宗教
宗教は救いの女神であるが
残虐、狂の暴君でもある

最も個人的な原理性は、信念であろう
どんなに陳腐で奇妙奇天烈でも
女神にも狂の暴君にもなる。


革命は3代で成立する
(幕末を例にとれば)

初代は思想家(吉田松陰)
2代目は闘争家(高杉晋作)
3代目は実務家(伊藤俊輔、山形有朋)
(司馬遼太郎)


希望なき社会は、思想なき社会でもあります。
なぜなら、希望が寄せ集まり、昇華し理論化したものが思想になるからです。
歴史小説家・司馬遼太郎氏もこんなことを言っています。
「思想というフィクションは、人間の飢えを必要とします。物質的にも飢え、精神的にも飢えている状態が必要なのですね。飢えているからこそ、壮大なフィクションの中に入ることができる」


NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロイン文の兄
吉田松陰を、司馬遼太郎がこんな風に評しているのを紹介して、
起きます
「この若者、吉田松陰は、つねに失敗するために努力をしている。」

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若くして,刑死した松陰
先の見通しもなく信念に従って
学び
行動し
諭す
結果として失敗するのだが、
これが薫陶力なのか、あるいは後ろ姿で導くということなのか
大成する塾生が続出する。


「わかりやすい、だれにでもわかる文章というものには、ごまかしが入る場合があります。自分の知らないこと、自分がちょっとぼんやりしていることをごまかすことがある」(司馬遼太郎全講演集1、p170)


井上馨は、理屈べたの仕事上手。伊藤博文は、理屈上手の仕事下手
(司馬遼太郎)
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職人に多い
理屈はいいからやってみな」
やりながら覚えるのが仕事」
というわけである

時間がかかるが、確実に身につく学びである。
しかし、消えつつある学びでもある

理屈は万能ではないが、強力ではある
理屈と学歴はほぼ連動するが、
それでも個人的な資質も微妙に絡んでくる。


二流、三流の人間にとって
思想を信奉するほど
生きやすい道はない
(司馬遼太郎)
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思想、信念は、思考を怠惰なものにするが
それを補うかのように行為には馬力がつく。
だから、行為の馬力が必要なときは、
2流」3流」の人間が世の中を先導することになる。

認識はわけ知りをつくるだけであった。
わけ知りには、志がない。
志がないところに、社会の前進がないのである。
司馬遼太郎「菜の花の沖」p199
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知と志。
別物であると思う研究者は、ノーベル賞はもらえない。
志ある知的探求こそ研究者の王道だが、
最初から志をもって研究する研究者もまた少ない。
一方、志は研究者を壮大な誤りにも導くリスクがある。