月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

97.新居浜太鼓台-祭の名著紹介-(月刊「祭」2019.6月7号)

2019-06-09 13:32:24 | 屋台、だんじり、太鼓台関連

●太鼓台の本格的な研究書
平成2年、太鼓台研究史に大きな一歩が刻まれます。編集、発行(新居浜市立図書館)「新居浜太鼓台」が発刊されました。非売品で兵庫県立図書館、吹田市立図書館には所蔵されています。

大きく写真編、研究編、資料編の3つに分かれています。

●写真編
・太鼓台一覧 川西地区8台、川東地区13台、上部地区9台、大生院地区2台
・太鼓台のある神社
・現在は運行していない自治会の太鼓台
・大島のだんじりなど
・新居浜市内太鼓台関係地図
・旧新居浜太鼓台
・写真で見る太鼓台の歴史
・各地の太鼓台
・各地の太鼓台写真地図
・明治の太鼓台と現在の太鼓台の比較
現在これだけのものが発刊されても大きな価値はありますが、発刊が凡そ30年前なので、今となってはわからなくなっていたかもしれない当時の様子がカラー写真で残っています(画像はコピーしたものなので白黒ですが、現物はカラーです)。


●研究編
・成願寺整「太鼓台のふるさと」
新聞記者として連載していた記事などをまとめたもの。全国の太鼓台を紹介しています。この記事を頼りに出かけたものです^_^ 屋台、だんじり、タイコなど様々な呼び名があるものを「太鼓台」と命名したのが著者だと聞きました。確かに、伝わりやすい名前です。
・尾﨑明男「新居浜太鼓台の周辺」
太鼓台の成り立ちや伝承までを調べています。学生時代の管理人に最も影響を与えた記事(論文)です。
貝塚の太鼓台の屋根の日本のふさ付き棒・マラが付いている様子は伊勢神宮外宮(吉野裕子氏の説によると北斗七星の象徴)の刺車紋に似ているといいます。

ほかにも屋台屋根内部に神の依り代となる籠が入っていることなど、太鼓台とは何なのかを膨大な事例から考えています。

●越智廉三「史料に見る新居浜太鼓台の歴史」
古文書に書かれた新居浜市内の祭礼についてつぶさに調査しています。江戸中期ころにおいてはだんじりやお船が隆盛しており、文政頃から神輿太鼓や太鼓の記述が見られることを紹介しています。また、嘉永二年(1849)の「餝物調べ」という記事についてまとめてあり、当時すでに水引幕で「龍宮海(りゅうぐうあま・あまのたまとり)」が使われていたことなどに言及しています。

●加地和夫「布団〆と飾幕」
新居浜太鼓台を特徴付ける豪華な刺繍について、四国や淡路の刺繍業者の歴史を紹介しています。多くが江戸末期から明治にかけての創業でした。そして市内の太鼓台の刺繍の題材を悉皆調査し、表にあらわしました。

●粂野徳義「新居浜「祭り太鼓」と「太鼓台」」
太鼓打としての寄稿。太鼓をいかに打つべきか、そうすることで、担ぎ手たちはどう変わるかを書いています。基本の打ち方の一つ、ドンドンドンは一二三と徐々に強く打つことでリズムが生まれると、三木のドンでドンとは少し違うようです。

●佐藤秀之「大島八幡宮秋季祭礼と夜宮」
大島の祭についての考察。古文献から大島の太鼓の形式を推定し、それが長崎のコッコデショと近いことがわかります。さらにコッコデショを担ぐ樺島町では伊予の舟衆からつたわったという伝承があり、大島では昔コッコデショを担いでいたという伝承もあることから、大島からコッコデショが伝わった可能性を指摘しています。


●資料編
・太鼓台あれこれ-太鼓台調査表より-
・『郷土研究』記載の太鼓台関係記事
・太鼓台関係史料
・太鼓台関係年表
先述の大島の太鼓の史料「(天保四年1833 大島中之町所蔵文書)太鼓入用帳」などが掲載されています。五色五段の布団であることがわかり、購入する色が上であるほど長いのが興味深いです。