月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

122.蜘蛛の伝説と天神-北野へ-(月刊「祭」2019.7月3号)

2019-06-30 14:48:45 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-

●明石町屋台の復活デザイン
明石町屋台が衣装物を新調して早、八年が経とうとしています。縫い物は、かつて使われていた題材を復活させました。水引幕は海女の珠とりで、先先代のテーマを再び新調しました。
そして、高欄がけ4枚中1枚も、先先代の屋台のデザインを復活させました。
その題材が蜘蛛退治です。
ここでは、蜘蛛退治伝説がいつごろできたのか、その後どうなったのかについて見ていきます。今回はその初見と思われる平家物語からです。



●源頼光蜘蛛退治

ー髭切、膝切-
 源頼光蜘蛛退治が載っているのは、平家物語や源平盛衰記などに載っている「剣」という条項の部分です。といっても、流布している文によっては、蜘蛛退治伝承が掲載されていないものもあるようです。ちなみに、東京大学国語研究室所蔵の覚一本と呼ばれる物には、掲載されていません。

 本文を全て引用すると長くなるので、省略したおおよその内容をお伝えします。
 多田満仲が源氏性を賜り、天下を守るものは良い刀が必要だと思うも、なかなかいい刀に巡り会えません。ある者が進言するには、「筑紫の三笠郡土山に異国の鉄の細工人がいます。かれにつくってもらうといいでしょう。」とのことです。それでもいい刀ができませんが、細工人が言うには祈祷してはいかがとのこと。細工人も八幡大菩薩にお祈りしました。七日目の夜の夢に言うには、
「六十日待ちなさい。そうすればいい剣を作れよう。」と
 そして、六十日目細工人は最上の剣をつくりました。満仲は慶びますが、、、、、試し切りとして罪人の髭と膝を切ります。そのことにより、髭切、膝切との名前がつきました。

-宇治の橋姫と髭切-
 源氏は満仲の息子の頼光の時代になりました。頼光の部下はかの四天王。(渡辺)綱、(坂田)公時(金太郎)、(碓井)末武、(卜部)貞道。貴船の社の計らいで女が生きながら鬼・宇治の橋姫になったといいます。

 ある日綱はお使いで一条大宮あたりのところを行くと、一条戻り橋のところで美しい女性に出会います。そして、その美しい女性こそが鬼になったその宇治の橋姫だったのです。綱はその腕を髭切で切り落とします。その腕は、なんと北野の社の回廊の星(欄干の擬宝珠でしょうか?)の上に落ちたといいます。

 その腕を安部清明に相談し、自宅に誰も入れずに綱は七日間腕を預かることになりました。七日目を明日に迎えたその晩、綱の養母がやってきます。断る綱にそれを嘆く養母。綱は家に入れます。そして、n鬼の手を見せると養母に見えた女はたちまち鬼に変わり、愛宕の山へ消えていきます。

 鬼の手を切って以来、髭切は鬼丸と名前を変えました。

-蜘蛛退治と髭切ー
 頼光が体調をくずし30日たった日の夜。七尺ばかり(約212cm)の背の法師が縄で頼光を縛ろうとしました。頼光は、膝丸で彼を切り伏せます。しかし、その法師の姿はなく、血の跡があるだけです。よって、血のあとを追うと北野の後ろに大きな塚がありました。塚を掘り返すと、なんと大きな蜘蛛がいました。この時より髭切は蜘蛛切丸と名を変えました。

 

さて、ここで気になるのは、北野です。なぜ北野が出てくるのかは、次回以降にします。

 

 

 



121.だん王法林寺四天王門(月刊「祭」2019.7月2号)

2019-06-30 11:48:06 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
●寺院の仁王門
日本では多くの場合寺院の楼門には仁王さんがいらっしゃいます。



京都市光福寺



奈良県法隆寺

神社にも仁王さんがいることがかなり多かったと思われますが、明治期の神仏分離政策により、神社の仁王さんは破棄されたり、近くのじいんにあずけたりせぜるをえませんでした。

いずれにせよ、楼門には仁王さんがいるというのが一般的な認識と言って差し支えないでしょう。

●だん王法林寺の四天王門
ところが、京都市三条京阪近くのだん王法林寺は、四天王がいらっしゃいます。


増長天

広目天

持国天

多聞天

配置は下のように、それぞれの天が背中合わせで立っていました。



多聞天(北)↑ 通 持国天(東) ↑
広目天(西) ↓ 路 増長天(南) ↓

韓国には四天王門や天王門と呼ばれる門が沢山ありますが、四天王は内側、通路側を見ていていました。その点でも法林寺の珍しさが際立ちます。

だん王法林寺 京阪三条駅、地下鉄三条駅から徒歩2、3分。

韓国の寺院ではこんなかんじだったはずです。
とりあえず内側をむいています。
左多聞天 右持国天

左増長天 右広目天

日本の法林寺とは配置方法も違いました。
北↑
広目天(西) → 通 ←多聞天(北)
増長天(南)→ 路 ←持国天(東)


120.京都寺院雨水の処理方法(月刊「祭」2019.7月1号)

2019-06-30 11:21:15 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
雨の京都の東山三条界隈を巡っていると興味深いものを見つけることができました。これらが、京都の他の地域や京都以外でも見られるのか見られないのかは分かりません。よろしければコメント欄などでご教示願います。

●佛光寺本廟


樋から水をうけ、石の鉢でひとまず受け入れます。




●青蓮院門跡

「用水」とあるので何かに用いるのでしょうか


●だん王法林寺

下から上に降りてくる部分の樋ははずされたか、もともとないかでしょうか。


水が溢れると、決まった水路を流れるようになっていました。



一度石の入れ物に入れてから水路に水をやるという方法を三つの寺院では用いてました。