月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

109.描かれた浮物刺繍-(月刊「祭」2019.6月19号)

2019-06-17 22:18:37 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
●歌舞伎衣装と浮物刺繍
現在の屋台の工芸で大きな役割を果たしているのが浮物刺繍です。この技術がいつ頃からできたのかは分かりませんが、江戸末期には全国各地でし赤い羅紗生地に縫い付ける浮物刺繍が施された山車が出てきていたようです。

四国では歌舞伎衣装などでもこの浮き物刺繍が好んで使われていました。それらを調査してまとめたのが尾崎明男(ここでの尾関明氏と同一人物)氏らの観音寺太鼓台研究グループがおこなった「地歌舞伎衣装と太鼓台文化Ⅰ〜Ⅲ」2015、2016、2017です。


また淡路では人形浄瑠璃の衣装で使われています。洲本文化博物館大展示室で見ることができます。


●雀踊り人形
大阪では天神祭のお迎え人形などにも用いられていました。
それを再現したもの?現物?が大阪くらしの今昔館で展示されていました。

江之子島西町が元々所有していた雀踊りと呼ばれる演目の人形です。七月に雀の格好で踊るのでそう名がついたそうです。腰回りに獅子の浮き物刺繍が施されたものを巻いています。


この人形を記録した弘化三年(1846)の文章がのこっています。しかも絵入りです。


作ったのは柳文三という名の人形細工人です。


「衣装大略」が記してあり、「褌襠(まわし) モヘキ(も碧)ラシヤ(羅紗)シカミノヌイ(しがみ・獅噛みの縫い)金糸」とあります。

描かれた浮き物刺繍を見ましたが、もしかしたら同様のものが他にもあるかもしれません。




108.駅前ノスヽメ-岸和田地車観覧-(月刊「祭」2019.6月17号)

2019-06-17 21:37:54 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
昨年は約20年ぶりに岸和田のだんじりを見に行きました。といっても、あれからさらに岸和田地車の人気は高まったように思います。見にいったところで、結局いいところは何も見れないのではないかという懸念がありました。
ですが、それは杞憂でした。しかも駅近の究極、駅前はやり回し観覧のベストスポットでした。

●春木駅前
地車の数も少ないですが、ゆったりと見れました。








春木駅前やり回し

●岸和田駅前
カンカン場などのイメージから本当に見れないかなとおもったのですが、意外とゆっくりと見ることができました。


岸和田駅前やり回し

商店街を抜けてやり回し



107.上方山車文化(月刊「祭」2019.6月17号)

2019-06-17 16:15:53 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
●上荷茶船仲間所有船形山車「天神丸」
(大阪くらしの今昔館発行のパンフレットより)
元禄年中(1688-1704)上荷茶船仲間(荷物運搬業の同業者の仲間)が所有していたものです。現在は大阪メトロ天神橋筋六丁目駅すぐの「大阪市くらしの今昔館」で展示されています。
寛政四年(1792)天満の大火で罹災しますが、彫刻や焼け残りの部品を保存していました。天満宮遷宮950年を祝う前年の嘉永四年(1851)、修復されますが、大正15年(1926)を最後に組み立てられることはありませんでした。平成十二年(2000)12月大阪市指定文化財となっています。






●精巧な工芸
彫刻や工芸は精巧そのものです。
飾り金具や木彫で装飾されています。







今の地車だと波にウサギなどのデザインで、下側についていることが多いのですが、ウサギが上部についています。



●構造
内ゴマですが、前後二輪ではなく、ローラー型の車輪が前後に一輪ずつついています。


普段は部品ごとにバラして保存していたようで、組み立てる時は、楔を打ってバラバラになるのをとめています。


元禄期という江戸時代前半に原型が作られており、当時隆盛した日光東照宮などに見られる「塗られた彫刻」がこの山車にも見られました。





106.若者たちの仕事(月刊「祭」2019.6月16号)

2019-06-17 09:10:24 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
●宝
もう二十年も前の話です。管理人もまだ青年団所属の時に、入団したての後輩のことを「宝やなあ」と友人の父親が言いました。
20年を経た今、まさしくその通りだったということを感じています。そこで、屋台やだんじりで、青年団入って間もない若者の仕事はどんなことをするのかみていきます。

●雑用
はじめはやはりこれです。
三木市大宮八幡宮明石町青年団の場合は、入団間もない若者(高校生から20才くらい)は「弁当運び」をします。屋台運行から少しの間抜けて、境内の上で団員が食べる弁当を店から運びます。太鼓のバチを磨くのも彼らの仕事となります。
加東郡社町佐保神社下組では、屋台がとおれるように二俣の棒で電線をあげます。
加西市北条町住吉神社の多くの屋台では、台車の出し入れは若者の役割となります。


●盛り上げ
「元気」でいられること。これも若者の特権であるように思います。
上述明石町青年団では、入団間もないものは宮入り前に綱を取りに行き、それを大声で降ろして行くというのも一つの役割です。管理人の記憶ではここ十年ほどですが、その間で一つの「夢」となっていたようです。
北条町住吉神社のとある青年団では、入団間もないものの中から、声出しのリーダー役を決めるという試みもなされていました。
尼崎の貴船神社では前方で山合わせをする地車の後方に乗り、盛り上げます。

写真は前方。クリックすれば、後方の様子がわかります。写真と映像のだんじりは違うものかもしれません。



●宝への配慮
青年団入団当初は高校生であることが多く、未成年者への配慮が求められます。
先述の貴船神社の例だと、山合わせをする前方は非常に危険なものとなります。
また、北条町住吉神社の場合で台車の出し入れが、若者に任せることができるのはその台車の性能によるものです。二輪式や前輪が方向を固定されていないものを使用するなど、方向転換が容易なものを用いて横からすばやく取り付けることができます。さらに、手を詰めないための配慮で手すりが取り付けてあるのもかなりの割合でありました。
若者たちに活動を通して、社会性を育むとともに、安全に配慮する姿が各地の祭で見られました。

●とある他地域から入団した青年団員の話
ある時、とある春祭り地域の青年団一年目の若者の話を聞くことがありました。彼の地元はその春祭り地域ではなく別の過疎化地域で、そこでは秋祭の担い手として頑張っています。
その彼は、青年団員として楽しく一生懸命頑張れたようですが、「10%だけ満足できなかったことがあった」といっていました。
管理人は「もっと俺らにも雑用ばっかりじゃなくて、指揮者的な役割をさせてほしい」とか「もっとかっこいいことしたい」とかそんなことを言うのかなと予想していました。ですが、彼の言葉は全く予想とは違うものでした。
「今自分はこうして、A町の青年団として楽しく活動させてもらっている。だけど、自分の地元が人手不足で困っているんだし、本当なら同じように人手不足で困ってるB町でやるべきだったのではないか。」という内容のことを言いました。少なくとも管理人が彼くらいの年頃でにそこまで深く考えることは一切なく、最近の若い人に希望を持ってしまいます。
こんな若い人たちがいたら未来の日本に希望を持てる気がします。きっと、彼の後に続いて、人手不足のB町にも入団する若者が増えることと思います。我々おださんは宝の持ち腐れとならないように、律するところは律したいものです。