2日目はこちら。
クレヨンしんちゃんとこの映画は、実は設定が驚くほどよく似ている。舞台は東京圏ではあるが田舎の風景が残っている東久留米(しんちゃんはもちろん春日部)。
夫婦と兄妹の四人家族+犬(オッサン、と名づけられたこの犬が、シロと同じようにまことに泣かせる)の一家。オープニングの江戸時代の情景は「戦国大合戦」のタッチそのままだし、クライマックスはなんと「オトナ帝国」同様、東京タワー!だ。
ひとりぼっちになったクゥが、その東京タワーに逃げ込み「ここ(東京)はまるで、人間の巣だ……」とつぶやくシーンがある。ひたすらに巨大な東京と比較し、ポツンとタワーにへたりこむクゥは絶望的に小さい。もう、このあたりから涙がとまらなくなる。だからこそ、ここにやってくるとんでもない訪問者がうれしい(序盤に伏線を提示済み)。
とにかく主人公のクゥがいい。江戸時代からほとんどタイムスリップした形の彼は、河童であることの誇りを胸に、礼儀正しく、凛(りん)としているのだ。父親を侍に斬られた記憶のために(日本刀の一閃を思い出してしまうから)光るものが苦手なのに、康一の家族と記念写真を撮るときは
「この光は、こわくない」
と微笑む。彼らが家族になった瞬間だ。ウルウル。そしてこのあたたかさと対極にあるのが、異物をひたすら珍しがり、かわいいとはやし立てるくせに、なんらかの自己主張をその異物がみせた瞬間に排除にかかるマスコミ、そして視聴者たち。つまり、現代人なのだろう。
注意:ネタバレになるのでここから先は未見の読者は読まない方がいいかと。
おそらく、これから先もこんな別れのシーンは描かれないと思う。なにしろ康一は『ある場所』へ、クゥを宅急便を利用して送るのである。夢の場所へは、康一といえども立ち入ることができないからだ。隣町のコンビニにおけるこの別れは胸をうつ。泣いたなあ。
この映画は、声高に環境保護やいじめをやめましょうと語るわけではない。「千と千尋の神隠し」とは違い、クゥは最後まで自分の本名を思い出せない。つまり彼が本来帰るべき場所は失われてしまっているのだ。いじめを受けていた少女は、康一やクゥとの交流で少し元気になるけれど、引っ越してゆく不安のために、康一にさよならをしたあとすぐに肩を落とす。飼い犬をなぐることでしかいじめられた憂さを晴らせなかった、オッサンの前の飼い主の現状もまた、知らされないままだ。
状況は絶望的。しかしクゥがどこかで生きているという思いが、われわれ観客をほんの少しだけ勇気づけてくれる。西欧のこどもには聖夜に奇跡が訪れる。しかし日本では、奇跡は夏休みに起こるのである。