第一試合はこちら。
……よくよく読んでいると、「ドカベン」にはけっこうアラも目立つのである。中学時代にくせ者だったスーパー教師影浦(景浦、じゃないですよ)がなんとなくフェイドアウトしていたり、「甲子園ではすべてが決勝戦だ」と主張する犬飼兄率いる土佐丸高校が、その決勝戦までわざと片眼に眼帯をして敵をなめていたり、おいおい明訓はこのイニング四つもアウトをとってるぞ、と気づいたりする。週刊の連載がどれほどきついものかを考えれば無理もないのだが、しかし全盛期の水島はチャンピオンに「ドカベン」、マガジンに「野球狂の詩」、サンデーに「一球さん」、ビッグコミックオリジナルに「あぶさん」を同時に連載していたのだ。しかも、ジャンプの度重なる連載依頼に「他の雑誌がおたくの発行部数を抜いたらやります」なんてことまで調子こいて言ったりしたとか。チャンピオンはジャンプにあと5万部の差まで迫ったそうだから、少年誌全制覇も夢ではなかったのだ。
ドカベンフリークであるわたしにとって、明訓のベストマッチは2年春の甲子園準決勝、対信濃川高校戦。明訓の監督を土井垣にゆずり、“山田太郎を倒すために”クリーンハイスクール~信濃川と移籍した徳川監督(おそらく水島新司本人の投影)と山田太郎の頭脳戦。
そのときの山田のつぶやきもまだ憶えている。
「今は見送ったが今度は必ずスクイズをやってくる。本町(ほんちょう=信濃川の5番打者)の右打席の打率は2割2分。徳川さんがこんな低打率にヒットを期待するものか」
そしてそのスクイズを外すために山田は里中にサインを“ある方法”で送り、観客席で観ていた犬飼兄は「ん?山田らしくない」と訝る……このあたりはすごかった。確かに野球を知っている人間にしか描けない深みとコクがあった気がする。
他にも、控えピッチャー渚がサインを無視してめった打ちにあい、山田に「サインを……サインを出してください」と懇願するまでに手なずけた東海戦、ノーアウト満塁から殿馬、山岡を呼び寄せ「三振しろ」と命じた土井垣采配(むちゃだ)に対し、二死満塁から同点になるのを承知で敬遠した江川学院……こういう展開がドカベンの醍醐味だ。
《つづきます》