goo blog サービス終了のお知らせ 

事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

A 番外編~Sくんの修学旅行

2008-02-08 | 受験・学校

AシリーズはこちらKamikuishiki01

 世の中には変わった教師がたくさんいる。新聞や雑誌に不祥事や醜聞が載らない日はないくらいだ。でもなかには、まったくの善人で、しかも有能であるにもかかわらず、なぜか異常な事件にまきこまれてしまう不運な教師も存在する。

 ある中学校に勤務するS君もそのひとり。修学旅行の引率教員として東京に行ったときのできごと。生徒たちが自由行動の時間だった。彼は何を思ったか、当時世間を騒がせていたオウム真理教の総本部を見学しようと独りで青山に向かった(この時点で、ちょっと変わった人なのだが)。修学旅行の引率といえば、昔は不自然なくらいキチンとした服装で固めていたものだけれど(なんせほら、お上りさんだから)、さすがに近頃は動きやすいラフな格好でいることが多い。しかしそんなファッションで青山に行ったことがS君の不幸だった。

 『ラフなファッションで青山総本部前をウロウロしている若い朴訥そうなヤツ=オウム信者』という当時の既成概念にとりつかれた警察関係者に(まわりのマスコミはそのことをよくわかっていて、派手目なファッションできめていた)S君はたちまち取り囲まれ、いきなり羽交い締めされたのだ。

「てめーオウムだろ!」
「ち、違いますぅ……」

しかしなかなか信じてもらえなかった彼は、ジャンパーのポケットに突っ込んでいたあるものを取り出した。
「こ、こ、こういう者です」
それは、生徒がつくった修学旅行のガイドブックだったのである(笑)。やっとこさ解放された善人のS君は、結果的に生徒に救われたことになる。

“修学旅行”で“学習”をしたのは、引率教員の方だったというお話。お勉強もたいがいにね、S君。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

A3~内と外。

2008-02-08 | 邦画

前号繰越A301

広報部長荒木浩が外に出ると、報道陣が殺到する。いきなりけんか腰のカメラマン、下手に出て懐柔にかかる記者……そしてみな、森のカメラを訝しく思う。
「あんた、何してんだ」
なんであんただけ中にいるんだ!」

……被写体、としてのマスコミが、こんなに醜いものとは。取材の現場にいたことのある人ならおわかりだろう。報道者としての一種の特権意識をもった彼らは、取材対象を見下げたような表情を隠さない。

 もっとひどいのは公安である。出歩く信者にイチャモンをつけ、自ら倒れて怪我をしたふりなんかする。
「痛っ!いたたたたた」下手くそな演技。昔、新左翼に対してさんざん行われた手法。このときは森が撮った画像が証拠となって、その信者は釈放される。TBSの事件を思い起こしてほしい。報道として、これはまことに微妙な事例だが。
 
 このように、オウム信者は“世間”(マスコミや公安って、つまりわたしたちのことだ)から徹底的に痛めつけられる。冷静な追求ではなく、情緒的、短絡的といっていい糾弾によって。

 まずい、と考えたのはこのことだ。この流れのなかでは、信者たちは自らを被害者の立場におきやすい。【殉教者】的陶酔に入ってしまうのではないか。もしそうなったら、オウムがはらんでいる危険性は、なおのこと形を歪めながら生き残っていくことになるだろう。醜く歪んでいるのは、オウムの外側も同様であることに、少なくともわたしたちは意識的でなければならない。

 あらゆる宗教は、異教徒を排撃する。オウムにとっては、世間こそがもっとも唾棄すべき異教徒になりつつある。たとえわたしたちが、オウムを異教徒として考えてもいない無神論者であろうとも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

A2 ~オウム的熱狂

2008-02-08 | 邦画

前号繰越A02

オウムの様々な事件が起きたとき、誰もがこう思ったはずだ。
宗教は怖い」と。
 いったいなぜ科学的思考を獲得したはずの理系高学歴者たちが、あんな馬鹿げた事件に連座したのか、とも。

 ヒントは、この映画のなかにあった。
 監督の森達也が、どのような方法で青山総本部内部の撮影を許可されたかは判然としないが(おそらく、正攻法だったのだろう)、わたしたちが外側からニュース画面でうかがったものとはかけ離れた“生活”がそこにはあった。モザイクの入った不気味な修行(ま、やってはいますが)よりも、信者たちのごく普通の日常が淡々と描かれる。ただし、一歩外に出れば、そこにはひしめく警察と報道関係者、そして野次馬がおり、テレビには自分たちを徹底的にこきおろす映像が流れている……

 信者たち、特に広報部長の荒木へのインタビューを聞きながら思う。宗教には、およそわたしなどが想像もできないぐらいの熱狂があるのだろう。コミュニストが「麻薬的」と斬って捨てるたぐいの。そしてこの熱狂は、その宗教が新しければ新しいほど、つまり勃興期に顕著なのだと思う。だからこそオウム神仙の会時代から帯同してきた幹部たちは、常識・良識・知識よりも熱狂を選択したのではないか。

 だからといって彼らが免罪されるわけではないのはもちろんだ。特に、このスタンピード(暴走)を止めることなく、むしろ明確に信者を犯罪に誘導した麻原の罪は重い。

 ただ。

 麻原が現在どのような状況にいるか。明らかに狂気の側に陥っているらしいことに、ほとんどの人が言及しない(森は現在、そのことを積極的に指摘している)のは、『ここで麻原を不起訴には絶対にできない』国民感情があるからか?

 わたしは精神異常者に罪を問えない現状には賛成ではないけれど、しかし麻原がすでに正気を失っていることに目をつぶって、せーのぉで【極刑】を執行するとしたら、それは明らかに、単なる【私刑】ではないのか。
次回は、マスコミを糾弾

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする