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YouTube: Alanis Morissette - Ironic (Video)
◆孔子の優れた弟子、顔回は赤貧のうちに死に、大悪人の盗跖(とうせき)は天寿を全うした。司馬遷は『史記』で問うている。<天道は是か非か>(天は必ず正しいのか)と
◆馬齢を重ねるにつれて、天の裁きも正しいとばかりは限らないと分かってきたので、司馬遷のように力こぶをこしらえて語る出来事にはめったに出くわさない。それでもたまには、天に苦情を申し入れたいときがある
◆東京都調布市の小学校で5年生の女子児童が給食後に死亡した事故である。アレルギー食材の粉チーズを抜いたチヂミを食べたあと、おかわりで粉チーズ入りを食べてしまったという
◆そのクラスは残飯を出さない「給食完食」を目標にしていた。体調不良を訴える前、「完食に貢献したかった」と友だちに話している。皆と同じ物を食べられない日も多く、何とかしてクラスの役に立ちたかったのだろう。天からご褒美をもらっていいはずの、けなげな心である
◆<走馬燈いのちを賭けてまはりけり>(久保田万太郎)。顔も名前も存じ上げない少女の、小さな影が胸のなかで回っている。まじめで心のやさしい、いい子だったのだろう。
7月24日 読売新聞 編集手帳
……近ごろは朝日の「天声人語」よりもレベルが上だと評判の「編集手帳」。今回もすばらしいコラムになっている。給食問題を語るマクラに顔回(がんかい。酒見賢一の「陋巷に在り」のエスパー主人公です)をもってくるとは。しかし……
調布の事故の被害者がけなげな心の持ち主であったことに異論はない。すばらしい子だったのだと思う。でもわたしはそれ以前に「給食完食」にひっかかってしまうのだ。食べ物を大切にする心を養う、お百姓さんや調理する人への感謝の心を育てる、好き嫌いをなくする、丈夫な身体に育てる、クラスの一体感を醸成する、目標達成の成就感を……目的には文句のつけようがない。でも、それでもなおわたしは違和感がある。
こんな不幸な事故があったから言うわけではなくて、“みんなでがんばりましょう”という美しい運動のなかで、切り捨てられているものがあるような気がするのだ。
もちろんたくさん食べたい子はたくさん食べて、少食の子をカバーしましょうというケアはなされていたこととは思うが、好き嫌いがあるのも個性のひとつではないのか。どうしても食材が残ってしまうとしたら、少ない量にクラス全体を調整するのも教育ではないのか。けなげな子を失ったそのことはもちろん哀しい。同時に、偏食者としては“みんな一斉に”“健康になろう”というポジティブさがうっすらと怖い。
本日の一曲はアラニス・モリセットの「アイロニック」。そうだよ人生は皮肉だ。
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