PART40「花の乱」はこちら。
「いだてん」が終わってしまってさみしくて仕方がないので極私的大河ドラマ史を再開します。誰よりもわたしのために。
えー、落語の演目に「紀州」というのがあります。わたしは金原亭馬生のバージョンで何度も聴いたけれども、よくできたお話なんですよ。幼い七代目の将軍が亡くなり、急いで八代目を決めなければならない。
「徳川家康という人はよく考えたと思います。御三家というのをつくって、跡継ぎに困らないようにしたんですから」
そのときの将軍候補はふたり。尾張の徳川継友と紀州候の吉宗。有力だったのは尾州候だったのに彼はちょっとかっこをつけてしまい、八代将軍の座は吉宗のものになってしまう。
……現実はもっと壮絶なもので、およそ吉宗が将軍になるなどということは、というか紀州のお殿様になることも想定外だったらしい。
大河ドラマでは、戦国時代や幕末が繰り返し描かれているようだけれども、江戸中期もけっこう採り上げられている。それはもちろん忠臣蔵という存在が大きいわけだけど、このドラマはそれよりちょっと後の時代になる。
このあたりもけっこう高名な登場人物が多い。大岡忠相とか、紀伊国屋文左衛門とか。なにより吉宗自身が暴れん坊将軍だし(笑)、天一坊事件を扱った「男は度胸」(このときの吉宗は浜畑賢吉)は好きだったなあ。
しかし、なにしろ太平の世なので戦闘シーンがない。ここはちょっとつらいところだったはず。しばらく不調が続いていた大河だったので、「独眼竜政宗」で大ヒットを飛ばしたジェームス三木がふたたび起用され、彼はその悪条件を逆手にとって「じゃあホームドラマをやる」と決めたのだそうだ。
登場人物のほとんどが徳川姓か松平姓という壮大なホームドラマがかくて誕生した。以下次号。
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