遠藤ミチロウ カノン
2019年月号PART4「令和の家族」はこちら。
27歳の時、『セイ!ヤング』をやらせていただいた時が一番うれしかった。でも、裏にタモリさんの『オールナイトニッポン』があって…。生き残るためにバカなことをやって。そこは僕のジャンルかなと思って、ずっとやってきました。開き直ってやってきたラジオ人生でした。
……文化放送の定例社長会見に参加した吉田照美のコメント。それよりも前に、地方局向けの番組でDJをやっていた彼は、んもうダントツに面白かった。彼の名がラジオ史に残るのは必然だと思う。そしてこの会見ではTBSの荒川強啓の番組が終わってからいきなり文化放送に登場したことへの質問も相次いだ。
山形県人にとって荒川強啓は大きなアイコン。そしてもうひとつの大きなアイコンが逝った。遠藤ミチロウ。なんてことだ。山形大学出身者はみんな追悼するように。
2019年5月号PART1「登戸の事件」につづく。
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