YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)と聞いて、若い人たちはどのように感じるのだろう。
細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一という個性豊かで才能にあふれたミュージシャンたちは、いまではすっかりビッグネームになっているから知識としてはもちろんみんな持っているのだとは思う。でも70年代末から80年代初めにかけての祝祭のような彼らの活動は、リアルタイムで聴いていたわたしの世代でもよくわかっていないことも多い。
この本は、アルバム「増殖」から「散開」まで、YMOのアシスタントやシンセプログラマーとしてその祝祭につきあった藤井丈司(ライナーノートでおなじみの名前)による回顧録、というかYMOへのオマージュだ。
この年(1975年)、坂本龍一はフォークシンガー友部正人のアルバム「誰もぼくの絵を描けないだろう」で初めてポップス作品のレコーディングに参加する。
「ある日、ゴールデン街で飲んでいるときに、たまたま友部さんが入ってきてぼくの隣に座ったんです。フォークは嫌いで聴かなかったんだけど、たまたま隣に座った友部さんと話してみたら、すごく面白かった。『現代詩の詩人みたいだな』と思った。すっかり意気投合して盛り上がって、明日レコーディングがあるから来てくれないかと言われた。スタジオでレコーディングするということ自体、ぼくにとって初めての経験でした。」
細野晴臣ははっぴいえんど、高橋幸宏はサディスティック・ミカ・バンドという前歴があったけれど、坂本龍一にはそのようなメジャーな活動はなかった。その後、大貫妙子や山下達郎のシュガーベイブ組との交流が始まるわけだけど、まさか最初が友部正人とは!ちなみに、坂本と幸宏は78年に矢沢永吉のシングル「時間よ止まれ」にも参加しています。
設立されたばかりのアルファレコードがまず最初に何をしたかといえば、細野へのプロデューサー契約のオファーだった。
「アルファが独立したときに記者会見があって、とっさにイエロー・マジック・オーケストラっていう名前を思いついたんで、それをやりますと発表しちゃったんです」
大丈夫かYMO(笑)。以下次号。
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