事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「自由は死せず」 門井慶喜著 双葉社

2020-03-20 | 本と雑誌

わたしの世代は、百円紙幣に思い入れがある。子どもの時にお年玉でもらうと狂喜したものだった。

Wikipediaによれば、あれは1953年から流通したB号券とよばれるもので、それまでは聖徳太子が描かれていたが、ここで初めて板垣退助が登場。1974年まで長期にわたって百円札のシンボルだった彼のことを、だからどんな歴史知らずでも知らない人間はいない。

でも、はたして彼はどんな人だったんだろう。大河ドラマなどでは脇役が多いし、自由民権運動ではドラマになりにくい。唯一ドラマティックなのは

「板垣死すとも自由は死せず」

という名文句だが……

銀河鉄道の父」で、狂気と熱情の人間だった宮沢賢治を、父親が一歩ひいて見ているという絶妙の設定で描いた門井慶喜が、この、よくわからない人物である板垣退助を採り上げた「自由は死せず」は大長編。しかも、これだけ長いのに岐阜での暗殺未遂事件あたりで終了。現実にはそれからも板垣は長く生きたのだとか。

門井はこう見たようだ。板垣の才能とはまず軍略にあったと。だから戊辰戦争では圧倒的な強さを見せる。しかし薩長土肥のなかで、後ろ盾として弱い土佐の出身であることが、明治政府から彼が出ていく要因のひとつだったのかと。

彼の父親は異常者と言っていい。興奮すると自分を抑えることができない人物だったようだ。だからこそ、吉田東洋山内容堂といった面々を父として敬慕し、彼らも板垣を愛したのではないか。

そして、上士と下士の身分がはっきりと分かれていた土佐のなかで、上士として下士を守ったことが、維新の世になって生きてくる。

戦争のさなかにその無意味さに気づいてしまう複雑な人物像を描くには、やはりこの長さは必要だったんだな。千円札の伊藤博文との確執など、ゾクゾクする。

暗殺未遂のとき、板垣を抱きかかえたのは吉田茂の父親であり、治療したのは若き後藤新平だったという仰天のエピソードもあって、いやはやなかなか面白い人物であり、作品でしたよ。だいたい、板垣は「自由は死せず」なんて言ってないあたり、渋い。


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