事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「博士の愛した数式」小川洋子原作 小泉堯史監督

2008-09-12 | 事務職員部報

寺尾聰、深津絵里主演

 彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。そして博士は息子を、ルートと呼んだ。息子の頭のてっぺんが、ルート記号のように平らだったからだ。
「おお、なかなかこれは、賢い心が詰まっていそうだ」「これを使えば、無限の数字にも、目に見えない数字にも、ちゃんとした身分を与えることができる」彼は埃の積もった仕事机の隅に、人差し指でその形を書いた。

                        √

……80分しか記憶を持つことができず、背広のいたるところにメモを貼り付ける博士。《僕の記憶は80分しかもたない》朝目覚めると、彼は絶望的な一文を書きつけたメモを読むことで一日を、いや、80分の生活を始める。映画「メメント」の主人公のようにわずか10分の記憶しか持てず、身体にタトゥーを入れるほどのハードさではないけれど、彼の日常の絶望感は十分に伝わる。しかしスパンが短いとは言え、有限の記憶しか持つことができない博士とは、つまりわたしたち人間の暗喩であり、無限の真理である数学との対比はせつない。

 原作と映画のいちばんの差は、原作では短い新聞記事で博士の前半生を一瞬にして読者に悟らせる技巧がみごとだったのに、映画ではその過去である義姉と義弟の関係が中心になっていることだ。姉を演じた浅丘ルリ子の大女優ぶりに圧倒させられるが、逆に“つらい日常を感じさせない家政婦”役の深津絵里の純粋さが過剰になってしまった。まあ、すぐに忘れられるぐらいの欠点なんですが。

06年2月9日付事務職員部報「統廃合」より。

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自然数の本性 (数哲句(「肉中の哲学」))
2024-08-22 07:29:54
≪…浅丘ルリ子…≫から、

映画の
 一つぶの砂に 一つの世界を見
一輪の野の花に 一つの天国を見
てのひらに無限を乗せ
一時のうちに永遠を感じる
          ウィリアム・ブレイク

の雰囲気で浅丘ルリ子の昭和歌謡のカバーヴァジョンの本歌取りで「博士の愛した数式」に迫る・・・

 「愛のさざなみ」の本歌取り

  [ i のさざなみ ]

この世にヒフミヨが本当にいるなら
〇に抱かれて△は点になる
ああ〇に△がただ一つ
ひとしくひとしくくちずけしてね
くり返すくり返すさざ波のように

〇が△をきらいになったら
静かに静かに点になってほしい
ああ〇に△がただ一つ
別れを思うと曲線ができる
くり返すくり返すさざ波のように

どのように点が離れていても
点のふるさとは〇 一つなの
ああ〇に△がただ一つ
いつでもいつでもヒフミヨしてね 
くり返すくり返すさざ波のように
さざ波のように

[ヒフミヨ体上の離散関数の束は、[1](連接)である。]
            (複素多様体上の正則函数の層は、連接である。)

数学の基となる自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))を大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】の平面・2次元からの送りモノとして眺めると、[岡潔の連接定理]の風景が、多くの歌手がカバーしている「愛のさざなみ」に隠されていてそっと岡潔数学体験館で、謳いタイ・・・
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