第三十五回「義昭、迷いの中で」はこちら。
前から、とても不思議に思っていることがあったの。たとえば幕末の世において、百姓たちは天皇をどう考えていたのかなあと。知ってた?そりゃまあ知ってたには違いないけれども(確信無し)、自分の生活に関係のある存在だと思ってたんだろうか。
錦の御旗って、知ってた?(それは絶対に知らなかったと思う)
宗教的な行事によく登場するあの存在を、恐れ多いと考えるようになったのはいつからなんだろう。先週の日曜日に、神社の行事に参加して、明治以前の人たちはいったいどんな気持ちでお歳夜とかに参加したんだろうと考えてました。
本日の大河は、権力の三重構造のお話。武士たちはもちろん武力で直接に激突する。天下を狙う武将たちはそのことで精一杯だ。そしてその上には将軍がいて、その上に……
光秀は天皇の声を聴いて、彼と思うところがいっしょであることに感動。信長は武力で圧倒すべきの相手は誰かを承知している。そして木下藤吉郎は酔ったふりまでして、いま何をすべきなのかを語って見せる。
歴史上の勝者が誰なのかをわかっているから書けるんだ、という理屈はあるでしょう、でも、ここまでのお話ではやっぱり徳川家康はきついまんまです。
んで、こういう高名な人たちのお話に無名のフィクションが入ってくるのが我慢できない人はいるみたいだ。駒ちゃんとかね。ネットでは排撃されているし。
気持ちはわからないではないんだけど(単に物語がよじれるから)、それを批判するのは違うと思う。彼らがいてこその歴史。不確定要素とは「スラムダンク」の桜木にだけ与えられる称号ではありません。画像は流川だけど。
第三十七回「信長公と蘭奢待」につづく。
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