ジョージ・ルーカス監督 フランシス・フォード・コッポラ製作(‘73 米)
DVDのお楽しみのひとつに、出演者が当時の撮影状況を語る特典映像がある。私が観たなかでいちばんすごかったのは「アメリカン・グラフィティ」(通称アメグラ)で、あの、高校生活最後の夜を過ごした連中が、すっかり太ったり皺だらけになって「あのときはこうだった」と語り出す。うまく年をとったなあ、と思うヤツもいれば、つらい人生だったんだね、と勝手な想像をしてしまうヤツもいる。実生活で一番意外だったのは、恋人と別れることができず、田舎に残って冴えない人生を送るスティーヴ役を演じたロン・ハワードが、いまやハリウッドの大物監督(「アポロ13」「グリンチ」)になったこと。思いっきり髪は薄くなっているが。
……ここまでは実は「JAWS」のための原稿だったのだが、気が変わった。「アメリカン・グラフィティ」を語らないわけにはいかない。
この映画を初めて観たのは、‘74年日本公開だから中学時代か、酒田の封切りが遅れて高校時代だったかな。その頃はまだまだわからなかったのだ。この映画の苦みが。
アメリカでは人種差別がさほど問題にもならず(ということは差別が徹底していた、ということだろう)、ベトナムの悪夢がまだ先のことで、ケネディが暗殺される前年、1962年のカリフォルニア州の小さな町のお話。高校卒業の夜の馬鹿騒ぎを、それこそ落書き(=グラフィティ。この映画のおかげで日本語化した)のように描いた作品。
見直して痛感したが、とにかくのべつまくなしにロックンロールが流れている。しかも「ロック・アラウンド・ザ・クロック」をはじめとした超メジャー曲ぞろい。このサントラの権利関係でもめたおかげでビデオ化が遅れたせいもあり、ほぼ30年ぶりの再見ということになる。
で、実は泣いてしまいました。思い切り。
何でこんなんで泣くかなあ、と言われるのは承知の上。自分だってよくわからないのだ。念のために言っておくと、主人公に自分を投影した、ととられるのはちょっとイヤ。おこがましいし。でも、田舎町から“出ていかなければいけない”と焦りまくっていたくせに、都会での生活にいまひとつリアリティが持てないでいるカート(リチャード・ドレイファス……ここでJAWSとの絡みが)という高校三年生には、ひたすら共感できた。
こんなシーンがある。卒業パーティにて。
……体育館では全員が男女向かい合ってスロウなダンスを始めている。カートは、用具置き場の暗がりでウルフ先生に呼び止められる。
ウルフ「行くんだってね」
カート「いや、まだわかりませんよ」
ウルフ「何言ってんだ。東部に行くんだろ?私が高校を卒業して行ったときのことを思い出すよ。前の晩には浴びるほど酒を飲んでね。それで……」
カート「へべれけですか」
ウルフ「そう。次の日、汽車の中でずっと吐きづめだったよ。」
カート「(笑)今度はどこへ行くんですか?」
ウルフ「ミドルベリーだ。ヴァーモント州の。奨学金が出てね。……でも、また、戻ってくるよ」
カート「……どうしてです?」
ウルフ「私は、人と競争してやっていくタイプじゃないんだ。」
カート「ぼくも、多分競争のできないタイプじゃないかと思うんです。だから、あまり行く気がしなくて……」
ウルフ「馬鹿なことを言うな。何ごとも経験だよ、カーティス。」
……アメリカ人にとって、東部(アイヴィーリーグ)に行く、ということはおそらく立身出世に結びつくことなのだろう。しかも競争社会であるアメリカでは、そのことを避けること即ちドロップアウトを意味するのかもしれない。同級生のスティーヴ(ロン・ハワード)は、まさしく、その道をたどる。
一番有名で、心に残るシーンはやはりこれだろうか。伝説のDJウルフマンジャックのスタジオをカートが訪ねる場面。
……中年の局員は、カートにアイスキャンディをすすめるが、彼は断る。
カート「あなたがウルフマンですか?」
局員「違うよ。」彼はカセットをレコーダーに差し込み、出てくるウルフマンの声をカートに聴かせる。
局員「これがウルフマンだ。正体はテープなのさ」
カート「彼はどこにいるんです?頼みたいことがあったのに」街で見かけた女性(おそらくは高級娼婦)に曲をプレゼントしたいのだ。
局員「私に見せてごらん(カートからリクエストのメモを受けとる)。曲のプレゼントだね?私から連絡をとってやろう。明日か火曜日なら……」
カート「急いでるんです。僕は明日町を出るかもしれなくて。とても大切なことなんです。」
局員「町を出るかどうか、はっきり決まっていないのかい?」
カート「東部の大学に行くことになってるんだけど、まだわからないんです。」
局員「……私からウルフマンに伝えておくよ。時々この局に顔を出すから。でももし彼がここにいたとしたら、彼は君にこう言っただろう“しっかり突っ走れ”って。」
カートは礼を言って放送室を出る。ふと振り返ると、物陰ごしのガラスの向こうで局員がマイクに向かって怒鳴っているのが見える。スピーカーからはまぎれもないウルフマンの声が……
……スモールタウンを描いたアメリカ映画には、少なからず心を揺さぶられる。この映画はその典型だ。翌朝、カートは、一人東部へ旅立つ。ラスト、見送りに来た仲良しの三人とともに、彼らの行く末がタイトルで示される。これが、実になんというか……
・ジョン・ミルナーは1964年6月、酔っ払い運転の車に轢かれて死んだ。
・テリー・フィールズは1965年12月、ベトナム戦争におけるアン・ロク付近の戦闘で行方不明と報告された。
・スティーヴ・ボレンダーは現在、カリフォルニア州モデストロで保険会社の外交員を勤めている。
・カート・ヘンダーソンは作家となってカナダに住んでいる。
……カートは、やはり競争から逃げた、と言えるか。ジョンの埋葬に佇む、彼らの姿までが見えてくる。
リチャード・ドレイファスが「スタンド・バイ・ミー」で作家の役をやったのを憶えているだろうか。映画ファンの多くが「あ、カートがここにいる」と思ったに違いなく、どうやら売れっ子らしいことに、私も少し安堵したのだった。
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