高校のときの同級生は、その当時から
あいつはその頃からじじくさかった。
長岡藩の家老だった河井は、幕末において西軍にも幕府方にもつかない姿勢を貫いていた。しかし西軍は長岡藩のやり方を認めず、交渉は決裂。ガトリング砲を購入するなど有事に備えていた長岡藩は、西軍と壮絶な戦いを始める……
長岡に旅行したとき、彼は地元では必ずしも英雄視されていなかったことを知った。西軍と“いい勝負”をしてしまったために、街は焦土と化してしまったではないかと(その、燃える長岡を見ていた少年がのちの山本五十六)。
しかし、日本中が東か西かで揺れ動いていたときに、独立していくことをめざすあたりの発想はなかなか出てこないだろう。攘夷への熱狂もなく、藩主の跡取りをフランスに亡命させる準備までするあたり、並の英明さではない。
しかしそんな英明さをもってしても、時の流れを抑え込むことはできなかった。武士としての限界がやはり存在しただろうか。確かに、最後のサムライだ。
監督は黒澤明の助手を長くつとめた小泉堯史。「博士の愛した数式」「蜩ノ記」の演出でおわかりのように、きっとものすごくまじめな人なのだと思う。女房を芸者遊びにつきあわせるような河井を描くには、少しユーモアが足りなかったか。
しかし戦とはこうするものだという描き方はさすがだ。西軍に奪われた長岡城の奪還作戦など、なるほどとうならされる。
主演は役所広司。彼は長岡出身の二人の英雄をどちらも演じたことになる。妻の松たか子とのアンサンブルがいい。香川京子、井川比佐志、仲代達矢などの黒澤組が画面を締めている。河井の最後の指令が
「最後は、庄内藩を頼れ」
だったのは地元民として誇らしい。館内にいっぱいいたおじいちゃんたちも身を引き締めてました。
ちなみにダンナは映画について「役所広司じゃ年を取り過ぎてる、(以前ドラマでやった)中村勘三郎のほうがずっとイメージに合う」だそうです。
圧倒的だったんですよ。
越後米菓のCMにのちに出ることになったのは
うれしかったなあ。
「スタジオセディック庄内オープンセット」と
出ており、鶴岡市民の一安心でした。
物語よりついあの場面が庄内OS撮影
なんだろうなぁと思うこともしばしば。
horiさんのコメント通り「最後は、庄内藩を頼れ」
心に響きましたね…。
「蜩ノ記」公開時、鶴岡まちなかキネマに
何と小泉堯史監督来館し、サインと我が子交えて
3ショット写真撮影した思い出がありますヨ。
おちびちゃん(もうその呼び方もありえないのか)
にちゃんと聞かせてやれるね。
いま小川洋子の本を読んでいて、彼女にも
普通の主婦の生活があったんだとしみじみ。