まず言っておく。ロックは生まれ落ちた時からセックスとドラッグと共にあったし、そうあるべきだ。根は、はっきりと不良の音楽なのである。それが人生の応援歌的に“上を向いて”“涙をこらえて”“前に進んで”なーんてポジティブなものにいつの間にか成り果てている。はしりは渡辺美里の「My Revolution」あたりだろうか。ピークはKANかな。♪か・な・ら・ず・最後に愛は勝つぅ♪わけないだろ。
……と、突っぱってみたところで疲れた中年になるとそれなりに癒し(ホントに嫌なフレーズざんす)は欲しくなる。特に、神経がささくれ立っている近頃は、アーティストが歌うその“言葉”に敏感になり、なんか、すがっちゃったり(笑)しているのである。
たとえばミスチルの「くるみ」。久方ぶりの「Tomorrow Never Knows」パターンの(構成はおどろくほどよく似ている)曲だが、こんな歌詞なのだ。
良かった事だけ思い出して やけに年老いた気持ちになる
とはいえ暮らしの中で 今 動き出そうとしている
歯車のひとつにならなくてはなぁ
希望の数だけ失望は増える
それでも明日に胸は震える 「どんな事が起こるんだろう?」
想像してみるんだよ
どこかで掛け違えてきて 気が付けば一つ余ったボタン
同じようにして誰かが 持て余したボタンホールに
出会う事で意味が出来たならいい
出会いの数だけ別れは増える それでも希望に胸は震える
十字路に出くわすたび 迷いもするだろうけど
やるもんですなあ。小脳梗塞だかでひと皮むけたかというような安易な解読はしたくないけれど、こういう詩は桜井の旦那はほんとうにうまい。いくらわたしが中年でも、ボタンとボタンホールの関係をわざわざエッチな意味にとったりはいたしませんて。ちなみにわたしがミスチルのなかで一番好きなのは、「ロードムービー」っていう、別になんてことない曲なんですが。
もうひとつ。鬼束ちひろの「私とワルツを」
不思議な炎に 焼かれているのなら
悲鳴(こえ)を上げて 名前を呼んで
一度だけでも それが最後でも
誰にも傷が付かないようにと
ひとりでなんて踊らないで
そして私とワルツを
どうか私とワルツを
……そこまでリスナーを癒さなくても(笑)。んもうサービス満点である。山形帰りにこの曲をリピートで聴きながら、ほえー!こりゃまさしく中年殺しだとしみじみ。
ひょっとしたら若い連中にはこのテのサービス精神はうざったいものに感じられるのかもしれない。でも、淋しき中年のことも考えて、少しは我慢してほしいっす。くだらねー歌詞の曲(特に名は秘すがパクリ名人の浜○あゆみとか)や、とんがったロックなら、今でもくさるほどあるじゃないか。それにしたって江崎とし子とか柴田淳とか、変に老成した曲ばっかり聴いている中年って、やっぱり生き物として弱ってんのかなあ。
ま、そんなことを言いながらも、車のなかではMDにたたき込んだ岡村靖幸やYMOのベストを聴きまくっているのですが。ん?こりゃ単に懐メロ親父になってるってだけか。
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