今朝のNHK教育TV「こころの時代」ご覧になりましたか
(再放送は5月10日(月)午後2時から)
浄土真宗本願寺派 藤田徹文師のお話でした。
つい先日、組内のS寺さんでの巡番報恩講でも聞かせていただいたことですが
仏教は、自分の死後のこと や 死んだ人のことでなく、
「今、ここにいる この私」の問題
「私」は、常に流転している
1,人の言葉に流される
2,モノ(地位や財産など)に流される
3,自分自身のこころ(識・その場の感情)に流される
流され動いている「私」が、動いている場(世界)で、動いているもの(地位・財産、家族、友人)を つかまえようとしても 転んでしまう
その流転して、堂々巡りの状態を「輪廻」という
(「輪廻」は死んだ者が、別の世界に生き返るホラーストーリーではない ←これは私の冗談です)
流転から抜け出した 本当の いのち の あり方の世界を「浄土」
と言う
せっかく頂いた いのち を 流転で終わらせてはいけない
常住なるもの・「法」を生きる指針とする
常住=摂取不捨(「私」をおさめとって、決して捨てない はたらき)を拠り所として
生きる
そう聞かせていただきました。

(再放送は5月10日(月)午後2時から)
浄土真宗本願寺派 藤田徹文師のお話でした。
つい先日、組内のS寺さんでの巡番報恩講でも聞かせていただいたことですが
仏教は、自分の死後のこと や 死んだ人のことでなく、


「私」は、常に流転している
1,人の言葉に流される
2,モノ(地位や財産など)に流される
3,自分自身のこころ(識・その場の感情)に流される
流され動いている「私」が、動いている場(世界)で、動いているもの(地位・財産、家族、友人)を つかまえようとしても 転んでしまう

その流転して、堂々巡りの状態を「輪廻」という

(「輪廻」は死んだ者が、別の世界に生き返るホラーストーリーではない ←これは私の冗談です)
流転から抜け出した 本当の いのち の あり方の世界を「浄土」

せっかく頂いた いのち を 流転で終わらせてはいけない
常住なるもの・「法」を生きる指針とする
常住=摂取不捨(「私」をおさめとって、決して捨てない はたらき)を拠り所として
生きる

そう聞かせていただきました。