お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

死と向き合う

2011年06月02日 | 仏教
 昨日は、佐賀教区布教大会のご縁に遇いました。
 「正信偈に聞く」という演題で、正信偈の味わいをお聞かせくださいました。
 
 会所のJ寺さんの広くて美しい本堂に、いっぱいの(100名くらい?)の参詣者。
用意してくださった椅子席で、1日ゆっくりお聴聞させていただきました。

 6名の布教使さんがご法話くださいましたが、ある若い布教使さんが、こういうお話をくださいました。

 その布教使さんの幼いお子さんが、ある日、泣いていた。理由を聞くと、こういうことだった。
 お母さん(布教使さんの奥様:若坊守さん)が、絵本(生老病死の現実を自然に例えて描いた絵本)を読み聞かせておられたところ、その幼子さんが、お母さんに尋ねられた。
 幼い子どもにとって、「僕」は、「僕のまま」、お父さん、お母さんは、今のまま、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんも最初からこの先も今のまま・・・と思っていた。
 お祖父ちゃん、お祖母ちゃんにも、子どもの時が、あったなんて、
まして、生きている者が、いつか必ず死んで逝かねばならないなんて、思いもしないことです。

 若坊守さんが、幼い我が子に
「○○君も、だんだん、大きくなって、大人になり、やがて、おじいさんになって、死んでゆくのよ」と、話して聞かされた。
 それで、その子は驚いて、「僕も死ぬの」と、泣いていたのでした。

 布教使さんが仰いました。
 「大人だって、死を見ないように生きているのが、私たちの現実ではないのか。安心して生きて、安心して死んで往く道に遇っているだろうか

 
コメント (2)
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