昨日は、佐賀教区布教大会のご縁に遇いました。
「正信偈に聞く」という演題で、正信偈の味わいをお聞かせくださいました。
会所のJ寺さんの広くて美しい本堂に、いっぱいの(100名くらい?)の参詣者。
用意してくださった椅子席で、1日ゆっくりお聴聞させていただきました。
6名の布教使さんがご法話くださいましたが、ある若い布教使さんが、こういうお話をくださいました。
その布教使さんの幼いお子さんが、ある日、泣いていた。理由を聞くと、こういうことだった。
お母さん(布教使さんの奥様:若坊守さん)が、絵本
(生老病死の現実を自然に例えて描いた絵本)を読み聞かせておられたところ、その幼子さんが、お母さんに尋ねられた。
幼い子どもにとって、「僕」は、「僕のまま」、お父さん、お母さんは、今のまま、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんも最初からこの先も今のまま・・・と思っていた。
お祖父ちゃん、お祖母ちゃんにも、子どもの時が、あったなんて、
まして、生きている者が、いつか必ず死んで逝かねばならないなんて、思いもしないことです。
若坊守さんが、幼い我が子に
「○○君も、だんだん、大きくなって、大人になり、やがて、おじいさんになって、死んでゆくのよ」と、話して聞かされた。
それで、その子は驚いて、「僕も死ぬの
」と、泣いていたのでした。
布教使さんが仰いました。
「大人だって、死を見ないように生きているのが、私たちの現実ではないのか。安心して生きて、安心して死んで往く道に遇っているだろうか
」
「正信偈に聞く」という演題で、正信偈の味わいをお聞かせくださいました。
会所のJ寺さんの広くて美しい本堂に、いっぱいの(100名くらい?)の参詣者。
用意してくださった椅子席で、1日ゆっくりお聴聞させていただきました。

6名の布教使さんがご法話くださいましたが、ある若い布教使さんが、こういうお話をくださいました。
その布教使さんの幼いお子さんが、ある日、泣いていた。理由を聞くと、こういうことだった。
お母さん(布教使さんの奥様:若坊守さん)が、絵本

幼い子どもにとって、「僕」は、「僕のまま」、お父さん、お母さんは、今のまま、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんも最初からこの先も今のまま・・・と思っていた。
お祖父ちゃん、お祖母ちゃんにも、子どもの時が、あったなんて、
まして、生きている者が、いつか必ず死んで逝かねばならないなんて、思いもしないことです。
若坊守さんが、幼い我が子に
「○○君も、だんだん、大きくなって、大人になり、やがて、おじいさんになって、死んでゆくのよ」と、話して聞かされた。
それで、その子は驚いて、「僕も死ぬの

布教使さんが仰いました。
「大人だって、死を見ないように生きているのが、私たちの現実ではないのか。安心して生きて、安心して死んで往く道に遇っているだろうか
